月光
黛がシャワーを浴びて戻ってくると、赤司は枕を抱えてベッドにうつ伏せになっていた。
シャワーは別々に浴びた。一緒にどうこうしたいという浪漫はあったが、これ以上は本気でキリがないと思ったのでやめた。
放り出された赤司のスマホをチラリと見て、頭をタオルで拭きながらベッドに腰掛ける。
「……大丈夫か?」
色々な意味で、だ。
もぞりと赤司が顔をこちらに向ける。思っていたよりしっかりした笑みを浮かべていたので、内心でほっとした。
「はい」
「なんでふて寝してんだよ」
「これから面倒だなぁ、と思って」
黛は黙ってペットボトルを煽った。
自分のシャワー中、家に連絡をした赤司が家の者とどんなやり取りをしたかは知らないが、その一言で大体理解できた。そもそも予想していたことだ。わかっていてこの部屋まで連れて来た。「面倒」を負わせたのは他の誰でもない自分だ。
ベッドサイドの時計に目をやる。赤司を帰らせるならこれが最後のチャンスという頃合い。ずいぶん長い間いかがわしい行為に耽っていたものだ。若さとは恐ろしい。
ごろりと仰向けになった赤司が微笑んだまま見つめてきたので、黛はそのおでこから前髪を無造作に撫でてやった。
「……赤司」
「はい」
「正直、オレはオレの都合でしか物言ってない自覚はあるし、お前の置かれてる状況を多分半分も理解なんか出来てねぇよ。お前がこうするべきと思ってる方法があるなら、そうすればいい。お前がお前のために最善だと思える方を選べ。オレはそれに従う」
赤司は黙って、黛の手に気持ちよさそうに瞳を細める。
「どうするかはお前が決めろ」
「……黛さんは?」
「オレは最初に言っただろ。帰すつもりはねぇけど。強要もしない」
偽らざる本心だが、ああ、本当にオレは卑怯で気楽な立場にいるのだなと、黛は自分自身に失望に近いお粗末さを覚えた。
「黛さん。俺は」
黛の心情を知ってか知らずか。赤司は寝そべりながら柔らかな笑みを浮かべた。
「知っての通り、元々今日で貴方と縁を切る約束で、家の者と話をつけてきていたんです」
『どうか、卒業式まで』
赤司家子息たる自覚、その覚悟。世話役連中にお小言と父の意向をこの上なく慎重に諫言されて、赤司は自らそう申し出た。
『それ以降は、あなた方の言う素行不良を改めます』
半ば強引に取り付けたその条件があったから、外泊を咎められていた赤司が、この部屋でこれだけたくさんの時間を過ごせてこれたのだ。
「あの人たちは俺が誓約を破るわけがないと信じているから、時限を決めておけば無条件に安心することはわかっていた。それに、外泊以外の素行において赤司の名を汚すような愚挙を俺は一切犯していない。つけいる隙は与えませんでした」
「……それだとオレが唯一の汚点みたいじゃねぇか」
「汚点ではありませんが、弱点ではあったかもしれません」
弱点ね、と黛はため息をつく。赤司は身を起こし、黛の隣に腰かけた。
「貴方を盾に取られれば俺に勝ち目はない。だから最初に釘を刺しておいたんです。『これは全て俺の一存であり黛千尋に一切の責はない。どのような形であれ貴方がたによる黛千尋への一切の接触、干渉を許さない』、と」
「……干渉されかけてたのか、オレ」
「まぁ、この部屋は知られてますしね。初日に」
「赤司家こわい」
「大丈夫ですよ。あの人たちは結局俺に逆らえないんです。父の命令と俺の反抗の間で板挟みになっている。可哀想ですね」
「中間管理職か…」
くすりと笑い、赤司は黛の肩に頭を凭せかけた。
「……父が俺を支配しようと躍起になるのは、俺が手の届く範囲にいないからでしょう。交友関係すら把握して口を出してくるなんて今までにありませんでした。忙しい人ですしね。あちらに帰ることだって、今後もしつこく強制してくるに違いない。本当に煩わしいですが、それだけあの人もなりふり構っていられないということなのかもしれません」
「愛されてんのな、お前」
「違いますよ。あれは所有欲だ。自分の思い通りにならないことは認めないんです。大体あの人の中では俺なんかきっと10歳のままで止まっているんですよ。少し噛み付いただけで動転するのだから、成長していないのはどっちだという話です馬鹿馬鹿しい」
珍しくぷんぷんと怒りを露わにする赤司に、黛は苦笑いを浮かべた。めんどくせぇ親子。
「俺が誰を好きになったって、誰にも咎められる権利はないです。ちがいますか?」
「いや? いいんじゃねぇの」
同意を求めて見上げてきた赤司の髪を撫でる。
「例え死ぬほど存在感のない平平凡凡な一般人でも、赤司サマがお気に召したならお好きにどうぞ」
「ふふ」
赤司はぎゅうと黛に抱きついた。
「好きにしてきましたよ。ずいぶんと」
「そうな。わりとやりたい放題だったなお前」
「タイムリミットが、ありましたからね」
この部屋にいる時の自分はきっと、外での赤司征十郎しか知らない人間が見れば、目を疑うほどの別人だっただろう。それくらい、ここでの時間は特別だった。卒業式までのカウントダウン。終わりはすぐに来ると知っていた。
だから赤司は、黛への想いを抑える必要がなかったのだ。余力なんて残さずに、全力でぶつかることができた。
「確かにな。ことあるごとに卒業 フラグばきばきに立てやがって。こっちの気も知らねぇで」
黛はうんざりとした息を吐き出す。
全力でぶつかってくるくせに、こちらから手を伸ばせば毛を逆立てて身を引く。深い内側を勝手に見せつけてくるくせに、そこに触れようとすると笑って逃げる。
こちらの深入りを許さない。けれど拒絶も許さない。
赤司はまさに王様だった。そうであるように仕立てあげるのは自分の役目で、利用されていたのも知っている。
「でもまぁ結局、お前は隙だらけだったんだよ」
そう言って、黛は赤司の手を掴んだ。
その強さに赤司は目を見開く。
「いつでも逃げられると思ってたあたり、バカだよなぁ」
呆れたように揶揄されて、赤司は笑った。
「……本当に」
浮かべた笑みが泣きそうに歪む。
「どうして貴方がこの手を握ったりしたんですか」
嫌われているとは思っていなかった。そんなに器用に嘘のつける人ではないから。
けれどある程度までは許されているとして、それが果たして彼の中のどんな感情に由来するのか、赤司にはわからなかった。
知るのが怖かったというのもある。曖昧なままで終わらせようとしていたのは否定しない。
どちらにしろ、黛はいつでもこの部屋で待っているだけで、会いに来るのは自分だった。始めるのはいつだって自分で、終わらせることができるのも自分だけだと思っていた。
自分たちはずっとそうだったはずだ。屋上で出逢ったあの日からずっと。赤司が捕まえ、赤司が手を離せば終わる。ただそれだけの関係だったはずだ。
赤司は黛の手のぬくもりを、目を閉じて確かめた。
捕まえていたつもりが、自分はいつから囚われていたのだろう。首根っこを摘まれ身動きの取れない猫のように、気付けば急所を抑えられ、終わらせることはおろか逃げ出すことすら許されなくなっていた。
『オレが好きなら抵抗するな』、…思い出して苦笑する。
あれ以上に巧妙でずる賢い呪文を赤司は知らない。よくもあんな傲慢な脅し文句を、恥ずかしげもなく口にできたものだ。どう聞いたって自意識過剰なくせに、的は得ているのが本当に憎らしい。
その通りだ。貴方が好きだから。俺はもう抵抗できない。
「―――我が物顔で人の部屋に入り込んでくるくせに、オレの気持ちなんかお前はどうでもよかっただろ。知りたいとすら思ってなかった。オレがお前をどう思っていようが、好きだろうが嫌いだろうが、影であるオレはどうせお前に逆らえない。だからどうでもいい、って顔に書いてた」
耳が痛い。赤司は、う、と眉をひそめる。
「さすがにふざけんなってなるよな。ハナから期待してない一方的な好意の押し付けなんか、オナニーと変わんねぇだろ」
「……だから、腹いせに?」
「腹いせに、こっちから捕まえた。いつからかなんて覚えてないけどな。気付いた以上は、絶対離してやらねぇと思ったんだよ」
抱きしめられる胸の中で、赤司は、あぁ、とあきらめたように笑った。
「だったらもう俺は、どうしたって今夜は帰れませんね」
「離して欲しいなら、泣いて頼めば言うこと聞いてやらなくもねぇけど」
「じゃあ泣いて頼みます。『離さないで』って」
目を丸くした黛に気を良くし、ふふふと笑う。
「……さっき、電話で。お目付け役の連中に叱られました。嘆かれもしました。あの人たちの中でも、赤司征十郎は幼い子どものままなんでしょうね。俺が約束を破るような子だなんて思ってもいなかったみたいです」
「実際はエロいことしまくってる悪いコなのにな」
ニヤリと意味深な笑みを交わし合う。
「どうしてくれるんですか。今日まで、と約束したその晩に性懲りもなくまた外泊だなんて、どう繕ってもこちらに言い訳の余地がないじゃないですか」
「知らねぇよ。そもそもそんな失礼な約束勝手にしたヤツが悪いんだろうが。初志貫徹もできねぇくせに意地張んじゃねーよ、お坊ちゃん」
怒ったフリも、返ってくる台詞も、全て予定調和だ。意味のない茶番が楽しくて表情がゆるむ。
「こうなった以上、旦那様に全て伝えなければなりませんよ、って。だったら俺から話します、って言いました。確かに誓約を破ったなら、代償を支払うのは道理です。基本的には従ってやるつもりですが、譲らないところは殺してでも譲る気はありません」
僕に逆らうやつは親でも殺す。それは今思えば、過去の赤司の切実な意思表示、抑えがたい心の叫びだったのかもしれない。
理解してもらえない虚しさは、ふとした瞬間に突き刺さり、赤司の心を鈍い痛みで責め苛む。
だけど今は痛みだけではない。最初にこの部屋を訪れた日、黛が言ってくれたように、今まさに自分は遅まきの反抗期を振りかざそうとしているのだ。親を乗り越えていこうとする気概は決して間違ったものではないし、自分はもう、品行の何もかもを監視され指図されねばならない幼子ではない。
「まぁ、直接対決のがお前得意そうだもんな」
がんばれ、と適当に励まされる。赤司は頷き、ゆっくりと、瞬きした。
「――――千尋」
呼ぶだけでいい。
それだけで彼は赤司を識り、赤司を見てくれる。。
「僕が僕のために最善であることを選べ、と、お前は言ったね」
「ああ」
「だから僕は、両方選ぶよ」
黛千尋。赤司征十郎の影。影でありながら、時に行く末を照らす灯火。
黛は言ってくれた。「欲しいのなら、必要なら、両方手にして諦める必要はない」と。それが赤司征十郎だろう、と。彼はいつでもそうやって、なんでもないことのように、不安定に揺らぐ赤司の輪郭を取り戻してくれる。
赤司という家名も、黛千尋という影も。
どちらも自分にとっては絶対に必要な居場所だ。それなのに、どちらかを選び、どちらかを捨てなければいけないのだと、頑なに思い込んでいた。
そんなわけはない。欲しければ、確実に掴んで離してはならない。どうしても欲しくて、どうしても必要で、だから自分はあの時あきらめることなく何度も屋上に通い、黛千尋を手に入れたんじゃないか。
手放さない為に、尽くせる手なら全て尽くそう。どんな手段も厭わない。常に高みを目指して邁進し、勝利は必ずこの手の中にある。
それが赤司征十郎だ。
「……そういうお前だから、捕まったんだろうな。オレも」
黛はどこか満足そうに言った。
「あの時バスケ部に戻ること、何回も断ったけどな。どうせ最初から捕まってたんだよ。屋上 でお前がオレを見つけた瞬間から、ホントはずっと、握られてた」
繋がり合う手に力がこもる。赤司は眦を染めて黛を見上げた。
「そうじゃない」
「ん?」
「あの場所で、お前が 僕を捕まえたんだ。この僕が、気付かないうちに掴まっていた。やはりお前は僕が見つけた最高の影だよ、千尋」
太陽の光のように強烈に差し込み、有無を言わさず。
気配を消して忍び込み、知らないうちに影を踏む。
互いが互いをそうやって、捕まえて、独占したくて。本当はずっと。
ふと浮かんだ答えに、あれ? と赤司は黛を見上げた。
「……黛さん、多分これは非常に簡単なことだったんだと思うんですが、本当に握られたのは―――」
「あ~~…みなまで言うな。オレも薄々勘付いてはいた……」
そう言って手のひらで顔を隠した黛は耳まで真っ赤になっていて、堪え切れずに赤司は笑った。
淡い月灯りが、二人の身体に光と陰を落としている。
目が合えば自然と惹かれあい、重なり合うシルエット。
触れ合って、気が済むまでキスをする。頬に、首筋に。鎖骨、うなじ、みみたぶ、めじり、肌のすべてに火を灯して。
順に辿って、また口唇を求め合って。足りない足りないと貪り合う。
掴んだ手を、どちらからともなく乱暴に絡ませ合った。
その手はいつからか、お互いを縛る愛しい鎖となっていた。絡み合って、鍵をかけて、二度と解けないほどに強く、強く。
出逢ったあの時からずっと、気付かぬうちに握られていた。
それはきっと――――惚れた弱味だったんだろう。
シャワーは別々に浴びた。一緒にどうこうしたいという浪漫はあったが、これ以上は本気でキリがないと思ったのでやめた。
放り出された赤司のスマホをチラリと見て、頭をタオルで拭きながらベッドに腰掛ける。
「……大丈夫か?」
色々な意味で、だ。
もぞりと赤司が顔をこちらに向ける。思っていたよりしっかりした笑みを浮かべていたので、内心でほっとした。
「はい」
「なんでふて寝してんだよ」
「これから面倒だなぁ、と思って」
黛は黙ってペットボトルを煽った。
自分のシャワー中、家に連絡をした赤司が家の者とどんなやり取りをしたかは知らないが、その一言で大体理解できた。そもそも予想していたことだ。わかっていてこの部屋まで連れて来た。「面倒」を負わせたのは他の誰でもない自分だ。
ベッドサイドの時計に目をやる。赤司を帰らせるならこれが最後のチャンスという頃合い。ずいぶん長い間いかがわしい行為に耽っていたものだ。若さとは恐ろしい。
ごろりと仰向けになった赤司が微笑んだまま見つめてきたので、黛はそのおでこから前髪を無造作に撫でてやった。
「……赤司」
「はい」
「正直、オレはオレの都合でしか物言ってない自覚はあるし、お前の置かれてる状況を多分半分も理解なんか出来てねぇよ。お前がこうするべきと思ってる方法があるなら、そうすればいい。お前がお前のために最善だと思える方を選べ。オレはそれに従う」
赤司は黙って、黛の手に気持ちよさそうに瞳を細める。
「どうするかはお前が決めろ」
「……黛さんは?」
「オレは最初に言っただろ。帰すつもりはねぇけど。強要もしない」
偽らざる本心だが、ああ、本当にオレは卑怯で気楽な立場にいるのだなと、黛は自分自身に失望に近いお粗末さを覚えた。
「黛さん。俺は」
黛の心情を知ってか知らずか。赤司は寝そべりながら柔らかな笑みを浮かべた。
「知っての通り、元々今日で貴方と縁を切る約束で、家の者と話をつけてきていたんです」
『どうか、卒業式まで』
赤司家子息たる自覚、その覚悟。世話役連中にお小言と父の意向をこの上なく慎重に諫言されて、赤司は自らそう申し出た。
『それ以降は、あなた方の言う素行不良を改めます』
半ば強引に取り付けたその条件があったから、外泊を咎められていた赤司が、この部屋でこれだけたくさんの時間を過ごせてこれたのだ。
「あの人たちは俺が誓約を破るわけがないと信じているから、時限を決めておけば無条件に安心することはわかっていた。それに、外泊以外の素行において赤司の名を汚すような愚挙を俺は一切犯していない。つけいる隙は与えませんでした」
「……それだとオレが唯一の汚点みたいじゃねぇか」
「汚点ではありませんが、弱点ではあったかもしれません」
弱点ね、と黛はため息をつく。赤司は身を起こし、黛の隣に腰かけた。
「貴方を盾に取られれば俺に勝ち目はない。だから最初に釘を刺しておいたんです。『これは全て俺の一存であり黛千尋に一切の責はない。どのような形であれ貴方がたによる黛千尋への一切の接触、干渉を許さない』、と」
「……干渉されかけてたのか、オレ」
「まぁ、この部屋は知られてますしね。初日に」
「赤司家こわい」
「大丈夫ですよ。あの人たちは結局俺に逆らえないんです。父の命令と俺の反抗の間で板挟みになっている。可哀想ですね」
「中間管理職か…」
くすりと笑い、赤司は黛の肩に頭を凭せかけた。
「……父が俺を支配しようと躍起になるのは、俺が手の届く範囲にいないからでしょう。交友関係すら把握して口を出してくるなんて今までにありませんでした。忙しい人ですしね。あちらに帰ることだって、今後もしつこく強制してくるに違いない。本当に煩わしいですが、それだけあの人もなりふり構っていられないということなのかもしれません」
「愛されてんのな、お前」
「違いますよ。あれは所有欲だ。自分の思い通りにならないことは認めないんです。大体あの人の中では俺なんかきっと10歳のままで止まっているんですよ。少し噛み付いただけで動転するのだから、成長していないのはどっちだという話です馬鹿馬鹿しい」
珍しくぷんぷんと怒りを露わにする赤司に、黛は苦笑いを浮かべた。めんどくせぇ親子。
「俺が誰を好きになったって、誰にも咎められる権利はないです。ちがいますか?」
「いや? いいんじゃねぇの」
同意を求めて見上げてきた赤司の髪を撫でる。
「例え死ぬほど存在感のない平平凡凡な一般人でも、赤司サマがお気に召したならお好きにどうぞ」
「ふふ」
赤司はぎゅうと黛に抱きついた。
「好きにしてきましたよ。ずいぶんと」
「そうな。わりとやりたい放題だったなお前」
「タイムリミットが、ありましたからね」
この部屋にいる時の自分はきっと、外での赤司征十郎しか知らない人間が見れば、目を疑うほどの別人だっただろう。それくらい、ここでの時間は特別だった。卒業式までのカウントダウン。終わりはすぐに来ると知っていた。
だから赤司は、黛への想いを抑える必要がなかったのだ。余力なんて残さずに、全力でぶつかることができた。
「確かにな。ことあるごとに
黛はうんざりとした息を吐き出す。
全力でぶつかってくるくせに、こちらから手を伸ばせば毛を逆立てて身を引く。深い内側を勝手に見せつけてくるくせに、そこに触れようとすると笑って逃げる。
こちらの深入りを許さない。けれど拒絶も許さない。
赤司はまさに王様だった。そうであるように仕立てあげるのは自分の役目で、利用されていたのも知っている。
「でもまぁ結局、お前は隙だらけだったんだよ」
そう言って、黛は赤司の手を掴んだ。
その強さに赤司は目を見開く。
「いつでも逃げられると思ってたあたり、バカだよなぁ」
呆れたように揶揄されて、赤司は笑った。
「……本当に」
浮かべた笑みが泣きそうに歪む。
「どうして貴方がこの手を握ったりしたんですか」
嫌われているとは思っていなかった。そんなに器用に嘘のつける人ではないから。
けれどある程度までは許されているとして、それが果たして彼の中のどんな感情に由来するのか、赤司にはわからなかった。
知るのが怖かったというのもある。曖昧なままで終わらせようとしていたのは否定しない。
どちらにしろ、黛はいつでもこの部屋で待っているだけで、会いに来るのは自分だった。始めるのはいつだって自分で、終わらせることができるのも自分だけだと思っていた。
自分たちはずっとそうだったはずだ。屋上で出逢ったあの日からずっと。赤司が捕まえ、赤司が手を離せば終わる。ただそれだけの関係だったはずだ。
赤司は黛の手のぬくもりを、目を閉じて確かめた。
捕まえていたつもりが、自分はいつから囚われていたのだろう。首根っこを摘まれ身動きの取れない猫のように、気付けば急所を抑えられ、終わらせることはおろか逃げ出すことすら許されなくなっていた。
『オレが好きなら抵抗するな』、…思い出して苦笑する。
あれ以上に巧妙でずる賢い呪文を赤司は知らない。よくもあんな傲慢な脅し文句を、恥ずかしげもなく口にできたものだ。どう聞いたって自意識過剰なくせに、的は得ているのが本当に憎らしい。
その通りだ。貴方が好きだから。俺はもう抵抗できない。
「―――我が物顔で人の部屋に入り込んでくるくせに、オレの気持ちなんかお前はどうでもよかっただろ。知りたいとすら思ってなかった。オレがお前をどう思っていようが、好きだろうが嫌いだろうが、影であるオレはどうせお前に逆らえない。だからどうでもいい、って顔に書いてた」
耳が痛い。赤司は、う、と眉をひそめる。
「さすがにふざけんなってなるよな。ハナから期待してない一方的な好意の押し付けなんか、オナニーと変わんねぇだろ」
「……だから、腹いせに?」
「腹いせに、こっちから捕まえた。いつからかなんて覚えてないけどな。気付いた以上は、絶対離してやらねぇと思ったんだよ」
抱きしめられる胸の中で、赤司は、あぁ、とあきらめたように笑った。
「だったらもう俺は、どうしたって今夜は帰れませんね」
「離して欲しいなら、泣いて頼めば言うこと聞いてやらなくもねぇけど」
「じゃあ泣いて頼みます。『離さないで』って」
目を丸くした黛に気を良くし、ふふふと笑う。
「……さっき、電話で。お目付け役の連中に叱られました。嘆かれもしました。あの人たちの中でも、赤司征十郎は幼い子どものままなんでしょうね。俺が約束を破るような子だなんて思ってもいなかったみたいです」
「実際はエロいことしまくってる悪いコなのにな」
ニヤリと意味深な笑みを交わし合う。
「どうしてくれるんですか。今日まで、と約束したその晩に性懲りもなくまた外泊だなんて、どう繕ってもこちらに言い訳の余地がないじゃないですか」
「知らねぇよ。そもそもそんな失礼な約束勝手にしたヤツが悪いんだろうが。初志貫徹もできねぇくせに意地張んじゃねーよ、お坊ちゃん」
怒ったフリも、返ってくる台詞も、全て予定調和だ。意味のない茶番が楽しくて表情がゆるむ。
「こうなった以上、旦那様に全て伝えなければなりませんよ、って。だったら俺から話します、って言いました。確かに誓約を破ったなら、代償を支払うのは道理です。基本的には従ってやるつもりですが、譲らないところは殺してでも譲る気はありません」
僕に逆らうやつは親でも殺す。それは今思えば、過去の赤司の切実な意思表示、抑えがたい心の叫びだったのかもしれない。
理解してもらえない虚しさは、ふとした瞬間に突き刺さり、赤司の心を鈍い痛みで責め苛む。
だけど今は痛みだけではない。最初にこの部屋を訪れた日、黛が言ってくれたように、今まさに自分は遅まきの反抗期を振りかざそうとしているのだ。親を乗り越えていこうとする気概は決して間違ったものではないし、自分はもう、品行の何もかもを監視され指図されねばならない幼子ではない。
「まぁ、直接対決のがお前得意そうだもんな」
がんばれ、と適当に励まされる。赤司は頷き、ゆっくりと、瞬きした。
「――――千尋」
呼ぶだけでいい。
それだけで彼は赤司を識り、赤司を見てくれる。。
「僕が僕のために最善であることを選べ、と、お前は言ったね」
「ああ」
「だから僕は、両方選ぶよ」
黛千尋。赤司征十郎の影。影でありながら、時に行く末を照らす灯火。
黛は言ってくれた。「欲しいのなら、必要なら、両方手にして諦める必要はない」と。それが赤司征十郎だろう、と。彼はいつでもそうやって、なんでもないことのように、不安定に揺らぐ赤司の輪郭を取り戻してくれる。
赤司という家名も、黛千尋という影も。
どちらも自分にとっては絶対に必要な居場所だ。それなのに、どちらかを選び、どちらかを捨てなければいけないのだと、頑なに思い込んでいた。
そんなわけはない。欲しければ、確実に掴んで離してはならない。どうしても欲しくて、どうしても必要で、だから自分はあの時あきらめることなく何度も屋上に通い、黛千尋を手に入れたんじゃないか。
手放さない為に、尽くせる手なら全て尽くそう。どんな手段も厭わない。常に高みを目指して邁進し、勝利は必ずこの手の中にある。
それが赤司征十郎だ。
「……そういうお前だから、捕まったんだろうな。オレも」
黛はどこか満足そうに言った。
「あの時バスケ部に戻ること、何回も断ったけどな。どうせ最初から捕まってたんだよ。
繋がり合う手に力がこもる。赤司は眦を染めて黛を見上げた。
「そうじゃない」
「ん?」
「あの場所で、
太陽の光のように強烈に差し込み、有無を言わさず。
気配を消して忍び込み、知らないうちに影を踏む。
互いが互いをそうやって、捕まえて、独占したくて。本当はずっと。
ふと浮かんだ答えに、あれ? と赤司は黛を見上げた。
「……黛さん、多分これは非常に簡単なことだったんだと思うんですが、本当に握られたのは―――」
「あ~~…みなまで言うな。オレも薄々勘付いてはいた……」
そう言って手のひらで顔を隠した黛は耳まで真っ赤になっていて、堪え切れずに赤司は笑った。
淡い月灯りが、二人の身体に光と陰を落としている。
目が合えば自然と惹かれあい、重なり合うシルエット。
触れ合って、気が済むまでキスをする。頬に、首筋に。鎖骨、うなじ、みみたぶ、めじり、肌のすべてに火を灯して。
順に辿って、また口唇を求め合って。足りない足りないと貪り合う。
掴んだ手を、どちらからともなく乱暴に絡ませ合った。
その手はいつからか、お互いを縛る愛しい鎖となっていた。絡み合って、鍵をかけて、二度と解けないほどに強く、強く。
出逢ったあの時からずっと、気付かぬうちに握られていた。
それはきっと――――惚れた弱味だったんだろう。
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