理性とワンルーム

     *

どうしよう、と黛に抱きしめられながら赤司は胸を抑えた。
どうしよう、こんなに、こんなに、好きだと思わなかった。
自分がこれほどまでにこの男を好きだなんて、わかっていたつもりだったのに、自覚していた以上に好きなんだと、今また、よりいっそう、思い知ってしまった。
好きだ。心臓が痛い。体温が、脈拍が上がる。
「―――――黛さん」
 俯いた赤司の耳がふと真っ赤になっていることに気付き、黛は軽く目を見開いた。
「好きです」
「……………どうも……」
赤司の指先が黛の袖口を掴む。
と、思った時にはもう。
「ぉ、わ」
 流れるように自然な動作で、今度は自分が押し倒されていることに黛はワンテンポ遅れて気付いた。これはアンクルブレイクの応用…さすが天帝…。
 赤司を見上げると泣きそうな顔を紅くしていて、状況と表情が合ってないぞ、ととりあえず心の中で突っ込んでおく。
「……貴方はずるい」
 突然怒られた。
「好きです。正直に言えばどうしてこの赤司征十郎が、お前のような凡庸に、という気持ちはずっとあります。でも、どうしようもない。貴方が好きです。世界中の人間にとっては凡庸でも、俺にとって貴方はあまりにも特別な人すぎる」
 告げられた言葉以上に、腰に跨られ黛は少なからず動揺した。
 さっきの熱は消えていない。まだ黛の中でも燻っている。
「黛さんずるい。大好きです」
「赤司」
「本当に俺を選びますか? 俺のこと面倒だって、思ってるくせに」
「おい」
 赤司の焦れるような表情が近付いてくる。ダメだ、ダメだと思っているうちに、ちゅ…と触れるだけのキスを残して小さな口唇が離れていく。
 赤司からの初めてのキスだ。見上げると、不本意そうに眉をひそめながら、しかし恥じらいを隠しきれていない初々しい顔が居心地悪そうにこちらを見ていて、黛の全身からドッと変な汗が出た。
かわいい。エロい。待てこれ、純粋に萌える。ダメだマジで。ダメな方向に一直線に突き進んでいる。歯止めが、
「お前、なに」
 なにしようとしてる。言外に問うと、赤司は相変わらず上気した頬のまま悔し気に顔を歪ませる。
「俺だってわからなくなってます。ぐちゃぐちゃになりそうだ」
「とりあえず降りろ」
「黛さん、好意と性欲って、こんなにダイレクトに共鳴し合うものなんですか……」
 ゆるり、本当に僅かだが、赤司が耐えかねたように腰を揺らめかせたので思わず黛は絶叫しそうになった。
「お前」
「多分発情してます」
 もう自棄になったみたいな喰い気味の返答。貴方のことが好きすぎて、と付け足されて目眩がした。やめろ。やめろやめろ。歯止めが、
「触って欲しくて、たくさん…」
 黛の腹の上で、赤司は堪えるようにぐっと拳を作った。
「言いましたよね、お好きにと。あれは本気です」
「キスしただけで死にそうになってた奴が何言ってんだ。あんなお前見てさらに手籠めにしようとか思えるわけないだろ」
「そういうのお好きじゃないんですか」
「嫌いではないが時と場合だ。オレは動物じゃない」
「脚を開けと言ったくせに」
「言ってねぇよ。例えだろ」
「奉仕しろとも」
「言ってない」
 譲らない2人の視線がカチ合い、赤司は指先を微かに震わせながら、黛の股間を撫でた。
ギク、と男の表情が強張る。
「……奉仕、すると言ったら」
「……やめろ」
「貴方が悪いんじゃないですか。さっき中途半端にあんなことをするから」
「そもそもお前のせいだよあれは」
「俺に、ぇ、ろいことするって言ったじゃないですか」
「するとは言ってないし何のためにオレたちには両手があると思ってやがる。各個人で責任もって処理しろ」
「誰のせいでこうなったかわかって言ってるんですか黛さん。だったら貴方が責任もって処理してください」
 押し問答のレベルがひどい。双方意地になっているからこのままだと終わりが見えない。
「……ぅ」
 赤司の腰がまた揺れた。意図的ではなく無意識に。
「……ん、……」
 本気でつらそうな顔をしていて、それを見上げる黛もまた率直につらい。つまり今すぐベルトを緩めてズボンの中に手を入れ思うままに扱きたい、オナニーして射精したい、とムラムラしているということだ。あの赤司が。あの赤司がだ。
 奉仕とかいいからむしろ見たい、と思ってしまった。赤司のオナニー見たい。エロい顔見たい。
「………」
 そんなことを考えていたら、赤司が視線を下げ、黛の腹の下を猫のような目でじっと凝視した。あぁクソ、と臍を噛む。すぐバレた。これ以上硬くなるな、オレ。
「……黛さん」
「………」
「千尋」
 熱い口唇に再びキスされて、いっそもう、全身から力が抜けた。
 なんの神の試練なんだよこれは。こんなの、拒絶できる方がどうかしてるだろ…。
白い頬は熟した桃のようにピンクに火照り、生理的な涙で大きな瞳が潤んでいる。人形のように整った顔が、普段の禁欲的な潔癖さを垣間見せながらも、自分の腹の上で初めての拙い快感にどんどん歪んでいくさま。
かといってこの箱入りに、性行為のおねだりなどという概念自体あるまい。積極的ではあるがあくまで勢いだけだ。羞恥に戸惑い、どうしたらいいかもわからず、目の前の男にやましい行為をただ必死で促しているだけだ。
惚れてる相手のそんな姿を見て、喜ぶ以外にどうしろっていうんだよ。クソかわいい。でもこんな勢いだけのお坊ちゃんをこれ幸いと食い物にするなんて最低だろというもっともらしい偽善ヅラも湧いて出てきて鬱陶しい。
「千尋、好きにしろって言った」
 赤司の熱い舌が、猫のように黛の口唇を舐める。
「ちがうバカ、そういう…こんな急な話あるかよ」
 ついさっきだぞ、関係性が変わったのは。キスだってようやく今日したばっかなのになんでいきなり下半身まで侵犯する流れになってんだよそういうのはもっとゆっくり身体の準備とか心の準備とか覚悟とか、覚悟そうだよお前はいいだろうけどこっちは赤司征十郎に手出すんだぞどんだけ覚悟決めたって足りねぇくらいなんだよやめろ、カワイイ、やめろ、
「ちひろ」
 耳元を嗅ぐようにされてやっぱり猫にしか思えない。こんな艶めかしい猫がいるか。鼓膜に注ぎ込まれる幼い声音に何度も己の名を呼ばれて、酩酊するように意識が揺らぐ。
 歯止めが、もう、
「ちひろ」
「……まじで、赤司」
「……僕は今、自分が混乱しているのは自覚してる、だから、千尋、お前も」
「なに……」
「流されろ。そのあとに一緒に後悔すればいい」
「……ッッ」
「ちひろ」
請うことに、ねだることに慣れていない、たどたどしく切実な声が、「おねがい」と消えそうな声で訴えた。
「……さわって」

さっきからもうずっと、腰を蠢かして互いに子どもだましのような快感を追い続けている。自分の思うように気持ちいい所を刺激できないもどかしさ。それに焦れながらも見たことのない相手の表情に興奮しきって、擦り合うのを止められない。
他人とするのってこんななのか。絶対一人でやる方が自在で効率もいいだろうとか思っていた。黛も、赤司もだ。他人のを触るとか、他人に触られるとか、そもそも性行為なんてプライバシーも何もあったものじゃないし、無防備に弱味を晒す行為でしかないなと、馬鹿にしている節もあった。それはいわゆる童貞の虚勢でもあったかもしれないが。
おかしなところで似ている。しかしその偏狭さが今、2人の中で同時に覆されようとしている。
好きな奴とセックス、したいわ。最高じゃねぇか。黛は心の中でゲスいガッツポーズを決めた。何をやらせても一流の赤司が、さっきからやることなすこと妙にたどたどしいのもいい。その気になっている今のうちにいけるところまでいってしまった方がいいのではないのか。ていうか今を逃して次があるのか? 赤司だぞ?
「―――……っ」
黛の指先が赤司の張り詰めたそこを恐る恐る撫でると、キスをしたまま赤司はぎゅっと目を瞑った。
互いの心臓が破裂しそうに鳴っている。もう完全に、服の上からでは物足りなくなっている。脱ぐのか? 男同士で? 見て、触り合うのか? まじで?
「……赤司。いいのか。知らねぇぞ」
この期に及んで自己保身する卑怯さに嫌気がさす。やりたいのは自分だろうが。赤司のせいにばかりして、罪悪感を植え付けて依存させようとしてる。
「いい、……千尋がいいなら」
ああ、依存しろ。お前なんかオレなしじゃ生きていけなくなればいい。本気でそう思っている。クソ最低な卑怯者。お前、いつかバチが当たるぞ。
 黛は性急に身を起こした。
 脱がすべきか。全部か? 自問自答が止まらない。やべぇ。脱がしてどうするんだ。男の裸見てどうするんだよ。多分オレはいける。赤司ならアリだなと完璧に脳がそっちに行ってるが。赤司はどうなんだよ。こいつ勢いだけなんだから実際直にそんなモン見たら一瞬で我に返って気持ち悪いものを見せるなっつってオレ殴られたりしねぇか?
 黛の脳内を、不安と期待がぐるぐる回る。シャツのボタンに指をかけたまま動きを止めてしまった黛に焦れ、赤司は先に黛のブレザーを脱がそうと手をかけた。
ここで、流されることなく自制を効かせられればどんなにか理性的な大人の男だろう。しかし両の目を熱した飴のようにとろとろに蕩けさせている赤司はもっと暴かれることを確実に期待しているし、その赤い瞳に映る自分の顔は、情けないくらいに性欲旺盛なただの18歳だ。
黛は自分のネクタイを強引に緩め、床に放った。赤司が脱がそうとしてくれているブレザーから腕を抜きながら、開き直ったように深いキスをして呼吸を奪う。
もう、いい。赤司が素面に戻って拒絶しだしたらその時はその時だ。殺されない程度に無理やりやろう。赤司とえろいことしたい。赤司のえろい顔が見たい。
歯止めはもう効かない。
厚ぼったい舌を不器用に絡め合わせると、完全に後戻りできなくなったことを2人ともが本能で察した。
「………ぁ、…」
 赤司のベルトに躊躇なく手をかける。赤司が息の荒いままそれを見下ろし、こくりと唾を呑む。
「千尋」
「お前も」
 赤司の手を引っ張って自分のベルトを外させる。
 赤司は顔を真っ赤にして、今さら湧き始めた羞恥心に歯を喰いしばりながら、上手く動かない指先で懸命にバックルを掴んだ。
開き直ればあとは早いと言ったはずだ。一足先に黛の手がくつろげたズボンの中に入り込むと、赤司は驚いて身を引いた。逃がすかと捕まえて、腰を引き寄せる。
「……さわ、……ぁ、……ち、ひろ」
手の甲で口を抑えた赤司が震える息を吐き出した。
「ぅ、ぅーー……気持ち、ぃ」
「やってやるから、お前もな」
「んっ、…ん、あ、僕も、する」
「うん」
「千尋、すき」
「知ってる」
「好き」
「……オレも」
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