赤い糸40,075km
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た す け て 〜
濃いめの木目を基調とした内装、明るすぎない照明、誰でも親しめるような、落ち着いた雰囲気の定食屋。その一角。
ここは今、戦場となっている。
戦場というか、ここまで一方的だともはや処刑場なんじゃないかとさえ思う。俺丸腰だし。目の前のこのおっかない男───赤葦京治は、視線、表情、言葉、行動、その全てで俺の心臓を抉ってくる。
コイツとはかつて、恋敵だった。
高校生の頃、俺達はお互い明言はしなかったものの、美味そうにチキン南蛮を頬張るこの人──久世サンのことを好きだった。俺は同じ学校、同じ学年、同じクラスだったにも関わらず何もできないまま卒業し、連絡手段を絶たれ、そこまでだった。コイツは学校も学年も違ったのに、高校生の時にはすでに彼女から厚い信頼を寄せられていたし、その後は同じ大学に通っていたらしい。それは大阪で久世から聞いた。どこまで親密な関係なのかは、聞けなかった。話の流れで軽く恋愛経験に触れたが、久世は笑って「全然」と言っていた。つまり、赤葦ともそういう関係ではない、ってことだよな??
「赤葦くん野沢菜好きだよね」
「貰っていいの?じゃあしば漬けあげるね」
んんんんんん………。当たり前に敬語抜けてるし、なにその距離感。どう考えても衣食住を共にしてきた奴らの雰囲気なんだけど。どゆこと??そもそもさぁ、死ぬほど悩んだ挙句、勇気振り絞って「飯行こう」って連絡したら「3人で」って言われた男の気持ち、分かる?いや別にさ、昔好きだった子と再会して、「ハイ今も好きですデートしてください」とかそんな簡単な話じゃないんだけどさ。進むのと戻るの、どっちのが痛いのか俺にはまだ分かんなくて、それを確かめるために誘ったのに、既にめちゃくちゃ痛いんですけど。泣いていい?帰っていい?
二人の会話を何とも言えない気持ちで眺めていると、赤葦が俺の反応を窺うようにジッとその視線を突き刺してくる。怖いって。あからさまにマウント取ってくるけど、そんな必要ないだろ。もう俺に勝ち目ないから。いやでも、コイツらこれで付き合ってない…んだよな?久世が言った「全然」がそういう意味なんだとしたら、赤葦はずっと片想いのままこの人のそばに居たってことか?なにそれ修行僧?もしくは、一度くらいは付き合ったとか?でも別れたのにこんな熟年夫婦みたいなのはちょっとおかしいよな。現在進行形で付き合ってるんだとしたらさすがに「全然」とは言わないだろうし…。やっぱ修行僧なのか?どの道俺が付け入る隙はないし、そもそも土俵にも立てていない。
「久世さん、たまには好きなの飲んでいいよ。」
あ?
飲んでいいよってなに。なんで許可制?
「えっ、うーん…でもなぁ…」
はいツッコミ不在〜〜。マジか。この人この前酒弱いって言ってなかった?そういう情報を簡単に漏らしちゃうってだけでも俺は心配になるのに、飲むかどうかの判断を赤葦に任せてんの?待って、マジでどういう関係ですか?久世サンはカルピスサワー1杯でもちょっと頬が上気しているし、ぱっちり開いていた目は少し瞼が下りてきている。まともな奴ならこれ以上飲まそうとはしない。赤葦はまともな男のはずだ。それなのに飲ませようとするのは、俺への当て付けか?それとも、久世サンはこの状態より酷く酔うことはないとか、そういう特徴を熟知した上での誘導か?探りたい、けど、俺が探ろうとすると赤葦はニッコリ笑って見せる。クソ、手強すぎる。久世サンはぽやぽやしながら日本酒を頼み、おいし、おいしってゆっくり飲み進めていく。そしてみるみる内にぼんやりし始めてしまう。俺は心配です、この人のこの感じ。こんな簡単に無防備なとこ見せて大丈夫なのか?赤葦のこと随分信頼してるみたいだけど、コイツも男だぞ。
彼女が一回の瞬きに一秒かけるようになると、赤葦の物言いはどんどん遠慮がなくなる。俺この後殺されるのかも知れない。罪状はなんだろう。赤葦視点で考えると…また久世サンの前に現れた罪、とか?俺からしたら消えたのはこの人なんだけど、赤葦からしたら、消えたのは邪魔な恋敵だったんだもんな。
「…そんで?話って?」
完全に寝息が聞こえてきてから、先に切り出す。少しでも赤葦のペースに飲まれないようにするためだったが、「ああ、もういいです。大体分かったんで」と突き放され、結局俺の方が動揺させられる。赤葦は食後に提供された温かい茶をすすり、至って冷ややかな表情をしている。そっちが聞いてこないなら、こっちには聞きたいことがあるぞ。
「お前は、まだこの人のこと好きなの」
ギロリと、その視線が突き刺さる。
蛇に睨まれた蛙って多分こんな気分だ。
「そんなことを聞くのにも、10年かかるんですね」
痛い。耳が痛いし、もうあちこち痛い。
10年前日和っていたことを指摘されるのも、「なんでお前に教えなきゃならないんだ」って圧も、到底耐えきれない。コイツと戦う覚悟なんてあるはずがない。俺はまだ、久世に向き合うかどうかすら決められていないんだから。
「10年間、彼女の一番そばに居たのは俺です。今の黒尾さんに渡せる情報はこれくらいですかね。」
「…今の、ってことは、次があんの?」
「さぁ、それは黒尾さん次第なんじゃないですか」
赤葦は口元だけ笑いながら、スマホを取り出す。LINE教えてくださいと言われ、それに対してはまぁ普通に応える。コイツとは、繋がろうと思えば繋がれる機会はいくらでもあった。でも無意識に避けていた。我ながら賢明だと思う。今でさえこんなにも痛いのに、すぴょすぴょ眠るこの人と音信不通になった当初、赤葦は変わらずこの人の隣に居ると知ったら、絶対耐えられなかった。赤葦のアイコンは握り飯を頬張っている写真で、誰が撮ったのコレって邪推してしまう。すると、画面上部に通知が表示される。目の前の人物から、どこかの住所が送られてきた。
「久世さんちの住所です」
「……はっ?」
なにこれ、と顔を上げると、何でもないことみたいに淡々と告げられる。えっ?めちゃくちゃ個人情報ですが……?そして更に、「これが鍵です」と言って、バレーボールのキーホルダーが付いた鍵がテーブルに置かれる。ウン鍵だね、鍵だから…なに?理解出来ずにいると、赤葦は薄手のコートを羽織り、帰り支度を始めてしまう。いや説明しろ??
「では俺は帰るので、後はお願いします」
「はッ?!あ?!待て待て待て、この人は?!」
「はぁ?」
「黒尾さんが送るんですよ」
察し悪いなこの愚図が、って言ってる視線に耐え、席を立つ赤葦を必死に引き止める。何言ってんのコイツ、何言ってんのコイツ…??!俺に捕まれ、コートがぐちゃぐちゃになるのも厭わず、赤葦はそのまま全力で出口へ向かおうとする。その力はめちゃくちゃ強い。俺は半狂乱になりつつ、待って待ってお願い行かないで本当に無理だからと追い縋る。どういう考えなのかサッパリ分からないが、酔って寝ちゃってる久世サンを、家まで送り届けろと押し付けられている。What? 1ミリも理解できん。なんでこの人を大切に思っているはずのお前が、邪魔くさい恋敵だった俺に、この人を預けるんだよ。意味分かんねぇだろ。腕力の限界に達するまで無理、無理と言って引き止めると、赤葦の進行がやっと止まる。そのクソデカ溜め息に傷付く余裕もない。
「俺、黒尾さんのこと人としては嫌いじゃないんですよ。でも男としてはちょっと…」
「やめろ。再会初っ端から男として試そうとすんな。しかもそれにこの人を使うな。お前本当にこの人のこと大事にしてた?」
「し て ま し た け ど ?」
俺もちょっと怒ってるはずなのに、赤葦のバチギレにあっさり負ける。コイツが久世を雑に扱うはずがない。それが分かるからこそ、俺に託す意味が分からない。そうだ、俺が先に帰ればいいんだ。そうすれば赤葦が彼女を送っていくしかなくなる。そうだそうしよう。ジャケットとリュック、伝票を持って立ち上がると、冷たい目をした赤葦に「置いていくつもりですか?最低ですね」と言われる。いやお前は??
「俺は先生に呼び出されてしまったので」
「雑な嘘をつくな。いいのかよお前、この人からの信用失うぞ」
「そんなものまた築けばいいんですよ」
「最強か??」
赤葦は決して席に戻ろうとはしない。あくまで俺が久世を置いていかないか、それだけを確認するためにそこに居る。その意図は全く理解できないが…分かったよじゃあやりゃあいいんだろ、クソ。テーブルに置かれたままの鍵を掴み、ズボンのポケットに突っ込む。それを見届けた赤葦は、「泣かせたら殺します。…あと、ご馳走様です」と言って今度こそ出口へ向かっていった。
長く息を吐き、へたり込む。机につっ伏すと、当然ながらに久世と距離が近くなり、顔を覆いながら離れる。………どうすんだよ、コレ。恐る恐る彼女に声を掛けると、意外にもすんなりと反応が返ってくる。ぱやぱやのぽやぽや。上体を起こした久世は、何度か瞬きをした後、ふわわと欠伸をして、また寝ようとする。
「ストップストップ!頼むから起きて。帰るぞ」
かえう…?と聞かれて、「そう、帰んの。」と返すと、久世は普通に自分のジャケットを羽織り、帰り支度をする。あれ、なんだ、思ったより普通じゃん。彼女は酔っ払いというより、マジでただの眠い人だ。会計に向かえば後ろを付いてくるし、おかね、おかねって言いながら財布を丸ごと渡そうとしてくる。本人としてはいつも通り“ちゃんと”してるつもりなんだろうな、これ。それをやんわりとお断りし、三人分の会計を済ませる。美味かった割にはリーズナブルで、二人が行きつけにするのも納得だ。少し建付けの悪い戸を開いて外へ出ると、11月の夜風はそこそこ冷たかった。
「かぜきもちいね」
「…そーね…」
・・・で、だ。
この人結構意識ハッキリしてそうだし、ワンチャン一人で帰れたりしないかな。さっき軽く住所を調べた感じだと、駅からは近そうだし、そこそこ治安の良いエリアだ。ちゃんと電車にさえ乗れれば安全に帰れるんじゃないか…?そんな淡い期待を込めて「一人で帰れたりする?」って聞いてみる。本人がなんて言うかを確かめるというより、どう帰ろうとするのかの確認だ。
「うんっ、かえれう。じゃあね、ばいばい」
「はいストップ!どこ行く気だよ」
「…? いえ…」
「ちなみに駅はこっちですが」
「ほんとだ!えきだ。えんしゃでかえうね、ばいばい」
「すぐバイバイしないの!ぜってぇ無理じゃん」
ハァァァ……。溜め息を吐きつつ、久世がどっか行かないように彼女のカバンの柄をちょいっと掴む。俺のすぐ後ろには駅の入口があるというのに、彼女は背を翻してバイバイした。駄目だ、ハキハキ受け答えしてるだけで、ここがどこだかも分かっていなさそうだ。一緒に駅に向かおうともしたが、階段を降りる姿があまりに危なっかしくて諦めた。もうタクシーでビュンだ、こんなもん。最近登録したアプリでタクシーを呼び、その間何度も久世に寝るな、起きろ、とだけ言う。彼女は立ったまま目を瞑り、うつらうつらと頭を揺らしている。この人がこんなだと、調子が狂うなんてもんじゃない。昔っから、自分のことは全部自分でできますが?ってタイプだったし、実際大抵のことに対して有能で、近付くきっかけさえないほど隙のない人だった。それなのにこんな、こんなぽやんぽやんになっちゃって、こんなんでどうやって生きてきたんだ?そこでようやく、彼女の飲酒が赤葦の許可制だったことに納得する。これは確かに、野に放ってはいけない。悪い狼に一瞬でがぶりだ。もうそろそろタクシーも着く頃だろう、起きろよ〜と声を掛けようと久世の様子を見ると、ぱちっと目が合う。彼女は起きてたし、こっちをぼうっと見ていた。
「うわっ、」
「…きょうのすーつ、かっこいいね、」
「……あ、ドモ………、」
あー、コレね?いいよね、ウン、気に入ってる。はは、ははは…。
早く来いよタクシー!!
俺の魂の叫びが聞こえたのか、ほどなくしてタクシーが到着した。一度カバンを預かり、久世に先に乗り込むように促す。こんな時でもちゃんと「おねあいします」と言って乗り込む彼女は、やっぱり久世透香だ。俺も乗り込んで、運転手に行き先を伝える。こっからだと車で…20分弱か。…まぁ、まぁまぁまぁ。どうにかなんだろ、この人大体寝てるし。タクシーが走り出すと、彼女の頭はすぐにぐわんぐわんと揺れだす。下手したら窓ガラスに思い切りぶつけてしまいそうで心配になる。とはいえ俺にはどうすることも……
そういえば、高校生の頃、一回だけあったな、こういうの。烏野の連中と初めて会った時だから、GW合宿か。行きの新幹線、俺はどうにか久世と隣に座れるように仕向け、それが思い通りになると更に調子に乗って、寝ている彼女の頭を勝手に自分の肩へと引き寄せた。あの時、俺はまだ自分が久世を好きってことを信じられなくて、こういうことしたら本当にドキドキすんのかな?みたいな、そんな間抜けな発想で勝手なことばかりしていたと思う。10年、ちゃんと忘れていたのに、あの時の久世の寝顔が昨日のことのように思い出せる。
「だッ、」
物思いに耽っていると、肩の骨に鈍い痛みが走る。視線を向けると、久世の頭がずるりと俺の二の腕の辺りに凭れていた。彼女の少し伸びた髪のせいで、その顔は窺えない。…いや、見たがるなよ、アホ。この距離感は如何なものかと思いつつ、彼女がどっかに頭をぶつけて痛い思いをしないならこれでいいか、と自分を納得させる。久世はそのままずっと寝ていたけど、もぞもぞ、と肘の辺りで何かが動き、柔く腕を抱かれる。寝惚けながら布団を引き寄せるような行動だ。その体勢のまま すり、と頭を押し付けられ、脈が飛ぶ。……これ、これさぁ、赤葦にもいつもやってんの?これを耐えてんの?アイツ。冗談じゃなく修行僧じゃねぇか。俺は空いてる方の手でスマホを眺め、どうにか思考を別のことに向けた。
久世の住んでいるらしいマンションまで着き、タクシーが止まる。大通りから一本入ったところだが、目の前にはコンビニもあるし、ちゃんと街灯もある。まぁ悪くなさそうな物件だ。彼女の腕から右腕をそっと引くと、するりと後を追うように指先を軽く握られ、それをやんわり振り払った。そろそろ死ぬぞ俺。先に降りてカバンを持ってやり、「ほら行くぞ」って言っても、久世は夢の中にでも行ってしまったのか、目は開いていてもあんまりちゃんとした返事をしなくなってしまった。その代わり、目は口ほどに何とやら。彼女の瞳はどこか熱を孕んでいて、その眼差しは俺に向けられている。頼むよ、あんまりそういう目で見ないでくれ。誰にでもそうなんだろうと片付けてしまいたい気持ちと、俺だけにしてくれって気持ちが両方ある。どっちを取った方が傷つかない?…分からない。どっちも痛い気がするし、どっちつかずでいる今も十分痛い。今にも歩みを止めそうなほどゆったりと歩く彼女を引っ張って行きたいけど、触れるのは躊躇われる。でも結局、階段をフラフラ登るのが危なっかしすぎて支えざるを得なくなった。片腕で背中を支えて、もう片方の手で彼女の手を引く。「ほら足上げて、よい…しょ」最悪のタイミングで眠気のピークが来てしまったのか、久世はくてっと俺に頭を預け、指示しないと動かない。マンション内で騒ぐ訳にもいかず、どうにか一段ずつ登らせ、やっと2階に辿り着く。
「ほら、もう、自分で歩けって」
「……うん、…」
預けられていた重みが消え、またよたよたと歩く姿を二歩後ろから見守る。もうちょっと、あと数メートルで、俺の任務は終了だ。久世は一番奥の扉の前まで行くと、カバンの中に手を入れ、そして、動きが止まる。…寝たな。ああもう、クソ。ぐらつく身体を支え、赤葦から預かった鍵を取り出し、鍵穴に差し込む。そういえば、合鍵まで持ってんのかよってツッコむの忘れてたな。それどころじゃなくて。まぁそれどころじゃないのは今もそうなんだけど。至近距離で見詰められているのが分かり、その熱を受け取らないように努める。やめてくれって、なぁ、酔ってる時にそういうことされても判断できねぇだろ。ガチャリと扉を開き、腕の中のぼんやりさんに中へ入るよう促す。彼女は素直に足を伸ばすが、玄関のちょっとした段差に躓き、バランスを崩す。それを咄嗟に支えて、俺も一緒に中に入った。
玄関のシューズラックには、彼女が勤めるメーカーのシューズが何足も並んでいる。あら〜、自社愛に溢れてるわね〜、じゃないのよ。勘弁してくれ。玄関ドアに背を預け、腕の中ではこの部屋の主が寝ている。「おい寝るな、起きろ!」そう言って彼女の身体を引き剥がそうとすると、あまりにも近くでその吐息が聞こえてくる。彼女が顔をゆるりと上げ、その瞳に一度捕らえられてしまっが最後、目を逸せなくなる。たすけて。たすけてくれ。
「くろお……」
溶けるような優しい声が、俺の精神をごっそり削る。それが割とグロテスクなイメージで頭に浮かんだ。久世はまるで今初めて俺が居ることに気付いたみたいに、ぼけっと見上げてくる。やっぱここまで赤葦と勘違いしてた?どっから?俺だって気付いたら、離れてしまうんだろうか。いやいや、離れてほしいんだよ、俺は。この人を送り届けるミッションはコンプリートした。俺も早く、無事に帰りたいんだよ。彼女の肩を掴み、本格的に引き剥がそうとした時、
「…かっこよくなったね…」
「…もう、おとこのひとだ…」
呼吸が、ガッタガタに震える。
俺の精神は、まな板の上でみじん切りにされてしまった。
終わる。無理。
頭のなかで、けたたましくサイレンが鳴る。なけなしの理性をフル動員し、一旦久世を座らせ、パパッと靴を脱がせる。自分も乱雑に靴を脱ぎ散らかし、彼女を横抱きにして部屋の奥へ向かう。この爆弾を安全な場所に置き、施錠したらとっとと帰るんだ、俺は。こんなとこにはこれ以上居られないし、こんな爆弾はこれ以上抱えていられない。寝室らしき部屋がすぐに分かったから、そこのベッドに爆弾を降ろす。よし帰ろうすぐ帰ろう。そう思うのに、首に腕を回されていて動けない。たすけて、誰か、Help me. もう赤葦でいい、赤葦でいいから俺をぶん殴りに来てくれ。すぐ近く、また魔法みたいにその瞳に捕まる。
「…ふふ、おとなのくろおだ」
「かっこいいね、」
………もういい?
逆に、なんのために我慢してるんだっけ?理性がすり潰されすぎてもう分かんない。久世の蕩けた目には俺だけが映ってる。俺はずっとこれが欲しかったんじゃねぇの?酒が入ってるとか知るかよ、こんな目で見られて何もしねぇ方がどうかしてるだろ。久世の体温、匂い、避けていたそれらをしかと認識すると、頭のてっぺんまで脈打ってくる。ベッドに片膝を乗せる。布の擦れる音が生々しくて、何かが欠如していく。優しく押し倒そうと彼女の背中にそっと手を這わせた時、首に回されていた腕がズルッと重量に引っ張られ、その身体がベッドに落っこちる。
突然のことに驚いて放心する。ベッドの上、俺の見下ろす先にいる久世は………寝ている。ちょっと幸せそうに微笑んで、寝ている。……寝ている。寝…………
う、
う、
ぐ、ぐあああ、
あああああ、
ああああああああ、
バサっと乱暴に布団を掛けてやり、寝室を後にする。玄関に散らばる自分の靴を集め、履いて、それを見詰めながらゼェゼェと肩を揺らす。俺は、 俺は、 ぐ、うう、あああああ。ひぃぃぃぃ。ううううう。
数分そうしていると、部屋の奥からもぞもぞ、カチャン、と小さく音がして、身体が強ばる。…多分、ジャケット脱いでハンガーに掛けたとか、そんな感じの音だ。そして再びもぞもぞと布団を動かす音がして、止む。……え…?え…?さっきまであんな…だったのに…?え?え?俺夢でも見てた?どっから?え…、えぇ……。
泣きそうになって、もう振り返らずに外に出る。静かにドアを閉め、静かに施錠する。冷たい風に汗が冷やされ、ぶるりと身体が震えた。
………帰ろう。
預けられてるこの鍵どうしようとか、なんかもう色々、どうでもいい。もう帰って寝るの、俺は。よろよろと覚束ない足取りでマンションを後にし、翌日は濃いクマを作って出社した。