赤い糸40,075km
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合同合宿初日。全体練習を終えて水分補給をしていると、遠くから木兎さんに呼ばれる。その方向に視線を向けると、そこには木兎さんと黒尾さんと…音駒のマネージャーも居た。
え、まさか、あの人も一緒に自主練するのか?
黒尾さんとは練習試合や前回うちで1泊だけ行った合宿でも一緒に練習したが、その時は音駒にマネージャーなんて居なかった。今日は初めて見る彼女の様子をついつい見てしまっていたが、彼女は見知らぬジャージを着ていて、恐らくまだバレー部のジャージが支給されていないほど入部してから日が浅いのであろうことが推測できた。彼女はどこか近寄り難いような、隙のない印象がある。働きっぷりも新米マネージャーとは思えないほどテキパキこなしていたし、合宿初日から木兎さんの自主練にまで付き合おうとするなんて…一体何者なんだ。
俺は自分のタオルとドリンクだけ掴んで、3人の後を追った。
小さめの体育館に入ると、待ち構えていた黒尾さんが「おし、じゃあ紹介タイムな」とマネージャーの方に振り返る。
「コレが昨日も話した木兎。こんなんだけど一応全国クラスのスパイカー」
「こんなんってなんだ!」
黒尾さんが木兎さんを紹介すると、彼女はコクコクと一生懸命頷いて見せた。…あれ、近くで見ると結構印象違うなこの人。その澄んだ目はなんだかキラキラと輝きを放っているようで、つい見詰めてしまう。黒尾さんは次は俺を紹介しようと手の向きを変える。すると、彼女とバチッと視線がかち合う。
───うわ。
綺麗な顔してるなこの人。じっとこちらを見るその瞳に、何故か吸い込まれそうな感覚に陥る。
「こっちは赤葦。1年セッターで木兎の相棒。こう見えて意外と根性ある」
「根性あるぞー!赤葦は!」
「…どうも」
紹介されて軽く会釈すると、彼女も会釈を返してくれながら柔く微笑む。心臓が、妙な音を立てた気がした。
「で、うちの新米マネージャーの久世さん。バレー好きで、めちゃくちゃ頑張ってくれてるけど、人見知りだからあんまガツガツ行かないよーに。特に木兎。」
「お〜?さっき普通に話したよな!?なぁ久世っち!」
「…うん、木兎くんはなんか、平気かも」
「マジ?」
久世さんは木兎さんに背中をバシバシ叩かれても特に動じない様子だ。人見知りというのは確かに仕草の節々からも伝わるけど、木兎さんはそれを掻い潜る特別枠なんだろう。なんたって彼はスターだし、その感覚は俺にもなんとなく分かる。すっかり打ち解けた二人に黒尾さんは少し面白くなさそうな顔をしていたけれど、すぐにそれぞれが自主練を始めるための準備をしだす。
「久世っぴ、悪ぃーけどボール拾いやってもらっていい?」
「もちろん!」
木兎さんが提案すると、久世さんはやる気満々といった風に反対側コートの更に奥へと走っていく。練習の流れとしては、黒尾さんが反対コートからボールを投げる→木兎さんがレシーブ→俺がトス→木兎さんがスパイク→黒尾さんがブロックに飛ぶ というのを木兎さんの気が済むまで、もしくは時間の許す限り繰り返す。
よく付き合えるなと先輩達からもよく言われるけど、俺としてはスターの輝く姿をこんな近くで見られるんだから何も苦痛じゃない。黒尾さんもなんだかんだ言いながら必ず最後まで付き合ってくれる。彼女は…どこまで手伝ってくれるんだろうか。
「行くぞー」
黒尾さんがカゴからボールを1つ取り出し、それをこちら側のコートへ軽く投げ入れる。木兎さんがレシーブをして助走に入る。俺の顔にボールの影が落ちてきて、それを可能な限り丁寧に、スターが最も輝くようにと神経を研ぎ澄ませながらセットする。ババン!と豪快な音を立てて、そのボールは向こうのコートに突き刺さった。
うん、いいスパイクだ。ボールの行方に目を向けていると、その方向から眩い光が溢れてきてぐっと目を細める。
うわっ、なんだ?眩しい……!
キラキラと…いや、もはやパチパチと音を立てるように何かが光り輝いている。たまに木兎さんがそういう風に見えることはあるけれど、まさか打ったボールにまでエフェクトがかかるようになってしまったのか…?目を凝らして光の出処を確かめると、そこにあったのは…いや、そこに居たのは、音駒の新米マネージャーの久世さん、彼女の姿だった。
「すっ……!すごい!すごいね木兎くん!!」
ドスッ。
ハートに矢が刺さるアニメーションが頭に浮かぶ。
久世さんはクールな印象からは想像も付かないほどに破顔し、飛び跳ねながら木兎さんのスパイクを称えている。その姿は、直視できないほどに眩しい。
「なはははは!そうだろ!すげーだろ!」
「うん!すげー!もう一本見せて!」
「何本でも見せてやるよ!」
ワーキャーと繰り広げられる会話を呆然と眺めていると、同じように口を開けて二人の会話を聞いてる黒尾さんと目が合う。黒尾さんは首を横に振りながら「ここまで元気なのは俺も初めて見る…」と呟く。なるほど、木兎さん効果か。俺は瞬時に納得しつつ、心の中でハートに刺さった矢をそっと抜く。これは違う。何かの間違いだ。
「黒尾!早く次!」
「はいはい…」
木兎さんは相変わらず輝いていて、それを見る彼女もまた、輝いている。…ああ、なるほど。木兎さんが太陽だとすると彼女は月なんだ。太陽の光と、それを反射する月の光。俺はただそれに照らされ、眩むだけの地球人。
とにかく、彼女はとても良い人そうだし、木兎さんとも相性が良く、きっと俺とも話が合う。いい人を連れて来てくれた黒尾さんに感謝しつつ、もう一度トスを上げた。
久世さんはその日、最後の最後まで楽しそうに自主練に付き合ってくれた。
次の日も、その次の日も、彼女はボールを拾いに走り回り、額に汗を滲ませながら、ずっと輝いていた。
合同合宿4日目の昼、ガヤガヤと騒がしい食堂で彼女の姿を盗み見る。やっぱり、パッと見は“クールで近寄り難い美人”だ。でもよく見るとうちのマネージャー達と会話する姿はどこかぎこちない。そういうところに気付いてしまうと、もうただの可愛い人にしか見えないから不思議だ。綺麗な所作で食事してるけど、一口食べる度瞳がキラッと輝く気がして、つい目が離せなくなる。
「赤葦なに見てんの?」
「空気です」
「空気?!」
さすがに見詰めすぎて木兎さんに指摘されてしまう。俺は渋々目線を逸らして食事を摂った。
彼女とは、まだ大した会話はしていない。同じ空間にいて、必要最低限のやり取りをしただけ。もっと話してみたい、もっと知りたい。自分でも随分とハマってしまっていることには気付いているけど、こういうのは多分頭で考えてどうこうできるものじゃない。ついもう一度久世さんの方へ目を向けると、ぱっと目が合う。ふわりと和らぐその表情に、また不整脈が起きた。
────
「なんか…今日はダメだ……」
その日の自主練、午後のゲームで負けてから調子を崩した木兎さんは、体育館の隅に寝転んでうだうだといじけていた。それでもこうして第三体育館までは来ているから、きっと慰めてほしいんだろうな、面倒臭いな、と思いつつネットを張る。黒尾さんと久世さんが他の体育館からボールをカゴごと持ってきて、すでに自主練は始められる状態になった。黒尾さんは前にも木兎さんのしょぼくれモードを見たことがあるようで、「またかよ」とため息混じりに言って呆れている。久世さんは床に落ちてる木兎さんを不思議そうに見詰めて、そのまま声を掛けた。
「木兎くん、やんないの?」
「…やんない…!今日はダメなの俺は…!」
「そっか。じゃあ黒尾くんがスパイク練する?」
え? と、俺と黒尾さんの声が重なる。
俺はてっきり彼女が木兎さんを励ますものだと思っていたが、実際はなんともあっさり切り捨ててしまったようだ。自分でやらないと言った木兎さんですらびっくりして固まっている。
「そっかってお前…意外と冷めてるな…」
「え、だって2人は練習するんでしょ?時間勿体ないよ」
「うーんド正論」
黒尾さんが「じゃあやる?」と目配せしてくるので、俺もとりあえず頷く。木兎さんが放心状態で見守る中、俺と黒尾さんのコンビ練が始まった。
───うん、まぁ…。まぁまぁだ。
お互い探り探りでコンビを合わせてみるけど、これは練習になっているんだろうか。いや、普段合わせないスパイカーとこうやって組んでトスの照準を合わせていくことは勿論練習にはなる、けど、昨日まで毎日木兎さんと久世さんがワーキャーしていたのに比べるとなんだか地味だ。それに、大体は黒尾さんが合わせてくれてどうにかなっているのであって、俺のトスは大して良くない。さすがにこのまま続けるのは申し訳なくなってくる。
「……赤葦くん、背面苦手?」
「………はい。」
初めて久世さんから話しかけられて反応が遅れる。彼女は顎に手を当てて真剣な表情でこちらを見ていた。
「Dやるか」
「うん」
黒尾さんが提案し、久世さんが頷く。Dというのは背中側の少し遠くに上げるトスのことだ。短い会話で意思疎通をする2人に、なんだか置いてけぼりをくらう。
「いいんですかそんな、俺の課題に付き合わせてしまうなんて」
「お前はいっつも我儘な先輩に付き合わされてるからな。たまにはお前自身の練習もしようぜ」
そう言って肩を叩いてくる黒尾さんは、やっぱりなんだかんだ言って面倒見の良い人だ。普段は人を食ったような態度でニヤニヤしていることも多いけど、他校の後輩の練習にまでこうして付き合ってくれる上、「俺も悪球打ちの練習したいしな」と気負わせないように一言付け加えてくれる。普段ウザくしているのが本当に勿体ないくらい、ちゃんとした人だ。
そんな黒尾さんにコートの反対側から視線が注がれている気がして、ネットの向こうに焦点を合わせる。ボールを1つ抱きかかえる久世さんは、まるで尊いものを見るような目で、黒尾さんの背中を見詰めていた。
カシャーン。
その瞬間、それまでふわふわと俺の頭上に浮いていたハートが、突然ガラス製になり床に落っこちる。
彼女の柔らかく細められたその瞳の奥の奥。そこには確かに、恋慕の色があった。
考えてみればそりゃそうだ。黒尾さんが女子にモテそうなのは俺でも分かるし、最初から久世さんは黒尾さんにだけ心を開いている様子だったし、二人はどこからどう見てもお似合いだ。
はぁ〜〜〜〜〜。
脳内でクソデカ溜息をつく。
まだ傷が浅く済んで良かった…のか?浅いのかこれは?俺は粉々になったイマジナリー硝子ハートを足で雑に払い、もう一度だけ彼女の様子を窺う。久世さんは既に表情を戻していて、さっきのは自分の見間違いだったんじゃないかという淡い希望が浮ぶけれど、これは多分違う。…嗚呼、せめてまだ無自覚だったり、つい最近から始まったものだったら良かったのに。彼女の態度は、既に恋心を隠すことに慣れているかのように見える。きっと俺が気付いたのも本当にたまたまで、いつもしっかり隠し通しているんだろう。
「準備いい?」
「俺はオッケー」
「……お願いします」
久世さんが投げたボールを黒尾さんがレシーブして、俺がDクイックを上げる。ポコスッと間抜けな音がして、「ドリったね」と彼女が軽く笑う。
早めに気付けて良かったのか、気付かない方が良かったのか。そもそも俺は彼女のことを好きなんだろうか?そんな思考をどうにか振り払いながら。次の1本に意識を向けた。
その後、「赤葦の先輩は俺!」と黒尾さんへの対抗心で復活した木兎さんが練習に加わる。久世さんが歓喜すると、分かりやすく調子に乗る木兎さん。そしてまた連日通り、夜遅くまで自主練が続いた。
─────
その日の夜、就寝前の自由時間。
冷たい飲み物を求めて校内の自販機を訪れると、ちょうど久世さんが購入した飲み物を取り出そうとしているところだった。
これがもし昨日の夜だったら、俺はきっと2人で話せるチャンスにウハウハだっただろう。でも彼女が黒尾さんを想っていると気付いた今では、なんとなく複雑な気持ちだ。
「赤葦くん」
「お疲れ様です」
こちらに気付いた彼女に名前を呼ばれ、軽く会釈する。予定通り飲み物を買う俺のすぐ横で、彼女は特に立ち去ろうとはしなかった。何か用があるんだろうかと購入した水を取り出して顔を上げると、久世さんはどこか申し訳なさそうな顔をしている。
「今日、勝手に練習メニュー決めちゃってごめんね、大丈夫だった?」
「…いえ、むしろ的確にアドバイスいただけて助かりました」
俺のトス練習の時、彼女はとても細かいところまで分析してアドバイスをしてくれた。ただバレーを見るのが楽しくて好きというタイプかと思っていたが、プレーのこともかなり詳しくて驚かされた。真剣な表情で真摯に向き合ってくれる姿に、俺の頭上に再びハートが浮かんでしまったのは言うまでもない。
自販機の灯りに照らされ「良かった」と安心したように微笑むた彼女はとても無防備に見えて、つい欲が出てくる。
「良ければ、少し話しませんか」
自販機のすぐ横にあるベンチに顔を向けて言う。自分でもろくに考えず口走ってしまったことに驚き、心臓が速くなる。久世さんは少しだけ目を見開いた後、「うん、話そ」と言ってそのベンチに座ってくれた。俺は結局内心ウハウハになっている自分を戒めながら、距離を置いて彼女の隣に座った。
「バレー、すごく詳しいですよね。自分ではやらないんですか」
「昔、ちょっとだけやってたよ。でも当時から見る方が好きだったから、もう自分ではやらないかなぁ」
彼女は「その時はセッターだったんだ」と言って、手だけでトスのモーションをして見せる。なるほど、通りでアドバイスに説得力がある訳だ。そして、代表の試合だけじゃなくVリーグもよく見ることや、インカレもたまに母親と見に行くことなどを話してくれる。こうして一対一で話していると、彼女はそこまで寡黙という訳でもなさそうだった。日中大人数でいる時の緊張した様子はなく、かといって木兎さんに向けるようなテンションの高さもない。俺が後輩だからというのも相まってか、とても自然体で話してくれているような気がする。彼女の穏やかな声が、とても心地良い。短く相槌を打っていると、久世さんは木兎さんのスパイクについて語り出す。彼女が瞬きをする度に、その長い睫毛の隙間から星がキラキラと散らばっていくようなエフェクトがかかる。
「本当に好きなんですね、バレー。」
そう言うと、久世さんはハッとして口元を抑えてしまう。しまった。たくさん話してくれて俺は嬉しいのに、彼女は我に返って少し恥ずかしそうに視線を泳がせてしまった。余計なことを言ってしまったかと後悔していると、彼女は口元を隠したまま、その瞳を優しく細める。
「…うん、大好き。」
ドスッッ。
浮かんでいるハートに、矢が貫通する。
「赤葦くんとね、話してみたいなって思ってたんだ。同じバレーバカかなって気がしてたから」
ドスッ。ドスッ。
「………光栄です。」
何とか言葉を捻り出すと、久世さんが柔らかく笑う。
…ダメだな。この人に敵う気がしない。そもそも、ただの一般ピーポーの俺が、この美しいお月様から逃れることなんかできないし、焦がれてしまうのも当然だ。俺はもう開き直り、もう少しだけ欲を出してみる。
「あの、連絡先を聞いてもいいですか」
俺が携帯を取り出しながらそう聞くと、彼女も躊躇いもせずポケットから携帯を取り出してくれる。…よし。はやる気持ちを抑えながら、努めて冷静に赤外線の位置を確認し、お互いのメールアドレスを交換した。アドレス帳の登録画面、彼女の名前を打ち込む。久世…なにさんと言うんだろう。俺はまだ彼女の下の名前すら知らない。でも今なら、聞いても何も不自然じゃないだろう。
「すみません、下の名前を伺っても?」
「あ、うん。久世、透香です。」
「…透香さん。」
「赤葦くんの名前も教えて」
「京治です」
「ケイジくん?どういう字?」
透き通るような声で名前を呼ばれて、心臓が跳ね上がる。彼女に促されるまま小さい画面を覗き込み、自分の名前の漢字を伝える。俺も漢字を教えてもらって、正式に登録が完了した。アドレス帳に追加された”久世透香さん”の行を眺め、心が満たされていく。
「…えへ、じゃあ、また話そ」
「はい。是非。」
どちらともなくベンチから立ち上がり、その場で別れる。
じわり。じわり。
彼女と二人で話せたこと。
連絡先を交換できたこと。
少しづつ実感が湧いてきて、無意識に早歩きになる。
宿泊部屋に戻って就寝の準備をしていると、木兎さんが野生の勘で「アカーシなんか良いことあった?」なんて聞いてくるから、素直に「ありました」と言っておく。
布団の中で、もう一度アドレス帳を確認すると、そこには確かに”久世透香さん”の名前がある。
俺は携帯を両手で大切に包み込み、そのまま目を閉じた。