赤い糸40,075km
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盛大にやらかしたあの日から丸1ヶ月。
午後3時、指定されたチェーンのカフェへ向かう。会って謝りたいとしつこく連絡をして、やっと「じゃあちょっとお茶でもしようか」と言ってもらえた。食事ではないのは、そこまでの時間はやれない、ということなんだろう。一杯飲む間だけ、話を聞いてもらえる。
今日俺がやりたいことは、まずは、謝りたい。そして誤解を解きたい。先週赤葦が気付かせてくれたように、俺の好意は彼女に捻れ伝わってしまった。そのせいで、まるで人柄を丸ごと否定されたかのような不快感や嫌悪感を与えてしまった。そのことを謝りたいし、間違えてしまったけど、本当は久世が喜ぶようなことをしたかったんだと、伝えたい。本人からは「謝る必要はない」と何度も何度も言われている。元々何も期待されていないから、怒ってすらもらえない。だからきっと謝ったって許す許さないの次元ではないし、誤解を解いたって、元の関係に戻れるかは分からない。それどころか、久世はきっと俺の顔も見たくないんだ。胃がギュッと握り潰されるように痛むけど、確認しないままは終われない。叶うなら、俺はもう一度チャンスが欲しい。もう一度、やり直させてほしい。それが叶わないならせめて、ほんの少しでもいいから、嫌だったとか、楽しくなかったとか、どう思ってたのか、本当の気持ちを教えてほしい。
混んでいて待たせることになったらいけないと思い、かなり早めに到着したが、そこには既に久世の姿があった。入口から見える席で待っていた彼女は、俺に気付いてにこやかに手を振ってくれる。込み上げてくる胃液をどうにか押し戻して足早に彼女の元まで向かい、「ごめん、待たせた」と言いながらソファに腰を下ろす。
「うん?むしろ早すぎでしょ。私もさっき来たとこだし、待ってないよ」
優しい言葉、優しい笑顔なはずなのに、全てがグサグサと突き刺さってくる。席が空くのを二人で待つなんて耐えきれないし、来ないなら来ないでもよかった。そんな意味合いを感じ取ってしまい、胃の痛みが増す。でも、そんな事態を招いたのは自分だ。メニューをサラッと確認して、それぞれ紅茶とコーヒーを頼む。久世はやっぱりフードメニューは何も頼まない。ここの通常サイズのカップは値段の割に小さいから、俺の話をきいてもらえる時間はやはりそう長くなさそうだ。彼女は「なかなか時間取れなくてごめんね」なんて言ってくれて、俺はそれに今日来てくれただけで有難いと返すことしかできない。赤葦が言っていた研修の話や部署異動の話なんかはやっぱり俺にはしてくれないけど、仕方ない。今の俺にそんなことを求める資格はない。
「…なぁ、先月のさ、本当にごめん。久世はああいうの興味無いって、ちょっと考えりゃ分かんのに…」
「ううん。そんなの言われなきゃ分かんないよ。ちゃんと意思表示もせず、急に帰った私が悪い。100悪い」
「、」
誤解を解きたいのに、彼女の明るい声に遮られて、それすら許してはもらえない。言わなきゃ分からない奴だと、何も理解してくれてない奴だと、突き放された。多分今、俺は旧友であることすら許されてない。注文していたドリンクが届くと、彼女は店員さんにお礼をして、紅茶の香りを楽しむ。俺はコーヒーのカップに手を付けることができない。これを飲み干してしまったら、終わってしまう。久世は一口飲んでからちょっと考えて、ミルクを注いだ。その貼り付けられた分厚い“上機嫌”はどこか既視感があって、昔のことが思い浮かぶ。
なんだったっけ。確か、この人のことを好きだとちゃんと自覚する前だ。くだらない嫉妬から思ってもないことを言って、傷付けた。その時も彼女は笑顔を貼り付けて、俺の謝罪は受け付けてくれなかった。決して怒ったりなんかしてくれない。“そういう人なんだね”と距離を置かれて、壁を作られて、終わりだ。あの時はどうしたんだっけ。せっかく心を開いてくれていたのに、ただのクラスメイトにするような対応をされて、それが耐えられなくて、正直に、ダサいことを言った気がする。今回だってもう、何も取り繕うつもりはない。
「…なぁ、聞いて。俺、本当に浮かれてて…、でも途中からお前の反応がイマイチだって気付いて、焦ってさ…そんで、」
「黒尾」
と、また遮られる。
焦燥と、絶望と、ほんの少しの苛立ちが一気に喉に押し寄せて、つっかえて苦しい。
彼女の声はこの上ないくらいに穏やかで、まるで子供をあやすかのように「大丈夫だよ」と囁く。
ああクソ、なんで俺が泣きそうになってんだよ。
傷付けたのは俺だ。そのはずなのに、この人はそんな傷はないと言う。俺に一切の感情を見せてくれないし、俺の言葉を、一つも受け取ってくれない。ひたすらに、俺に罪はないと言って、気にしなくて大丈夫だよ、と繰り返す。小さなスプーンでカップの中の紅茶とミルクを混ぜる様子は優雅で、まるで、同じ場所に居ないみたいだ。
なんで、なんでこんなに。
この人は、俺にとって間違いなく最も特別な人だ。こんなに何年も忘れられなかった人は他に居ないし、こんな風に好きで仕方なくなった人も他に居ない。
なのに、なんでこんなにままならない。
気にしなくて大丈夫な訳ねぇんだよ。それってもう二度と謝ろうとしなくていい、もう二度と会おうとしなくていいって意味だろ。俺はやり直したいんだ。…なぁ、もう本当に無理なのか?
それを、確認しに来たんだ。
「気にしなくていいって言うけどさ……、…じゃあ、また誘ったら会ってくれんの…?」
久世は手の動きをぴたりと止めて、何か言おうと口を開いたのに、そのまま閉じて、表情を失った。
目の前が真っ暗になるっていうのは、多分こういうことだ。
さっきからの態度で答えなんて分かっていたけど、実際こうして拒絶を返されると、心臓が止まったんじゃないかってくらい生きた心地がしなくなる。彼女の視線はカップに落とされ、俺の方を見てもくれない。言葉なんかよりも雄弁に、拒絶が語られている。
指先が、冷たくなってくる。
ずっと思い出さないようにしていたあの日が甦ってきて、口の中が酸っぱくなる。
あの日、この人にメールが送れなくなった、10年前のあの日。俺はきっと、一度死んだ。
繋がりが途絶えることを何よりも恐れていたのに、唐突に、いともあっさりと、切れてしまった。そこから10年近く、一目見ることすら叶わなかった。
でもそれは事故だったと聞いた。久世も切りたくて切ったのではないと。
今回はどうだ。
明確に、彼女の意思で切られようとしている。
スプーンを持ったまま固まったその手が、まるでハサミを持っているかのような幻覚すら見える。その小さな糸切り鋏が、俺の小指から伸びた細い細い糸にあてがわれる。
やめてくれ。
刃が当たり、繊維がチリチリと綻ぶ。
待ってくれ。
待って
やめてくれ
「…嫌だ、」
「……俺は、お前に会えなくなるのは嫌だ、」
ぎゅうぎゅうと押し潰される喉から、あまりにも歪で、あまりにも弱々しい声が漏れ出す。嫌だってなんだよ。そんなこと言われて、久世はどうしたらいいんだよ。久世は俺と会うのが嫌なのに。
机の下で握り込んだ拳が震えているのが見える。その視界の端、久世が少し顔を上げた気がした。驚いているのか、呆れているのか、何も分からない。彼女の顔を見るのが怖い。でも零した言葉はもう帰って来ないし、もう、止めることもできない。
「…頼むから、お願いだから、もう一回だけ俺にチャンスくんない…?」
「また、ただの旧友ポジションからでいい。…いや、もう初対面レベルからでいいから」
「やり直したい」
「…だから、頼むから、」
「お前の本音を、聞かせてくれよ…」
支離滅裂。
もう自分が何喋ってんだか全然分かってない。沈黙の中、全身から嫌な汗が滲み、胃液が迫り上がる。意地で口と喉を閉ざし、鼻でどうにか呼吸する。冷たく硬直した拳をただ見下ろし、審判を待っていると、机の上、久世の手元の辺りで何かが光った。光っては消えて、光っては消えて…。
その正体に気付いて顔を上げる。
ボタッ、ボタッ、
彼女の長い睫毛に涙が溜まり、大きな粒となって次から次へと落ちていく。
久世は呆然と、自分の涙が零れてゆく先を見ていた。そして俺の視線に気付いたのか、もしくは自分が泣いていることを自覚したのか、困ったように眉を下げて、ゆっくりと瞼を下ろす。涙はボタタッと零れ落ち、彼女の頬にも何筋か伝って落ちていった。
それを俺は呆然と眺めている。
何の言葉も、浮かばない。
「…ちょっ とだけ、」
誰の声かと疑うほど、ひっくり返るように震えた声が耳に届く。
彼女も自分の声に驚いたのか慌てて口を閉ざし、悔しそうに顔を歪めた。その瞳からはまた大量の涙が溢れかえる。
胸が痛くなる。
不規則な呼吸を繰り返し、話すための準備をするその様子を、黙って見守ることしかできない。
話そうと、してくれている。
喉が締まって、鼻の奥がツンと強く痛む。
幾分か呼吸が落ち着いた久世は、もう一度ゆっくりと、口を開く。
「…ちょっとだけ、悲しかった」
「…一般的な女の人を求められた気がして…、…嫌だった」
「でも黒尾は悪くないって思ってるのも本音」
「普通の女の子だったら、きっと喜んでたはずだから…」
「……俺が喜ばせたかったのはお前だけだよ…。でも、間違えた。本当にごめん」
彼女の言葉がするすると胸の真ん中まで届いて、頭で考える余裕すらもなく、ただ反応するように返事をする。俺の何度目かも分からない謝罪に、彼女は否定も頷きもしない。それでも、聞いてくれた。話してくれた。ちゃんと目を見て、聞いてくれた。やっと、届いたんだと、思えた。
ズビズビと鼻を啜りながら涙を流す彼女の姿を、滲む視界でじっと見詰める。
綺麗だな、なんて、
泣かせたくせに。何考えてんだ。
我に返って、ハンカチでも渡すべきかとカバンに手を伸ばすと、久世は掌をこちらに向けて、「じぶんの、ある」と制止する。彼女がカバンから取り出したのは、なんだかこの場に似つかわしくない真っ赤なタオルハンカチ。涙を吸収させるように目の下へ押し当てられたそれは、よく見れば代表のグッズのようだった。あまり質が良くないのか、「うう、ごわごわしてる…」なんて零す姿に胸を締め付けられる。
この人を大事にしたい。
もう二度と、泣かせたくない。
好き放題にその姿を見詰めていると、久世の赤くなった目とぱちっと視線がかち合う。すると彼女は鼻声で「なんか面白い話してよ」なんて言う。こんな無茶振りをするのは彼女らしくない、けど、今はその意図が分かる。泣いてしまった気恥しさを紛らわせたいのと、場の雰囲気を和ませたいんだろう。そしてそれを、無理して自分でやるのではなく、俺にやらせてくれる。これはきっと、久世なりの、最大限の甘えだ。
「……じゃあ、そうだな…。木兎がイタリアでベッド壊した話、知ってる?」
頭をフル回転させて、彼女が笑ってくれそうなエピソードをかき集める。何年か前、代表のイタリア合宿で、木兎がホテルのベッドを破壊し、こってり怒られてるうちに飛行機に間に合わず置いていかれた話とか、久々に対面した夜久とリエーフの会話が、あまりにも高校生の時のまんまだった話とか、海が見た悪夢の話とか。久世は目から下をハンカチで抑えながら、「んふ、ふ、んふ、」と笑ってくれる。それが嬉しくて、またすぐに別のエピソードを思い出して、話して。久世が笑ってくれる度、俺はなんだか泣きそうだった。
「泣いたらお腹空いちゃった!なんか食べちゃお」
久世がハンカチを手放し、「あはは」と笑うようになった頃、彼女は唐突にシュバッとメニュー表を手に取った。俺が条件反射のように「奢らせていただきます…!」と言うと、「そういうの嫌。自分で払うの」ってハッキリと言ってくれる。わざとらしくムッとしてメニュー表を睨む姿に面食らいつつ、まるで自分の取り扱いを教えてくれいるような態度に、じわじわと嬉しくなる。
「そっ…か、分かった」
そうだよな。昔っから優遇されたりするの嫌ってたもんな。そうだよな。
久世は注文するものが決まったのか顔を上げて、俺も何か頼むかと聞いてくれる。「俺はいい」と伝えると、彼女は呼び出しボタンを押し、オーダーを聞きに来た店員にデザートを一つ、丁寧に注文した。口角の上がり方、目の細め方で分かるよ。仮面の笑顔じゃなくて、早く食べたいなってウキウキしてる顔だ。そういう表情をまた見せてくれるのが嬉しくて、ちょっと、ほんと泣きそうなんだけど。年取ると涙腺が緩くなるってのはマジだな。そんな俺の顔を見た久世が、「顔へにゃへにゃ」って言って柔らかく笑う。もうこの人が笑ってくれるなら何でも良くて、へにゃへにゃと言われたままの顔で「面白い?」って聞くと、「うん、可愛い」って返ってくる。可愛い…は、ちょっと意味が分からないけど、お気に召したんならそれでいい。
「黒尾も食べる?」
「ん?俺はいいよ」
久世が注文したのは、大きなデニッシュの上に大きなソフトクリームが盛られた、この店の看板商品のようなデザートだ。いや…、デザートという量ではない。めちゃくちゃデカい。二人で食べるのが当たり前と思われているんだろう、カトラリーは二人分提供された。でも彼女ならこれくらいはペロリと食べれそうだし、食べたくて頼んだんだろうから、俺は遠慮しておく。でも久世は遠慮されたことを少しだけ残念そうにする。……こういう時、俺は彼女が美味しそうに食べるのをただ見ていたいからいつも遠慮するけど、もしかして、俺も食いたいって言った方が喜ばれるんだろうか。食いたい訳でもないけど、食いたくない訳でもないから、どっちでもいいんだ、俺は。お前が喜んでくれる方を選びたい。
「…やっぱ、一口貰ってもいい?」
「…!うん!」
思っていた以上に喜ばれ、彼女の周りにはぽこぽこっと花が咲く。「えへへ、一緒に食べよ」って言いながら皿の上のデニッシュを片側に寄せ、俺側へスペースを空けてくれた。一口くれとは言ったものの、一口サイズにして食べる感じのものではないから、一切れ貰っちゃっていいのか聞いたらまた嬉しそうに頷かれた。こんな簡単なことで喜んでもらえるって、なんで分からなかったんだろう。スプーンでソフトクリームを少し拝借し、デニッシュに乗せる。フォークで刺して口元に運び、一口食べてみると、サクサクとした食感とバターの塩味、ソフトクリームの冷たい甘さが広がって、なるほど看板商品なだけあるなと思った。
「ん。んま。何気に初めて食ったわ」
「んむ?!うそっ、どうやって回避してきたの?」
「回避って」
確かに有名ではあるけど、実際食ったことない人も多いだろコレ。サイズでかいし。俺がそう言うと久世は「ミニサイズもございますよ」って案内してくれる。そんな、他愛もない会話をしてもらえるのが、たまらなく嬉しい。
俺のせいで彼女を傷付けた事実はなくならないし、関係性はまた後退してしまったのかも知れないけど、今日、確かに彼女の心に触れさせてもらえた。その上で今、作り物じゃない笑顔を向けてくれている。目に焼き付けるように見詰めていたら、手元のデニッシュからソフトクリームがぼたっと落っこちた。
腹が満たされてご満悦な彼女とカフェを後にする。和解できたのならまだ一緒に居たい、なんて我儘は言えない。もう間違えられないし、もう一人で先走るなんて絶対にしない。久世は「今日はもう真っ直ぐ帰るね」と、次があるかのような言い方をしてくれる。ただそれは俺の願望がそういう受け取り方をしているだけの可能性もあるから、ちゃんと確認する。結局人の気持ちなんて、言葉にしないと伝わらない。
「……なぁ、また、誘ってもいいの?」
それなりの勇気を出して問うと、久世は間髪入れずに「うん」と返事をしてくれる。
「会いたくない時は会いたくない〜って言うね」
「ゔ…。…うん、気ぃ向いた時だけ会ってくれればいいよ」
会いたくないなんて言われたら俺はベコベコに凹むだろうけど、それを我慢された結果“二度と”会いたくないと思われるより全然マシだ。それに、クスクスと笑っている久世の言い方もどこか悪戯っぽくて、俺を追い詰めようという意図は感じられない。むしろ、この程度の冗談が言える関係性だと、示してくれているように思う。
良かった。
まだ、繋がってる。
安堵していると、「…気が向いたらさ、」と小さな声が聞こえてくる。
「私からも…、会いたいって、言っていい…?」
「…………………へ、ヘァ?! ホァ?!?!」
理解するのに時間がかかって……
いや、え?
なんて??
あ、あ 会いたい………??
えっ?
誰が誰に?
混乱していると、隣からこちらをチラリと見上げる瞳に不安の色が滲み始めた気がして、慌てて「も、もちろんん……???」と返事をする。それを聞いた久世は、なんとも優しく、柔らかく、瞳を細めた。
あ、俺の好きな顔。
「ねぇ、じゃあGWは?私ずっと大阪だけど、黒尾は黒鷲旗来る?」
「えア、ウン、仕事で、だけど」
「そっか、じゃあ見付けたら手ぇ振って困らせちゃお」
「……イッ…イッパイ…困ラセテ…クダサイ………」
んふふ、って、まだちょっと鼻の詰まったような笑い声がして、申し訳なさと、嬉しさと、えっ、なんだこれ。いやいや駄目だろ。もう二度と調子に乗るな。自惚れるな。いやでも、でも、多分勇気を出して言ってくれたんだ。それを軽んじるのも、違う。
久世が、俺に会いたいと思ってくれることが、ある。
そして、すぐ来週の大会には来るのかとまで聞いてくれる。いやいやヤバい浮かれる。落ち着け落ち着け。深呼吸深呼吸。口元を手で覆う俺をチラッと見上げた彼女が「既に困ってる?」と聞いてくる。「困ってる。嬉しすぎて。」って返すと、照れくさそうに笑ってくれた。
「じゃあまた来週」
「ん、連絡する」
「うん。気を付けて帰ってね」
「久世サンもな」
改札を抜け、軽く挨拶をして別々のホームへ向かう。別れる時に「また」と言ってもらえるのは、一体いつぶりだろう。浮かれるのは厳禁だ。でも、今までよりずっと、高校生の時よりも、心が近くにある気がする。せっかく「また来週」と言ってもらえたのにもう名残惜しくなって、ホームへ続く階段を降りる前に振り返る。
ぱちっ。
こうして、別れ際に目が合うのは何度目だろう。今までの彼女がどんな気持ちだったのかは分からない。でも、恥ずかしそうに眉を下げながら笑って手を振ってくれる今の久世の気持ちは、きっと、俺と同じなんじゃないだろうか。年甲斐もなく破顔して手を振り返すと、それを見届けた彼女がパタパタと向こうの階段を降りていく。なんかまた視界が滲んでくるけど、これは悲しいからじゃない。なかなか直らない表情筋を手で隠しながら、俺もホームへ向かった。