赤い糸40,075km
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12月24日、クリスマスイブの夜。
長年想いを寄せた人の部屋に招かれ、そこで俺は……
「再会してから丸二ヶ月経ってますが、どこまで進展しました?」
怖〜い人に尋問されている。
部屋の主が寝息を立てると、赤葦は「さて、」と言ってわざとらしく座り直し、その鋭い眼光を突き刺してくる。前に定食屋でもあったシチュエーションだ。あの日、今も久世のことが好きなのかと聞いたら、えげつない皮肉を返され答えは濁されてしまったが、まぁ間違いなくそうなんだろう。つまりこの状況はそこそこの修羅場だ。回避しようと思えばできた修羅場。久世が酒を飲むのを止め、最後までそれなりに団欒し、そして和やかに解散することだってできたはずだ。それなのに、赤葦はむしろこの状況を作りたがっているように思う。理由はこうして俺を追い詰めることと、あとはまだよく分からない。
「いや…別に、何も」
「何やってるんですか」
正直なところを伝えると、絶対先にご用意されていたであろう言葉が返ってくる。大体、なんで進展がないことに嫌味を言われなきゃいけないんだ。お前にとってはその方がいいはずだろ。前回酔った彼女を俺に任せたように、赤葦は何故か俺のことを試してくる。奴にとって俺は邪魔者のはずなのに。
「そんなんじゃまた何年かかるか分からないですね」
サラリと嫌味を残し、赤葦はテーブルに残っていた食器を持ってシンクへ向かった。そして慣れた様子でそれらを洗い始めると、カチャカチャという音を聞いて久世が目を覚ます。ぼんやりと時間をかけて状況を理解し、回らない舌で赤葦に「ありあとー」と言う。「寝てていいよ」「こんろおれいすう」なんて優しい会話をすると、また夢の世界に戻っていった。10年の差を埋めることなんかできないって分かってるけど、俺には“謝罪”と“金”だったのに、赤葦は“お礼”と“次”が貰えるんだな、と酷く羨ましくなる。思えば、この人が俺に“次”をくれたことなんかない。高校生の時もいっつも俺から話し掛けてたし、再会してからだって久世から連絡をくれたのは謝罪の時だけだ。まるで必要とされていない。でもこっちから声を掛けると歓迎してくれるから、その度にまた期待してしまう。女々しい思考を振り切り、俺もゴミをまとめて後片付けを手伝う。
「ゴミどこ」
「ここです。あと消臭スプレーお願いします、その辺にないですか」
「んー?…お、あったわ」
この部屋のことも久世の生活のことも当たり前に把握している様子に、もういちいち嫉妬なんかしていられない。二週間前久世と研磨の家に行った時、高校卒業後にメールが送れなくなったのは事故だったと聞いた。全ての連絡先を失ったと。つまり赤葦とも一度は途絶えたはずだ。それなのに、それでも、この二人はずっと繋がっていた。元々他の連絡手段があったのか、それともどうにか再び漕ぎ着けたのかは分からないが、赤葦は繋ぎ直して、俺は諦めた。その差が、これだ。敵いっこないけど、俺はもう久世に向き合わずして先には進めない。本当はもう過去のことにして、「実は高校生の時好きだった」とか言って、それで決着をつけたっていいんだ。でもそうしたくないと思うのは、やっぱり今も本気だからだ。…ということを自覚できたのは幼馴染のおかげで、自分だけで辿り着けた答えではない。それがなんとも情けないが、研磨が今でも当たり前のように久世を俺の好きな子として扱うから、やっぱりそうだよな、と妙に納得した。もう、何もせずに引き返すことはできない。…多分。だから今日もこうして恐ろしい恋敵の居る場へ赴いた訳だが、どうにも奴の考えてることが分からない。
「久世どうすんの?」
「黒尾さんはどうするべきだと思います?」
部屋の片付けに関してはテキパキ指示するくせに、久世本人のことになると俺の意思を確認してくる。なんでだよ。そこだろ一番考えてやるべきなのは。まるで俺のしたいようにすればいいとでもいう圧力が、嫌に重たい。
「なぁ、前回も言ったけど、俺を試すためにこの人を使うのはどうなんだよ。そもそも、お前がすべきことは俺を排除することであって、この人に近づくことを許すべきじゃないだろ。なんで機会を与えるようなことすんだよ」
赤葦がすぐに返事をしないから、疑問に思っていることを全てぶつける。奴はふむ、と至って冷静に返答を考えている。余裕の態度だ。ゆったりとした動作で洗い終えた皿とカトラリーを吸水マットに置くのも、絶対にわざとやっている。この程度に苛立ったりはしないが、確実に空気は悪い。濡れた手からパッパと水気を払い、十分に間を置くと、やっと話しだす。
「俺には俺の矜恃があります。黒尾さんこそ、何故俺のことを気にする必要があるんですか?俺が排除しようとしたら、黙って排除されてくれるんですか?その程度の人に話すことなんて何もないですよ」
的確に言われたくないことを言われ、天井を仰いで歯の隙間から細く息をする。俺も口は達者な方なはずなんだけど、立場上絶対コイツには適わないかと分かる。…矜恃か。そりゃあるだろうな。叶わない想いを抱えながら10年もそばで守ってきたんだ。俺には絶対できないし、畏怖の念すら抱く。だからこそ、そんな奴がなんで俺に機会を与えるのか。俺がそれを執拗に気にするのは、希望を見出してしまうからだ。
赤葦は俺と久世を引き合せようとしている。
それはきっと久世のために。
つまり久世は俺のことを。そして、赤葦はそれを知っていて────
なんて、突飛で自分にだけ都合の良い妄想だ。でも、もしそうなら奴の言動の辻褄が合うし、逆にそうでないなら説明がつかない。このおっかない恋敵の態度こそが、全ての答えなんじゃないのか?モニターからは漫才師の大きな声と観客の笑い声が鳴り響いている。その真ん前で立ち尽くす俺を赤葦はじっと見ていたが、やがて興味を失ったように視線を逸らし、帰り支度を始めた。
「お前帰んの?」
「帰りますよ。黒尾さんはどうします?」
「いやいやいやいや帰るわ。でも、え?この人このまま?いつも?」
「さぁどうでしょう」
赤葦は爽やかに笑って見せ、机に突っ伏したままの久世を置いて玄関へ向かおうとする。またしても前回と似たようなシチュエーションだ。俺も急いでコートとカバンを掴み、置いていかれないようにする。ただ、前回よりもその動きは鈍い。身勝手すぎる希望が、このままここに居座れば想い人と二人でクリスマスを迎えられるぞ、と囁く。久世もそれを心のどこかで望んでいるんじゃないのか、なんて、本当に痛々しい虚妄なのは分かってるけど、それ以外に赤葦がこの人を置いて帰る理由が見当たらない。
赤葦は黙って帰る…ことはせず、靴を履いてこちらを振り返る。前回は問答無用だったくせに、今回はあくまで俺に選ばせようとしている。徹底して、俺がしてほしくないことをしてくれやがる。
俺の足は止まっていた。
もし、もし赤葦の言動が俺の推測の通りなんだとしたら、俺には帰る理由がない。久世にとって迷惑でないのなら、俺はもっと近付きたい。でも全てが本当に虚妄だったなら、俺は帰るべきだ。久世に望まれていないのなら、まだいくらでも電車があるこの時間に帰らない理由なんてない。
「…俺は、久世が望まないことはしたくない」
だから、彼女が望んでいることなのか、そうでないのか、知っているなら教えてくれ。この発言に同意してくれるだけでいい。お前も同じ考えなら、俺は自分に都合の良い妄想を一時の真実として、自らここに残ることを選べる。そんな小賢しい考えを含んだ発言をすると、赤葦の目がスッと冷たくなるのを感じで、ぞわりと鳥肌が立つ。
「俺の言動から彼女の心を読み解こうなんて、そんな浅はかなことは許しません」
───読まれてる。
なんだコイツ怖すぎんだろ。
「俺は時に久世さんが望まないこともしますよ」
俺が気圧されている内に、トドメと言わんばかりに一番聞きたくなかったセリフを言われてしまう。赤葦の行動指針に一貫性がないなら、俺が見出した希望も立証不可能になる。そして何より、今のセリフは「俺はお前の味方じゃねぇんだよ甘えようとすんなぶっ飛ばすぞ」って意味だ。何の判断材料もくれてやるつもりはない、と本当にもう圧倒されるようなプレッシャーで伝えてくる。……何一つ希望がない中で、覚悟だけで当たって砕けろってのか。コイツと戦う土俵、敷居高すぎだろ。捨て身の正面突破は得意じゃない。分が悪すぎる。赤葦は淡々と「その上で、どうしますか?俺帰りますけど」と問う。その手にはこの部屋の鍵が握られている。積み上げられた10年の信頼が、高い壁となりそびえ立つ。クッソ。要するにハッキリ意思表示しろってことだろ。ここで濁せば、戦う意思がないと白旗を挙げたも同然だ。クソッ。半ばヤケになって、返事をする。
「残る」
そのたった三文字を聞くと、赤葦は放っていたプレッシャーをすっと引き下げる。
「…そうですか。では、メリークリスマス」
そして微笑みを残し、奴は出て行った。
外側から鍵が施術される音がして、足音が遠ざかり、聞こえなくなる。
────────
俺は魂が抜けたかのように腹の底から息を吐いて、壁に凭れかかる。
…………こっっわ。だいぶ寿命縮まったわ。マジで恋敵がラスボスすぎる。緊張から解き放たれ、通常運転に戻ろうと深呼吸をする。
……ってか、アレ……?
振り返ると、モニターの中の大会は決着がついたようで、トロフィーを掲げたコンビが映し出され、そしてパツっと止まる。録画を最後まで見終えてしまったようだ。そんな静寂の中、久世が机に突っ伏して寝ている。……あれ、待って、あれ?俺残るっつった?え?泊まんの?この人の部屋に??二人きりで???
・・・・・。
どわっと全身の汗腺が開く。赤葦に焚き付けられて、俺はとんでもない選択をしてしまったんじゃないのか?もしまた前回みたいなことがあったらどうすんだよ。ってか、ゑ?!どうすんのマジで。いやいや落ち着け。女友達の部屋で宅飲みして、そんまま泊まって…ってのは、まぁ、まぁなくはないだろ、ウン。…いやでもやっぱそんなん絶対いかがわしいよな?!しかも女友達ってか好きな子だし、俺前科あるし、絶対駄目じゃね?!しばらくその場で立ち尽くしてから、そろりそろり、と何故か音を立てないように部屋に戻る。コートとカバンを置くだけにもかなり神経を使う。どうすんだよ〜〜〜起きろ〜〜〜と思うのに、起こさないように気を付けてしまうこの矛盾はなんなんだ。えーと、とりあえず、ブランケットでも掛けるか…?ソファに畳んで置いてある濃いグレーのブランケットを手に取り、広げる。畳まれていた時は気付かなかったけど、端に何か…猫のキャラクターの顔と手足が付いている。そういえば借りたマグカップにも猫の顔が小さく描かれていたし、久世は黒いやつを使ってたから、多分この黒猫が好きなんだろうな。…ふーん…。まぁそれはまた後で調べるとして、ゆっくりと久世の肩にブランケットを掛ける。
「………ん…、…?」
アー!起こしちゃった。
いや起きてくれていいんだけど。
「くろお…?」と柔らかな声で呼ばれ、心臓が飛び跳ねる。努めて冷静に返事をすると、久世はキョロキョロと周囲を見渡す。赤葦を捜しているんだろう。そして、赤葦の姿がなく、部屋が静寂に包まれていることから長時間経ったと判断したのか、「かえれなくなっちゃったの?」と聞いてくる。微妙に返答に困る問いだが、とりあえず肯定の意を返しておく。すると彼女は目を擦りながらフラフラと立ち上がり、「…えっとね〜…」と話し始める。
「たぶんくろおでも着れるすうぇっとあるよぉ」
「ア、エ」
「たおると〜…はぶらし…」
「エ?」
「きゅうとう、ここね」
「ホァ」
「べっどこっち、べっどおっきいから、つかって」
「ン?」
「おやすみ〜…」
「アア…」
流れるように俺にお泊まりの説明、用意をして、そして本人はソファの上で丸まり、ブランケットにくるまって寝直してしまった。
ゑ?
いやお前がベッドで寝ろ?
俺にソファを貸してくれ?
と言いたいところだが、久世はまたすっかり夢の中で、穏やかな寝息を立てている。お〜〜いマジか。とりあえず脱衣所に用意してくれた着替えとかを見に行ってみる。言っていた通り、結構デカそうなスウェットとタオル、その上に新品の歯ブラシが置かれている。…どう、受け取ったらいいんだ、これは。間違いなく優しさではあるんだろうけど、人を泊め慣れてないか…?このスウェットも赤葦用だったりするんじゃねぇの…?邪推しようと思えばいくらでもできてしまう。また立ち尽くし、何もせず部屋に戻る。好きな子の寝息だけが聞こえる空間で一晩耐えるのはしんどいし、何かテレビ流していいかな?うるさいか?ってか部屋の電気は?眩しくない?いやでも暗い部屋に俺居たら嫌かな?!駄目だ何一つ分からん。またその内起きてくれることを願い、俺は部屋の隅に座ってテキトーにスマホを眺めて時間を潰した。
──────
そうして二時間近くが経過した。こんな状況でリラックスするなんて無理だけど、だからこそ長時間の緊張で体力が削れているし、この部屋に来た時からずっと赤葦にチクチク刺されていたこともあって、疲労でどうしても眠くなる。あと食いすぎたってのもあるな。最近話題になってる漫画とかを読んでみたけど、内容は全然頭に入ってきてない。ねみ〜〜〜…。ぐわわと欠伸をして、目尻に滲んだ涙を拭っていると、のそのそっと人が動く音がする。それは勿論久世で、ソファから起き上がると一直線にトイレに向かっていく。戻ってくると、俺には気付かないまま寝室に入り、そのドアを閉めた。
「…………。」
あ、いや、まぁ、うん。ベッドで寝な。
彼女が寝室に行ってくれたので、俺もこの辺で雑魚寝させてもらおうかな、と考えながら身体を伸ばしていると、寝室のドアがカララ…と開く。
「……くろお………?」
「かえれなくなっちゃったの………?」
再放送。
久世の意識レベルによってはガチの再放送。多少酔いが醒めているのであれば、もしかしたら怪訝な顔をされたりとか、困らせたりとかしてしまうかも知れない。とりあえず中間の択を選び、「なっちゃったの…」と返事をする。すると彼女は「えっとね〜…」と完全なる再放送をお届けしようとし、スウェットが無いことに首を傾げている。
「スウェットはもう出してもらったから…」
「……そっか…、じゃあもうねる?」
「アー、ウン…」
「…べっど、こっち」
「え゚ッ」
ゆらゆらと近付いてきた久世に腕を掴まれ、ろくに力も入っていないそれに抗えず、立ち上がってついて行く。向かっているのは当然寝室。えっえっえっえっ。いや止まれ?!立ち止まれ俺!!今の彼女に俺を引っ張る力なんてない。俺が歩かなければいいだけだ。そうすればきっとこの手は離れるし、そこで彼女の酔いも少しは醒めるかも知れない。そう思うのに一切の抵抗をできないまま、促されるままにベッドの脇まで来てしまう。「ねて、」って言う声が脳に甘く響いて、軽く肩を押されただけで素直にベッドに腰掛け、足も全部上げてしまう。久世はそれを満足そうに見届けると、ベッドに膝をついて乗り上げてくる。えっ。えっ。えっ?!えっ!?!何もしない!!俺は絶対に何もしない!!!心臓がこれでもかと騒ぎ、身体が強ばる。彼女は息を飲んで固まっている俺に優しく掛け布団を掛け、…そしてベッドから降りた。
これで良し、みたいな感じで布団の上からぽんぽんと叩かれる。
・・・え・・?
俺の心臓止まった・・?
さっきまでバッコンバッコン言っていた胸の辺りが、突然スンッと音を立てなくなる。
いや…………、間違いが起こらないことはいいことなんだけど……、えっと……、俺はお前にとって……なに……かなぁ?
久世はその場でゆらゆらと頭を揺らし、今にも寝てしまいそうな状態だ。無力な俺が固まったままそれを眺めていると、「ふぇ、ふぇ…、」と何故の声を上げる。
「…っへぷし!」
……あ、くしゃみか。
まぁ、寒いよな、真冬だし。
久世は肩を寄せて身震いをし、「う…」と零しながらぼんやり何かを考えているようだ。そして
「よい、しょ……さむさむ……」
そして、布団の中に潜り込んできた。
………?!
………!…………!!?!
ぎゃあああと叫び出したくなるのを、全力で抑える。え、え、えええええええちょちょちょちょちょ…!僕達まだそういう関係じゃあないですよね?!?!仰向けで固まっている俺の左腕に、こちらを向いている彼女がぴったりとくっついている。左足もぴったりくっついてるし、なんならちょっと膝を乗せられている。……し、死……?死か……??俺で暖をとってだいぶ暖まったのか、彼女はまた夢の世界に帰っていく。現実に取り残された俺は、どうするのが正解なんだ、これ。死にそう。本当に死にそう。寝られる訳ねぇだろって思ったし、実際何十分かは目バキバキで天井見てたけど、今日一日の疲労が祟り、気が付くと意識が遠のいていた。