恋心、ひとカケラ
「遅れましたが、どうぞ」
そう言ってテーブル越しに赤司が差し出したのは、黒いリボンの巻かれたダークグリーンの綺麗な小箱。
なんだこれ、と言いながら黛がリボンを解き蓋を開けると、中には6粒の小さなチョコレートが行儀よく並んでいた。
「……もしかしてバレンタインか」
「はい」
「わざわざ買ったのかよ」
「いえ、先日折よく海外のショコラトリー経営者と会合する機会があって、その中でバレンタインデーの話題が出たのでそういえばと思い」
なんだそのわけのわからん会合。ツッコミを放棄しながら、黛は「どうも」と微妙な照れ隠しの礼をぼぼそと返す。
「あとで喰う。美味そ」
「色々と試しましたが、そこのチョコレートは本当に美味しかったですよ。お疲れの時にぜひ」
「美味そうだし高そう。一万円くらいしそう」
「はは」
涼しい顔で笑っている赤司に、黛はぅゎ、と胡乱な視線を向けた。
「………当たりかよ」
「何も言ってません。贈り物の値段を詮索するなんて非常識ですよ」
「庶民舌に一個1600円のチョコ喰わす方が非常識だろうがよ」
「ああそうではなく一粒のあ、いえ、はいなんでもないです。そうですね」
「は? ……え、なに、まさか、ちょこいっこいちまんえ」
「今年はどうでしたかこれ以外に貰いました? チョコ」
清々しく話を逸らされた黛は、手元のチョコの価値を自分の一ヶ月のバイト代に換算してみたりして虚しくなった。
「まぁ、大学生ってそれほどバレンタインに一喜一憂してるイメージはないですけど」
「高校もだろ。せいぜい小学生までだよな、動機が告白っていうのも」
「あぁ確かに。とうに『女性がチョコを楽しむイベント』になってますよね」
とはいえ桃井は毎年ものすごい気合いを籠めて黒子に手作りチョコを渡していたなと思い出す。やはり「好きな人に想いを伝えていい日」という名目は、ままならぬ恋に悩む者にとっては心強い後押しになるのだろう。その気持ちが大事なのであって、重要なのはチョコレートの味ではないのだ。
「義理も本命も形骸化して、男にとってはどんどん無関係なものになりつつある気がしますね」
「お前がそれを言うか?」
「?」
「高校生にもなってお前がガチ チョコどれだけ貰ってたか、元洛山生が知らねぇと思うなよ」
ああ、と赤司はあっさり頷いた。
「俺のようなのは、義理だの本命だののカテゴリには該当しませんよ。物珍しさに加えてイベントを盛り上げるダシにされているだけです」
「嘘つけ」
「中には誠実な気持ちで贈ってくれる人もいたでしょうが。……それに、受け取ってはいないですよ。元洛山生が知らないはずはないですけど?」
ちらりと視線を寄こされて、黛はまぁな、と白けて見せた。
中学の時に色々と面倒な目に遭ったのだろう。誕生日にしろバレンタインにしろ何かしらの記念や厚意にしろ例外なく、特別に親しい者以外からは物を受け取らないという姿勢を、赤司は入学当初から徹底していた。「一年の赤司くんの靴箱にこっそりプレゼントを忍ばせたら誰も見ていなかったはずなのに次の休み時間に自分の靴箱に戻されていた」といったどんなホラーだと言わんばかりの数々のエピソードは、三年の黛の耳にまで聞こえてきたものだ。
「お気持ちだけありがたく、の王子様だもんなお前は」
「黛さんはどうだったんですか。俺のことなんてどうでもいいです」
「オレのことの方がどうでもいいが?」
「洛山の頃は貰ってたんですか? 告白とかされたことありました?」
「いきなりデリケートなとこを乱打するな」
「こっちの事情は筒抜けなのにフェアじゃないんですよ」
それはラノベヒロインかつ学園の王子様を地でいく自分のせいだろ……と心の中でぼやきつつ。
仕方ねぇなと、黛は口を開いた。
「……バレンタインはクラスで配ってる奴から、忘れられてなかったら貰うくらいだったけど」
「けど」
「告白はなかったとは言わない」
「!」
「以上」
「断ったんですか?」
「以上です」
「付き合ってたんですか?」
「本日はもう受付終了しました」
「黛さんに着目し且つ恋愛感情を抱けるほど観察を継続できるというのはなかなかに優れた人物ですね。黛さんの何処を好きになったんだろう。顔かな」
「知らね――――――――――――よ人の話聞け」
なぜか赤司のテンションが高い。黛からすれば、ちょっとくらい妬けよと思ってしまうわけだが。
「いえ、なんとなく嬉しくて……もしかしてこれって『同担』ってやつじゃないですか」
目が輝いている。覚えたての言葉を使えるのも嬉しいらしい。反対に黛は顔面しわしわになってしまった。
「居たたまれないことを言うな……」
「別に居たたまれなくないですよ」
「オレがだよ」
お前がオレ担だってのも今はじめて知ったわ。ブツブツ言っている黛に、赤司は引き続き問いかける。
「黛さん自身はどうですか?好きな人とか、気になる人っていたんですか」
「んなもんお前で手一杯でそれどころじゃなかったただろ」
「え」
「いや違う変な言い方した。最後の一年に限ってはって話。バスケって意味。バスケ=お前って意味」
「………」
「好きとか気になるって意味じゃなくて1年間ほぼお前だけだったってことだぞ。お前以外に手かける余裕がなかったってことで」
「黛さん、語るに落ちてる」
「落ちてねぇよ。そういうお前はどうなんだよ。まぁ聞くまでもない気がするけど」
「好きとか気になる相手、ですか? そうですね。こちらも影の薄い問題児の世話で手一杯だったから、それどころじゃなかったかな」
「………」
ちらっと見てくる黛の、まんざらではない顔が可愛い。そのくせ「2軍上がりの落ちこぼれで悪かったな」と強烈に皮肉られ、そこまで言ってないですと赤司は笑った。
お茶を淹れますか、と立ち上がった赤司に生返事しつつ、黛はテーブルに片腕を投げ出してだらりと寝そべった。
視線の先に、いかにも高級そうなチョコの箱。
こんなん一度食べたらもうその辺に売ってるチョコなんて喰えなくなるんじゃねぇのか。赤司の手料理がすでにおふくろの味に僅差をつけて1位になってしまったというのに、今度は金の力で胃袋を握り潰され掴まれそうで怖い。
「……お前に貰うのは始めてか」
ぼんやりと呟いてから、そりゃそうかと付け足した。去年の2月は自分が受験の真っただ中だったし、まだ「こんな関係」でもなかった。こんな関係になった今でも、男同士で本命チョコの贈り合いなど考えたこともなかったが、実際貰ってみると存外アリだった。「好きな子からのバレンタインチョコ」というものは、やはり幾つになっても男の勲章なのだろうか。赤司に「本命チョコ」を貰えたことは、内心ガッツポーズをしたいくらいシンプルに嬉しかった。
「はじめてじゃないですよ」
急須をもって手前に座った赤司が独り言のように言う。
寝そべったまま顔を傾けて視線を遣ると、赤司は意味深な笑みを浮かべた。
「バレンタインのチョコレート。去年も贈ってます」
「………………うそぉ」
思わず間延びした声がこぼれる。
「嘘はつきません」
「去年ってお前そ……え……いつ……?」
「14日当日ではなかったですが、その前後に。へえ。覚えてないんですね」
澄まし顔で指摘されて、黛は俄かに困惑した。
去年の2月?しょっちゅう、なんなら今より頻繁に赤司がこの部屋を訪れていた時期だ。
受験中のあの時期に、赤司からチョコ……? バレンタインの? 貰ったか? 嘘だ、全然、まったく覚えがない。
「え、どんなのだよ……すげぇパティシエのチョコ……?」
「パティシエではなくショコラティエ。去年は、違いますね。コンビニで買いました」
また予想外の変化球に面食らう。赤司が?コンビニで? いやまぁ、この時期はコンビニにも小奇麗にラッピングされたチョコは陳列されている。
「なんか特徴……味とか」
「甘めのミルクチョコ。ブラジルとドミニカ産のカカオ、成分54%だったと記憶してます」
覚えていないのが気に喰わないのか、赤司はちょっとツンツンしている。赤司征十郎にバレンタインチョコ貰ったことを綺麗サッパリ忘れられる奴なんてこの世にオレくらいしかいないんじゃねぇのか。すげぇなオレ。さすがの黛も軽くテンパっていた。
しばらく悩み、あらゆる可能性を模索した結果、導き出された答えは――――
「…………板チョコとか?」
小箱に入ったプレゼント仕様ではなく。もしくは駄菓子……チョコボールとか、麦チョコとか。
おや、と言うように赤司がちらりと見遣る。いいところをついてきましたね、という顔だ。
「はい。板チョコ、正解です」
「大きさは」
「大きさ?」
「一枚丸々くれたのか?」
赤司はさらに笑みを深めた。
「いいえ。ひと欠けら です」
キタコレ、と黛はこぶしを握った。なるほどな、読めたぜ。つまり、
「オレの寝てる間に口の中に放りこん」
「違います」
渾身の推理が剛速球で弾かれてヴッとカウンターを喰らった。
「そんな危険なことしませんよ」
「……意識のあるオレに喰わせたと」
「当たり前です」
再び黛は頭を悩ませた。でもそれくらい小さいサイズだと言うなら、気付かないうちにいつの間にか食べていたという線で絶対合っているはずだ。
「お前どうせまたよくわからんチート技使って人の胃袋に勝手にもの送り込んだんだろ」
「さすがに物質転移は俺もまだ会得していませんよ」
そのうち会得するつもりの言い方をするな。しかめ面の黛を横目に見て、赤司は白々しいようなため息をついた。
「本当にわからないものなんですね。ちゃんとお礼も言われたのに」
は?一瞬の間を置いて、黛はますます怪訝な顔になった。
「……いやそれは絶対ウソだろ。礼まで言ってたらさすがに忘れねーよ」
「美味しかったって言ってくれましたよ」
赤司は澄まし顔で微笑を浮かべている。
「受験に勝つのに、『コレ』が効いたって」
「……は、……?」
「あと、いっぱい美味いものくわせやがって!って怒られました」
「……、……?……、………?」
「あれは貴方なりのお礼だって解釈してましたが、もしかして違いましたか? ただ怒られただけだったのかな」
「……、………、………」
徐々に眉根を寄せていく黛の表情に、とうとう赤司は笑いを堪えきれずに吹き出した。「そろそろ勘弁してやろう」という天帝のお許しが聞こえてきそうである。
赤司の言ったセリフは、確かに黛の身に覚えがあった。
あれか。あれだ。合格決まって、赤司が家に来た日の……、効いた ってのは、えーと、あれだ、受験直前に喰った……、
「本当は自分で揚げたかったんですが時間がなくて、カツだけは買ったんです。あの語呂合わせ、知ってましたか?」
「………………カツカレー」
「正解」
「………………え、カレーにチョコって入れんの?」
「ええ、ほんの少し。隠し味として入れると味に深みが出ます。チョコ以外にも市販品のルーに色々な素材を足すことで、さらに美味しくできますよ」
気の抜けた黛がテーブルにドスンと突っ伏す。カレシをたくさん翻弄できて大満足の赤司は、ご機嫌な様子でそのつむじに「黛さん」と話しかけた。
「あの時のチョコレート 、本命だったんですよ」
「……そうかよ」
「だけど告白する勇気も、直接渡す勇気もなかったから、欠片にしてカレーに隠したんです」
「…………」
何も言わない黛の、耳だけが心なしか紅くなっていく。
『片想い』だったあの頃の気持ちを思い出し、赤司は唄うようにふふ、と笑った。
祈るような気持ちで、隠して溶かした。
54%のチョコレートと、46%の好きのカケラを。
「必死にぐるぐるかきまぜました。黛さんにばれないように」
(ばれてたよ)
赤司の幼稚で純粋な告白にじわじわとダメージを受けている黛は、突っ伏したまま心の中で呟いた。
チョコレート に、気付いてはいなくても。あの日食べたそれは内側から確実に、黛を赤司へと堕落させていた。
あの日、赤司が作りおいていったカレーを食べた時。語呂合わせだってカツカレーにして。あったかいご飯。たっぷりのサラダ。ゆで卵に文字が書いてあった時。
そのすべてに赤司からの、隠しきれないひたむきで、優しい愛情を感じてしまった。
本当は、あの時に、黛は「折れた」。
もう無理だと思った。
ずっと、赤司がいなくなっても自分は何も変わらないと思っていた。いつか赤司がこの部屋に来なくなっても、いつだって簡単に元の自分に戻れると思っていた。
そう思い込もうとしていたのだ。自分は赤司に溺れてなんかいない。それなのに、あの時世界一美味しいカレーを食べながら死にそうなほどに痛感してしまった。
赤司がいて良かった。ちっとも可愛げのないあのクソ猫が、他の奴の部屋ではなくこの部屋に迷い込んで、たまたまオレに懐いてくれてよかった。心底よかった。
赤司がいなければ自分はもう受験も、他の何も本当の意味では頑張れないと。あの時黛は自覚し、ついに白旗をあげたのだ。
赤司は知らない。あのカレー の威力を。あれがトドメになったことを。
夕飯は何にしましょうかと訊かれ、カレーと即答すると赤司は笑った。
笑ってんじゃねぇよ、誰のせいだ。未だに上げられない顔を腕の中で紅くしながら黛は心の中で大いに文句を垂れ流す。
ああそうだ、今日はオレが作ろう。ふと思いたった。赤司には何もさせず座らせておいて、オレが最初から最後まで全部作ってやろうと黛は決める。
お前が実らせるつもりのなかった本命 を、一年越しで思い切り実らせてやるために。とりあえず今からコンビニに行って、板チョコを買ってこなければ。
隠し味には、どんな欠けら をこめようか。
そう言ってテーブル越しに赤司が差し出したのは、黒いリボンの巻かれたダークグリーンの綺麗な小箱。
なんだこれ、と言いながら黛がリボンを解き蓋を開けると、中には6粒の小さなチョコレートが行儀よく並んでいた。
「……もしかしてバレンタインか」
「はい」
「わざわざ買ったのかよ」
「いえ、先日折よく海外のショコラトリー経営者と会合する機会があって、その中でバレンタインデーの話題が出たのでそういえばと思い」
なんだそのわけのわからん会合。ツッコミを放棄しながら、黛は「どうも」と微妙な照れ隠しの礼をぼぼそと返す。
「あとで喰う。美味そ」
「色々と試しましたが、そこのチョコレートは本当に美味しかったですよ。お疲れの時にぜひ」
「美味そうだし高そう。一万円くらいしそう」
「はは」
涼しい顔で笑っている赤司に、黛はぅゎ、と胡乱な視線を向けた。
「………当たりかよ」
「何も言ってません。贈り物の値段を詮索するなんて非常識ですよ」
「庶民舌に一個1600円のチョコ喰わす方が非常識だろうがよ」
「ああそうではなく一粒のあ、いえ、はいなんでもないです。そうですね」
「は? ……え、なに、まさか、ちょこいっこいちまんえ」
「今年はどうでしたかこれ以外に貰いました? チョコ」
清々しく話を逸らされた黛は、手元のチョコの価値を自分の一ヶ月のバイト代に換算してみたりして虚しくなった。
「まぁ、大学生ってそれほどバレンタインに一喜一憂してるイメージはないですけど」
「高校もだろ。せいぜい小学生までだよな、動機が告白っていうのも」
「あぁ確かに。とうに『女性がチョコを楽しむイベント』になってますよね」
とはいえ桃井は毎年ものすごい気合いを籠めて黒子に手作りチョコを渡していたなと思い出す。やはり「好きな人に想いを伝えていい日」という名目は、ままならぬ恋に悩む者にとっては心強い後押しになるのだろう。その気持ちが大事なのであって、重要なのはチョコレートの味ではないのだ。
「義理も本命も形骸化して、男にとってはどんどん無関係なものになりつつある気がしますね」
「お前がそれを言うか?」
「?」
「高校生にもなってお前が
ああ、と赤司はあっさり頷いた。
「俺のようなのは、義理だの本命だののカテゴリには該当しませんよ。物珍しさに加えてイベントを盛り上げるダシにされているだけです」
「嘘つけ」
「中には誠実な気持ちで贈ってくれる人もいたでしょうが。……それに、受け取ってはいないですよ。元洛山生が知らないはずはないですけど?」
ちらりと視線を寄こされて、黛はまぁな、と白けて見せた。
中学の時に色々と面倒な目に遭ったのだろう。誕生日にしろバレンタインにしろ何かしらの記念や厚意にしろ例外なく、特別に親しい者以外からは物を受け取らないという姿勢を、赤司は入学当初から徹底していた。「一年の赤司くんの靴箱にこっそりプレゼントを忍ばせたら誰も見ていなかったはずなのに次の休み時間に自分の靴箱に戻されていた」といったどんなホラーだと言わんばかりの数々のエピソードは、三年の黛の耳にまで聞こえてきたものだ。
「お気持ちだけありがたく、の王子様だもんなお前は」
「黛さんはどうだったんですか。俺のことなんてどうでもいいです」
「オレのことの方がどうでもいいが?」
「洛山の頃は貰ってたんですか? 告白とかされたことありました?」
「いきなりデリケートなとこを乱打するな」
「こっちの事情は筒抜けなのにフェアじゃないんですよ」
それはラノベヒロインかつ学園の王子様を地でいく自分のせいだろ……と心の中でぼやきつつ。
仕方ねぇなと、黛は口を開いた。
「……バレンタインはクラスで配ってる奴から、忘れられてなかったら貰うくらいだったけど」
「けど」
「告白はなかったとは言わない」
「!」
「以上」
「断ったんですか?」
「以上です」
「付き合ってたんですか?」
「本日はもう受付終了しました」
「黛さんに着目し且つ恋愛感情を抱けるほど観察を継続できるというのはなかなかに優れた人物ですね。黛さんの何処を好きになったんだろう。顔かな」
「知らね――――――――――――よ人の話聞け」
なぜか赤司のテンションが高い。黛からすれば、ちょっとくらい妬けよと思ってしまうわけだが。
「いえ、なんとなく嬉しくて……もしかしてこれって『同担』ってやつじゃないですか」
目が輝いている。覚えたての言葉を使えるのも嬉しいらしい。反対に黛は顔面しわしわになってしまった。
「居たたまれないことを言うな……」
「別に居たたまれなくないですよ」
「オレがだよ」
お前がオレ担だってのも今はじめて知ったわ。ブツブツ言っている黛に、赤司は引き続き問いかける。
「黛さん自身はどうですか?好きな人とか、気になる人っていたんですか」
「んなもんお前で手一杯でそれどころじゃなかったただろ」
「え」
「いや違う変な言い方した。最後の一年に限ってはって話。バスケって意味。バスケ=お前って意味」
「………」
「好きとか気になるって意味じゃなくて1年間ほぼお前だけだったってことだぞ。お前以外に手かける余裕がなかったってことで」
「黛さん、語るに落ちてる」
「落ちてねぇよ。そういうお前はどうなんだよ。まぁ聞くまでもない気がするけど」
「好きとか気になる相手、ですか? そうですね。こちらも影の薄い問題児の世話で手一杯だったから、それどころじゃなかったかな」
「………」
ちらっと見てくる黛の、まんざらではない顔が可愛い。そのくせ「2軍上がりの落ちこぼれで悪かったな」と強烈に皮肉られ、そこまで言ってないですと赤司は笑った。
お茶を淹れますか、と立ち上がった赤司に生返事しつつ、黛はテーブルに片腕を投げ出してだらりと寝そべった。
視線の先に、いかにも高級そうなチョコの箱。
こんなん一度食べたらもうその辺に売ってるチョコなんて喰えなくなるんじゃねぇのか。赤司の手料理がすでにおふくろの味に僅差をつけて1位になってしまったというのに、今度は金の力で胃袋を握り潰され掴まれそうで怖い。
「……お前に貰うのは始めてか」
ぼんやりと呟いてから、そりゃそうかと付け足した。去年の2月は自分が受験の真っただ中だったし、まだ「こんな関係」でもなかった。こんな関係になった今でも、男同士で本命チョコの贈り合いなど考えたこともなかったが、実際貰ってみると存外アリだった。「好きな子からのバレンタインチョコ」というものは、やはり幾つになっても男の勲章なのだろうか。赤司に「本命チョコ」を貰えたことは、内心ガッツポーズをしたいくらいシンプルに嬉しかった。
「はじめてじゃないですよ」
急須をもって手前に座った赤司が独り言のように言う。
寝そべったまま顔を傾けて視線を遣ると、赤司は意味深な笑みを浮かべた。
「バレンタインのチョコレート。去年も贈ってます」
「………………うそぉ」
思わず間延びした声がこぼれる。
「嘘はつきません」
「去年ってお前そ……え……いつ……?」
「14日当日ではなかったですが、その前後に。へえ。覚えてないんですね」
澄まし顔で指摘されて、黛は俄かに困惑した。
去年の2月?しょっちゅう、なんなら今より頻繁に赤司がこの部屋を訪れていた時期だ。
受験中のあの時期に、赤司からチョコ……? バレンタインの? 貰ったか? 嘘だ、全然、まったく覚えがない。
「え、どんなのだよ……すげぇパティシエのチョコ……?」
「パティシエではなくショコラティエ。去年は、違いますね。コンビニで買いました」
また予想外の変化球に面食らう。赤司が?コンビニで? いやまぁ、この時期はコンビニにも小奇麗にラッピングされたチョコは陳列されている。
「なんか特徴……味とか」
「甘めのミルクチョコ。ブラジルとドミニカ産のカカオ、成分54%だったと記憶してます」
覚えていないのが気に喰わないのか、赤司はちょっとツンツンしている。赤司征十郎にバレンタインチョコ貰ったことを綺麗サッパリ忘れられる奴なんてこの世にオレくらいしかいないんじゃねぇのか。すげぇなオレ。さすがの黛も軽くテンパっていた。
しばらく悩み、あらゆる可能性を模索した結果、導き出された答えは――――
「…………板チョコとか?」
小箱に入ったプレゼント仕様ではなく。もしくは駄菓子……チョコボールとか、麦チョコとか。
おや、と言うように赤司がちらりと見遣る。いいところをついてきましたね、という顔だ。
「はい。板チョコ、正解です」
「大きさは」
「大きさ?」
「一枚丸々くれたのか?」
赤司はさらに笑みを深めた。
「いいえ。
キタコレ、と黛はこぶしを握った。なるほどな、読めたぜ。つまり、
「オレの寝てる間に口の中に放りこん」
「違います」
渾身の推理が剛速球で弾かれてヴッとカウンターを喰らった。
「そんな危険なことしませんよ」
「……意識のあるオレに喰わせたと」
「当たり前です」
再び黛は頭を悩ませた。でもそれくらい小さいサイズだと言うなら、気付かないうちにいつの間にか食べていたという線で絶対合っているはずだ。
「お前どうせまたよくわからんチート技使って人の胃袋に勝手にもの送り込んだんだろ」
「さすがに物質転移は俺もまだ会得していませんよ」
そのうち会得するつもりの言い方をするな。しかめ面の黛を横目に見て、赤司は白々しいようなため息をついた。
「本当にわからないものなんですね。ちゃんとお礼も言われたのに」
は?一瞬の間を置いて、黛はますます怪訝な顔になった。
「……いやそれは絶対ウソだろ。礼まで言ってたらさすがに忘れねーよ」
「美味しかったって言ってくれましたよ」
赤司は澄まし顔で微笑を浮かべている。
「受験に勝つのに、『コレ』が効いたって」
「……は、……?」
「あと、いっぱい美味いものくわせやがって!って怒られました」
「……、……?……、………?」
「あれは貴方なりのお礼だって解釈してましたが、もしかして違いましたか? ただ怒られただけだったのかな」
「……、………、………」
徐々に眉根を寄せていく黛の表情に、とうとう赤司は笑いを堪えきれずに吹き出した。「そろそろ勘弁してやろう」という天帝のお許しが聞こえてきそうである。
赤司の言ったセリフは、確かに黛の身に覚えがあった。
あれか。あれだ。合格決まって、赤司が家に来た日の……、
「本当は自分で揚げたかったんですが時間がなくて、カツだけは買ったんです。あの語呂合わせ、知ってましたか?」
「………………カツカレー」
「正解」
「………………え、カレーにチョコって入れんの?」
「ええ、ほんの少し。隠し味として入れると味に深みが出ます。チョコ以外にも市販品のルーに色々な素材を足すことで、さらに美味しくできますよ」
気の抜けた黛がテーブルにドスンと突っ伏す。カレシをたくさん翻弄できて大満足の赤司は、ご機嫌な様子でそのつむじに「黛さん」と話しかけた。
「あの時の
「……そうかよ」
「だけど告白する勇気も、直接渡す勇気もなかったから、欠片にしてカレーに隠したんです」
「…………」
何も言わない黛の、耳だけが心なしか紅くなっていく。
『片想い』だったあの頃の気持ちを思い出し、赤司は唄うようにふふ、と笑った。
祈るような気持ちで、隠して溶かした。
54%のチョコレートと、46%の好きのカケラを。
「必死にぐるぐるかきまぜました。黛さんにばれないように」
(ばれてたよ)
赤司の幼稚で純粋な告白にじわじわとダメージを受けている黛は、突っ伏したまま心の中で呟いた。
あの日、赤司が作りおいていったカレーを食べた時。語呂合わせだってカツカレーにして。あったかいご飯。たっぷりのサラダ。ゆで卵に文字が書いてあった時。
そのすべてに赤司からの、隠しきれないひたむきで、優しい愛情を感じてしまった。
本当は、あの時に、黛は「折れた」。
もう無理だと思った。
ずっと、赤司がいなくなっても自分は何も変わらないと思っていた。いつか赤司がこの部屋に来なくなっても、いつだって簡単に元の自分に戻れると思っていた。
そう思い込もうとしていたのだ。自分は赤司に溺れてなんかいない。それなのに、あの時世界一美味しいカレーを食べながら死にそうなほどに痛感してしまった。
赤司がいて良かった。ちっとも可愛げのないあのクソ猫が、他の奴の部屋ではなくこの部屋に迷い込んで、たまたまオレに懐いてくれてよかった。心底よかった。
赤司がいなければ自分はもう受験も、他の何も本当の意味では頑張れないと。あの時黛は自覚し、ついに白旗をあげたのだ。
赤司は知らない。あの
夕飯は何にしましょうかと訊かれ、カレーと即答すると赤司は笑った。
笑ってんじゃねぇよ、誰のせいだ。未だに上げられない顔を腕の中で紅くしながら黛は心の中で大いに文句を垂れ流す。
ああそうだ、今日はオレが作ろう。ふと思いたった。赤司には何もさせず座らせておいて、オレが最初から最後まで全部作ってやろうと黛は決める。
お前が実らせるつもりのなかった
隠し味には、どんな
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