赤い糸40,075km
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やぁみんな、こんばんは☆ 僕は黒尾鉄朗、28歳。どこにでもいるごく普通の成人男性だ。隣に居るのは僕の最愛の彼女、久世透香さん。そりゃもう超ウルトラスーパーハイパー最高最高可愛い恋人だ。高校生の時から片想いしてて、10年の音信不通を経て再会。そこから色々とすったもんだあった末に、ようやく、お付き合いするに至った。僕らは結婚も見据えて交際中で、今はまだ2ヶ月とちょっと経ったくらい。僕の愛は変わらず…どころか、一層強く燃え盛っているし、愛しの彼女も結構…結構、ラブが漏れ出ている。すっげぇ可愛い。でも僕らは清いお付き合いをするという約束をしている☆*。だからこうして僕の部屋で二人きり、密着して、イチャイチャラブラブしていたとしても、これ以上、というのは存在しないんだ☆*。………いやいや、何も問題はないさ☆僕は彼女の嫌がることは決してしない☆こうして信頼して身を寄せてくれる今を、壊したくないんだ☆*。
右腕が、透香の柔肌に包まれる。
夏が来て、恒温動物である人間の纏う服の面積は減った。肘から下、肌が直接ぴったりとくっついて、手のひらを指でつつ…と撫でられる。足もくっついてるし、肩に預けられた頭も、たまにすりすりと押し付けられて、その温かな重みと、微かに届く香りで、どうにかなりそうになる。
────・・・。
助けろ!!!!!
無理。ほんと無理。限界近い。
付き合ってから、俺はひらすらデレデレになっていた。だって好きで好きでしょうがない相手が、同じように好きでいてくれてるんだ。もう何も隠す必要もないし、愛なんかいくら注いだっていいだろ。…でも、気付いた。
俺がデレると、透香がデレてくれない。
由々しい。由々しすぎる。
付き合う前とかはちょっと積極的なとこもあったはずなのに、最近は照れ隠しで拒否されてばっかりだ。その差は何かと考えた結果、俺のデレ具合だという結論に至った。つまり、俺がデレるのを我慢すれば、透香は自ら寄ってきてくれるんじゃないか?なんか猫でも預かってるみたいだな…と思いつつ、実行。そしたら効果てきめん。じっと観察してきて、つんつん、つんつん。安心したら、ごろにゃあ。……可愛すぎる。しんどすぎる。癖になって、それから度々こうして隙を作っては彼女から寄ってくるのを待つ。そして今日も、すりすり〜、ゴロゴロ〜、と、大変ご満悦な様子で甘えてきてくれる。…どうしてくれようか、この罪な生き物。
特に手をいじいじするのが好きらしく、指の間をする〜っと撫でられる。そのこそばゆい感覚が、背筋まで伝ってくる。…これ、これさぁ。……ん゙んっ。これ、みんなはどう思うカナ?✧︎*. 僕は……、普通にエロいと思うんスけど。
「アイス買ってあるけど食う?」
「! いいの?」
雰囲気が危うくなる前に、ちゅ〜るでも出してやるか。冷凍庫を開けに向かえば、透香もててて…と付いてくる。…何をしても、可愛い。…ハッ、まずいまずい。そういうのを払拭するためにおやつタイムにしたのに。せっかく付いてきてくれたけど、アイスは一種類しか買ってない。カップのアイスクリームを二つ取り出して、ローテーブルの前に戻る。危ないから、定位置…机を挟んで向かいに腰を下ろした。
「塩バニラ!美味しそう」
「とりあえず期間限定買っときゃ間違いねぇかなってさ」
「間違いないね」
美味しい美味しいって言って、アイスに無邪気に喜ぶ姿を見ていると、ちょっと落ち着いてくる。よく食べる子猫ちゃん。いい子だなぁ。最近この人のためにアイスとかデザートとかよく買うようになったけど、本当になんでも美味そうに食うよな。今日は夏の限定フレーバー、塩バニラ。さっぱりしてて、俺も結構好みかも。
俺達が再会したのは、昨年の秋。そこから冬を越え、春が過ぎ、半袖の季節になった。正面に座る透香も半袖のブラウスを着ていて、その露出された腕につい視線が奪われる。肘の内側、袖から覗く白い二の腕。広めに開いた袖から、もっと奥が見えないものかと凝視してしまう。「ん?」と彼女が首を傾げるのを見て、我に帰る。本当にそろそろ危ない。気を抜くと、つい、煩悩に塗れてしまう。
「眠い?」
「いんや?ちょっと、ぼーっとしてた」
透香は「そっか」と言って、再びアイスに集中する。スプーンですくわれた白いアイスクリームが、彼女の小さい口に運ばれていく。ほんの一瞬その中が見えて、すぐに閉じられる。そしてつるりと唇の間を滑り、スプーンが取り出される。
告白した時、勢い余ってしてしまったキスを思い出す。
この人の唇に触れたのは、あれが最初で最後だ。
「性交渉はできません」
それを提示するのには、一体どれくらいの勇気が要ったのだろう。
衝撃だった。そんな身を削るような言葉を簡素なExcelの表に並べて、それでもいいのかとYES/NOを迫る、その姿勢が。どれだけ真剣に、どれだけ等身大で向き合ってくれているのか、それを想うと背筋が伸びた。身体目的だなんて一秒たりとも思わせたくなくて、その時は大したリアクションも取らなかったはずだ。でも今思えば、どうしてできないと言うのか、その理由くらいは聞けば良かったなと思う。……いや、例え今からあの場面に戻れたとして、俺は聞かない。聞けない。そういうことを求めている姿勢を少しでも見せて、もしそれで気持ち悪いなんて思われたら。…そもそも、キスしてしまったのは大丈夫だったんだろうか?とか、とにかく、この人の許容範囲からはみ出るのが怖かった。どんな条件を突き付けられたって、透香が俺を好きだと言ってくれるなら、それ以外、何も求めない。
──なぁんて思ってたし、その気持ちは今も変わっちゃいないけどさ。
いつか、理由を聞かせてもらえるようになるんだろうか。もしそれが時間や信頼関係で改善できるものだったなら、いつか、この人に触れられるんだろうか。…そんなことを考えてる時点で、この人の範囲外だったらどうしよう。嫌われたくない。でもこんなにも愛されているのが分かると、もっと欲張っていいんじゃないかって思ってしまう。もう、頭で考えるとかじゃなく、無意識に、近付きたくなってしまう。
まだ駄目だ。
できればもっと信頼を勝ち得て、もっと深みに嵌らせて、そう簡単に逃げられないくらい囲い込んで、この人は居なくならないという安心感を持った上で、ゆっくり踏み込みたい。
だからまだ、まだ、我慢だ。
我慢なら、昔から得意なはずだろ。
アイスを食い終わった透香は、ソファに座り直した。そして溶けそうなくらい優しい瞳で俺を見て、自分の隣をポンポンと叩く。それは、俺が彼女を呼ぶ時によくやることだ。他の誰でもなく、この俺が徹底的に甘やかしているので、透香の甘えスキルはメキメキと上達している。今も、俺がすぐ隣に来てくれると信じて疑っていない。あーーーーーー。もう。可愛いな。くそ。抗うとか無理で、よろりと立ち上がれば「えへへ、」なんて可愛い照れ笑いが聞こえてくる。
「鉄くんとのイチャイチャをご所望?」
「ううん。黒尾はじっとしてて」
「んも〜、わがままなんだから」
ちょっとでもふざけてないと均衡が保てそうになくて、テキトーに喋る。すると透香は「わがまま……」と悩み始めてしまうから、慌てて「い〜よ、俺のことは好きにして」と言いながら隣に座る。ここまで育てた甘えスキルを振り出しに戻すわけにはいかない。一度考え直させてしまったら、もう二度とこうしてイチャイチャしてくれない可能性がある。それだけは絶対に嫌で、「ほら、」なんて言って彼女の手を握る。俺より少しだけ温度の低い、滑らかで、柔らかい手。……我慢我慢我慢。耐え抜いた者にだけ、猫チャンは心の底から懐いてくれるんだ。
「……好きにしていいの?」
「、やだぁ、ちょっとぉ、何する気ぃ?どうせ子猫チャンの戯れだろ」
「うん…、多分」
っはぁぁ…!
口から出任せが出るタイプで良かったーー!!
思ってない!思ってないヨォ!ぜーんぜん、子猫チャンの戯れとは思えてないデス!普通にしっかりがっつり好きな女性との接触だと思ってますゥ〜!!ってかほんと何する気?!多分って何?!無理無理無理無理。やべぇ、うっかりまた地獄に返り咲いちゃったけど、止めるタイミング探らねぇと。透香はまたしても俺の手の構造でも調べるかのようにすりすりと触れてきて、それに反応しそうになるのを誤魔化すように、ぎゅっと握りこんでみる。それすらも「んふふ」って楽しそうにされたら、もう降参なんだけど。俺が育てた世界一可愛い彼女が、俺を殺しにくる。
───いや、待て…落ち着け。
意識を逸らそう。
俺の右手で遊んでるのは本当に子猫チャンだと思おう。そして俺は適当な番組を流しているテレビにでも集中して、猫が飽きるまで手を貸しておいてやろう。…うん。これが我慢というものだし、これが愛する人を大事にするということだ。…ウン。
全身全霊で、テレビから与えられる情報に食らいつく。業務スーパーの隠れた名品。その商品名、アレンジレシピ、完全に記憶した。さぁ次も来い。どんどん来い。オラ急げ早く。
そんな逃避をしていたら、透香の指先が俺の肩から鎖骨へと進んでくるのを感じる。
おおおおおおおお。
おおおおおおおおおおおお。
すすす…、つつつ…。その優しい触れ方が、酷く扇情的に思えてしまう。肩とか鎖骨って、別に全然エロい部位ではないよな?ウン、ないない。透香には絶対にそんなつもりはないし、きっと人体模型か骨格標本だと思ってるんだろう。ウンウン。えーと、次の商品は?なになに?ライスペーパー?うめぇのかそれは?普通に米食え米。俺が一生懸命脳内でテレビに文句を垂れてると、透香の指がつー、と首の真ん中を上がってくる。…………おい。おいよいよいよい。つい喉が鳴ってしまって、直接喉仏に触れている透香が「っふふ、」と笑う。いや「ふふ」じゃねぇ〜〜〜〜〜!!!!!!ハァ?!?!いい加減死ぬわ!!だっ…!から、喉を、すりすり、すな……!!!!
もう、止める。
これ以上はまずい。
でも今このままの勢いで止めたら、それはそれでよくない雰囲気になりそうな気もするから、ちょ、ちょっと待ってくれ、心頭滅却アーーンド深呼吸をさせてくれ。ちゃんと理知的で紳士的にストップを掛けさせてくれ。
なになに?ライスペーパーは食物繊維が豊富?へぇ〜、あそう。あっ生春巻きとかね?確かに、野菜包んで食えんのはいいかもな、うん。うん。よし…よし。
相変わらず喉とか顔の輪郭さわさわされてっけど、俺最強なので、とりあえず鎮めたわ。またデコピンしたり、髪をわしゃわしゃしたりして、制止すると同時に雰囲気を変えよう。そう思って彼女の方を向こうとした時───
「ぁむ、」
右耳に、ほぼゼロ距離で聞こえる彼女の吐息混じりの声。温かく、湿ったものに包まれる感覚。
こり、と軟骨を食まれたところで、どこかで何かがブチッと千切れた。
デコピンでもしてやろうと伸ばした左手は、彼女の肩を押し、そのまま倒して押さえ付けている。「こ〜ら、ちょっとおいたが過ぎるんでない?」って軽口を言うつもりの口は、何故か何も言葉を発さず、彼女の唇に噛み付いた。
「ん゙っ、んぅ…!」
くぐもった声がすぐ下から聞こえてきて、脳みそがドロドロと溶け出していく。肩を跳ねさせ、身を捩らせ、彼女が示す反応全てを追い掛ける。なかなか口を開いてくれなくて、一旦首筋に吸い付いてみると、「っは、ぅ、」と狙い通りに口を開けてくれる。それを親指で押えて、閉じられてしまう前に舌を捩じ込む。逃げ惑う小さな舌を追いかけ回して、歯列をなぞって、顎の力が抜けたら、また唇を食んで、また口の中を味わって。彼女の舌のざらつき、唾液、ずっと感じたかったもの。自分の体重を支えてない方の腕で、彼女のウエスト、腰、お尻のラインを撫で回す。男にはないその曲線、丸み、柔らかさが病みつきになる。もっと触れたい。もっと欲しい。もっと全部受け入れてほしい。深いキスを続けながら、ブラウスをズボンから引っ張り出す。とりあえずインナーの上から、ビクビクと震えて浮く背中に手を這わせていく。肩甲骨の辺り、あると想定した引っ掛かりがない。あー、なんだっけ、インナーと一体型のやつか。なんかCMでやってるやつ。熱くて仕方ない身体とは裏腹に、冷たい思考がどこかで動いている。……透香は、抵抗していない。一体どんな顔をしているのか、見たい。離れる前にもう一度、わざと音を立てるように唇を吸って、顔を離す。上体を起こして、見下ろした彼女の表情は───
蕩けきってはいるものの、俺の方を、見てもいなかった。
どこか空虚を見上げて、不規則に瞬きを繰り返している。
───…抵抗しなかったんじゃなくて、何をされているのかすら、理解できてなかった……?
突然冷たい水でも被ったかのように血の気が引いて、乗り上げていたソファから崩れるように降り、床に膝を着く。
「ごっ…!ごめん!…ごめん!俺っ…!…、ごめん……!!」
すぐには反応が返ってこなくて、怖くなって「透香…、」と呼び掛けると、彼女はゆっくり、ゆっくりと身体を起こす。乱れた髪も衣服も直さず、ただぼんやりとしていて、何を考えているのか掴めない。さっきまで潤っていた喉はあっという間に乾涸びて、声を出すのも息を吸うのもままならなくなる。止めどなく冷や汗が溢れ出てきて、震えが止まらない。
「…ごめん、ごめん…、っ透香、…俺…」
「………かえって…、かんがえう……」
無様に謝罪を繰り返していると、透香は立ち上がり、「帰る」と言う。もう死ぬんじゃないかってくらい心臓が傷んで、今にも泣き出しそうなくらい錯乱しているのが自分で分かる。机の横に置いていたカバンを彼女が持ち上げるのを見て、酷く焦燥する。嫌だ、待って、帰らないで。
「っなぁ、ごめん、俺っ、もう、二度としないから、絶対、約束するから、」
ずりずりと膝を擦って彼女に近付き、引き留める。その手を握っていいのか分からずカバンを掴むと、透香がゆっくり振り返る。怖い。彼女には、俺が一体どう見えているんだろう。気持ち悪いと思われた?怖いと思われた?……嫌われた?───嫌だ。嫌だ嫌だ。どんな罰でも受けるから、どうか見限らないでくれ。縋り付く俺に、透香は「うん?」と耳を貸してくれる。その声は、まるで眠け眼を擦る子供のようだ。なんて言ったらいいのか分からず、言葉を探して口をはくはくと動かしながら彼女の顔を見上げていると、す、と手が伸びてくる。
わしゃわしゃわしゃわしゃ。
彼女の手が、少し乱暴に俺の頭を撫でた。
「だいじょうぶ、」
そう言ってもうひと撫でして、透香はついに背を向ける。「っま、待って、」と情けなさの最大値みたいな声を漏らしてもう一度引き留めようとするけど、身体を上手く動かすこともままならず、追い付けない。そして彼女は、「また、こんどね、」と言って、本当に帰ってしまった。
玄関の重たい扉が、バタンと閉まる。
あ
あ あ
あああああああああああああ
あああああああああ嫌だぁぁあ。なんで、なんで、こんなことに。大丈夫、とは言ってた。また今度、とも言ってくれた。でも、どう見ても透香はまだ何も理解できていなさそうだった。じゃあ理解しちゃったら?帰って、考えて、俺のこと嫌になっちゃう?キモいって、怖いって、約束を破るような奴とは一緒に居られないって、思われる?
───フラれる?
涙腺が開いて、よーいドンで涙が流れてくる。廊下から玄関を眺めて、一人、床に片手を着いた変な体勢のまま、泣く。こんな大号泣すんのはいつぶりだろう。なんなら、生まれて初めてかも知れない。
嫌だ。別れたくない。せっかく、…せっっかく、俺 の こ と 好 き に な っ て く れ た の に … !
普段泣くことなんかないから、もう本当にどうしたらいいのか分からなくて、その場で暫く泣いた。その後一応風呂入ったりとかやらなきゃいけないことはしたけど、でもすぐに涙と鼻水が垂れてくる。不安で眠れなくて、研磨に「フラれるかも」って連絡したら、「草」とだけ返ってくる。酷い。もっと優しくしてくれ。でも研磨の中では俺がフラれる可能性は極めて低く見積もられているようで、そんないつも通りの塩対応でさえ、今は少し有り難かった。
───────────────────
やぁみんな、こんばんは。
僕は黒尾鉄朗、28歳。
クズだ。
僕には恋人が居る。
高校生の時から片想いしてて、10年の音信不通を経て再会。そこから本当に色んなことがあって、ようやく交際に至った。彼女は元々恋愛にはあまり関心がないタイプで、だからこそ俺のことを好きになってくれたのは本当に奇跡みたいなことだ。
それなのに。
それなのに俺は、その気持ちに泥を塗った。一時の衝動に任せて、彼女が身を削って提示してくれた約束を破った。
最低男。
クズ。
ゴミ。
えー、みなさんに前回挨拶してから3日経ちました。あれから、透香さんとは連絡を取っていません。3日連絡しないなんて別に珍しいことではなくて、もしかしたら彼女の方は気にもしていないかも知れない。でも、それと同じ確率で、明確な意志を持って連絡を途絶えさせている可能性もある。それは、確かめるまで分からない。さすがに今日こそは、何かしらの連絡を取らねば。ベッドに腰掛け、スマートフォンを眺める。寝不足のせいか、頭がずしりと重たい。…いつ、どこに誘おう。どうしよう。
◯> 次の土曜空いてる?ランチとかどうですか
20分ほど悩んで、やっと連絡を入れる。
明るい時間帯を指定し、開放感があって爽やかな雰囲気の飲食店を3つほどピックアップした。……怖い。えっこれ、返事来ない…とか、あったりすんのかな。姿勢をガチガチに固めたまま待っていると、ものの数分で返信が届く。
◯< 空いてます
◯< 美味しそう
◯< ピザが一押し オムライスも捨て難いです
あ
あぁ〜〜〜〜〜〜〜〜………
返事が来て、それが普段通りなテンションであることに酷く安堵する。天井を仰いだ勢いのままベッドに倒れ込み、もう一度トーク画面をしっかりと確認する。まだ絶対とは言えないけど、かなり大丈夫寄りだ、これは。アッほらお腹ぺこぺこってスタンプも来たし、だ、大丈夫そう。多分……8割……7割くらい。大丈夫な可能性のが高い。…良かった。手際よく彼女一押しのイタリアンを予約して再度連絡すると、またお腹ぺこぺこスタンプが返ってくる。さっきとは、ちょっと違うニュアンス。スタンプに触れてラインナップを見てみると、空腹状態だけで15パターンのパッケージらしい。…なんだそれ。でもそれも透香らしいな、と思って自然と笑みがこぼれる。とりあえず今夜は、幾分か安心して眠れそうだ。
そして、土曜。
駅で合流して、少し歩いて店に向かう。ピザがメインの、結構本格的なイタリアン。こういうとこって照明が暗めだったり、ちょっと個室感があったりするとこが多いけど、ここはめっちゃ開放的。店の正面はガラス張りになっていて外の光が入るし、内装もどちらかと言えばポップな感じだ。いやらしさ、ゼロ。「どれにしよっかな〜」とメニューを眺める彼女からも、警戒は感じられない…と、思う。その小指には今日も俺が贈った指輪を付けてくれているし、俺の命は繋がっている…はずだ。
この店ではピザはシェアするってより一人一枚頼むのが普通っぽかったから、俺はペスカトーレ、透香はハラペーニョを注文した。
「んな辛いの食えんの?」
「辛いのも…好き…」
じゅるりとよだれを飲み込みながら、注文した後もメニューを食い入るように見る彼女は、いつも通りの彼女に見える。ただ、時間が経つにつれ、目が合わないのが偶然じゃなさそうだと気付いてしまう。美味しい、辛い、美味しいって食べ進める姿はいつも通り。でも、俺が話す時、若干、視線を向ける先に迷っているような感じがする。それなりに会話も弾むし、食事自体には大大大満足してくれてるけど、この人と目が合わないってのは、結構異変だ。たまにヤメテッて思うほど瞳の奥を探ってくる人だから、意図的に見ないようにしているとしか思えない。
やっぱり嫌われた?
怖がらせた?
楽しく食事して、笑顔のまま「今までありがとう、さようなら」とか言われる?
・・・やだぁ〜…。
「ほんっっとに美味しかった…!このお店覚えとこ〜」
そこはまた“俺と”来たいって言ってくれ〜…と思いつつ、俺も「美味かったな〜」しか言えない。この人相手だとマジでチキンすぎて嫌になる。
とりあえず会計して、店を出て……、さて、どうしたものか。いつもなら透香がすぐに「じゃあ帰る?他に何か用ある?」って言い出すタイミングだ。でも今日は言ってこない。なんか、ソワソワしてるようにも見える。それってどういう意味のソワソワ?別れ話するタイミング窺ってる?それとも、照れてるだけ?このまま帰すのは怖くて、とりあえず近くの商業施設でも入るか?と誘導する。透香も「あ、うん」と若干目を泳がせつつ乗ってくれた。
適当に本屋に行ったり、雑貨を見たり。ショッピングデートも概ね順調……ではあるんだけど、やっぱりどこかぎこちない。それは踏み込むことを恐れてる俺のせいでもあるんだろうけど、透香もやっぱり、どこかよそよそしい。怖い。つらい。
ちゃんと話さないと、駄目だ。
このままなぁなぁにして、実はすれ違ってました〜ってことにはしたくない。
「あー…のさ、」
「うん?」
カプセルトイのコーナーを眺める彼女に声を掛ける。あの日の話は、こんな所ではできない。人目を憚る内容だ。つまり、出来るだけ人目を避けて…可能なら、二人きりで話すべきことだと思う。でもそれを俺から言ってしまうと、怖がらせてしまうかも知れない。
「この前のこと……、やっぱ、ちゃんと話した方がいいかなと思ってんだけどさ…」
「あっ、うん…!うん……、私も、話したくて…。えっと、うち来る?それか、また黒尾の部屋行っていい?」
ごにゃごにゃと言い淀んでいると、意外にも食い気味な反応が返ってくる。しかも「特に買いたい物ないなら、もう、行こ」なんて言ってる。ヒェッ。えっ大丈夫寄り…だよな?テンション感的に、やっぱ7割は大丈夫だよなコレ? ここからなら俺の部屋のが近いから、「じゃあ…、来ますか、ウチ」と聞いてみると、「来ます!」と目を見て言ってくれる。あっ、でも逸らされた。どうする?意気揚々と別れ話されたら。3割の絶望が怖くて仕方ないけど、まずはしっかり謝って、身体目的じゃないってことを改めて主張したい。何も買わず商業施設を後にし、電車に乗って俺の部屋へと向かった。
ちょっと緊張しつつ部屋に招き入れると、透香は当たり前みたいにソファに座った。
ワオ。
だ、大丈夫なのか、そこ、まさに事件現場だけど。
俺が距離を置いて床に正座すると、それを見た彼女は「あっ…」と空気を読んで同じように床に座った。同じ目線でちゃんと向き合って、話し合う体制が整う。
「…先日は、本っ当にすみませんでした」
膝の前で手を付き、そこに額を寄せる。
俺が土下座したことに驚いた彼女の「えっえっ」という困惑した声が聞こえるけど、まずは俺の言い分を聞いてほしい。顔を上げて、姿勢を正す。ちゃんと目を見て話そうと思ったけど、やっぱり俺には向いてなくて、視線を床に落としたまま話す。プラトニックという約束に不満があった訳じゃないこと。でも破ってしまって、不甲斐なくて申し訳ない気持ちでいっぱいなこと。今後については、二度と同じ過ちを犯さないように対策するつもりであるということ。
「怖かったとか…、嫌だったとか、色々あると思う。本当にごめん。いくらでもぶん殴ってくれていいので……その…、別れたく…ない、です」
フラれる可能性は低そうだということは分かってる。でも締めの言葉が見付からず、そこに不安が入り込んで、つい、言ってしまった。視線を上げてみると、彼女はぽか〜〜んとしている。ポカーンの絵文字かってくらい、ぽか〜〜〜んとしている。そのまま数秒静寂が流れ、そして、再起動がかかる。
「っそ…!そんなに悩んでたの……?!」
「えっご、ごめんね、全然気付いてなかった…!あれっ、でも、私帰る前に大丈夫〜って言わなかったっけ?あれ??」
「………チミの大丈夫〜は全くアテにならんのよ……」
透香は「そ、そんな…何故…」と言いながら膝で歩いて距離を縮め、両手を伸ばして、俺の頭をわしわし、頬をもにもにと撫でてくれる。…これは、俺がよくやる安全なコミュニケーション。まさかと思ったらやっぱり、彼女は額にキスをしてくれた。俺が普段していることが、こうして彼女の中に確かに刻まれていると思うと、たまらなくなる。
「えっと…、怖かったも嫌だったも特になかったです…ので、ご安心…ください…?」
「……ま、まじで?本当に?」
「ほんとうに!」
触れてくれて、ハッキリと嫌じゃなかったと言ってもらえて、全身の力が抜けていく。大きく息を吐くと、身体が重量に負けて床に寄り添った。
良かった。
……良かったぁ〜〜……。
いのち、つながったぁ〜〜……。
俺がローテーブルの脚を見詰めながら世界に感謝していると、「む、むしろね、」と透香が話を続ける。──“むしろ”?!…むしろなに?!自分に都合のいい話が聞けるんじゃないかと勝手に期待して飛び起きる。再び向かい合った彼女の頬は微かに上気していて、恥ずかしそうに指先を遊ばせるその様子に脳みそをぶん殴られる。え゙っ。なになに。なんでそんな可愛いの。透香はひとしきりもじもじして言い淀んだ後、やっとその可愛い声を聞かせてくれる。
「……毎日…思い出しちゃうんだけど……、これは、普通……?変なこと…?」
K.O.
Knock Out の略。
カンカンカンカンカンと敗北を報せるゴングが脳内に響き渡る。
再びぶっ倒れた俺に、透香が慌てているのが分かる。
・・・・・毎日、思い出す・・・?
こないだの、アレを?
毎日、思い出してんの?
この人が??
こんな顔で???
死。
どうやら、俺がフラれるかもってメソメソ泣いていた間、この人は俺の予想と正反対の方向に向かっていたらしい。嫌じゃなかった、むしろ、毎日思い出す……。透香の発言を脳内再生すると、身体の芯が発火するように熱くなる。あーーやべやべやべやべ良くない良くない。脛の辺りをつんつんされて、彼女の「質問に…、答えて…」というちょっと不安そうな声が聞こえてまた飛び起きる。俺の腹筋は大忙しだ。
「えっと……、ごめん、なんだっけ?」
「変なのか、変じゃないのか…」
「あぁ…」
アレを毎日思い出しちゃう自分は変なのか、と……。
変な訳あるか!!そんな有り難ぇことねぇわ!!それを変だっつうなら透香に会う度煩悩まみれになってた俺はとんだ変態だわ!!…と捲し立てることはせず、努めて冷静に変じゃないと思うと伝えると、透香は安心したように微笑んだ。
「あ、…あのね」
「うん?なぁに」
安心した彼女は、今度はウキウキワクワクと目を輝かせている。おやおや、どうしたんだい?可愛いな。その様子を見て、今日ソワソワしていたのも、全部全部良い方の意味だったんだなと確信する。明らかに良い報せ!って感じで透香が告げたのは
「性交渉はできませんー!って書いてたやつ、アレ、もう気にしなくていいよ!」
・・・・・、、
・・・・ほょ・・・・・・???
な にを 言って いる… … ?
もじもじと指先を遊ばせて、えへへと照れ笑って……
ほえぇ………???
「ああいう感じなんだったら、私にもできそうだなぁって。だからね、もしまたそういうタイミングがあったら我慢しなくていいし、謝んなくても大丈夫だよ!」
親指を立てて、グーサイン。
それをただ見詰める、俺。
・・・・・。
「っいや、待て待て待て待て待て待て…!!…はぁ?!??あ?!?!?」
やっと彼女の言っていることを理解し、それと同時に再び困惑する。
なんで「できません」が突然「いつでもOK(グーサイン)」になるんだよ。そういうのってもっとこう…段階的に解放されてくもんなんじゃねぇの??透香の顔色を見てみても、「あれ?黒尾はなんで混乱してるのかな?私良いこと言ったのにな〜」みたいな顔してて、マジで意味が分からない。いや嬉しいよ?そりゃ、許されるなら、嬉しいけどさ。生唾飲んじゃうけどさ。混乱している俺の手を、彼女が優しく掴む。そして、「いつそういうタイミングになるのか分からないけど、なんなら、今日する?」と言いながら、俺の手を、彼女の胸に、宛てがった。
・・・。
「キャーーーーーーーーッ!!!!」
「ぅわあ〜〜っ?!?!」
なんっ なっ だっ はっ?!◎$♪×△¥●&?#$!?!??
自分の胸元へと引き戻した右手をぎゅっと抱き締める。むにってされた…!!むにってした…!!ヒィィィ…!!俺が手のひらに残る感触に打ち震えている間も、透香は「あれ?」って顔してる。もうなんなのこの子!!俺を殺すために生まれてきたのォ?!
「 し な い !!!!!」
「あ、そうなの?」
たとえ許可済みだったとしても、襲ったことを謝罪した日の内にまた手を出すのは俺の美学に反する。絶対しない。今日は絶対しない。今日ってか……え??あれぇ??なんだっけ??脳がやられすぎていて、タイムアウト!タイムアウト!!と叫んで、一旦空気を破壊する。無心でコーヒーを淹れ、その香りで少しずつ落ち着きを取り戻す。俺はブラックのまま、透香の分には牛乳も入れて、ローテーブルを挟んで座る。そして無言のまま、とりあえずコーヒーを飲む。その苦味で、混乱を極めた思考も段々とクリアになっていく。
「………さて、透香サン…」
「はい…黒尾サン…」
「チミは一体何故急に……えー、…できます、になったのカナ?」
落ち着いて聴取を行ったところ、まず、できないと宣言していたのには、トラウマがあるとか、そういった根深い原因がある訳ではなかったらしい。できればしたくないな〜と思っていたら俺が即OKしたから、俺の方にもそういった欲はないんだ、と、思っていたらしい。……マジか。そんなふわふわな感じでお預けくらってたのか俺。あるだろ普通に。欲なんて。男だぞ。…いや、この人は男を知らないのか…。……………。そんで前回のことがあって、俺にも欲があるって分かって、考え直して、嫌じゃなかったし、イケそう…!(キラキラ)と、思ったんだとか。
……これ、いいのか?本当に大丈夫か?本当にそんな軽い感じで「できない」って言ってたのか?彼女の顔色を窺っても、自分、いつでもイケます!みたいな、監督にアピールする控え選手みたいな顔をしていて、真意は読めない。
…いや、でも、こんな風に言ってくれてるのに、こっちがウジウジすんのも違ぇか?透香が許してくれるなら、しかも乗り気なら、俺は当然…したい。喉から手が出るほど欲しいと思ってる。だから……そうだな、この人の気持ちを無碍にはせず、でも今後もちゃんとこの人のペースに合わせて、ゆっくり、進んで行けたらいいんじゃねぇのかな。
「……分かった。ありがとう。…でもな、こないだみたいなのは、良くねぇことなんだよ、本当に。あんな、お前の意思も確認せず無理矢理…なんてのは、本当に最低だ。だから今後は、ちゃんと透香のペースで…」
「あ、それは嫌」
?
「それは嫌」
…?
「黒尾ならそう言うかもって思ったけど、それは嫌。私ができそう!と思ったのはあくまでこの間みたいなやつ。最低じゃないから、大丈夫だよ」
「…は、はいぃ???」
エッ どゆことどゆとこ??
俺今めちゃくちゃ誠実な最適解出したよな??それが…嫌?嫌って三回くらい言わなかった??やる気満々の控えセッターを起用しようとしたら、「いやいや監督、自分はピンサで入りたいんすけど」って断られるみたいな謎展開が起こっている。目を白黒させる俺に、透香は「どうせ私の心の準備ができたら〜と言うんでしょ」とか言ってる。当たり前だろ。当たり前すぎんだろ。心の準備もできてない恋人に手ぇ出すなんて最低だろ。そうだよこの間の俺だよ!!
「それが出来る気がしないんだよね。今度こそより真剣に現実的に考えたんだけど、やっぱり無理そう。でもこの間みたいに何が何だか分からないまま事が進むなら大丈夫!だからアレでお願いします」
キリッと言い切られても……。
あ…頭が痛い……。
事が進む…って……言い方ァ………。
え?つまりなに?
結局この人の中で「できない」と思っていたのは何ら解消されていなくて、ただ俺が彼女のそんな気持ちをガン無視して一方的に襲えばそれでいいと………??
は???
「言い訳あるか!!そんなんもん!!」
「?!」
机を叩き、全力で反論する。
そんなのは、俺の望むものじゃない。
心の通っていない行為に意味なんかない。
なんから前回のことだって俺にとっては軽いトラウマみたいになってるし、もしあのまま最後までしていたらと思うと、本当に怖くなる。それに、よく分からないまま進めてくれればいい、なんて、そんな投げやりな言い方をされると悲しい。確かに俺はこの人とそういう接触をしたいと思ってるけど、そんな、身体だけポイッと提供されても虚しいだけだ。俺が欲しいのは、この人の全部。心も含めた、全部だ。だから違う、嫌だ、とキッパリ伝えると、透香は申し訳なさそうに小さくなりながら「そういうもの…?」と言う。
「他の男は知らん。でも俺は嫌だ」
「そっ……かぁ…」
しゅん…と落ち込んでしまった彼女に、良心がチクリと痛む。でも俺の言ってることは正しいはずだし、さすがにビシッと言わなきゃいけない内容だった。この人の恋愛観は、ハチャメチャにズレている。だからこそ両想いに漕ぎ着けるまでにかなりの時間を要したし、付き合ってからは意外と順調だったけど、まぁ、こういうことは起こるだろうなとは思ってた。
透香は俺の主張を理解してくれて、そして、「じゃあやっぱりできないね」と謝る。アッ、アーー…。そうか、そうなるか、そうか……。つまり、元に戻るだけ。最初に約束した通り、プラトニックを続ける。透香が謝ることじゃない。けど…、クソッ、期待を持たされた分、なかなか切り替えられない。悪手だと分かっていながら、「心の準備ができる気がしないのは何故か」、「俺にできることはないのか」と粘ってしまう。だって彼女は確かに嫌じゃなかったと言った。毎日思い出しては、多分、ドキドキしてくれてる。どう考えても可能性はあるのに、踏ん切りがつかない理由はなんなのか。有り難いことに、透香は俺が粘ってきたことについては特に気に留めず、うーんと考え出した。
「……怒んない?」
「怒るわけないだろ」
「………えっと……、恥ずかしい、のと、怖い、のと…、そういうの、例え黒尾がいくら気遣ってくれたとしても克服できる気がしないし…、気遣ってもらったのに結局応えられない、とかってなったら、嫌、だし……」
恥ずかしい、怖い。確かにそれを聞いただけじゃ、無理しない程度にゆっくり慣れていこうとか、そういうことを言いたくなる。でも、そうやって歩み寄られること自体、今の彼女にはプレッシャーにしかならないんだ。現に、彼女の瞳には涙の膜が張っている。怒らないかと前置きをしたところから見ても、できれば言いたくなかった心の奥の声であり、そして、言い分に自信が無いんだろう。
…でもさ、舐めてもらっちゃ困るよ。
元々そういう約束だったし、そこに何か重たい特別な理由が無かったとしても、透香に踏み出したくないって思う気持ちがあるなら、それで十分だろ。勇気を持って話してくれたその気持ちを、俺は大事にしたいよ。
「透香」と名前を呼んで、立ち上がって側まで移動する。
「ぎゅってしていい?変なことしないから」
こくこくと一生懸命頷く可愛い恋人を、ぎゅっと腕の中に閉じ込める。すぐに背中に手を回してくれて、ああ、俺は本当に幸せだな、と再認識する。彼女の髪を梳きながらこの間のことをもう一度謝って、今後はもっと早めにストップかけれるようにするから、透香は何も変わらないでくれ、とお願いした。