赤い糸40,075km

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黒尾くんに合格判定を貰った後、ウキウキでモップ掛けをする。マネージャーなんて自分にはできっこないと思っていたし、今も不安なことはまだまだたくさんあるけれど、みんなの手伝いができて、今日は楽しかった。元々は黒尾くんが誘ってくれたことだけど、多分黒尾くんが思ってるよりずっと私はやる気に満ちている。やらないならやらない。やるなら、とことんやる。昔からもっと肩の力を抜いた方がいいなんてよく言われてきたけれど、私にとってはこれが普通…というか、器用じゃないから中途半端な状態で居られないだけ。
ジャージのポケットの中でカサリと音を立てる4つ折りのルーズリーフ。そこには赤い文字がびっちり書き込まれていて、一番下には『分からないことは何でも黒尾くんに聞くこと。』という1行まである。何かに所属する度、真面目すぎると敬遠されてきた私にとって、この赤い文字の多さがどれほど有難く、嬉しいものだったか、黒尾くんはきっと半分くらいしか分かってないだろうな。

体育館の中央までモップ掛けを進めると、反対側から進めていた1年生達とかち合う。あ、モップ、私がしまうよ、と言いたいのだけれど上手く言葉が出ず、わたわたと身振り手振りで伝える。黒尾くんの幼馴染でありセッターの研磨くん、ウイングスパイカーでミステリアスボーイの福永くん(黒尾くん情報)もどうやら私と同じで口数が多くないようで、3人で無音のまま意思疎通を図ろうとしていると、黒尾くんが「なぁにやってんのお前ら」と駆け寄ってくる。

「モップ掛け終わった?」
3人「(コクリ)」
「じゃあ研磨と福永で片付け頼むわ」

黒尾くんがそう指示するので、差し出された福永くんの手にそっとモップを渡す。福永くんは軽く会釈をして、研磨くんと2人で倉庫の方へ向かって行った。結局一言も会話できてないけど、悪い人じゃなさそうだ。

「で、久世さんはこっちな」

私には別の仕事か!と視線を黒尾くんの方に向けると、差し出された手には小さな鍵が摘まれていた。黒尾くんはそれをチャリッと揺らしながら「女子棟の部室空いてるとこあったから、着替えとかはここ使って」と言う。
クールダウンもせずに体育館を出て行くかと思ったら、これを取りに行ってたのか。本当によく気の回る人だ。私は別に今後も適当な場所で着替えさせてもらえればいいと思っていたから、まさかこんな0日目から専用の部室を与えられるなんて考えてもみなかった。黒尾くんがちょこんと摘むその古っぽい鍵が、たまらなく尊いものに見える。私はつい感極まって、両手で黒尾くんの手を包む。

「…ありがとう…!」
「……」

ピシリと固まった黒尾くんに気付いて、サッッと血の気が引く。

なんてことを……!!

私は瞬時に手を退けて謝りながら距離を取る。黒尾くんはいや別に…と首の後ろを掻いているけど、絶対嫌だったよね、固まってたもんね。
「これ…」ともう一度腕を伸ばして鍵を渡そうとしてくれる黒尾くんから、やっとそれを受け取る。本当にごめんなさい、本当にごめんなさい。ブツブツと声に出して謝る私に、黒尾くんは「大丈夫だから…」と言ってくれる。彼は優しいからそう言ってくれるけど、絶対駄目だ。私は黒尾くんのことを好きな多くの女子の内の一人。マネージャーになるからって、別に何も特別じゃない。ちゃんと弁えなきゃ。私が固く決意している内に、黒尾くんは研磨くんと話し始めたようだった。「笑うな」「笑ってない」なんて言い合う様子は、確かに幼馴染特有の空気感があるように思えた。私は手の中の鍵をギュッと握りしめて、体育館の隅に置いた自分の荷物の元へ向かった。



────


翌日。夏休み初日。
昨日の帰り際に黒尾くんとメールアドレスを交換して、夏休みの予定を教えてもらった。
今日は午後からの練習だったけど、私は昨日与えてもらった部室の掃除がしたくて早めに学校に来ていた。
職員室から例の鍵を借り、部室を開ける。この部屋はしばらく使われていなかったようでところどころ埃っぽい。先生に借りてきた掃除機でその埃やゴミを吸い取っていく。今日からここを一人で使わせてもらうんだ、大切にしないと。雑巾で棚の上を拭いていると、携帯のランプが点滅しているのが視界の端に映る。パイプ椅子の上に置いていたそれをパカッと開くと、新着メール1件と表示されていた。カコカコと小気味良い音を立ててロックを解除し、メールを確認すると、なんとそれは黒尾くんからだった。

───────────────────
もう来てるだろ。
鍵にバボちゃん付けてやろーと思ったのに。
───────────────────

…黒尾くんも、もう来てるんだ。
携帯と同じようにパイプ椅子の上に置いた鍵に目をやる。それには事務的なタグが付けられているけど、確かに職員室で見た他の鍵にはそれぞれキーホルダーが付けられていたのを思い出す。黒尾くんはきっとこっそりバボちゃんを付けておいて私を驚かせようとしたんだな。彼らしいその考えに、一人でクスクス笑ってしまう。

───────────
部室の掃除してる。
バボちゃん後で見せて。
───────────

カコカコ…送信ボタンを押して、パタリと閉じる。なんだかちょっとくすぐったいな。まさか黒尾くんとメールするようになるなんて、1年前の私が聞いたらひっくり返りそうだ。
……って、よくないよくない。私は黒尾くんとお近付きになるためにバレー部に入るんじゃないんだから、こんな浮ついた気持ちで居るのは駄目だ。両手で頬をパンパンと叩いて気を引き締める。今日は入部届けを出して、正式にバレー部の一員になるその初日。きっと軽く挨拶もするだろうと思って昨夜考えたセリフを頭の中で繰り返す。大丈夫。何度も練習したんだから落ち着いて、ちゃんと自分の言葉で伝えるんだ。


黒尾くんが用意してくれた入部届けに名前を書いて、あれこれ準備しながら監督達が来るのを待つ。私がボールカゴを倉庫から引きずり出して来た時、黒尾くんの集合の合図がかかり、私は置いておいた入部届けを引っ掴んで大慌てでそこに集う。猫又監督は少しお話された後、つい、と私が持つ紙に目を向ける。

「おっ、やってくれるんだね」
「…!はい…!」
「挨拶するかい?」

はい…!とカラカラの喉で返事をする。来た。ついに来た。私は強ばる身体をどうにか歩かせて猫又監督の隣に立つ。みんなの方へ身体を向けるけど、緊張して入部届けを持つ手にギュッと力が力が入ってしまう。大丈夫、大丈夫、練習したことを、そのまま。深く息を吸い込んで、パッと顔を上げる。

「マッ、マネージャーとして入部します、2年の久世透香といいます。マネージャー経験はありませんが、皆さんがバレーに集中できるよう精一杯サポートしたいと思ってます。一日でも早く力になれるよう頑張りますので、ご指導ご鞭撻のほどよろしくお願いします!」

部員の皆さんにぺこッ!
監督、コーチにぺこーッ!と頭を下げる。
心臓が口から飛び出そうだけど、言い切った。
ゆっくりと頭を上げると、猫又監督が手を叩いて笑いだす。

「いやぁ、立派なもんだ。よろしく頼むね」

その柔らかい雰囲気にほっとしていると、黒尾くんが「じゃあ俺らからも改めて…」と前置きをして「よろしくお願いシァス!!」と大きな声で言う。それに続くように他のみんなも「シァス!!」と言ってくれて、私は「…あっ、あス…!」と返すので精一杯だった。



─────



早いものであれから一週間。

始めは私が本当にみんなの役に立てているのか不安だったけれど、ここのみんなはとても優しくて、ちょっとしたことでも「ありがとな」って言ってくれる。1年生達とはまだろくに話せていないけど、黒尾くんが「久世さんに任しちゃっていいから」と言ってくれたおかげで、“雑用どっちがやる問題”もだいぶ解消されてきた。

「お疲れ様です」
「サンキュー」
「助かる」

夏休み恒例だという走り込みから帰って来たみんなにドリンクとタオルを渡す。
みんなが外に行っている間、私は明日から始まる合同合宿の準備をしていた。とはいえ、何が必要なのか私にはよく分からなかったから、大体はコーチがやってくれたんだけど。体育館の壁際に並べられた荷物を見てソワソワしていると、まだ少し息の上がっている黒尾くんが隣りから話し掛けてくる。

「合宿…、楽しみだな」
「…うん」

黒尾くんの息の混じった声、タオルで拭いても何度も滴ってくる汗、じわりとした夏の湿度に乗って伝わってくる高い体温。
私はそれらをどうにか無視しながら平静を装って返事をする。やっぱり夏の黒尾くんに弱いな、私。少し俯いていると、心配した彼が「緊張する?」と聞いてくる。

「俺ら2年は去年も同じとこで同じ奴らと一緒にやってるし、なんかあったらいつでも黒尾くんに聞けよ」

黒尾くんは、私が彼を好きだということになんか全く気付かない様子で優しくしてくれる。安心すると同時に、彼の望むような“バレー仲間”でありたいと強く思う。私は自分の恋心を奥の方にギュッと押し込んで、どんなチームが居るのか、どんな選手が居るのか、どんな練習をするのか、リポーターさながらに質問を投げ掛ける。黒尾くんが楽しそうに笑って「よしよし、全部黒尾くんが教えてやろう」なんて言ってくれるから、結局この日私は恋心を押さえ付ける作業ばかりすることになった。


そしてついに合同合宿の日がやってきた。
コーチが運転してくれるバスに揺られること1時間と少し、合宿場所である森然高校に到着した。眠気眼を擦る1年生達と一緒に荷物を下ろしていると、やたらよく通る元気な声が聞こえてくる。

「ヘイヘーイ!来たな黒尾〜!」
「早速うるせーのが来た」

声のする方へ目を向けると、髪を逆立てたいかにも元気そうな男の子が黒尾くん目掛けて飛んできていた。そしてそのまま肩を組まれ、黒尾くんは体育館の方へ真っ直ぐ連れて行かれてしまう。私が勝手に心細くなっていると、夜久くんがくるりと振り返る。

「1年と久世は初めてだからな、何かあれば遠慮せず聞けよ」
「アザス!」
「宿泊所の方に荷物置いたらすぐ体育館に集合な」

海くんも優しく続けてくれて、1年生と一緒にコクコクと頷く。部長は黒尾くんだけど、2年生は3人ともみんなしっかりしていて保護者タイプだ。これなら黒尾くんが居ない状況でもどうにか生きていけそう、と少し安心しながら、荷物を持てるだけ持って移動する。


荷物を全て運び終えて、みんなよりずっと遅れて体育館に向かう。体育館の扉に手を掛けると、中からボールの弾む音とシューズの擦れる音が聞こえてくる。…ここを開ければ、知らない人がたくさん…。そう思うと緊張して、なかなか開くことができない。でも、慣れない環境なのはみんなも同じだし、そんな時に使えないマネージャーなんて居る意味ない。私は硬直する足を一度引っ叩いて、意を決してドアを開けた。
そこには、想像通りに知らない人達がいっぱい居て、一歩後ずさる。大体の人が自身のアップに集中しているけれど、中にはドアを開けた私を二度見してくる人も居る。ヒィ。私が身を縮めていると、少し遠くから「おーい、こっち」と呼ぶ声がする。見ると黒尾くんが手を上げてくれていて、慌ててそちらに駆け寄る。

「置いてって悪かったな。大丈夫か?」

必死に頷く。
別に黒尾くんがずっと私の面倒を見る必要なんてないんだけど、人見知りにこの環境はなかなか厳しくて、その優しさについ甘えてしまう。

「対戦表とか確認しといてもらえると助かる」
「分かった」

昨日黒尾くんから聞いた通り、各校でアップをした後はひたすら短いゲームを繰り返すようだ。私はみんながアップしている中、ノートにメモを取る。マネージャーモードになって集中してしまえば、知らない人がたくさん居る環境でも何とかなりそうな気がしてきた。要は考える隙を与えなければいいんだ。とにかく今日もマネージャーとしてできる仕事を全うする。私にできるのはそれだけだ。


何度か休憩を挟みつつ、あっという間に初日の全体練習が終了する。緊張を振り払うように仕事に集中しつつ、他校の選手のプレーも盗み見ていたけれど、どこの学校もなかなか良い選手が揃っている。特に今朝黒尾くんに話しかけていた梟谷の彼のプレーは、見ていてとても気持ちが良かった。
しかし慣れない環境や夏の暑さ、長時間の練習で、ただのマネージャーの私ですらなかなかの疲労感に襲われていた。みんなはもっとずっと疲れているはずだから、駆け足で本日最後のドリンク配りをする。研磨くんなんかはもう床に伸びてしまっていて、心配して様子を伺っていると黒尾くんが「置いといていい」と促してくれるから、そっと近くにドリンクを置いておいた。

「この後は、自主練する人はする…んだよね?」
「まぁな、でも俺も今日は疲れ───」
「黒尾ー!」

疲れた様子の黒尾くんが言い終わる前に、梟谷の例の彼がガッチリ肩を組んでくる。黒尾くんは心底面倒臭そうな態度を取っているけど、それが本心でないことは私にも分かるし、梟谷の彼も分かっているようだ。別の体育館に移動して自主練しようという話の流れになっているのを聞いて、一応、声を掛けてみる。

「…手伝えること、ある?」

すると、二人は目を丸くしてこちらを見る。多分黒尾くんは「お前ももう疲れてるだろ」って意味合いで、自主練習にまで付いてこようとする私に驚いているんだと思う。梟谷の彼は、正直何を考えているか分からない。お調子者なのかと思っていたが、今はその黄金色の瞳で私を見定めるようにじっと観察している。その眼差しにはどこか恐ろしい迫力があると同時に、人を惹き付ける何かがあるようにも感じた。

「自主練、手伝ってくれんの?」
「手伝えることがあるなら」
「いくらでもある!!マジかー!じゃあ行こうぜ!赤葦も早く来いよー!!」

不思議と、彼に対しては人見知りが発動しない。彼のプレーに関心が高いというのもあるけど、それだけじゃなく人として。上辺で取り繕ったりしないような雰囲気が、私には逆に心地良い。
3人で歩き出すと、梟谷の彼に肩を組まれたままの黒尾くんが意外そうな顔をしてこちらを見てくる。また心配してくれているだろう彼に、私はとりあえず自主練習も手伝えることが嬉しいという意味を込めて笑顔を見せておく。黒尾くんも納得してくれたようで、梟谷の彼の話に適当な相槌を打ち始めた。






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