赤い糸40,075km
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「テンション低かった…よな…?」
「そうですね…」
透香が眠りについたかどうか赤葦に確認してから、二人でしかできない会話を開始する。眠っている本人には申し訳ないが、もはやこの構図は様式美となってしまった。
付き合うことになったと宣言した時は、まだいつも通りの彼女だったと思う。でもその後、赤葦が合鍵を返却しようとした時、透香の纏う空気がスッと冷えた。赤葦はもちろん、俺もそれを察知して、二人でどうにか取り繕ったし、透香本人も取り繕っていた。そうやってどうにか場を繋いだものの、彼女の中に影が落ちてしまったのは明白だった。
「タイミング、間違えましたかね…」
「いやぁ、お前は悪くないだろ……」
誰も悪くない。だけど、舐めていた…というか、考えから抜けていた。付き合うことになった以上、赤葦には筋を通さなきゃと思っていたし、この後もそういった話をするつもりだ。俺としては、透香から赤葦を取り上げるつもりはない。そりゃ多少嫉妬とかはあるけど、二人のことは信頼してるから、今後も変わらず二人で飯食ったりしたいと言われてもまぁ…許容するつもりで居た。でも、そうだよな。赤葦がケジメを付けたがった場合、透香にはぽっかり穴が空く。そのことを、考えてなかった。
どうしよう。
付き合ったこと、後悔されてたら。
珍しく赤葦も悩んでいるようで、「どうするのが正解だったんだ…?」とボソボソと呟いている。コイツの立場からしたら、やっっと正式に失恋したんだ。そりゃきっちりケリを付けたくなるのも分かる。それに、俺の気持ちが誰よりも分かるからこそ、さっさと身を引こうとしてくれたんだと思う。でもそこで赤葦でさえも考えが及ばなかった。透香がどれだけ赤葦に心を預けていたのか。
「…まぁ、その…、俺は今後、お前の意思を最大限尊重したいと思ってるし…」
「いや、黒尾さんは久世さんのことだけ尊重してください」
「ア、ハイ…」
寄り添おうとしたら秒で断られた。
隣ですやすや眠るこの人と俺が恋人になれたのは、間違いなくこの男のおかげだ。しかもただのキューピット役じゃない。紛うことなき恋敵だ。俺よりずっと長い間この人を想って、この人を守ってきた男だ。とんでもなくデカいものを奪ったという自覚はある。感謝してもしきれないし、きっとこの先もずっと、少なくとも向こう10年は頭が上がらない。だからもし赤葦がこの人と二人で話したいというなら承諾するし、距離を置くのには時間がかかると言われても頷くしかない。もしくは暫くの間一切会わないようにしたいからフォローしてくれって頼まれても、当然受ける。今日はそういうつもりで来たのに、本人はそういったことは望まないらしい。そりゃそうか、なんたって赤葦だもんな。赤葦は珍しく目を泳がせ、自信なさげに「……俺も少し、迷ってます。」と言う。それを急かすようなことも勿論しない。なんなら、10年待たされても文句は言えない。
とりあえずもう少し飲むかと提案して、赤葦も頷いた。そういえば鍵はマジで俺が二人分預かるのかとか、透香が酔って寝てる時の正しい対処方法とか、出版社の愚痴とか、協会の愚痴とか…。アルコールで少し解放的になったのをそのままに、ポツポツと会話を続ける。
赤葦は飲んでも大して酔ったりはしないし、多少酔いが回っても見た目では分からない。ただ少しずつ早口になり、語気が強くなっていく。
「やっぱり鍵の返却は早まりました。」
「こんなに急に線を引くべきじゃなかった。」
「彼女のタイミングを見るべきでした。」
自身を責めるようにつらつらと言葉を落とすと、赤葦はすっと透香へ視線を移す。そしてグラスの中の酒を勢いよく呷り、音を立ててそれを机に置いた。
「頼みましたよ」
赤葦と透香の瞳はよく似ている。
決して誤魔化しを許さない、心の深淵を真っ直ぐ射抜くような瞳だ。
重い。
あまりにも重い意味が込められた、短い言葉。
もう自分は関与できない、しない、という意味なんだろう。な〜にが「お前の意思を尊重したい」だ。俺がそんなこと言えた立場か。俺が逆の立場だったら。長年の想い人を恋敵に奪われたら。こんな風に、透香のことだけを想えるだろうか?覚悟の決まり方がまるで違う。まだまだ、足元にも及ばない。
それでも透香は俺を選んでくれた。
それを絶対に後悔させたくないし、俺は絶対にこの男を超えなきゃならない。それが、俺が赤葦にできる、唯一のことでもある。
言葉は要らなかった。
その瞳を真っ直ぐ見て、確かに頷いて見せた。
帰り。透香は去年よりは意識がしっかりあって、ほぼ自分の足で歩いて部屋に帰って行った。何度か悲しそうに「赤葦くん…」と呼んだのは、俺の中だけにしまっておく。
──────────
透香にとっての赤葦は、きっと家族みたいな、かけがえのない存在だ。それは分かってる。そして俺のことは、ちゃんと恋愛的な意味で好きでいてくれていることも分かる。予想より遥かに愛情表現もしてくれてるし、別に疑ってるとか、そういうのじゃないんだ、“コレ”は。
今日は彼女の好きな小説の映画を観に行った。
待ち合わせ場所に現れた彼女はまたもやスカートを履いていて、デート用にお洒落してきてくれたことが分かる。こういう変化は意外だけど、この人の恋愛モードってこんな感じなのか…と思うとそりゃもう可愛い訳で。……マジで可愛いな…ってか、このお洒落は紛うことなく俺のためってことだよな…?うおお…。やべ〜……ニヤける。
「今日もほんっとかわいンベェ?!」
メロメロなのを隠す必要もないし、俺のためにお洒落してきてくれた可愛い可愛い彼女に素直に可愛いって言おうとすると、近付けていた顔面を手のひらで押し返される。鼻折れたかも知れん。透香は必死で照れを隠そうと険しい表情を作って、「評価は不要です」な〜んて言ってる。それもまた、可愛い。
映画はミステリーもので俺も楽しめたし、透香もそれなりに満足したようだ。原作からの改変箇所について熱く語る姿を微笑ましく眺めつつ、映画館の入ったデカい商業施設をぶらぶら歩く。特に目的がある訳じゃ無い。純粋に、そういうデートだ。と俺は思ってるんだけど、透香はそんな風には考えないから、用がないなら帰る?と当たり前みたいに提案されてしまう。…いやまだ明るいし、一緒に居たいんスけど。ショッピングデートがしたいです、ショッピングデートとはこういうものです、と懇切丁寧に説明してやると、口をもにょもにょさせて照れくさそうに俯いてしまった。いや~~~~。可愛い。ほんっと可愛い。どうなってんの?調子に乗って「可愛い顔見して?」って囁いたら、脇腹を手刀で突かれて変な声が出てしまった。……照れ屋さんめ。
服とか雑貨とかを眺めて、「これ可愛いね」とか、「似合うんじゃね」とかゆるゆると話す。ショッピングデート好きじゃないって言う男結構居るけど、俺からしたら意味分からん。こういうのが楽しいし、こういうのが幸せっつーんだろ。相手の好みも知れるし、良いことしかない。
キャラクターグッズが色々売ってる店を見付けて、見てみようぜって言って足を進める。俺一人じゃ入らないような店にも、この人と一緒なら入る理由がある。こういうのも幸せの内のひとつだ。
「お、ビンゴ。にゃんず居るじゃん」
「ほんとだ!」
隅の方に少しだけブサにゃんずのグッズを発見して、二人で細かく吟味する。コーナーとしては小さいが、棚の奥をよく見ると手前側とは違う商品も隠れているようだ。透香はジロ吉のスマホカバーを見つけ出し、じいっと眺めて買うかどうか悩んでいる。俺も同じ商品を手に取って、冗談半分、本気半分でお揃いにしよっかなと言ってみたら「黒尾が買うなら買わない」とガチめに拒否された。……ツンの日なのか、今日は。結局彼女だけがそのスマホカバーを買ったけど、ご満悦なようなので良しとする。夕飯はフードコートで食べて、その帰り。ちょっと俺の部屋に寄ってくれと誘う。できるだけ早めに、透香に渡したいものがあった。
“コレ”は、別に、えっと、深い意味はないっつーか。
というか、付き合う前も拗れる原因になったのによく凝りもせずまた出してきたなって感じなんだけど。
正座をして恐る恐る机の上に置いたのは、小さな箱。
中身は───指輪だ。
分かってる!!!
ちょっと待て、分かってる!!
重いよな?重い。分かる。
俺も別に、付き合ったらすぐ指輪をプレゼントしよう♪とかって思ってた訳じゃない。
6月になって急に暑くなり、打ち合わせ帰りに避暑地として寄った駅ビル。その中で、たまたまジュエリーショップが並ぶ階を歩いていた。なんとなく、彼女になにか贈りたいなぁなんて考えて自然に目が行ってしまう。透香はアクセサリーに全く興味がない。それなのに押し付けようとして既に大大大失敗済み。言うなれば俺達の中ではタブー。だからすぐに眺めるのも諦めて、立ち去ろうとしたその時、ひとつの指輪が目についた。マットゴールドで、細く華奢なリング。よく見るとリボンの結び目のデザインになっていて、でも子供っぽくもない。そのさり気ない存在感に、つい立ち止まってしまった。
「何かお探しですか?」
「あ゙っ、えっとぉ…」
有能な店員さんに声を掛けられ、挙動不審になってしまう。流れるように見ていたリングを布地のトレーに乗せられ、ガラス越しじゃなく直接眺める。………絶対、絶対透香に似合う。贈りたい。めっちゃ贈りたい。付けてほしい。いやでもプレゼント贈る口実無いし、怒られそ〜…。俺が悩んでいると、有能店員さんは「実はこれ、ペアリングをお勧めしてまして…」なんつって、メンズ向けのデザインも紹介してくれる。こんな可愛らしいリボンのデザインでメンズってどういうことだ?と思ったら、メンズのは結び目のデザインじゃなくて、リボンの端が交差しているようなデザインになっていた。よく見なきゃ分かんない感じだし、全然アリだ。
・・・・・。
相手が喜ばないと分かっているものを贈るのは、エゴだ。
分かってる。
でももしあの人が俺の贈ったものを身に付けてくれたら。その充足感や安心感を想像してしまうと、どうにも歯止めが効かなくなる。透香が普段アクセサリーを付けないからこそ、一つだけ毎日付けてたら、鈍感な奴じゃなきゃ特別なものだって分かるはずだ。つまり、俺の居ないところでもあの人を俺のものだと主張することができる。職場とかであの人を狙う奴が居ても、これを付けてくれていたら幾分かは安心だ。それに、このデザイン。ロマンチストというか夢想家というか、痛々しいのは承知だが、俺は昔からずっと、あの人と赤い糸で結ばれていたらいいのにな、とか思っていた。そしてその糸はあっさり切れたり、再び切られそうになったりしつつも、今はどうにか繋がっている。俺の小指から伸びた糸は、ちゃんと繋がっていたんだ、透香と。それを目に見える形にできたなら。結局は全部、俺が安心したいだけだ。リボンの結ばれたこのリングを、例えば透香の小指に付けてもらえたら…。
マジで何してんだ俺、と思いつつ小指用のサイズもあるか聞いてみると、「ピンキーもございますよ!さり気なくペアにできますし、お勧めしてます」と案内され、いよいよ引っ込みが付かなくなる。
「ありがとうございました」
丁寧にお辞儀をする店員さんに頭を下げ、紙袋を引っ提げて帰る。
………ううわ…、涼みに来たはずなのに、すげ〜汗かいた…。
結局透香へは最初に見たゴールドのピンキーリングを、自分用のはシルバーのを購入した。してしまった。何やってんだこの浮かれ馬鹿が。受け取ってもらえんのかコレ?
───という訳で、今に至る。
正面にちょこんと座る透香は外装からアクセサリーだと気付いて「何故………?」って眉を潜めている。違うのよぉ〜、いや違くないけど。こうなることは分かっていたけど、それでも我慢できなかった。ダラダラと冷や汗をかきながら、透香が手を付けてくれない箱をそっと取り、開封する。……うん、やっぱ絶対似合うと思うんだよな。カタカタと無様にも震えながら彼女の顔色を窺うと、指輪そのものを見ても変わらず「何故…?」といった表情をしている。ぐうう。胃が痛い。
「………えぇっと、ごめんね?」
「ヒィ」
「アクセサリー贈るのって、すごくすごく普通のこと?それとも、黒尾がやたらめったら贈りたがる人?」
「はわ……どちらでもないというか、どちらでもあるというか……」
「???」
やはり、手を伸ばしてはもらえない。
透香は別に怒ってるって訳じゃない。でも、贈る理由によっては受け取りたくないという意思が見える。つまり、「これ君に似合うと思って…☆」「わぁ、嬉しい☆」とはならない。決して。この人にこれを付けてもらうには、俺の中にあるダサいモヤモヤとか、そういうのも全部説明する必要がある。
「……じ、実は……、」
これまた恐る恐る、自分用の箱も机に出す。ペアリングとか言ったら余計に受け取ってもらえない気がするから出したくなかったけど、片方だけ出しても駄目だったからもう関係ない。「ペアリング、だったりして…」とか濁してみると、透香は「黒尾の?」と反応し、直ぐにその箱を手に取った。…あれ、さっきまで微妙な空気だったのに。「なるほど。色もデザインも違うけど、一応リボンなんだね」と言って二つの指輪を交互に見比べている。…そう、一見ペアっぽくないけど、意味合いは一緒。だから俺も付けたい。
「黒尾も付けるの?」
「あ…ハイ。できれば、一緒に……」
さっきよりは表情も空気も柔らかいものの、透香はやっぱりまだ納得がいかないようで顎に手を当てて思案している。この人相手だ。全部言うしかない。付き合えていることにまだ少し実感が湧かないこと、多少不安な気持ちもあって、目に見える形にしたかったことを小さい声で自白すれば、彼女はふむふむと頷いて「分かった」と言ってくれる。そして箱から俺用のリングを取り出し、反対の手をこちらに差し出す。
「どの指に付けるの?」
「左手の…小指…」
促されるままに差し出された手に左手を重ねると、小指にするりと指輪を嵌めてくれた。驚いている俺を置いてけぼりにして、彼女は流れるように指を優しく持ち、引き寄せ、第二関節の辺りにちゅ、と唇を寄せた。
─── ?
俺が呆気にとられている内に、透香は自分の小指にもさっと指輪を嵌めて、それを訝しげな顔で見ている。そしてその手を俺に見せてくれる。
「これで安心?」
なん………
な……、なんだ、このスーパーダーリンは。
「すごい、サイズぴったりだ」とか、「あれ?私も左手の小指でよかった?」とかいつもの調子で言う彼女は、まるで何も特別なことはしてないって顔をしている。あまりにも自然に、純粋に、俺を安心させるために、やってくれた。
「んぇぇ……ちゅき……」
「…? チョキ…?」
俺もその指にキスがしたくて手を引こうとしたけど、「うわっ、やんなくていいよ!」と引っ込められてしまう。
「やんなくていい、じゃない!俺がしたいの!」
「やめといた方がいいよ、黒尾はなんか似合わないよ」
「なんですってぇ?!」
机を挟んでいるので、引っ込められたら回り込むしかない。立ち上がると透香もびっくりして立ち上がり、逃げ回られ、追いかけ回し、ぎゃあぎゃあ、イチャイチャ。こんな幸せでいいのか俺。彼女がソファに躓いて倒れ込むように座ったところでやっと捕まえて、床に膝をついてその左手を取る。小指に、優しく輝くリボンが結ばれている。……うん、やっぱりよく似合ってる。俺の選んだものを、この人が付けてる。眺めながらその手を撫でると、しょうもない独占欲が少しだけ満たされる。俺のだ。この人は。また逃げられてしまう前に、その指に唇を寄せる。残念ながら、透香がしてくれたような相手を安心させるための清らかなキスじゃない。ずっと繋がっていてくれ。ずっと俺を見ていてくれ。ずっと俺から離れないでくれ。ずっと大切にするから、ずっと俺のもので居てくれ。そんな、懇願するようなキス。
「…やっぱり、似合わない…、そういう工作員みたいだよ」
「こら〜、ドキッとしたの誤魔化さない」
ムッとした時に少し突き出るその唇にもキスをしたい。けど、駄目だ。この人を手に入れる代わりに、俺はプラトニックを誓った。軽いキスなら許されるのかもだけど、俺がどうなるか分かんないから、駄目。だから、このままソファに乗り上げて、視界も何もかも独占して…っていう欲望も、全部我慢。ここまでだ。
ちょっと横にズレてもらって、俺もソファに座る。透香の左手を取って、その小指にリボンが結ばれているのをもう一度まじまじと見る。
十分すぎる。
思わずまた手の甲にキスすると、彼女もまた「うわぁ」と顔を顰めて照れ隠しをした。
「嬉しそうだね…」
「めちゃくちゃ嬉しい。ありがとな」
恥ずかしがった透香がまた逃げ回るまで、俺と繋がった左手に何度もキスをした。