赤い糸40,075km
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仕事帰り、駅を越えて少し歩き、たまに訪れる商業施設へと足を運んだ。ちょっと前から新しい服でも買いたいなと思っていたけど、休日は例のごとくVリーグやら天皇杯やらで予定が埋まっていて、こうして定時で上がれた日に早足で向かうことになった。入口の正面には大きなクリスマスツリーが飾られており、それをスマートフォンで撮影する人の姿がちらほらと窺える。駅近くの並木にもイルミネーションが施され、世間はまさにクリスマス一色だ。私にとってのクリスマスと言えば、“ホールケーキを買ってもいい日”、そして“食べてもいい日”だ。家庭を持っていない人間がホールケーキを買う機会なんて皆無に等しいけど、禁じられている訳ではない。きちんと対価を払い、最後まで美味しくいただくのであれば何一つ問題はない。そのことに気が付いたのはもう何年前だったか、何気なく赤葦くんに話したら、予約が必要なんじゃないかって大切なことを教えてくれて、二人で選んで、二人で食べた。そこから毎年恒例みたいになって、今年もケーキは既に予約済だし、チキンは赤葦くんに任せてあって、イブの夜にうちで食べる予定になっている。楽しみだなって考えながら、クリスマスのオーナメントが陳列された雑貨屋の前を通り過ぎ、レディースファッションのエリアへ。私には好きなブランドなんてものはない。自分に何が似合うかは知識として頭に叩き込んであるけど、今日の目的は似合う服を買うことではなかった。チラチラと各店舗の中を窺い、最も気さくそうな店員さんがいるお店に入ってみた。
オドオドしながら適当に服を眺める。どれも素敵で、だからこそどれを選ぶべきかが分からない。あ、このパンツは私がドンピシャで得意な形だな、とか、このコートの色は似合わせやすそうだなとか、そういうことは分かるけど、今日の目的は違う。今日は───新常識、『美女枠』について理解を深めるべく、そして私服の幅を拡げるべく、戦場へと赴いた。先月黒尾が懇切丁寧に説明してくれたことは恐らく嘘偽りないもので、それでも私には新しい価値観すぎて、未だにきちんと納得できていないのが現状だ。学生時代に女の子が美形だと言ってくれたことはあれど、それは背が高いとか、男の子っぽいとかって意味合いが大きかったと思うし、男性から『美女』なんて評されたことはない。小学生の頃なんかはむしろ「やーい!デカ女〜!」なんて言われたりして、既にバレーが好きだった私は背が高いことが何故悪口になるのかって問いただして、男の子を泣かせてしまったりしていた。だからどうにも理解が及ばないのだけど、黒尾は世間一般の意見だと言っていた。であれば、手始めに美女っぽい服でも着こなせたら、自分でも納得できるのでは…?と考え、今ここに居る。
「そのワンピース可愛いですよね〜」
「?! あっ はい 可愛いです」
柔和な雰囲気の店員さんに声を掛けられ、心臓がポンッ と跳ねる。頭でぐるぐる考えていたせいで、今自分が見ているものがワンピースかどうかも認識しておらず、返事に戸惑ってしまった。そんな挙動不審な私を気にするでもなく、同世代くらいの店員さんはワンピースの素材について説明してくれる。…確かにほわほわで手触り良さそう。「ワンピースをお探しですか?」って案内しようとしてくれる店員さんは思った通り気さくだし、今は他のお客さんも居ない。よし…!と己の中で覚悟を決め、相談する。
「あの……!び、美女…!って感じの服に、挑戦してみようと、思って、まして、」
どのアイテムかとかは、まだ考えてないんですけど…などとごにょごにょ伝えると、店員さんはちょっと困惑したように笑いながらも、「そのままで十分美女ですよ〜?」とお世辞を言ってくださる。そして、いくつかヒアリングされた後、店員さんお勧めのアイテムを見繕ってくれる。「セクシー系よりは清楚系ですよね?既にお綺麗な印象は強いので、ちょっと可愛い系でどうですか?」と、提案してくれたアイテムは、さっき見ていたワンピースも含めてシンプルなものばかりで、思っていたほどの抵抗感はなかった。どう組み合わせたらいいかとか、出社の日でも着まわせるかとか、質問するとちゃんとしたアンサーが返ってくる。さすがはプロ。流れるように試着室へ案内され、「とッッてもお似合いです!完ッッ璧です!」とのお褒めを頂戴し、気が変わらない内に全て購入した。満面の笑みを浮かべながら紙袋を渡してくれる店員さんにペコペコとお辞儀を繰り返し、何故か逃げるようにお店を後にする。
ひぃ。
緊張した緊張した緊張した…!
重たい紙袋を抱えながら、イルミネーションの輝く街をズンズンと歩く。結局トータルコーディネートまる二つ分くらい購入してしまった。出費は痛いけど、服を買うのは本当に久々だから、いいよね。店員さんいい人だったし、私の持てる知識でも似合わせやすい服ではあるし。でも私にしてはやっぱりちょっとフェミニン感が強いから、ちょっとずつ、ゆっくり慣れていこう。紙袋の中の新常識を抱え、落ち着かない足取りで帰宅した。
────────
◯< クリスマスのご予定聞いてもいいですか
夜。入浴を済ませ、日課の読書をしていると、LINEの通知が鳴る。ロックを解除し確認すると、送り主は黒尾鉄朗氏。
・・・・・落ち着いて考えよう。
黒尾と再会してから、赤葦くんと三人で食事に行って、その時の謝罪の場として二人で食事に行って、研磨の家に招いてもらって三人で過ごして…。なんというか、旧友と再会してからのアクションとしては、もう一段落ついたように思う。次に連絡が来るとしたら、少なくとも何ヶ月か経った後、元バレー部のグループトークの方だと思っていたのに。こんな頻度で、しかもクリスマスっていうのは、世間の人々にとっては恋人のイベントなのでは…?勿論全ての人がそうって訳ではないだろうけど、黒尾はその辺、一般的な感覚を持っていそうなのに。今年はちょうど24、25が土日だから、その日の予定が聞きたくて「クリスマス」と言っている…?いや、人の気持ちなんていくら頭で考えたところで正解には辿り着けない。まず私にできることは、聞かれたことに答えること。そして、旧友の範囲の中で最大限愛想良く無難に振る舞うこと。
◯> 24日の夜、うちで赤葦くんと食い倒れる予定だよ。黒尾も食べに来る?🍗🎂
返信してから、来るって言われたらどうしようってちょっと後悔する。部屋に誘うのって普通?普通じゃない?私は先週研磨の家に行ったし、普通…だよね?黒尾が相手だと、普段気にならないことがあれもこれも気になってしまう。返事を待つ間、また読書を続けようと文庫本を手に取るけど、内容はまるで入ってこない。本当に駄目だ私は。ちゃんと“旧友”しろ。10分ほどぐだぐだしていると「それは俺行っていいやつ?」と返事が来る。確かに赤葦くんの承諾を得ていなかったなと思い連絡してみると、爆速でスタンプが返ってくる。OKと書かれていて、どういった生物なのか判別がつかないキャラクターがにっこりと笑っているスタンプだ。彼のセンスは相変わらず面白い。とりあえず承諾は得たし、黒尾も行っていいのかって聞くって事は、いいなら来るんだろうと判断して、三人のグループトークを作った。グループ名は適当に「ホールケーキを食べる会」にして、赤葦くんと決めていた集合時間などを伝える。
◯> 私がケーキ担当、赤葦くんがチキン担当です。
◯> 黒尾も食べたいものあったら持って来て〜
◯< り
黒尾から了解の意を全力で縮めた一文字が返ってくると、すかさず赤葦くんからのスタンプも届く。人のような犬のような謎の生物がこれでもかと口角を上げているそのスタンプに、黒尾は「なにそのスタンプ」って言うけど、赤葦くんからの返信はない。…うん、今日は忙しいんだな。質問で終わっているメッセージはどこか物悲しいけれど、私に聞かれてる訳じゃないしどうしようもできない。しかも既読だけはちゃんと付いていて、それがまた気まずいので私もフェードアウトすることにした。ごめんね。
────────
そして、24日がやってきた。
午前中に部屋の掃除を済ませ、これからケーキを受け取りに行く。着替えようとしたところで、最近少しずつ浸透し始めた新常識を思い出す。前買った、私にしてはフェミニンさの強いお洋服たち。店員さんのアドバイスを思い出して、出社時にも何度か着て行った。ベロア素材のナロースカートとショートブーツはいつものトップスと合わせてもそんなに違和感がなかったし、そこまで急激な変化!ともならず、多少そわそわしたけどどうにか一日過ごせた。クリーム色のニットワンピは私には少し丈が短いけど、下にボトムス履くのも全然ありだと教えてくれたから、よく履くブルーグレーのワイドパンツと合わせた。これもちょうど良い塩梅で私の価値観をアップデートしてくれた。やっぱりパンツスタイルは落ち着く。…さて、ケーキを受け取りに行くだけの、たった小一時間、何を着よう。小一時間だからこそ、もう一歩踏み出すには良い機会だ。しかも今日はクリスマスイブ。街の人々も浮かれているだろうし、その雰囲気に乗じて、店員さんがイチオシしていたコーディネート、いけるかも知れない。…い、いざ行かん……!!例のワンピースに、ペールグリーンのアコーディオンスカート。姿見で確認して、顔を覆う。フェミニンアイテム×フェミニンアイテム、私にはやっぱり無理かも…?!似合わない形じゃない。でも、ふあっふあな素材に、淡い色合いはさすがにキュートすぎて私とは相容れないのでは…?いやでも、店員さんは完璧って言ってくれたし、駄目でもたった小一時間。これで行こう。鏡を睨みつけながら決意を固め、グレージュのロングコートを羽織り、ショートブーツを履いて部屋を出た。
プレゼントやケーキを大切そうに持つ人、無邪気にサンタさんの話をする親子、寄り添う恋人達。街全体が浮き足立っていた。やはり挑戦するには絶好のタイミングだったようで、私がちょっと浮ついていたところで誰も気に留めはしない。よかった、顔を上げて歩けるぞ、とケーキ屋さんへ向かっていると、一人の男性がすすっと近付いてくる。
「こんにちは〜。お姉さん一人なんすか?実は俺もクリぼっちで〜、よかったらちょっとお茶しません?」
「………?」
・・・?
なんて…??
くりぼ……???
言っていることがあまりに理解できず、もしかしなくても私に話し掛けてる訳じゃないんじゃないかって周囲を確認するけど、多分、やっぱり、私に話してる。えっと?お茶に誘われた?なんで?知らない人なのに??何の目的で??
返事をする以前の問題が多すぎて、その人をじっと見て固まっていると、「てかまじレベル高いっすね」と追加で発言されてしまいより混乱する。えっとえっと、この人の目的はなんだろう。見知らぬ人をお茶に誘い、恐らく何かを褒めて?いる?…怪しい。まず怪しい人ということに間違いはない。それならば、一刻も早くこの場を去らねば。
「すみません、急いでいるので」
「大丈夫大丈夫、歩きながら話そ」
スタスタと立ち去ろうとすると、その人も同じ速度で歩いて付いてくる。すごくすごく怪しい人だ。どうしよう。焦りと恐怖心がじわじわと込み上げ、更に足を早めるけど、それでも付いてくる。
「こんだけレベル高いとやっぱ彼氏居る?」
「居ません」
「キタ〜!じゃちょっとお茶しようよ」
「しません…」
会話が支離滅裂すぎて頭が痛くなってくる。お金は持ってないって言っても奢るよってまた意味の分からないことを言われ、もはや同じ日本語で話しているとは思えない。これ以上は本当に付き合っていられない。もう本気で逃げるつもりで走り出し、本来向かう方向とは違う道へと入る。人混みも利用して振り切るようにしばらく走り、振り返ると、もうあの男性は居なかった。乱れた呼吸をどうにか落ち着け、なんとなく迂回してケーキ屋さんへ向かう。どうしてケーキを求めただけでこんなに疲れなきゃいけないんだ……。気が滅入るような、立つような…。あんまり良くない心情を抱えていたけれど、「こちらがご予約いただいた6号のクリスマスケーキになります」と言って見せてもらうと全て吹き飛ぶ。綺麗。美味しそう。幸せ。この世は美しい。ニッコニコで受け取り、揺らしたり人にぶつけたりしないように気を遣いながら持ち帰る。
──────
帰宅して冷蔵庫にホールケーキ様を格納し、グループトークに「ケーキ確保!!」と送る。私はもう外出するつもりはないから、もちもちな手触りの最強あったかルームウェアに着替え、いつ来てもいいよってことも連絡する。早く来ないかな。早くケーキ食べたいな。チキンも食べたいな。黒尾は何か持ってくるのかな。そういえばお皿とフォーク足りるかな。コップは…ブサにゃんずのマグカップがあるから、あれで…いっか。そわそわ、ウキウキしながら待っていると、玄関の方から人の話し声が聞こえてくる。さっき赤葦くんから「もう少しで着く」って連絡来たし、もしかして黒尾も同じタイミングで来た……?玄関へ向かってみるとやっぱりその声は二人のものっぽくて、ドアをそっと開けてみる。
「あ、やっぱり。いらっしゃいませー」
「お邪魔します」
「お邪魔します…」
思った通り二人が居て、ドアを大きく開けて中へ招き入れる。黒尾はちょっと驚いたように目を見開いてから、ちょっと気まずそうな顔をした。でもすぐに「箸休めにと思ってサラダを買ってきましたヨ」って渡してくれるので、有り難く受け取り、狭い玄関から部屋へ戻る。私と赤葦くんだと食べ合わせとかはあまり考えず好きなもの食べて満足!ってなりがちだけど、さすがは黒尾、気が利く人だ。袋の中を覗くと、かなり上等そうな量り売りのサラダが入っている。うん。さすがは黒尾だ。迷わずローテーブルにチキンを置く赤葦くんとは対照的に、黒尾は所在なさげにしているので、適当に座っていいよと伝える。でも赤葦くんが「手伝うよ」ってお皿を出してくれるのを見て、一人だけ座るのは気が引けるのか様子を窺っているようだ。一人だけ仕事ないの嫌だよね、分かる。しかも赤葦くんはこの部屋のどこに何があるかって把握済みだから、それも自分だけ役に立ててない感を増長させているのかも知れない。うーーん…。私は取り分けようとしていたサラダとお皿を持って、それをローテーブルに置いた。ここで座って作業すれば、黒尾だけ浮くってことはないんじゃないだろうか。そしたらすぐ黒尾も座って、「俺やるよ」って申し出てくれる。それにお礼を言って、私はコップを用意しに向かった。よしよし、成功成功。そしてテーブルの上は三人分のチキン、サラダ、飲み物でぎゅうぎゅう詰めになる。それを取り囲む私達は全員大柄だから、こっちもそこそこぎゅうぎゅうだ。いつも過ごしている部屋がとても狭く感じる。二人は遠慮したのか、テーブルの短辺の前に座り、私が一人で長辺の前に座っている。ここはモニターの正面だし、客人に広い空間を譲るべきでは?とも思うけど、後ろにソファがあってここもそれなりに狭いので、二人の気遣いに甘えることにする。
「食べますか」
「食べよー!いただきます!」
「メリークリスマス!カンパーイ!とかやんねぇんだ」
「やらねぇか君らは」とボヤく黒尾は無視して、赤葦くんが買ってきてくれたフライドチキンにかぶりつく。衣がザクッと音を立て、その中のお肉と一緒に咀嚼する。鼻から抜けるスパイスの香りと、柔らかくジューシーなチキンの旨み。…ふん、ふん……。美味しすぎる……。あまりにも食欲をそそる味付けに、涎がダパダパと分泌される。多分セロトニンとかアドレナリンとかもダパダパ出てる。口を閉じたまま美味しいねって言うと、二人も同意して頷いてくれる。ザク、はぐ、ふんふん…。二口目を味わっていると、モニターから音楽が流れだす。───始まった…!今日はVリーグオールスターゲームの開催日であり、その配信画面がやっと動き出した。黒尾も「お、始まった」って言ってモニターに顔を向ける。…手掴みでフライドチキン食べる黒尾、初めて見たな。いや、当たり前だし、だから何ってことはないけど。モニターにはオープニング映像、そしてスポンサー企業の紹介がされた後、会場の風景が映し出される。そこに、私達のよく見知った人も居る。
「やっぱモンジェネだらけか」
「人気も実力も兼ね備えてるからね」
「木兎さんはオールスター皆勤賞ですね」
オールスターゲームへ出場する選手は、ファン投票や機構、チームからの推薦で決まる。私達の世代から影山くん達の世代辺りは“怪物世代”と呼ばれていて、その人気は凄まじい。我らが木兎も例外ではなく…いや、人を惹きつけるカリスマ性では頭ひとつ抜きん出ているから、なんなら一番人気のはず、と私や赤葦くんは思っている。高校生の時から変わらない溌剌としたプレーに、俺を見てくれ、俺を応援してくれという真っ直ぐな自己顕示。そして集めた注目、声援を糧に強くなる。こういう選手は、応援していてとても気持ちがいい。今頑張れって言うのは酷だろうかと考えさせられる選手もいる中で、木兎にはいつだって頑張れを言えるし、言えば強くなってくれる。そういうところが大好きで、推し選手は?と聞かれたら必ず木兎と言うようにしている。対人パスをして体を温めている選手達を映しながら、実況、解説、そしてゲスト解説、そしてそして呼ばれてないのに来た選手などが裏話なんかをして場を盛り上げている。オールスターゲームは即席チームで戦うということもあり、半分おちゃらけだ。
「今年は仮装とかしねーのかね」
「んふふ、どうだろうね」
選手達がお面を被り、勝手にユニフォームも交換して、もう誰が誰なんだ?!ってカオス状態の年もあったから、今年も何かが起きるかも知れない。ザク、はぐ、ふんふん…。フライドチキンを食べ進めながら試合開始を待つ。黒尾は「てかチキンの量多くね?これ三人で食うの?」ってちょっと引いてるけど、私と赤葦くんは顔を見合わせて、「無くなるよね」「無くなります」って返して余計に引かれてしまった。そして照明演出と共に選手紹介が行われ、試合が始まった。第1セットはそれなりにちゃんとした試合内容で進み、私達もサラダを箸休めに順調にチキンを食べ進める。第2セットを迎えると、選手達はサンタやトナカイのコスチュームを身にまとって現れた。ノリの良い選手達は違和感ないけど、牛島くんみたいな真面目な選手がサンタ帽を被って真顔でバレーをする姿はなんともシュールだ。しかも今日はとびきり調子が良いみたいで、淡々と最高のバレーを続けているから尚のこと面白い。牛島くんのサーブが走り出し、相手チームは4人での対応から5人、6人、7人…と人数を増やし、遂には牛島くん以外の全ての選手がレシーバーとなる。それでも拾えず、ノータッチエース。全員がどっひゃあとひっくり返る茶番劇を繰り広げ、第2セットは終了した。画面を見て笑う黒尾の横顔をチラッと盗み見て、すぐに逸らす。そろそろケーキを用意しようかな。黒尾が懸念していたチキンは、今や全て骨になっていた。机の上を片付けようとすると、二人も手伝ってくれる。赤葦くんが立ち上がろうとするから、座ってていいよって伝えて、集めたお皿を持ってシンクまで持っていく。さて!ケーキ様のご登場だ!食べる時は当然切り分けるから、その前に二人もホールケーキを眺めたいかなと思って、テーブルで作業することにする。まずは取り皿と、フォークを配る。普通のフォークは一本しかないから、それを黒尾に。赤葦くんと私のお皿にはブサにゃんずのグッズのフォークを置く。そして、ケーキの箱を開ける。
「ご覧あれー!」
「綺麗だね」
「まず見る時間?」
いちごと生クリームでシンプルにデコレーションされたオーソドックスなクリスマスケーキ。黒尾は「ってかデカくね?」ってぼやきながらも、スマホでケーキの写真を撮っている。そうか写真に残せばいいのか。頭いいな。私もそれに倣い何枚か撮影し、満足してから慎重に切り分ける。Merry Christmasと書かれたチョコプレートは、二人のご厚意で私がいただけることになった。二人と、パティシエさん、受け渡してくれた店員さん、いちご農家さん、生クリーム製造業者さん、などなどこのケーキに関わる森羅万象に深く感謝をして、フォークで一口分に切って口に運ぶ。甘すぎずなめらかな生クリームと、しっとりとしながらも軽いスポンジ、いちごの甘酸っぱさ。これぞクリスマス!ハッピーメリークリスマス!幸せすぎて、「染みすぎだろ」ってツッコミに対しても笑顔を返すだけになる。赤葦くんは「甘すぎなくていいね」って言ってくれるから、それに強く同意する。私はクリスマスという日に特別な思いはないけど、大切な人達と、大好きなバレーを見て、美味しいケーキを食べて、間違いなく最高に幸せなクリスマスだなとしみじみ思う。
第3セットを眺めながらケーキを食べ進め、美味しさへの衝撃が少し落ち着くと、今日あったことを思い出す。ケーキを受け取りに行った時に話し掛けてきた変な人。あの人の目的は結局分からなかったけど、とにかく不快だった。大切な二人にはあんな思いはしてほしくないから、不審者情報を共有しておく。するとたまに発動する赤葦くんの取り調べモードが顔を出した。
「どんな人になんて言われたの?覚えてる限り詳細に教えて」
「うーんとね、20代後半から30代前半くらいの男性。身長は175cmくらい、細身。黒のダウンジャケットに、グレーのデニムパンツ。茶髪で、目が細め。シルバーの太めのネックレスをしてたよ。何かのレベルが高いとかって煽てて、お茶しようって誘ってきた」
「…なるほど。ありがとう。」
「ありがとうじゃないのよ。聞いてどうする気だよお前」
赤葦くんが「見掛けたら……気を付けようかなと」と返すと、何故か黒尾は「怖ぇって…」と言って頭を抱える。それがどういうリアクションなのか分からずじっと様子を見ていると、「マジかお前ら…10年ツッコミ不在…?」と零して、上げた顔はかなり微妙な表情をしている。そしてしっかりと目を合わせてくるから、たじろがないようにぐっと堪えていると、黒尾はちょっと言いづらそうに口を開く。
「それ、普通にナンパだから」
ナ ン パ
ナンパ ··· 硬派の対義語である軟派が元になる造語で、初対面の異性と関係を持つ目的で声を掛ける行為、またその行為をする人物を指す言葉。
私が頭の辞書を引っ張り出している間、黒尾は赤葦くんに教育方針がどうこうとか言っている。……ナンパ…、あれがナンパか…なるほど…。そう言われてみれば、色々と納得できる。あの人が褒めていた何かは、私を女性として褒めているつもりだったのか。ということはやはり、あのコーディネートは可愛いんだな。…こんなことで確認したくはなかったけど。そうかそうか…ナンパか……、女性達が迷惑している“世の中の理不尽”に、私も久々に直面したってことだったのか。あんな迷惑なことをしておいて、どうしてその後関係が築けると思うんだろう?理解に苦しむ。うーーんと考え込んでいると、黒尾が「大丈夫か?」って心配してくれる。
「なんか嫌なことされた?…いや、話しかけられた時点で十分嫌だったと思うけど」
「えっ?!いや、だ、大丈夫、全然、大丈夫、無視したし」
ナンパされたことを黒尾に心配されるという構図が心地悪すぎて、かなり雑な返事をしてしまう。どもったせいで嘘をついていると思われたのか、真意を探るようにじっと見詰められ、これ以上どう誤魔化せばいいのか分からず立ち上がる。
「そういえば美味しそうな果実酒買ってあったんだった!みんなで飲も〜」
我ながら下っ手くそな話題転換だ。でも黒尾はそれ以上追及しないでくれた。元々赤葦くんと二人で飲む予定だった柑橘系の果実酒。黒尾の前でまた飲むのは止めた方がいいかと思っていたけど、赤葦くんには買った時に報告していたから出さないのは不自然だし、何より、正直今は考えることを放棄したい気持ちでいっぱいだ。あれがナンパであったということはもう理解できた。ただ、その話を黒尾とするのは居た堪れない。それに今回は私の自宅なので、私が寝ても二人が安全に帰れれば何も問題はない。持ってきた瓶をローテーブルに置き、黒尾も飲むか、飲むなら三人分のコップを一度洗うと提案する。黒尾はまた微妙そうな顔をして赤葦くんの顔色を窺った。でも赤葦くんはそれに気が付かなかったのか、「ありがとう、お願いするね」とコップを私に差し出す。すると黒尾は何かを諦めたように項垂れてから、「お願いします…」と同じようにコップを差し出した。それらを受け取り、ササッと洗って軽く拭いてまた持っていく。お酒を飲むのにマグカップなのがちょっと申し訳ないけど、これしかないので仕方がない。三人分注いで、ちびちびと飲む。爽やかな酸味とほろ苦さがいい感じに効いて、絶対チキンに合うだろうからもっと早く出せば良かったなと後悔する。…まぁ私はそんな早くから飲んでたら今頃寝てるだろうけど。
ケーキは私と赤葦くんがもう1切れ取り、黒尾はもういいと言うので残り3切れは冷蔵庫に戻しておく。ついでに炭酸水を取り出して、果実酒はソーダ割りにして飲むことにした。オールスターゲームはもう第3セットも終盤で、ここまで大きく目立てなかった木兎が「木兎・クリスマス・プレゼント・ビーーーム!!」なんて騒いで爪痕を残そうとしている。私と赤葦くんがそれを見てうんうん頷いていると、黒尾が「親か?」とツッコむ。いっぱいツッコむなこの人。私達がズレてるのか?チータラをつまんでいる内に試合は終了し、MVPには牛島くんが選ばれた。インタビューを受ける時もサンタ帽を被ったまま真面目に受け答えをして、それを笑う選手や観客達が映し出されている。その後各選手からリーグ後半戦への意気込みが語られ、ハイライト映像が流れた後、配信は終了した。
「おもしろかった!」
「面白かったね」
「会場のファンも楽しそうにしてたな」
二人がうちに来てから大体2時間。目的のものは食べ終えたし、いつ解散になってもいいけど、早く帰れって思うわけでもない。ただ、何かしらの共通の話題がほしいから、テレビ番組でも映画でもいいから何か流しておきたい。観たいものがあるか聞いても二人は特にないようだから、先週録画した漫才日本一決定戦を流す。チータラをつまんで、ソーダ割りを飲んで、テレビを観てへらへら笑う。満腹状態からゆっくり飲んだからいつもより酔いが回ってないと思っていたけど、結局瞼がおもくなってきて、思考がまともなうちに意思表示を、とおもって話しだす。
「わたし、ねたら、そのままおいといていからね」
「うん、大丈夫。心配しなくていいよ」
「きをつけてかえってね。とまるなら、ねぶくろ、あるから」
「寝袋?」
「大学生の時に買ったやつがあるんですよ」
「へぇ、キャンプとかしたの」
「キャンプもしましたけど、寝袋は部屋に泊まる用に買ったやつです」
「あっ、なんか聞くのやめよっかな」
「エピソードならいくらでもありますよ」
「やめて」
二人の会話のスピードについていけず、相槌も上手く打てない。大学のときの話は、黒尾にはしないほうがいいのか……。マグカップに残ったソーダ割りを飲み干し、倒さないようにちょっと遠くに置くと、赤葦くんがさっと受け取ってくれる。揺れる頭を固定すべくテーブルに肘をつき、なんとか意地で好きなコンビの漫才を最後まで見る。この感じだと最終ラウンドは見れそうにないなあ。んふ、んふ、んふって自分でも変な笑い方になってるな〜と分かるけど、だからどうしようというところまで思考が至らない。
「今のうちにベッド行けって言った方がいんでねーの?」
「そう思うならどうぞ」
「お前急に育児放棄すんのマジでなに?!」
ふたりの声がぼやや〜んと遠くなっていく。ふたりは今日たのしかったかな。私はたのしかったよ。おいしかったよ。頭が重くてしょうがないので、机の上に腕を平たく置き、それを枕にして頭を預けた。