赤い糸40,075km
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夏休みが明けて、新学期が始まった。私はここ数日、チクチクと刺さる視線にただ身を縮めて耐えていた。どうしてそんなに人の視線が刺さるのか、理由は簡単だ。
───私が、バレー部のマネージャーになったことが知れたから。
別に私が何をしようがクラスメイト達は差程興味がないはずだけど、そこに人気者の黒尾くんが関わるなら話は別だ。黒尾くんは教室でも部活の時と変わらない距離間で話しかけて来て、そのせいであっという間に私がマネージャーになったことが知れ渡ってしまったのだ。それだけでも私としては気が引けるのに、黒尾くんの態度がやたら優しいから、妙な噂まで立ちはじめてしまっている。
違う。本当に違う。黒尾くんは元々優しい人だし、身内にはより一層甘い。私のことを部活仲間、バレー仲間だと思っているからこその距離間であって、そこに恋愛的な要素は一切無い。むしろ無い。私と黒尾くんを繋いでいるのはバレーだけで、それが無くなったら本当に何の接点もないただのクラスメイトだ。でもその事実を伝える術がないし、伝えたところで黒尾くんを好きな人達の気が晴れる訳でもない。だから私はこうしてギュッと身を縮めることしかできないでいる。これで私の方にも恋愛感情が無ければ後ろめたいことは何も無いのだけれど、残念ながらそっちはある。だから私が急にバレー部のマネージャーになって黒尾くんと親しくなったのは、言うなれば抜け駆けだ。彼とどうこうなろうなんて1ミリも思ってないんです。思ったところで叶いません。私はバレー部の手伝いがしたいだけで、必要以上に彼に近付くことは絶対にしません。それでも、傍から見れば抜け駆け成功だ。もう本当に、申し訳ない。
「でも黒尾って黒髪ロングが好きなんじゃ無かったっけ?」
「あ〜そういえば。髪型だけじゃなくて、なんか全体的にタイプじゃなさそうだよね〜」
「じゃあやっぱりただのマネなのかな」
ふいに、そんな会話が聞こえてくる。それが自分の話題だと思うと居心地が悪いけれど、内容には概ね同感だ。黒尾くんが髪の長い子がタイプというのは知らなかったけど、何も知らなくても私みたいなのがタイプじゃなさそうということは分かる。そうだよみんな、私コレだよ。女の子ならともかく、男子が好むような見た目じゃないよ!黒尾くんとどうこうなんてなる訳ないよ!そこのお二人、もっと大きい声で話して!私は心の中でそう応援するけど、思いは届かず、彼女達の会話は別の話題に移ってしまった。
黒尾くんには既にクラスではあまり話しかけないでほしいと伝えてあるから、これ以上波紋が広がることはないと願いたいけれど、後ろめたい気持ちは消えない。でも人の視線に怯えて被害者ぶっている自分もなんだか嫌で、私は黒尾くんとの不必要な接触を控えつつ、より一層”マネージャー業”に励むことにした。
─────
10月になり、ちらほらと冬服で登校する人が増えてきた頃。私はやっとバレー部の一年生達ともまともに会話できるようになっていた。夏休み中に黒尾くんに促されて初めての会話を成し得た後、ちょっとずつ接し方を探り、今では話しかけられない部員は居なくなった。夜久くんは元々気さくに声を掛けてくれていたし、海くんも常に穏やかで話しやすい。研磨くんはやっぱり頭が良くて、話してみると鋭い意見が出てきて面白い。福永くんとはそんなにたくさん言葉を交わさないけれど、むしろジェスチャーでの意思疎通を楽しんでくれているようで、私も楽しくやり取りができている。山本くんとは…まだ少しぎこちないけれど、それは私が女子なのが原因だとみんなが言うので、こればっかりはどうにもできないでいる。私は背が高く、髪もずっと短いから、昔からあまり女子として扱われたことがない。だから山本くんみたいに異性として意識されることに慣れなくて、ちょっと緊張してしまう。でも彼のことは人としてリスペクトしているから、もっと仲良くなれたらいいなと思っている。
そんな中、今日は急遽決まった梟谷との練習試合。
放課後を告げるチャイムが鳴り、バレー部はバタバタと急いで移動していた。制服姿のまま電車に揺られること数駅。その間も黒尾くんは周囲に気を配り、他の人に迷惑がかかっていないか、私が狭い思いをしていないかなど確認してくれた。こういうところがモテ男たる所以だな〜とぼんやり考えていると、山本くんがいつも以上に不審な様子でこちらをチラチラ見ていることに気付く。何か用かと声を掛けてみてもよく分からない返事が返ってきて困っていると、黒尾くんが彼の頭を無言でシバく。車内なので山本くんも小さく「スンマセンッ」と言って、黒尾くんも特に追求しないようだったので私も気にしないことにした。
目的の駅で下車して少し歩き、みんなは既に来たことがあるらしい梟谷学園の敷地へと足を踏み入れる。みんなの後ろについて体育館の方へ向かっていると、扉の隙間から見える人影がこちらに気付いて大声を上げる。
「来たなー!?早く着替えて来い!早く試合しようぜ!早く早く!」
「今日もうるせー」
木兎のその元気な声に、黒尾くんが呆れたように笑う。近付いていった黒尾くんが「結局再会は練習試合だったな」なんて軽い会話をしつつ着替えの場所は前回と同じかと確認をしていると、体育館の奥から赤葦くんが顔を出す。
「あ、赤葦くん!久しぶり」
「…お久しぶりです。」
赤葦くんはどこか面食らったように目を見張ってこちらを観察しているようだった。私が首を傾げると、「すみません、制服姿が新鮮だったので」とすぐに理由を教えてくれて納得する。もしかしてさっきの山本くんも同じ理由だったのかな?部活の時はいつもジャージに着替えた後だから、制服姿で会うことはそんなに無いし、女子に慣れていないらしい山本くんからしたら、ジャージ姿より制服のスカートの方がより意識してしまうのかも知れない。ふむふむと一人考えていると、白福さんが顔を出し、「女子部室案内するね〜」と誘導してくれるので、赤葦くんにまた後でと軽く手を振って付いていく。
案内された部室の隅に荷物を置かせてもらい、手早く着替える。夏休み明けに支給されたバレー部のジャージは、真っ赤で結構派手だ。目立つ感じがして正直ちょっと恥ずかしいし似合っている自信もないけれど、音駒のバレー部の一員という確かな証拠だから、袖を通すといつも背筋が伸びる思いになる。体育館に戻ると、すぐにアップが始まり、そして練習試合が始まった。
「くそー!お前らマジで拾いすぎ!」
「拾った数より決められた数のが多いわクソが!」
木兎と黒尾くんがネットを挟んでいがみ合う。黒尾くんは普段部長としてしっかりしてるし、基本的には大人っぽいけど、木兎を相手にしている時は普通の男子高校生って感じがしてなんだか可愛いなと思う。……いや駄目だ。そういう姿が見れるのもマネージャーの特権だけど、それを行使してはいけない。抜け駆け駄目、絶対。私はスコア表を記入し、次のプレーに目を向ける。音駒のみんなはこの2ヶ月、とにかく基礎体力の向上とレシーブの強化をしてきた。レシーブはどのポジションの選手にも必要不可欠な技術だし、監督の戦略としても最重要なプレーだから、みんな太腿が何度も痙攣するほどに練習を積んできた。だから強豪の梟谷が相手でも、そう簡単にボールは落ちない。
「ナイスレシーブ!」
梟谷の…確か、木葉くんが上手く落とそうとしたボールに後衛の黒尾くんが食らいつく。本来ならミドルブロッカーが居る位置じゃないけど、黒尾くんは後衛でも強い。高校生のミドルブロッカーでここまでレシーブが上手い人はそうそう居ない。特に身体が大きければ大きいほど、低い位置に滑り込むのは困難になる。でも黒尾くんは練習通り常に腰を落としているし、器用に身体をしならせて腕を伸ばし、研磨くんの頭上へボールを返す。その見事なプレーに私が声を上げると、隣で猫又監督も同様に「ナイスレシーブ」と言ってうんうんと頷いている。私は指導者でも選手でもないけど、勝手に誇らしい気持ちでいっぱいになった。
結果としては負けになってしまったけれど、うちが磨いてきたレシーブは格上のチームにも確実に通用することが実感できたし、攻撃面での課題も見えて有意義な練習試合となった。
「お疲れ様です」
「赤葦くん、お疲れ様」
片付けを手伝っていると赤葦くんが声を掛けてくれる。音駒の守備を褒めてくれたり、木兎の調子について話したり。赤葦くんとは話しやすくてついつい盛り上がっていると、後ろからぬっと大きい影が近付いてくる。
「ほーんと仲良いなチミ達は」
その影の主はやっぱり黒尾くんで、上から覗き込むように話しかけてくる。耳の近くで聞こえる声、触れてしまいそうな距離間に心臓が跳ね上がる。でも心臓は誰にも見えていないから、表面上は冷静な振りをしてスッと一歩距離を取る。さすがにさっきのは近すぎるし、黒尾くんとしてもそういうボケみたいな行為だったはずだ。距離を取った私にニヤリと口角を上げて見せるのがその良い証拠。ほんと心臓に悪いことするな、この人。
「仲良く喋ってるから邪魔しないで」
「お前最近当たり強いよな」
全然効いてないくせに肩をすくめる黒尾くんは何とも小憎らしい。そして「もうそろ撤収の時間だぞ」と言って軽く頭を撫でて行くから、正直もうお手上げだ。こちらがいくらそういう感じを出さないように抑え込んでいたって、彼はいとも容易く崩してくる。しかも本人は全くその気がないんだから、なんとも迷惑な話だ。私は不満に目を向けることで、なんとか心臓の高鳴りを無視した。
「どう思う?」
「調子に乗っているな、と思います。」
「ふふ、だよね」
しかめっ面のまま、赤葦くんに今起きたことについて聞くと、気持ちの良い返事が返ってきて笑顔になる。赤葦くんはまるでエスパーみたいに私の欲しい言葉をくれるから、メールのやり取りでもいつも気が付いたら良い気分にさせられている。私も彼にとってそういう存在になりたいなと考えていると、集合の声が聞こえてきて、慌てて赤葦くんに別れを告げた。
─────
秋も深まる頃、春高予選が始まった。
マネージャーになって初めて迎える公式戦。会場を見据えながら、荷物を抱え直して深呼吸をする。
うちは新体制。この大会で全国を目指すと言えば、それは現実離れした理想だ。今回はただ、積み上げてきた力を試す。1つでも上に行く。強い相手から盗めるものは全て盗む。みんなそんな気持ちでここまでやって来たことは、言葉にしなくても分かる。
秋の乾いた風が頬を掠めて、やけに思考がクリアになる。
「緊張してる?」
隣に並んだ黒尾くんが、表面上は揶揄うように、でも瞳の奥には確かに心配の色を見せて声を掛けてくれる。そう言う彼の方こそ、どこか緊張した雰囲気だ。やるべきことはもう決まっている。それでも、黒尾くんにとっては部長になって初めての公式戦。今までとは背負うものが違うんだろうなということは想像に容易い。
「うん。緊張してる。」
目を見詰めたまま正直に返すと、黒尾くんはちょっと気まずそうに視線を逸らす。彼は分かりやすく直球に弱い。これはここ数ヶ月で会得した揶揄いモードの黒尾くん撃退法だ。でもきっと彼は緊張する私を揶揄いながらも励まして、そんなやりとりの中で自分自身の緊張も解すつもりだったんだろう。素直にそうさせてあげられないことを申し訳なく思いつつ、言葉を探している黒尾くんを見て少し笑ってしまう。
「なに」
「ううん」
黒尾くんの思った通りにはできないけど、私は私なりに、彼を励ましたいと思っている。それが効果的かどうかはやってみなきゃ分からない。マネージャーとしてできることがあるなら、全部やるんだ。
「私はコートに立つわけじゃないし、できることも少ないけど」
照れ臭そうにそっぽを向く黒尾くんの正面に回り込み、その視線を逃がさないように、真っ直ぐに見詰める。
「みんなの練習の成果が発揮されるとこ、一つも余さず全部見てるからね」
「気持ちだけは、一緒に戦ってるつもりだから」
私が言い切ってから数秒置いて、黒尾くんは大きく息を吐きながら頭を抱えてしまう。「なんで俺の周りってこうカッコイイ奴ばっかなの…」なんてごにょごにょ言ってから、ゆっくり顔を上げる。その顔はどこか困っているような、でも喜んでいるような、なんとも言えない表情だった。
「…それ、後で集合の時に全員に言って」
「えっ、やだ」
「やだじゃないの。お前のその圧、めっちゃ効くからね」
話しながら歩き出す黒尾くんに合わせて、会場の入口に向かう。圧?と首を傾げると、「すげープレッシャーかかんのよ、いい意味で」と答えてくれる黒尾くんの横顔は、どこか晴れやかだ。会場内には出場する各校の面々が揃っており、その姿はとても勇ましく見える。でも負けない。みんなが汗水流して練習する風景を思い浮かべながら、胸を張ってその間を進んだ。
1回戦に向けたアップが終わり、ベンチに集まって監督とコーチから言葉をもらう。黒尾くんと山本くんは目に見えて気合いが入っている様子で、他の面々は逆にいつも通りな感じがそれぞれとても頼もしい。猫又監督が穏やかに「やってきたことやるだけだ」と言い、みんなが返事をするのに合わせて私も一緒に頷いた。そこで集合は終わり…と思いきや、黒尾くんが「ちょっとやりてーことあんだけど」と言って選手を集め、円陣を組む。どうやら独自の気合い入れを考えてきたようで、円陣の中央に拳を出し、夜久くん達がそれに応じて拳を突き合わせる。
「───俺達は血液だ」
はっ?突拍子もなく出てきたワードに、みんなの目が丸くなる。
「滞り無く流れろ、酸素を回せ、」
そんなのお構い無しで続ける黒尾くんが、研磨くんの方を見やる。
「──脳が、正常に働くために」
「っし、行くぞァ!!」
「「お、おお…!?」」
それぞれがぎこちなく呼応すると、円陣が解かれる。黒尾くんの目配せのおかげで、言っていることの意味はなんとなく分かった。うちの頭脳である研磨くんのスキルが最大限活かされるように、得意のレシーブで繋いでいこうっていうことをちょっとポエミーにした訳だ。みんなの反応を見ると、笑ったりはしてるけど変に茶化したりする人はいない。いいよね、このチームのこういうところ。でも絶対研磨くんは……わぁ〜。彼の表情を窺うと、予想通りすっっごく嫌そうな顔をしていた。
「なに今の……二度とやらないで」
「これから毎回やりますぅー」
「サイッアク…」
そんな二人のやり取りを微笑ましく眺めていると、黒尾くんが「じゃあ大トリはマネージャーな」と言ってこっちを見てくる。えっ嘘でしょ。
「今ので締まったじゃん」
「いや〜やっぱ初回なんでぇ、ボクだけじゃ力不足と言いますか」
「そんなことないよ」
「いいから、さっきの言って」
えええ、やだ。そんなに大したこと言ってないし、黒尾くんに言うのは2回目になるから、なんだか恥ずかしいし気が進まない。でも今は大事な試合前、みんなが注目してくれているし、時間を無駄にはできない。それに、ほんの少しでも力になれるなら。私は手を固く握り、みんなの方へ顔を向けて、さっき会場の外で黒尾くんに言ったことを、ほとんどそのまま伝えた。
「…だから、勝とうね…!」
「おう!見とけ」
「オォッシ!」
「心強いよ」
「…プレッシャー……」
「(ピースピース)」
研磨くんは引き続きげんなりしているけど、なんとなくみんなの士気が上がったように見えてホッとする。それを見守る黒尾くんはしたり顔だ。もう、なんなのこの人。少しだけ納得のいかない気持ちもあるけれど、今はいい。「さぁ行っといで」と言う監督の声で、みんながコートに整列する。私も所定の位置について、背筋を伸ばしてコートを眺めた。その隣で監督が「ああいうのもっと言ってやって」といってくれるので、小さく、でも強く返事をする。
みんなと一緒に戦う。その土俵に今、立てた気がした。
1回戦の相手はうちと同じく新体制のチーム。
少し見た感じで、練習量の違いが分かる。お互い引退のかかっていない試合、相手チームからは強いやる気は感じられない。それでも、音駒のみんなは気合十分で、手を抜いたプレーなんて一切ない。研磨くんに限っては多分体力温存を考えていつも以上に省エネだけど、それはそれで問題ない。試合が進むと、うちの気迫溢れるプレーに感化されたのか、相手チームのリズムも少しずつ早くなる。
──でもそれは自滅だよ。
相手のスパイクを拾う、フェイントも拾う、バレバレなツーは即シャットアウト。こっちは猛者に揉まれてきたんだ。その程度では効かないよ。結果、リードを許すこともなく2-0で勝利を収めることができた。ベンチに帰ってくる選手達とハイタッチを交わし、一時撤収する。まだ隣のコートは試合中なので、荷物を抱えたまま急いで客席に駆け上がり、その戦況を観察する。この試合に勝った方が、次の対戦相手。急いでノートを取り出し、そのプレー内容をメモした。
そしてほんの数時間置いて、2回戦が始まる。
私はメモしていた内容をみんなに伝えて、後はやっぱりベンチで見守ることしかできない。相手チームには3年生が残っていて、高校最後の試合になるかも知れないという気持ちが伝わってくる。1回戦で見た通り、エースのクロス打ちはかなりコース幅が広い。そのことはみんなには伝えてあるけど、だからってすぐ対応できるわけじゃない。うちは第1セットを落とし、第2セット20-22の場面。このままサイドアウトを続けるだけでは、うちはここで敗退してしまう。笛が鳴り、黒尾くんがサーブのルーティンを行う。黒尾くんは最近やっとジャンプサーブが形になってきたけれど、1回戦の時はどれもミスになってしまい、この試合ではまだ一度もやっていない。
…でもそのルーティンは、ジャンサの時のだよね。
やるんだ、今。
良い選択だと思う。もしここでミスしてしまったらとても痛いけれど、攻める姿勢を見せることには意味がある。攻める気持ちのない者に、勝利は与えられない。
練習の3対3の時にサービスエースを決めた姿を思い浮かべる。大丈夫。大丈夫。
固唾を呑んで見守る中、サーブトスが上げられる。
───あ。
トスが前に流れた。
ジャンサはトスが全てと言ってもいい。これはもう、どうにか処理するしかない。当然本人も分かっているようで、ラインギリギリのところで踏み切りなんとかそのボールを相手コートへ打ち込む。
ボスッ と音がして、白帯に触れたボールはネットの向こう側に落ちていく。
相手チームの選手達が急いで手を伸ばすのが、まるでスローモーションのように見えた。
ピッ
審判が、音駒側に腕を伸ばす。
「…!ブレイク……!!」
思わず立ち上がり、ハッとしてすぐ座り直す。コートの中で得点の喜びを分かち合うみんなを見て、私も夜久くんみたいに彼の背中をバシバシと叩ければいいのに、なんて思う。今のはまぐれ、だけど、そのまぐれで点をもぎ取ったのは、この場面で攻めることを選んだ黒尾くんの勇気に他ならない。
相手はまだタイムを取らないようで、黒尾くんがもう一度サーブの位置に下がる。その時、確かに私の顔色を窺った気がする。監督の指示を仰ぐ訳でもなく、ただ一度私の顔を見て、真剣な表情でサーブ位置についた。
分かってるよ、ちゃんと。ただのラッキーじゃない。
だから次も、もちろん攻めるよね。
トスが高く上がる。…完璧だ。
黒尾くんのスパイクサーブが、相手のリベロとスパイカーのちょうど間、憎いコースへと向かっていく。相手のリベロがどうにか上げるけど、そのボールはネットを超えて返ってくる。
「チャンスボール!!」
夜久くんの丁寧で美しいレシーブ、相手チームがスパイクに備えて1歩下がったその時、研磨くんは誰にもトスを上げず、ネット際にストン、とボールを落とす。
凍りつく空気、相手チームが床に這って悔しがる中、ほんの少し口角を上げる研磨くんが恐ろしい。
ピーーーッ
こちらの3連続得点で同点になり、相手はやっとタイムアウトを使った。ベンチに集まる選手達に、監督、コーチが労いの声を掛けたり、次の指示を出したりする。私は大急ぎでタオルやドリンクを渡して回った後、背番号1番のユニフォーム見詰める。このブレイクを生み出したのは、間違いなくこの人だ。言葉にできない感情がぐわっと押し寄せ、その背中を力任せにぶっ叩く。「あだぁ?!」と大袈裟に悲鳴を上げて振り返る黒尾くん。
「もう1本!」
私がそう言うと、彼は数秒ポカンとして、それからニヤリと笑う。うまく言葉にできないけれど、今ここに、確かに仲間としての絆を感じた。あっという間にタイムアウトは終わり、みんなはコートに戻っていく。私のポジションはベンチ、だけど。一緒に戦っているし、それを選手達も分かってくれているのが、分かる。
見逃さない。一つも。
第2セットを25-23で取り、最終セットはデュースにまで縺れ込んでいた。相手の引退がかかっていようが、関係ない。全力で、次の1点を取るだけ。黒尾くんと山本くんがブロックに飛び、コースを絞らせたボールを福永くんが拾う。
「ナイスレシーブ!!」
さぁ、誰を使う?もう体力の限界を超えている研磨くんが、気怠げにボールを見上げる。でもそのトスモーションは、相変わらずどこに上げるのか読ませない。そして、この試合一番打数の少なかった海くんにトスが上がる。ブロック1枚。そのスパイクは、一歩出遅れた相手レシーバーの腕を弾き、遠くの床に落ちる。
試合終了の笛が鳴り、研磨くんが長く息を吐いて床に寝転ぶ。
勝った。……勝った。
込み上げる歓喜と、相手コートから漂う悲壮感。
鳥肌が立つ。
みんなが整列して最後の礼をするのに合わせて、立ち上がって頭を下げる。相手チームの3年生は、引退。いつの日か自分も経験するであろうそれに、なかなか頭が上げられなかった。
──────
また少し時間を置いて、3回戦が行われた。2試合分出ずっぱりなみんなはもうヘトヘトで、強豪校の攻撃に付いて行けず、結果は2-0。荷物をまとめて会場を後にすると、外はもう真っ暗になっていた。
会場の外で集合し、監督から総評をもらう。部長に続いて「ありがとうございました」と言って、その場で解散になる。
疲労の色が濃いみんなとは裏腹に、私は熱が燻って仕方ない。あっという間に終わった初めての大会。春高。みんなの勇姿と、引退していく人達の涙。心が動きすぎて、身体もじっとしていられなくなる。音駒としてはいいところまで勝ち上がれたことを喜んでもいい結果だ。でも、もっとできることがあったんじゃないだろうか。私にももっと、みんなのためにできることがあるんじゃないだろうか。今日まで、本当にやれることを全部やってきたんだろうか。いつの日か必ず訪れる引退の日、みんなに悔いが残らないように。何か、もっと。
気持ちだけがはやるけれど、何も具体的なことが浮かばない。私が唇を噛んで足元を見ていると、黒尾くんがコーチの背中を追いかけて行った。そして何か交渉するように話し、こちらに戻ってくる。
「明日午後、体育館開けるから。来たい奴は来ていいぞ」
明日は一日オフの予定なのに、黒尾くんも気がはやっているのか、コーチに確認を取ってまで体育館の使用権利を得てきたようだ。「身体休めんのも大事だから、軽くだけどな」と言う黒尾くんに、みんなが頷いたのが雰囲気で分かる。研磨くんだけがげんなりした顔をしたのも分かる。黒尾くんもみんなに頷き返して、私の方を見る。
「お前も来るだろ?」
「…うん…!」
力強く頷くと、彼がニタリと笑う。その顔は疲労と喜びでどこか柔らかい雰囲気もありつつ、何かを決意したような、スッキリしたような感じも窺える。同じ気持ちなんだ、きっと。秋の冷たい空気で肺を膨らませる。また明日から、全力でみんなのサポートをする。もっともっと、私にやれることを探すんだ。そう決意しながら、仲間達と足並みを揃えて帰路についた。