理性とワンルーム
涼しげな顔の内側で、実は意外と激情型なのだろうという認識を持っていた。
普段は無表情の下に巧みに仕舞いこんでいる攻撃性も、こちらが的確に揺さぶりをかけることで容易くその沈着さを崩され、案外あっさりと平静を失ってしまうタイプだと。
ゆえに扱いやすい、とも。
……けれど。
黛に手を引かれ屋上を出て、狭い階段を下りて行く途中で、赤司は彼の横顔を盗み見ながら考える。
もしかするとこの人は、自分が思っている以上に至極理性的で、計算高い男なのかもしれない。そうでなければこんな風に、顔色ひとつ変えないで他人に口付けなどできるものだろうか、と。
トン、トン、トン、と一段ずつ。黛はつまらなそうな顔で、赤司を連れてぼんやりと階段を下りていく。
廊下に出る鉄扉の手前の踊り場まで来て、ふいに振り返った黛が赤司の上に屈み込んだ。幼子を愛でるような仕草で耳元をふわりと撫でられ、赤司はひとつ瞬きする。
と、キスされた。
口唇をはすぐに離れ、黛は背中を向けて何事もなかったように先に廊下に出ていった。
繋いでいた手はいつの間にか離されている。赤司はもはや赤面することも間に合わず、しばらく扉の内側に呆然と取り残されていた。
彼の思考回路がわからないわけじゃない。どうせ今のキスだって、「ここを出たら当分できないから最後にやっとこう」程度のものだったに違いない。
この赤司征十郎に不埒な真似をしでかしておきながら、なんという雑な扱いだと自分の中の王様気質が腹に据え兼ねて怒るが、だからといっていちいちあの声で名を呼ばれ抱きしめられながら口付けられても、正直なところ身がもたない。
……もう少し、動揺してくれると思っていた。自分と同じくらいには。
そうすれば二人でみっともなく足掻いて、動揺して、醜態を晒して恥をかいても、お互い様だし半分こだ。
なのに現状は完全に赤司だけが振り回されて余裕をなくし、黛の好きなように翻弄されている。
……解せない。
認めがたい。許しがたい。頭が高い。
ひとけのない校門への並木道を歩きながら、赤司は先を行くしたたかな男の後頭部を睨んだ。
「黛さん」
ふいに名を呼ばれた黛が振り返ると、赤司が少し離れた所にある自動販売機を指差している。
「買ってきます」
頷く黛を見てから水を買い、その場で勢いよく煽ってのどを鳴らす。
ふぅ、と口を拭い、お待たせしましたと言いながら赤司は黛の隣に戻ってきた。
「あれだけ泣けばのども乾くわな」
「はい」
ふと、黛が赤司を見下ろす。白い頬に片手を当てて顔を持ち上げたので、二人は自然と視線を合わせた。
「……帰ったら冷やすか」
赤司の少し赤らんだ目元を、黛の親指が優しく滑った。
『帰ったら』。
歩き出した黛の横に追いつきながら、赤司はあの、と言いよどむ。
「黛さん、このあとは」
「うち来いよ」
「でも」
「家に連絡しとけ。今日は帰りませんってな」
議論の余地なく言い返され、柳眉が困ったように顰められる。
あっさりと口にするそれは響きほど簡単なことではない。黛だってわかっているだろうに。赤司はひとり感情の追いついていない自分を歯がゆく思う。
足取りの鈍った赤司を、校門の数メートル手前で黛が振り返った。
責めているわけではない、しかし戸惑いと迷いに満ちた赤司の表情を真顔で見つめた黛は、おもむろに手のひらを差し出した。
赤司はその手に視線をやってから、彼の目を見返す。
根負けするまいと思うものの、もはやそれは条件反射だ。黛千尋の手のひらを見たら意志とは関係なく、赤司はその手を取らざるを得ない身体にされてしまった。
そろりと、臆病な猫が様子を伺うように、赤司は黛に手を差し出す。
さっさとその手を握り、黛は再び歩き出した。
慌てて駆け寄り少し焦ったように「黛さん」と呼ぶと、黛は前を向いたまま、「校門までな」と呟いた。
***
結局、黛の部屋に二人で帰ってきてしまった。自制の効かない自分に赤司はひとりで頭を抱える。何をしているんだ。また泊まるつもりなのか? 泊まりたい。でも、今日家に帰らなければどれほど面倒なことになるか……。
悶々としながら玄関の扉をしめて鍵をかけた途端、黛は赤司を扉に押し付けるようにして、また口唇に噛み付いた。
深く食まれ、一度深く角度を変えられ、離される。吐息のかかる距離で向けられた黛の視線に、赤司の背筋を悪寒めいた電流が走り抜けた。
「腹減ったか?」
冷蔵庫を覗いている黛に尋ねられ、ふたり分のコートをハンガーにかけていた赤司は、振り返りながらいいえと小さく首を振る。
そういえば朝食以来何も食べていない。確かに空腹は感じるものの、何か食べたいという欲求は不思議と湧いてこない。
「何か作りましょうか」
「いや、オレも減ってねぇ」
清涼飲料水のボトルだけ持って部屋に戻ってきた黛は、ふぅと一息つきながらひとり用ソファに座り込み、ボトルを煽った。
俺も、と赤司が手を伸ばすとさりげなくボトルを引っ込め、無言で手招きをする。不満を顔に表しながらも立てられた膝の間に赤司がそろりと腰を下ろすと、黛は首を伸ばし、もはや朝の挨拶のようにあっさりと赤司の口唇を奪った。
「……お好きですね、キス」
皮肉もこめて、わずかに赤い頬を引き攣らせる。
「別に好きじゃねぇし」
「どのくちが言う…」
「このクチ」
「んんー…っ!」
反論途中で息を塞がれて呼吸もままならず、赤司は黛の顔を腕でグイグイと押し返した。
「好、きでもないくせになんですかこの頻度は!」
「好きなのはキスじゃねぇよ」
言いながら、黛はボトルの中身を口に含んだ。
「は、……っん、ぅ」
そっけなく返された言葉の意味もわからぬまま、口内に注がれる水分に驚いて目を白黒させる。口の端から零れるのを厭い、咄嗟にのどを波立たせてゴクリと飲み込んでしまう。
ぷは、と濡れた口唇を拭ったあと、赤司は非難めいた目つきで彼を見上げた。
「……すごい」
なにが、と問う目の無気力さ。
「こんな、……開き直る人だとは思ってなかった」
「基本流動型だからな。諦めたら切り替えも早いし受け入れるのも早い」
そうだ。気難しいようでわりと柔軟なのだこの人は、自分などより十二分に。わかってはいたのだが。
「……なにを受け入れたんですか」
「独占欲」
お前への、と付け足し、額にキスひとつ。
「……独占欲」
「なんか、触ってると満たされるだろ。お前逃げねぇし。オレのだって思える」
「……逃げはしませんが…もう少し、穏やかにして頂けませんか。心臓が持ちそうにないんですが」
「赤司サマがご冗談を」
は、と鼻で笑い、拗ねたように睨みあげてくる大きな瞳を、黛は愉快そうに覗き込んだ。
長い指が目尻に触れる。常より少しだけ皮膚がピリリとし、赤司は片目を瞑った。
「冷やすの忘れてた。赤くなってる」
「……かまいませんよ」
頬や耳の後ろを無造作に撫でられ、その心地よさにこのまま身を委ねたくなる。
すり、と自ら手のひらに頬を擦り合わせてきた赤司をじっと見て、黛は「ていうか」と物憂げに呟いた。
「どっちにしろまた泣かせちまう気がする」
「予定がありますか」
「こんなんで心臓もたねぇとか言うなよ」
ぎゅっと抱きしめられ、赤司は首を傾げた。
「もっとエロいことしたらお前どうなんの」
「……―――ェ、……」
明晰を誇る赤司の思考回路が一瞬停止した。「…どうもこうも…」と場を取り繕うための言葉が口を突くが、えぇと、と後が続かない。え。えろ。えろい。…えろいこと。
「…………するんですか?」
「わかんねぇけど」
黛は赤司の首筋に顔を埋め、深く息を吸う。
「全然足りねぇし」
「でも」
意味はわかるのだが明らかにひとつ問題点がある。しかし口に出していいものなのか。赤司は空気を伺いながら、そろりと提言してみる。
「………俺は男ですし…」
「………」
「……黛さん?」
動きを止めた黛の背中を軽く叩くと、聞こえてきた恐ろしく長いため息に赤司は目を瞬かせた。
「……現実こぇー…っていうかまじで、下手な二次元よかお前のがよっぽど怖いわ…」
「黛さん、以前から思っていましたが、一度落ち着いた方がというか、目を覚ました方がいいのではないかと、思うんですが」
「なにが」
「だって、俺はどう足掻いたって男ですよ。冷静になってください。…キス、ならまだ何とかなりますが、俺相手に、えろいことって、なにごとですか」
「まぁそうなんだけど、それは置いといてともかくオレは普通にお前とエロいことしまくりたいって思ってる」
絶句した赤司が息を呑んだ。生気のない目でなんという生気に満ち満ちた発言を…。
「……どうして俺が貴方の性的対象に成りうるんですか…?」
深く息を吐いてかろうじて平静を繋ぎ留め、額に手を当てる。赤司にしたら史上最大の難問だ。
「残念だが、その疑問と懊悩に関してはこの一ヶ月すでにオレが散々済ませたあとだ」
「そんな勝手に済ませられても…」
「確かに意味不明すぎて何度か死にたくなったけどな。言っただろ。あきらめたら流されるんだよ、オレは」
そう言って、赤司の頬に手をやる。
「……ていうか今さらそこに驚かれるとか、こっちが驚く」
赤司がきょとんとしているので、黛は苦い顔になった。
「お前今までなんだかんだオレに触らせてたのはなんだったんだよ。逃げようと思えばいつでも逃げられたくせに。なんにも考えてなかったとか言う気か?」
「いえ、それは…以前も言いましたが、嫌ではなかったので単純に拒む理由がなかっただけです」
つまりなんにも考えてなかったんじゃねぇか。黛は頭を抱えた。
「オレが『なんで』そういうことするかは一切考えず、思考停止してたってことか。お前が」
「……ストレスや性欲が溜まってらっしゃるのかと」
「性欲持て余したら男でも見境なく触って満足してる変態だと思ってたのか?」
「怒りやストレスが沸点に達すると目の前の相手に劣情をぶつけて発散するタイプなのかなとは思ってました」
「ただのDVじゃねぇか! どっちにしろクズだわ」
「黛さんがクズでも変態でも俺にとってはどうでもいいことだったので、深く考えなかったんです」
「どうでもよくはねぇだろ」
「すみません」
黛としては曲がりなりにも、それなりの筋道を立てつつ今日という日に辿り着いたつもりだったのだ。なのに赤司の中では繋がっていなかったのか。全部ぶつ切り、その場その場の、変態クズのセクハラに付き合っていただけだったのか。まぁ赤司ならさもありなんという気もするが。
ショックというか……。
地味にめんどくさい。赤司めんどくさい。
「加えて、貴方が俺に対して起こすアクションは基本的に気まぐれであり、あくまで一過性のものだと思っていた節があります。だからまさかそういった、…類の、つまり、継続的、発展的に、俺に触れたいという願望を持たれているとは、正直思っていなくて」
「嫌か?」
率直に尋ねると、赤司は笑って首を振った。
「黛さんのすることなら、何もいやではないです」
また それか、と、黛は冷めた気持ちになる。
「相手が黛さんであるなら、俺はなんだって、どうだっていいです」
そう言って、ぎごちなく笑って見せる。
「貴方が望むなら、どうぞ、お好きに」
普段は無表情の下に巧みに仕舞いこんでいる攻撃性も、こちらが的確に揺さぶりをかけることで容易くその沈着さを崩され、案外あっさりと平静を失ってしまうタイプだと。
ゆえに扱いやすい、とも。
……けれど。
黛に手を引かれ屋上を出て、狭い階段を下りて行く途中で、赤司は彼の横顔を盗み見ながら考える。
もしかするとこの人は、自分が思っている以上に至極理性的で、計算高い男なのかもしれない。そうでなければこんな風に、顔色ひとつ変えないで他人に口付けなどできるものだろうか、と。
トン、トン、トン、と一段ずつ。黛はつまらなそうな顔で、赤司を連れてぼんやりと階段を下りていく。
廊下に出る鉄扉の手前の踊り場まで来て、ふいに振り返った黛が赤司の上に屈み込んだ。幼子を愛でるような仕草で耳元をふわりと撫でられ、赤司はひとつ瞬きする。
と、キスされた。
口唇をはすぐに離れ、黛は背中を向けて何事もなかったように先に廊下に出ていった。
繋いでいた手はいつの間にか離されている。赤司はもはや赤面することも間に合わず、しばらく扉の内側に呆然と取り残されていた。
彼の思考回路がわからないわけじゃない。どうせ今のキスだって、「ここを出たら当分できないから最後にやっとこう」程度のものだったに違いない。
この赤司征十郎に不埒な真似をしでかしておきながら、なんという雑な扱いだと自分の中の王様気質が腹に据え兼ねて怒るが、だからといっていちいちあの声で名を呼ばれ抱きしめられながら口付けられても、正直なところ身がもたない。
……もう少し、動揺してくれると思っていた。自分と同じくらいには。
そうすれば二人でみっともなく足掻いて、動揺して、醜態を晒して恥をかいても、お互い様だし半分こだ。
なのに現状は完全に赤司だけが振り回されて余裕をなくし、黛の好きなように翻弄されている。
……解せない。
認めがたい。許しがたい。頭が高い。
ひとけのない校門への並木道を歩きながら、赤司は先を行くしたたかな男の後頭部を睨んだ。
「黛さん」
ふいに名を呼ばれた黛が振り返ると、赤司が少し離れた所にある自動販売機を指差している。
「買ってきます」
頷く黛を見てから水を買い、その場で勢いよく煽ってのどを鳴らす。
ふぅ、と口を拭い、お待たせしましたと言いながら赤司は黛の隣に戻ってきた。
「あれだけ泣けばのども乾くわな」
「はい」
ふと、黛が赤司を見下ろす。白い頬に片手を当てて顔を持ち上げたので、二人は自然と視線を合わせた。
「……帰ったら冷やすか」
赤司の少し赤らんだ目元を、黛の親指が優しく滑った。
『帰ったら』。
歩き出した黛の横に追いつきながら、赤司はあの、と言いよどむ。
「黛さん、このあとは」
「うち来いよ」
「でも」
「家に連絡しとけ。今日は帰りませんってな」
議論の余地なく言い返され、柳眉が困ったように顰められる。
あっさりと口にするそれは響きほど簡単なことではない。黛だってわかっているだろうに。赤司はひとり感情の追いついていない自分を歯がゆく思う。
足取りの鈍った赤司を、校門の数メートル手前で黛が振り返った。
責めているわけではない、しかし戸惑いと迷いに満ちた赤司の表情を真顔で見つめた黛は、おもむろに手のひらを差し出した。
赤司はその手に視線をやってから、彼の目を見返す。
根負けするまいと思うものの、もはやそれは条件反射だ。黛千尋の手のひらを見たら意志とは関係なく、赤司はその手を取らざるを得ない身体にされてしまった。
そろりと、臆病な猫が様子を伺うように、赤司は黛に手を差し出す。
さっさとその手を握り、黛は再び歩き出した。
慌てて駆け寄り少し焦ったように「黛さん」と呼ぶと、黛は前を向いたまま、「校門までな」と呟いた。
***
結局、黛の部屋に二人で帰ってきてしまった。自制の効かない自分に赤司はひとりで頭を抱える。何をしているんだ。また泊まるつもりなのか? 泊まりたい。でも、今日家に帰らなければどれほど面倒なことになるか……。
悶々としながら玄関の扉をしめて鍵をかけた途端、黛は赤司を扉に押し付けるようにして、また口唇に噛み付いた。
深く食まれ、一度深く角度を変えられ、離される。吐息のかかる距離で向けられた黛の視線に、赤司の背筋を悪寒めいた電流が走り抜けた。
「腹減ったか?」
冷蔵庫を覗いている黛に尋ねられ、ふたり分のコートをハンガーにかけていた赤司は、振り返りながらいいえと小さく首を振る。
そういえば朝食以来何も食べていない。確かに空腹は感じるものの、何か食べたいという欲求は不思議と湧いてこない。
「何か作りましょうか」
「いや、オレも減ってねぇ」
清涼飲料水のボトルだけ持って部屋に戻ってきた黛は、ふぅと一息つきながらひとり用ソファに座り込み、ボトルを煽った。
俺も、と赤司が手を伸ばすとさりげなくボトルを引っ込め、無言で手招きをする。不満を顔に表しながらも立てられた膝の間に赤司がそろりと腰を下ろすと、黛は首を伸ばし、もはや朝の挨拶のようにあっさりと赤司の口唇を奪った。
「……お好きですね、キス」
皮肉もこめて、わずかに赤い頬を引き攣らせる。
「別に好きじゃねぇし」
「どのくちが言う…」
「このクチ」
「んんー…っ!」
反論途中で息を塞がれて呼吸もままならず、赤司は黛の顔を腕でグイグイと押し返した。
「好、きでもないくせになんですかこの頻度は!」
「好きなのはキスじゃねぇよ」
言いながら、黛はボトルの中身を口に含んだ。
「は、……っん、ぅ」
そっけなく返された言葉の意味もわからぬまま、口内に注がれる水分に驚いて目を白黒させる。口の端から零れるのを厭い、咄嗟にのどを波立たせてゴクリと飲み込んでしまう。
ぷは、と濡れた口唇を拭ったあと、赤司は非難めいた目つきで彼を見上げた。
「……すごい」
なにが、と問う目の無気力さ。
「こんな、……開き直る人だとは思ってなかった」
「基本流動型だからな。諦めたら切り替えも早いし受け入れるのも早い」
そうだ。気難しいようでわりと柔軟なのだこの人は、自分などより十二分に。わかってはいたのだが。
「……なにを受け入れたんですか」
「独占欲」
お前への、と付け足し、額にキスひとつ。
「……独占欲」
「なんか、触ってると満たされるだろ。お前逃げねぇし。オレのだって思える」
「……逃げはしませんが…もう少し、穏やかにして頂けませんか。心臓が持ちそうにないんですが」
「赤司サマがご冗談を」
は、と鼻で笑い、拗ねたように睨みあげてくる大きな瞳を、黛は愉快そうに覗き込んだ。
長い指が目尻に触れる。常より少しだけ皮膚がピリリとし、赤司は片目を瞑った。
「冷やすの忘れてた。赤くなってる」
「……かまいませんよ」
頬や耳の後ろを無造作に撫でられ、その心地よさにこのまま身を委ねたくなる。
すり、と自ら手のひらに頬を擦り合わせてきた赤司をじっと見て、黛は「ていうか」と物憂げに呟いた。
「どっちにしろまた泣かせちまう気がする」
「予定がありますか」
「こんなんで心臓もたねぇとか言うなよ」
ぎゅっと抱きしめられ、赤司は首を傾げた。
「もっとエロいことしたらお前どうなんの」
「……―――ェ、……」
明晰を誇る赤司の思考回路が一瞬停止した。「…どうもこうも…」と場を取り繕うための言葉が口を突くが、えぇと、と後が続かない。え。えろ。えろい。…えろいこと。
「…………するんですか?」
「わかんねぇけど」
黛は赤司の首筋に顔を埋め、深く息を吸う。
「全然足りねぇし」
「でも」
意味はわかるのだが明らかにひとつ問題点がある。しかし口に出していいものなのか。赤司は空気を伺いながら、そろりと提言してみる。
「………俺は男ですし…」
「………」
「……黛さん?」
動きを止めた黛の背中を軽く叩くと、聞こえてきた恐ろしく長いため息に赤司は目を瞬かせた。
「……現実こぇー…っていうかまじで、下手な二次元よかお前のがよっぽど怖いわ…」
「黛さん、以前から思っていましたが、一度落ち着いた方がというか、目を覚ました方がいいのではないかと、思うんですが」
「なにが」
「だって、俺はどう足掻いたって男ですよ。冷静になってください。…キス、ならまだ何とかなりますが、俺相手に、えろいことって、なにごとですか」
「まぁそうなんだけど、それは置いといてともかくオレは普通にお前とエロいことしまくりたいって思ってる」
絶句した赤司が息を呑んだ。生気のない目でなんという生気に満ち満ちた発言を…。
「……どうして俺が貴方の性的対象に成りうるんですか…?」
深く息を吐いてかろうじて平静を繋ぎ留め、額に手を当てる。赤司にしたら史上最大の難問だ。
「残念だが、その疑問と懊悩に関してはこの一ヶ月すでにオレが散々済ませたあとだ」
「そんな勝手に済ませられても…」
「確かに意味不明すぎて何度か死にたくなったけどな。言っただろ。あきらめたら流されるんだよ、オレは」
そう言って、赤司の頬に手をやる。
「……ていうか今さらそこに驚かれるとか、こっちが驚く」
赤司がきょとんとしているので、黛は苦い顔になった。
「お前今までなんだかんだオレに触らせてたのはなんだったんだよ。逃げようと思えばいつでも逃げられたくせに。なんにも考えてなかったとか言う気か?」
「いえ、それは…以前も言いましたが、嫌ではなかったので単純に拒む理由がなかっただけです」
つまりなんにも考えてなかったんじゃねぇか。黛は頭を抱えた。
「オレが『なんで』そういうことするかは一切考えず、思考停止してたってことか。お前が」
「……ストレスや性欲が溜まってらっしゃるのかと」
「性欲持て余したら男でも見境なく触って満足してる変態だと思ってたのか?」
「怒りやストレスが沸点に達すると目の前の相手に劣情をぶつけて発散するタイプなのかなとは思ってました」
「ただのDVじゃねぇか! どっちにしろクズだわ」
「黛さんがクズでも変態でも俺にとってはどうでもいいことだったので、深く考えなかったんです」
「どうでもよくはねぇだろ」
「すみません」
黛としては曲がりなりにも、それなりの筋道を立てつつ今日という日に辿り着いたつもりだったのだ。なのに赤司の中では繋がっていなかったのか。全部ぶつ切り、その場その場の、変態クズのセクハラに付き合っていただけだったのか。まぁ赤司ならさもありなんという気もするが。
ショックというか……。
地味にめんどくさい。赤司めんどくさい。
「加えて、貴方が俺に対して起こすアクションは基本的に気まぐれであり、あくまで一過性のものだと思っていた節があります。だからまさかそういった、…類の、つまり、継続的、発展的に、俺に触れたいという願望を持たれているとは、正直思っていなくて」
「嫌か?」
率直に尋ねると、赤司は笑って首を振った。
「黛さんのすることなら、何もいやではないです」
「相手が黛さんであるなら、俺はなんだって、どうだっていいです」
そう言って、ぎごちなく笑って見せる。
「貴方が望むなら、どうぞ、お好きに」