赤い糸40,075km
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広い公園の中を、赤いジャージに身を包んだ仲間たちと歩く。乾いた風が吹き抜け、足元で枯葉が舞った。赤や黄に色づいた木々の向こうに見えるのは、墨田区総合体育館。今日、春高予選——東京代表を決める戦いの舞台だ。
「ヘイヘーイ!!」
「ナイスキィー!ナイスキィー!ぼーくーとー!」
真新しい体育館には、ボールが弾む音、シューズが床を擦る音、選手たちの掛け声、そしてそれらすべてを覆うように、4校の応援団の声援が力強く響き渡っていた。
準決勝の相手は、梟谷学園。
全てのチームの中で、私達が最もよく知る相手だ。そしてそれは、向こうも同じ。うちの守備は着実に完成されていってる。それでも好調の木兎を止めきれず、第1セットを落とす。でもこれは焦るようなことじゃない。今日の木兎の調子を考えたら、4点差まで喰らいつけたのはむしろ順調とまで言える。笛が鳴り、相変わらず頼もしい仲間達の後ろ姿をベンチから見送る。第2セット。穴のない理想的な守備に、赤葦くんの牽制。虎くんの活躍もあり、音駒はリードを保ててる。梟谷は層が厚く盤石なチーム。木兎だけを対策したってそう簡単に勝てる訳じゃない。でも少しずつ、少しずつその羽根をもいでいく。そして───捕まえた。16-14の場面、黒尾と海くんの2枚で木兎をシャットアウト。これは、ただ二人がブロックを決めたんじゃない。今まで繋いできた全てのボールの集大成。音駒の守備の完全形態だ。ここで笛がなり、梟谷は早くもTOを使い切る。
「ナイスブロックー!位置取り完璧だよー!」
タオルとドリンクを配りながら、当たり前のことでも声に出して伝える。みんなの顔にも迷いはない。再び笛が鳴り、試合が再開される。研磨のサーブで木兎の助走を牽制、そして、レシーブが乱れた。赤葦くんのあからさまなツーのモーションに、ぞわりと嫌な予感が背筋を走る。赤葦くんは、スパイカーが気持ちよく打てていないからって焦って自分で点を獲ろうとするタイプじゃない。というか、彼がこんなバレバレの動きをするはずがない。マッチアップしてるのはリエーフくん───やられた…!リエーフくんが駆け引きで赤葦くんに勝てるはずがない。そして、空中で身体を捻りながら上げた完璧なトスが、木兎に上がる。うちのブロックはたった1枚。止められるはずが、ない。
この試合、ずっとストレートが好調だった木兎の、強烈なクロス。夜久くんで拾えないなら、誰も拾えっこない。
「ナイスキィー!ナイスキィー!ぼーくーとー!」
ベンチで、悔しさと尊敬の混じった息を漏らす。監督とコーチも同様に、転機を感じて腕を組み直している。うちにとっては、嫌な意味での転機。どうにか抑え込んでいた木兎はあの1点で完全復活してしまい、あっという間に同点に追いつかれ、追い越される。
「レフトーー!!」
「カバー!!」
うちの守備体制は完璧。やりたい戦術もできてる。それなのに届かない。今まで見てきた中でも、一番キレッキレのインナースパイク。…そんなの、そんなのは、もう切ってるんだよ、こっちは。いくら守備の音駒と言えど、コートの中全てを守ることはできない。だからコースを絞らせて、読んで、確率の高いところを計算して守る。完璧な位置の2枚ブロック、レシーバー配置だって完璧。…だって、普通はそんなところに打てないんだよ、あの位置からアタックラインの前なんて。
「はぁ〜〜〜〜〜〜〜〜………!!」
「ナイスキィー!ナイスキィー!ぼーくーとー!」
悔しくて、悔しくて、格好良くて、膝に拳を打ちつける。「切り替えー!次ー!」と叫ぶのがワンテンポ遅れてしまう。負けを悟った訳じゃない。でも。自分達の持てる力全てを、越えられた感覚。……強い。強いなぁ。
「木兎さん!」
「よっしゃあ!!」
そして、28-30。
セットカウント0-2で、梟谷学園は全国大会出場の切符を手にし、うちは残る開催地枠をかけた3位決定戦に希望を繋ぐことになる。
─────
「バナナ食べる人〜」
「はーい」
「俺も〜」
通路の片隅にかたまり、ささっと昼食をとる。次に備えて重たいものは控えて、それぞれが持参したおにぎりやパンを口に運んでいた。私はみんなにバナナを配り終えた後、手元に数本残ったそれをどうしようかと思い、手を挙げなかった人が誰だったか見回してみる。…あれ、そういえば黒尾と海くんが居ない。キョロキョロと周囲を観察してみると、二人は少し離れたところにあるベンチに座っていた。穏やかに話しながらおにぎりを食べて、その片手間に、黒尾はずっと携帯の画面を覗いているようだった。珍しい。どちらかというと黒尾は「食事中に携帯見るなんてお行儀悪いでしょーが!」とか言いそうなタイプのに。意外に思いつつ、二人の元へ向かってバナナを勧めてみると、二人とも受け取ってくれる。黒尾は私が近づくとパッと携帯を閉じてポケットにしまった。別にいいけど、なんだか少しだけ気になる。
「残ってんならお前も食えば?」
「もう1本食べたい人居ないかな」
「大丈夫だろ」
私の手元にまだ1本余っているのを見て、黒尾が勧めてくる。……でもなぁ……。そりゃこの手にバナナを持ってたら食べたい。お腹空いてるし。でももし後で誰かがもう1本欲しいと言った時、マネージャーが食べちゃったからありませんは許されないだろう。私が許さない。黒尾の素敵な提案を理性で断ると、「ほんっと真面目ね〜」なんて言われる。それを無視して、みんなのゴミを回収しようと踵を返した。その時。
「あ゛っ、あっ、ちょ」
カシャーン!…カラカラカラ…
黒尾の慌てた声と無機質な音に振り返ると、私の足元にツルツルと携帯が滑ってくる。それは確認するまでもなく黒尾のもので、落ちた衝撃でパカリと開いてしまっている。さっさと持ち主の手へ返してあげようとそれを拾いあげると、その画面には見覚えのあるものが映し出されていた。あ、と思ったのも束の間。パッ…! と黒尾が私の手から携帯を取り上げる。
「……い、いだろ、別に…」
「…なんも言ってないけど…」
待受画面に設定されていたのは、私がホワイトボードに書いたネコとカラスの落書きだった。
先週の金曜日、ベスト4進出をかけた試合が控えるその前日。私は自分にできることがないかと考えた末に、ホワイトボードに一人一人を賞賛するメッセージを書くことにした。この東京予選で最後だなんて思ってないけど、別に春高本戦までとっておく必要もないし、タイミングはいつでもいいかと自分の中で納得してのことだった。朝練の始まる前と昼休み、放課後の部活開始前を使って、背番号順に一人一人を思い浮かべながら言葉を綴る。どのプレーが輝いてるとか、どんな姿勢に救われてるかとか、選手のモチベーション向上に繋がるようにと願いながら書いていたら、いつの間にかホワイトボードは真っ黒に染まっていた。俯瞰して見ると、それは励ましのメッセージというより、むしろ呪いの類では…?と自分で気付いてしまって、正式名称の分からないあの消すやつを手に取った時、コーチに見付かった。直井コーチも最初少し引いてたけど、内容を少し読んだら「消すなよ?!」と言ってくれて、練習後もコーチの誘導でそれをみんなに見せる運びになった。真っ黒に染まったホワイトボードを見て、みんなはキョトン、とする。あああやらかした。私のこういうところが本当に嫌だ。みんなのためになんて言うけど、実際は自分がうずうずして仕方ないからやっただけだ。100パーセントの自己満足。私は消えてなくなりたい気持ちだったけど、コーチは「ちゃんと読め!お前ら絶対喜ぶぞ!」なんて言ってくれる。するとぐいっと顔を近づけて読んだ犬岡くんが、「おおおすげー!」と声を上げてくれて、他のみんなもわらわらと真っ黒ボードに集まってくる。ほっと胸を撫で下ろしてその様子を見ていると、ふと、黒尾が居ないことに気付く。さっきは居たはずだけど、何かやることがあったんだろう。これは本当に自己満だから、押し付ける気はないし、実際に読んでもらえなくたっていい。盛り上がるみんなのそばで嬉しいやら照れ臭いやらでモジモジしていると、黒尾が小走りで戻ってくる。そして、キャシャァァァアン!! とけたたましい音が響く。
「なにっ?!うるさっ」
キャシャァァァアン!! キャシャァァァアン!! キャシャァィィン!!
その耳をつんざくような音は、黒尾が持つ黒い携帯のシャッター音だ。黒尾は真顔で…いや、少し難しい表情をしてホワイトボードを何枚も写真に収めている。
やめて……!
羞恥で止めに入ろうとするけれど、元々は励みになればと思って書いたものだ。止めるのは本末転倒な気がする。みんなも携帯を取りに散って行き、真っ黒ボードの前は、一時的にスカッと空間があく。はた、と黒尾と目が合うと、何食わぬ顔で携帯を向けられ、そしてまたキャシャィイン!! が響く。
…………は、え……………は???
「敏腕マネの間抜け面いただきました〜」
黒尾はそう言って至極楽しそうに笑うと、また真っ黒ボードを眺める。「お前絵下手くそだな。字は綺麗なのに。」とか言って何度もあの音を立てる。
…は?…いや、え?は?
「…け、消すよね?!?」
「あー?」
「さっきの写真!」
「あ〜。どうすっかなぁ〜。」
詰め寄ると、黒尾は携帯を高い位置に上げてニヤニヤと見下ろしてくる。…こ、この男……。気紛れにちょっかいを出されただけということは分かってる。黒尾が私の写真を持ってて得することなんか一つもないし、こう見えて良識人だからネットに晒すなんてことも絶対ない。でも、自分の間抜けな写真を他人が持っているというのはやっぱり恐怖だし、何よりこの男の顔が腹立たしい。
「…変なことに使わないでよ…?」
「つ、使わねぇよ!!?!」
どうせすぐ削除するだろうけど念の為釘を刺しておくと、謎に動揺されてこっちのが焦る。そうこうしている内にまたみんなが集まってきて、パシィーー!! カシャーー!! といくつものシャッター音が重なる。邪魔にならないように退いて、その光景を少し遠くから眺めた。
この場所は、あたたかい。
私がこうして全力の情熱をぶつけても、誰も嫌がらないし、歓迎してくれる。一歩踏み込んでみればこんな世界もあるんだと、このバレー部に入って初めて知った。人生の宝だと、体感している今この瞬間でも分かる。私が今ここに居るのは、黒尾がマネージャーに誘ってくれたおかげだ。好きな人に人生を変えてもらえるなんて、私はなんて幸運なんだろう。
隅っこに描いたネコとカラスの絵は無駄に好評で、みんなして写メを撮っている。私達が全国を目指すのは、ゴミ捨て場の決戦を実現するためじゃない。全国制覇するため。でも、既に全国行きを決めた烏野の存在が、みんなの士気を高めるのに大きな役を買ってくれてるのも事実。だからあえて言葉にはせず絵を描いてみたんだけど、それがまぁ下手くそだ。でもみんなが喜んでくれたなら、それでいい。
───だから、そんな「見られた…!」って反応されてもなぁ。
「俺も読み返そうかな」って海くんが微笑みながら携帯を取り出す。ずっと黒尾の隣に居た海くんが”も”って言うってことは、さっき黒尾が携帯に視線を落としていたのも、あの真っ黒ボードのメッセージを読み返していたんだろうか。全国大会への最後の希望がかかった試合。その直前に読み返してもらえるなんて、私からしたら嬉しいだけなのに、黒尾は口をへの字に曲げて気まずそうにしている。なんだこの人。思春期か。…思春期か。
「マネージャー冥利に尽きます。…じゃ、バナナの皮回収しに行くから」
二人にそう言い残して今度こそ踵を返す。背中越しに「ブレねぇな〜」なんて聞こえるから、「ブレるようなこと起こってないからね」と振り返らずに答える。
準決勝は負けた。次の3位決定戦で勝てなかったら、ここで終わり。……で、そんなことを今考えてどうする?何になる?現実から目を背けている訳じゃない。知っているだけだ。みんなの強さを。その努力を。思い浮かべるのは、勝った後のことだけでいい。
そして、ついに3位決定戦が始まる。
対する戸美学園のプレースタイルは、うちと似ている。レシーブ上手いし、しつこい。うちは空中をナワバリとする相手を引きずり下ろすのが得意だから、こういうチームはどちらかと言えばやりづらい。しかも、心理戦が得意ときた。3年生や研磨には効かないだろうけど、虎くんやリエーフくんは分かりやすく煽られてしまっている。バレーボールは、一瞬の判断ミスが命取りになるスポーツ。こうして相手のメンタルを攻撃して判断力を鈍らせる手段は、プロの試合でも見られることだ。それを、精神的にまだ成熟しきっていない高校生がやるなんて。…面白いな。しかもちゃんと意味を成してる。虎くんはきっと大丈夫。ちゃんと自分で冷静になれるだろうし、コートには頼もしい仲間達が居る。リエーフくんは…………まぁ、大丈夫でしょ…夜久くん居るし…………。とにかく、私にできることは信じて見守ることだけ。守備力の高いチーム同士の試合を制するには、いつも通りの完璧な守備だけじゃ足りない。エースの虎くん、長身のリエーフくん、二人の決定率が鍵を握ってくる。2点ほどのビハインドが続く第1セット終盤、リエーフくんのブロックが利用されて弾き飛んで行ってしまうボールを、夜久くんが追いかける。軽々とフェンスを飛び超え、ボールは見事にコートに帰ってくる。ナイスやっくん!!───だけど、夜久くんが帰って来ない。ぞわりと嫌な予感がする。コートの中ではプレーが続行され、うちが得点した。するとすかさず虎くんが夜久くんの突っ込んで行った所に駆け寄り、そして、肩を貸して立ち上がる。
───……。
脳がブレるような感覚。
一瞬で状況を理解し、そして、理解したくないと拒否反応を起こす。───くそっ…!ガタッと立ち上がると、直井コーチに「いい、俺がやる」と制されて立ち尽くす。
夜久くんの離脱。
そんなの考えたことも無かった。
脳も、心臓も、ぞわぞわと不安と恐怖で包まれてしまう。
「なんで今なんだ……!なんで……!」
コーチと犬岡くんに担がれる形でコートを後にする夜久くんの言葉が、重く、重く、その場に落ちる。高校最後の大会。全国行きがかかった、最後の希望。その試合で離脱することの悔しさは、計り知れない。
怯んでる場合じゃ、ない。
目を閉じて、息を吐いて、目を開ける。
そして、何事も無かったように監督の隣に座り直した。木兎だけ止めても崩れない梟谷のように、うちだって夜久くんだけじゃない。みんな、ちゃんと強い。私にできることは変わらない。ここで、ただ信じてるいるだけ。黒尾と海くんも、きっと今同じような目をしている。
意地でどうにか第1セットを死守し、続く第2セット。夜久くんの穴を埋めるように後衛でも出突っ張りの黒尾は、どう見てもしんどそうだ。でも、やってもらうしかない。虎くんも完全に集中モード。さすがは音駒のエース。攻撃だけじゃなく守備だって上手い。あの直情的に見えるモヒカンの男の子が、ボールの勢いを殺してふわりとレシーブして見せる姿は鳥肌モノだ。大丈夫。みんなは強い。サイドアウトの応酬が続き、第1セットと同様にデュースに縺れ込む。1点が、あまりにも重い。身体が前のめりになり、呼吸が浅くなる。「福永ぐーーん!!」「ナイスーー!!」自分がなんて叫んでいるのかもよく分からず、ただ次の1点のことしか考えられない。
「オラァアァ!!!」
戸美の主将の執念のレシーブに興奮する。その執念、分かるよ。負けたら引退、勝てば全国。ここで終わらせたくない。繋ぎたい。勝ちたい。同じようにそう思っている相手を、それでも捩じ伏せ、挫いて、私達が勝ちたい。
12番が入ってくる。コースを読ませないそのフォームに、対峙するはリエーフくん。海くんとの2枚は、完璧にストレートコースを閉めている。スッと光が差すように、ボールは芝山くんの元へ吸い込まれていく。まるで、黒尾と夜久くんの連携を見ているかのような既視感。そして、綺麗にネット際へ返ったボールを研磨が上げる。エースに託すようなトスを、虎くんが打ち切る。相手ブロックの手を弾いたボールは、遠く、ギャリーの奥へと落ちていった。
試合終了のホイッスルが鳴り響く。
コートの中央で讃え合うみんなを眺めて、ほろり、ほろりと力が抜けていく。
勝った。
勝った。
勝った。
繋がったんだ。
まだ、みんなと。
みんなと、全国に。
ぼたた。
緊張が解かれ、感情が喉に迫り上がってくる。そのまま目から雫となって溢れ出て、赤いジャージを濡らす。みんなが整列するのに合わせて立ち上がり、礼をする。ズビビと鼻を啜っていると、夜久くんがやってきて、みんなと抱き合って喜びを分かち合う。瞬きをして涙を払い、その光景を目に焼き付ける。まだ、この仲間達と一緒に居られる。全国大会まで、サポートさせてもらえる。たまらなく嬉しくて、眩しくて、そうそう涙は止まりそうにない。もう次の試合はないから片付けは急がなくていいけど、なんとなくやることがなくてドリンクホルダーとかを片付ける。一度体育館から出て、みんなの荷物が置かれているところに一緒に置いておく。そこでやっと、ジャージの袖口でぐしぐしと目元を拭う。体育館ではまだ決勝戦が行われていて、赤葦くんと木兎の応援もしたいし、仲間達にも労いの声を掛けたい。泣いてると喉が詰まって上手く喋れないし、そもそもこんな顔では話しかけられない。少し乱暴に目頭を擦り、再び体育館に戻ろうとすると、黒尾がこちらに向かって来ていた。ジャージでも羽織りに来たんだろうか?すれ違おうとすると、ぐいっと引き寄せられるように、乱雑に頭を撫でられる。それが、黒尾なりの優しさだなんてことは、言われなくても分かる。なんだか悔しくて、でも嬉しくて、そのまま何も言わずに過ぎようとする背中をぺちっと叩く。「いて。」と言うその声は、やっぱり優しかった。
─────
表彰式も終わり、揃って会場を後にすると、空はもう真っ暗になっていた。ジャージの下にスウェットを着込んでいるものの、冷たい風がしんしんと染みてきて寒い。ぶるりと身を震わせつつ、仲間達の後ろ姿を眺める。談笑しながら公園の中を歩くその姿は、今朝より一回り大きくなったように見える。…勝てたんだな。本当に。このみんなと、全国に行くんだな。じんわりと実感して、喜びが広がる。最後尾で一人ホクホクしていると、あの独特なトサカがくるりとこちらに向けられる。「お前なんでいっつも一番後ろなの」と言って立ち止まる黒尾は、当然ながらに疲れた顔をしていた。でも、疲労の中に確かな達成感や喜びがあるのも分かる。
「なんか用?」
「用がなきゃ話しかけちゃ駄目なの?」
別に嫌味を言ったつもりじゃなかったんだけど、結果としてはそう受け取られてしまった。わざわざ私を待って隣に並んだ黒尾は、別に用があるわけじゃないらしい。黙って歩く黒尾の横顔を盗み見て、あ、と思い出す。……そういえば。
───カバンの中に、黒尾への誕生日プレゼントが入っているんだった。
大事な試合の日だし、渡せるか分からなかったけど、一応、用意してしまっていた。受験勉強も手につかず、あーでもないこーでもないと悩んだ末、納得できる品物を見つけることができて、持ってきてしまった。
公園を抜けたらすぐ駅前通り。混雑していて渡せないだろう。ということは、今がチャンス───。
「…………あ、え、っと」
「?」
カバンの中に手を突っ込みながら、無計画に声を発する。待って。なんて言うか考えてない。というか、急に自信なくなってきた…!!悩みに悩んだプレゼント。自分としてはこれだ!って思えてるけど、黒尾がどんな反応をするかは分からない。贈る相手がもし研磨とかだったら、カフェのレジ横のフィナンシェとかをさっと贈るのがちょうどいい気がするけど、相手は黒尾だ。別に甘いものも嫌いじゃなさそうだけど、あんまりイメージに無い。そもそもこの人の好きなものってバレーボール以外だとなに??そしてこの関係性で軽い感じで贈れる誕生日プレゼントってなに??…なに???と、そんな調子で迷走した末に私が選んだのは、煮干しやナッツの入ったスナック菓子。
いやジジくさ!!!
さすがに迷走しすぎでしょ。駄目だこんなの渡せない。でもパッケージはちょっとお洒落な感じで、グレーの厚紙がお魚マークに凹んでて、甘いものが好きじゃない人へのプチギフトに…(キラキラ)って書いてあったんだもん!!そもそも黒尾がちょいちょい年寄り臭いこと言ったり、お弁当とかも渋い感じなのが悪いんだもん……そういうのでプレゼント向きなもの無いんだもん……。
「?どした?」
べしょべしょに心が折れている私の隣で、黒尾が訝しげにこちらを窺っているのが分かる。どうしようどうしよう。これ渡していいのかな、なんて言えばいいのかな。でも、こんな大切な日にこれ以上黒尾の時間を奪うわけにもいかない。サラッと!サラッと渡すんだ!そんな思いとは裏腹に震えてしまう手で、なんとかプレゼントを取り出し、ギクシャクと黒尾の前に差し出す。黒尾はそれを数秒見て、私の顔に視線を移す。これはなんだ?だよね。言う。言います。街灯の光をチラリと反射するその目を、しっかりと捕らえる。どうせ言うなら、ちゃんと言う。
「誕生日おめでとう」
どうにかお祝いの言葉を捻り出すと、黒尾はそこで立ち止まり、表情まで完全停止してしまう。私はプレゼントが自分の手元に残ったままなのがいたたまれなくて、「あの、受け、受け取っ…」とジタバタする。普段ならもっと雑に押し付けるところだけど、黒尾は試合中に指先を負傷してしまったから、その傷に触ったらと思うと乱暴にもできない。早く受け取ってほしいし、要らないなら要らないで早くそう言ってほしい。べそをかきそうになったタイミングで、ゆっくりと黒尾がそれを受け取ってくれる。じっと観察して、「…煮干し?」と平坦な声で漏らす。揶揄うとかそういうのでもなく、もうただシンプルに、なんで?って感じで。
「カッ、ル、シウムが、摂れる、カラ」
もう駄目だ。俯いて顔を覆う。やっぱり普通のコンビニのお菓子とかにすれば良かったんだ。なに煮干しって。高校生が高校生にあげるものじゃなくない?でも、人に贈っておいて「ごめん」って言うのもなんか違うし、商品自体は素敵なものだし、私のセンスだとやっぱりそのパッケージは可愛いと思うし、でもその、でも……ああもう!こんなことなら揶揄ってくれた方が気が楽なのに、なんでこういう時に限ってやんないの。唇を噛んで耐え忍んでいると、上から「…っく…。っはは、っははは」と笑い声が降ってくる。パッと顔を上げると、黒尾は年相応に、無邪気に笑っていた。大好きなその姿に、今度はこっちの時間が止まる。黒尾は「はぁ〜あ。」と笑いを収めて、ゆったりと私を見下ろす。
「……へへっ、ありがとな。」
その目が、声が、あまりにも優しくて。胸の辺りが痛いくらいに締め付けられる。部活仲間としての親愛と勝手な恋情が、ぐちゃりと混ざってしまう。これ以上はよくない。パッと背を向けて、少し遠くになってしまった赤い背中達を追いかける。「置いてくなよ?!」と言われても、振り向かずに赤い集団に追いつき、その中に紛れる。周囲に人が多いということもあり、黒尾はそれ以上深追いして来なかった。
駅では迷惑にならないように自然と散り散りになり、それぞれで帰路に着く。高揚と疲労に包まれながら、文庫サイズの問題集を取り出してみるけど、全然入って来ない。…今日くらいいいか。赤いシートをぼんやり見つめて、仲間達のことを考える。これ以上ないくらいに最高のメンバーで、…全国。問題集をしまい、喜びをゆっくりと噛み締めた。