赤い糸40,075km
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夏休みが終わり、新学期が始まった。クラスには志望校の過去問を借りてる奴なんかも居て、自分が受験生であることを改めて実感する。俺も毎日時間とか問題数とか決めて地道にやってはいるけど、やっぱちょっと焦るよなぁ。でも自分で選んだことだ。俺の高校生活は、最期までバレー部に全ベット。でもだからと言って大学受験を適当にするつもりもない。つまりは、超ベリーハードモードだ。
ぐわわ、と欠伸をして、同じクラスに居る久世を盗み見る。彼女もテキストを持参していて、休み時間もずっと勉強をしている。元々真面目だし、俺がバレー部に誘わなかったら今頃しっかりガッツリ熟にも通っていたんじゃないかと思う。俺のせいで彼女の人生プランを捻じ曲げてしまってやいないかと不安な気持ちもあるけど、彼女のバレー部へかける想いは分かっているから、あえて言わない。
昼休みになると、おべんきょタイムも一時休戦。教室の中はワイワイガヤガヤと賑わっていた。久世は今年のクラスでは元々仲の良かった子が居たようで、ずっとその子と二人、教室で昼食を摂っている。気の置けない友人と飯食ってる時のアイツは当然可愛い。それを見て惚れた奴も居るんじゃないかと思うと、内心落ち着かなくなる。普段あんなに真面目でクールで取り付く島もないような子が、購買の弁当食ってあんなに幸せそうにしてるの見たら、むしろ好きにならない方がおかしいんじゃないだろうか。そう思うのは、やっぱり俺が既にアイツを好きだからなんだろうか。「見すぎ見すぎ」と声がして視線を戻すと、よく一緒に飯を食うクラスメイト、中谷が苦笑いしていた。
「あっ?なに」
「なにじゃねぇよ、見すぎだって。露骨なんだよお前」
露骨。
つまり俺が久世のこと見すぎて、好きなのバレバレってことか。多少照れくさい気もするけど、隠す気もそんなにないし、別にいい。適当に返事をすると、今度は「ラブラブすぎて見てるこっちが照れるわ」とか言うから、それは一切心当たりねぇぞ?と否定する。すると中谷は信じられないものでも見たかのように目を見開き、震え出した。
「え、なに、じゃあ、お前、片想いなの………?え…?お前が…???」
「なんだよ」
状況を飲み込むと、中谷は大層面白がった。俺の恋を応援してくれる人ってこの世に居ねぇのかな。ウケるわーと笑っていた中谷が、ハッとなにかに気付き、声を潜める。目配せをされて耳を済ませてみると、久世達はどうやらちょっと恋バナっぽいことをしているようだ。くっ、と箸を持つ手に力が入る。アイツのそういう話は聞いたことがない。俺達は少しも物音を立てないように細心の注意を払いながら、その会話に耳を済ませた。
「透香は背高いしさ、バレー部の人とかはどうなの?」
「どうって?」
「ほら、黒尾とかなら15cm差あるんじゃない?」
ある。
あるあるあるあるある。
最近、理想的なカップルの身長差がどうこうっていう話が広がっていたのは知っていたが、こんなところでチャンスが巡ってくるとは。確かに久世は女子の中では背が高いから、理想的な身長差の基準を満たす相手はなかなか居なさそうだ。彼女の身長は多分、夜久と海の中間くらい、170くらいだろうか。だとしても俺とは17cm差ある。俺イケます。お願いします。ご友人様、それもっと推してください。
「身長って大事?」
でーすーよーねーー!!!
絶対言うと思った。そういう外的な要因で人を見る奴じゃないもんなお前。クソッ、せっかくのセールスポイントが全然効いてねぇ。中谷が笑いをこらえているのがなんとも腹立たしい。
「背低くても夜久くんとかすごく格好良いし、関係ないんじゃないかな」
中谷がついに声を漏らして笑い出す。クソが。夜久が格好良いことなんか常識で、友達の方も「夜久は特別じゃない?」なんて言っている。ほんとそれな。
「バレー部、結構みんな格好良いよね。久世は好みのタイプとかないの?」
ドキー。
箸が折れそうなほど力が入る。いや多分アイツのことだから考えたこともなかった〜とか言うに決まってるけど、もし何か決定的なことを言ったらと思うと緊張する。久世の声はすぐには聞こえてこない。きっと考え込んでいるんだろう。頼む。頼むから俺を殺さないでくれ。
「うーん……無邪気に笑う人…とか?」
・・・
「……ドンマイ。」
中谷に生暖かい眼差しを向けられる。
無邪気…。そのワードは、俺とは随分縁遠いものだ。せめて賢い人とか、そっち方面ならまだワンチャンあったのに、無邪気に笑う人はちょっと……ちょっと無理かなぁ……。優しい人とか言うならとびきり優しくするし、面白い人ならもっと笑えるようなことを言う。でも無邪気ってのはなろうと思ってなるもんじゃない。
合同合宿の時、他校のマネちゃん達から「久世さんは黒尾くんが一番カッコイイって言ってたよ」と知らされた時、どうせ何かの間違いだと思った。詳しく聞いたら言わされただけっぽかったし、理由も無難なものだった。それでも俺は嬉しかった。期待しすぎないように自制しながら揶揄いに行った時の、あの赤くなった顔を見た時は、もしかして脈アリなんじゃないかなんて、ほんの束の間だったけど、めちゃくちゃ浮かれた。でも結局叶わない。届かない。
…普通につらい。
「まぁ…お前はほら、無理に追わなくても、追われる側でいいんじゃねぇの」
中谷の言葉が耳に刺さる。さっき、下級生の女の子から呼び出され、放課後ほんの少しだけ時間がほしいと言われた。まぁ多分、そういう用だろう。それをコイツも見ていたから、望みの薄い相手じゃなくて自分のことを好きになってくれる子に目を向けろと言っている。それもよくある話だとは思うし、それができるなら苦労しない。というかそもそも俺は彼女が欲しいとかって思ってる訳じゃない。むしろ引退までは作らないと決めている。部活に、受験に、更に恋なんてしている暇はない。それなのにどうしようもなく好きだから、こんなに困っている。タッパーに残った最後の米粒を掬い上げ、口に突っ込む。告白を受けることには正直慣れている。でもこんなに気が重いのは、今は届かない側の気持ちが分かるからだ。
放課後、足早に教室を出る。掃除当番の奴も居るし、部活に遅れるってことはないだろうけど、相手を待たせるのも申し訳ないから、さっさと指定された場所に向かう。一旦昇降口で靴を履き替え、ぐるっと回って校舎裏を目指す。指定された場所は確かに下校していく人の目には付きづらい場所だけど、女子の部室とはちょっと近い。俺が少しソワソワしていると、あの下級生の子が小走りでやってくる。待たせてすみませんって。いーよ全然。こんな風に好きな相手を呼び出すには、一体どれほどの勇気が必要なんだろう。考えてみれば、俺は今まで自分から告白とかしたことがない。目の前で緊張したように前髪を整える彼女が、まるで盾と矛を持った勇者のように見える。彼女は一度深呼吸して、少しだけ俯きがちに口を開いた。
「…あのっ、黒尾先輩」
「…はい」
震えた声に、思わず背筋を伸ばして返事をする。彼女の表情は真剣で、真っ直ぐ見られると、こちらも真剣に向き合わざるを得ない。
「…好きです。…ずっと、先輩のこと見てました。バレーしてるときも、ふとした時に見せる笑顔も、部活に真剣なところも…全部かっこよくて、気付いたら、目で追ってました。…あの、すぐに付き合ってほしいなんて言いません。でも、考えてもらえないでしょうかっ…」
胸が痛くなる。
彼女の言葉には嘘がなくて、その真っ直ぐな想いが、そのまま胸に突き刺さってくる。顔を赤らめて震える彼女はとても可愛らしいし、素直でいい子そうだ。条件さえ揃えば二つ返事でOKしたっておかしくない。…でも、今は応えられない。
「…ごめん。今は部活に集中したい。」
「…それでも、待ちたいんです」
すぐに返事をされて驚く。彼女の声はやはり震えているけれど、意志はまるで折れてなかった。引退まで好きでいる自信がある。待ってる間も応援させてほしい。そう言われて、俺の方もやんわり断ることが許されなくなる。何よりこんなに熱烈に想ってくれている相手に、適当な対応なんてできっこない。この子がそうしてくれているように、こちらの胸の内も晒すしかない。それが、俺がこの子に見せれる最大限の誠意だ。
「…ありがとう。そんなふうに言ってもらえるのは、嬉しい。けど、応えられない。」
俺は静かに、でもはっきりと声に出す。
「俺も、好きな子が居るから…。引退したら、その子のことを考えたい。…ごめん。」
胸がズキズキ痛む。今までだって毎回この瞬間はしんどいと思っていたけど、今回は相手もかなり真剣な子だし、断る理由に久世を持ち出しておいてそっちは全然脈ナシなんだから、もう色んな意味で痛い。それでも伝えなきゃならないことだった。
沈黙を風が攫い、校舎裏の木々が揺れる音が微かに響く。彼女はゆっくりと視線を下げ、しばらくの間何も言わずに立っていた。そしてもう一度、ゆっくりと顔を上げる。
「……そう、ですか」
悲しいとか悔しいとか、絶対にそういう感情が渦巻いているはずなのに、その声は妙に澄んでいた。「でも、言えて良かったです」なんて、どうにか笑顔を作って見せる彼女は、俺よりよっぽど強く、大人に見える。
「聞いてくれて、話してくれて、ありがとうございました。」
ぺこっと頭を下げる彼女に、俺も感謝の言葉を口にする。顔を上げた彼女は笑っているけど、泣いていた。それでもどこか誇らしげな表情は、やはり勇者のようだ。最後に一礼して、駆け出すようにその場を去っていく背中を見送る。長い髪とスカートが揺れるその後ろ姿を、俺が包んであげる未来もあった。中谷の言うように、それでもいいんだと思う。…それでも、もう俺の中には別の人がずっと居る。壁に背をもたれ、緊張の糸を解くように息を吐く。ぼんやりと空を見上げるその視界の隅、女子部室の方で人影が揺れる。あーーーもう。ちゃんと見なくても分かる。アイツにはこいうところばっかり見られるって、もう決まってるんだ。俺はもう一度大きく溜息を吐いて、やっと動き出す。
部室で着替えていると、研磨が隣でボソッと「なにその顔」と言う。どんな顔だよと聞いてみると疲れたみたいな顔だと言われるから、まぁ確かに疲れたなと納得する。告白を断るのにも体力が要るし、自分の恋模様が芳しくないのもしんどい。
「はぁ〜?練習これからだぞ。何をそんなに疲れることがあるんだよ」
突っかかってくる夜久に返事をする元気もない。はぁ〜と長い溜息を吐くと、研磨が「どうせ透香のことでしょ」なんて言う。夜久も「ああ、全然進展ないからか?」とか言って、グサグサ刺してくる。勘弁してほんとに。
「…外から見ててもやっぱそう?」
「まぁ、特に変わってねぇな」
「いや、でも分からないよ。目に見えてないだけで、何か変わってるかも」
「ないだろ」
グサァァ。
せっかく海がフォローしてくれようとしたのに、夜久がその希望を断つ。ほんっとに深刻なダメージ喰らうからやめて。変わってないことなんか自分が一番分かってる。元々人としては信頼されてるし好かれてはいる。でも、それ以上の感情はない。俺がアピールしたりしてみても、その時は多少反応があったりするけど、どれもびっくりしただけとか、言われ慣れてないからちょっと照れただけとか、そんな感じだ。少し時間が経てば元通り。久世が俺を見る目は、変わってない。
「研磨から見たら、どう?」
「…うーん……今じゃないんじゃない」
研磨の熱を持たない分析でも、バッサリと切られる。でもそりゃそうだ。久世は完全にマネージャーとして真摯に部活に向き合ってくれてるし、受験勉強だってしなきゃならない。どう考えても恋愛に現を抜かすタイミングじゃない。それは俺も同じだ。海が「助け舟を出したつもりだったんだけど…」と苦笑いするけど、もうそれに反応もできない。
「はぁ。もういい。切り替えっからお前らもその話やめろ」
雑に話を終わらせて部室を出る。切り替えるなんて簡単に言ったけど、実際にそれができるかは自信がない。体育館には久世が居て、やっぱりどうしたって気になってしまう。靴紐を結び直しながら溜息を吐いて、しまった、と思う。あーもう、ほら、あの子が心配そうに近付いてくる。俺が期待すれば絶対に挫いてくるし、今はやめてくれって思った時には絶対来る。この子は本当にそういう子だ。
「…繊細モード?」
「……やっぱ見てた?」
「見ちゃった」
久世の言いたいことが分かって、バツが悪くなる。コイツは俺のダサい部分にばっかり妙に目敏い。さっきの告白シーンを見て、それで俺が疲弊してんのがバレバレなんだろう。しかも繊細だねって言ってくる時の声はやたらと優しいから、俺は毎回いたたまれなくなる。
「モテモテなのも大変だね」
どう返事したとか、そういうのすら聞いてこない。ただただ優しい声で、慰めるように話す久世に、なんかもう悲しくなってくる。やっぱり今コイツと話すのはしんどい。俺は何か準備をするフリして適当にその場を離れようとしたけど、そのタイミングでリエーフが久世を呼びつける。…今見なきゃなんないの?コイツとアホのバグ距離感を?当然久世はそっちにパッと顔を向けて、歩き出そうとする。今話すのしんどかったし、別にいい。リエーフのことは犬や猫だと思ってるって言ってたし、別に────考えとは裏腹に、手が勝手に久世の手首を掴む。そして、彼女が振り返る。
「………うん?なに?」
「…………………なん…だろね……」
自分でも何がしたいのか全く分からず、でもまだ手を離せない。リエーフが待ちきれずにこっちに向かってくるのが視界の端に映る。わけも分からないまま、ただ久世の顔を見詰めてしまう。彼女は相変わらず綺麗な瞳で、俺の心の深淵を探ってくる。……いっそ、早いとこ砕けてしまった方がいいのかも知れない。さっき想いを告げてくれたあの子のように、俺も、「言えて良かった」、「聞いてくれてありがとう」って、それで────
「透香さん早く早く!俺絶対記録伸びてますよ!」
「んぐっ、」
リエーフが無遠慮に彼女の肩を攫い、その勢いに首が追いつかず、久世が呻く。そして、気付いたら俺の手は離れていた。彼女の手首の感覚を握り込むように、右手を固く閉じる。
──今、俺は何を考えた?
俺は、楽になりたいのか?
脈ナシの相手を想い続けるのは苦しい。部活に集中したい。勉強もある。だからさっさと告白して振られて、笑い話にでもした方がいい。その方がいいのに、ほんの一瞬でもそうしようとした自分が、何故だか許せない。そんな簡単に終わらせられるものなら、こんなに悩んでない。
「黒尾も測る?」
そう言って、壁に立掛けた測定器を指差して振り返る彼女は、俺達の最高のマネージャーだ。俺一人の身勝手な感情で、その顔を曇らせたくない。
「いや、いい」
「そう?」
久世は特に俺を気にとめた様子もなく、1年達の垂直跳びの到達点を測定し始めた。それをぼけっと眺めていると、通りすがりの研磨に「切り替えるって言ってなかった?」と言われ、ぐうの音も出なくなる。
「長期的な目で見なよ。どうせクロ諦めないんだから」
ボソッと置いていかれた言葉は的を射ていて、さすが幼馴染、さすが研磨だと思う。言ってしまえば、コイツは俺の執着心の一番の被害者だ。俺が一緒にバレーしたくて、中学でも高校でもバレー部に入れと言った。コイツの苦手な人間関係とか色々あっても、それでも辞めるなと言って繋ぎ止めた。少しでも研磨の世界が広がればいいとか、少しでも楽しんでもらえたらいいとか、そういうのは後付けの理由だ。はたから見たら俺は面倒見のいいオニーサンに見えるかも知れないけど、多分甘えてるのは俺の方。
「どうせ諦めない」……そうだよなぁ…。
こっちに越してきて間も無い頃、父親に連れて行ってもらったショッピングモールで見た恐竜のフィギュアがめちゃくちゃ欲しくて、それを今も覚えてる。俺があんまり熱心に見てるから、父さんは「買うか?」って言ってくれたけど、それはおもちゃというより大人の趣味みたいな精巧なフィギュアで、ガラスケースに入れられてたから、ガキの俺でも高いものだって分かった。「ううん、見てるだけでいい」とか言って断った気がする。でも本当はずっと欲しくて、そのショッピングモールに行く度に眺めてた。中学生になって友人達と行った時も、また見に行った。もうガキじゃないのに、その魚みたいなよく分からない恐竜のフィギュアを、やっぱり好きだと思った。欲しいと思った。実は今もまだ、少し欲しい。
バレーもそうだ。ガキの頃から好きで、しんどいことだってそりゃあるけど、ずっと好きでいる。いつまでプレーヤーを続けるかは分からないが、多分、一生好きだ。
一度惚れ込んだら、変われない。
「はぁ。」
頭の中がスッキリしてきた。
ガラスケースの中の彼女は、今はまだ誰かに買われていく気配はない。それなら、まだ俺のものじゃなくてもいい。今はまだ、見てるだけでいい。そこに居てくれるなら。
────
「カバー!」
「前前!」
今日もゲーム形式での練習が行われていた。チーム分けは日毎にバラバラだけど、誰がどっちのチームに居たか、勝率はどれくらいか、俺達のモチベ向上のために久世が全部記録してくれていた。俺個人としての勝率は6割くらい。可もなく不可もなくだ。バレーはチームスポーツ。個人の勝率なんてそんなに重要じゃない。でも実際数字を出されると、5割を切ってる奴らは当然焦るし、集中力が上がる。それを分かっていて黙って表を作ってきたアイツは、やっぱりこの上なく良いマネージャーだと思う。
笛の音を聞いて、ふーっと息を吐いて集中する。何千、何万回とやってきたルーティン。確かな手応えを感じたサーブは、夜久によって綺麗なAパスを上げられてしまう。くっそ。今の良かったろ。バケモンか。なんて恨み言を言っている暇はない。セッターのモーション、スパイカーの枚数、こっちのブロックの動き、息を吐く暇もなく、必要な情報を処理する。ブロックの開いたコース、福永の姿勢からして、強打じゃない、フェイントか?数歩前に出たところで、そのボールは予想に反して高い位置を直線的に進んでいく。
───プッシュ……!!
「ん゛ぐっ…!!」
身を翻し、思い切り仰け反って、喉が潰れる。ボールは確かに腕に当たり、背筋でそれを返す。そのまま重力に吸い込まれ床に手をつき、すぐに振り返る。ボールは、繋がってる。でも返すだけで精一杯。俺が体勢を立て直して相手コートの様子を見る間もなく、点を奪われる。失点が当たり前なのがバレーボール。すぐに仲間をコート中央に集める。「俺が読み間違えた。ブロックの位置どりは悪くない」「切り替え切り替え」短い時間の中で、認識を合わせる。ボールが落ちたら負けの、思考の猶予がないスポーツ。仲間との連携に不安なんか残していられない。
「お前ああいうの上手いよなー」
「プッシュ・ド・ノエル」
ネットの向こうの福永に声を掛けて、芝山と交代でコートを出る。颯爽と床の汗を拭いて得点板の裏に戻る久世を無意識に目で追っていると、パッと目が合う。何度切り替えようとしたって、バレーに集中したい俺も、コイツのことが欲しい俺も、地続きで繋がってる同じ俺だ。
「サーブ良かったよ!その後のディグも。さすが。」
マネージャーとして信頼する気持ちと、一人の女の子として好きだと思う気持ち、どっちもある。どっちもあっていい。
「守備の連携気にしすぎてない?たまにはドシャットしていいんだよ?スパイカーの練習にもなるし」
「たまにはお茶漬けにしたら〜?みたいに言う……。まぁでも確かに」
練習となると、ついコートのこっち側の奴らの育成に専念してしまっている自覚はあった。ブロックのタイミング揃えたり、レシーバーの位置調整したり。個人技を磨くことだって大事なことだし、久世の言う通り、相手の練習にもなる。ちょっと考えりゃ分かるけど、無意識に遠慮してしまっていたってことも含めて、コイツにはお見通しなんだろう。
前衛になるローテでコートに戻る。相手コートには、木兎にはまだ及ばないうちのスパイカー陣。研磨がトスを上げ、山本が入ってくる。ジャンプする直前、サイドラインギリギリに視線を飛ばしたのを、見逃さなかった。バチン!と手にボールか当たり、そのままの勢いで床に突き刺さる。
「んなア゛?!!」
「っへへー!読まれて焦ったろ。俺に捕まってるようじゃ全国では勝ち上がれねぇぞ」
「クロさんナイスブロック!」
「お前らも絶対イケるって思った時は飛びついてみていいからな」
バレーボールは、やっぱ楽しい。瞬時の駆け引き、情報の取捨選択、仲間との連携。ボールが宙に浮いているその短い時間に、頭と身体を追い付かせる。バレーをしていると、ほんの数秒がとても濃厚に感じるし、とても儚くも思える。
得点を捲り、ノートにメモをとる久世も楽しそうだ。意識的に、その姿を見詰める。俺の視線に気付いた彼女は、今のブロックを称えるように嬉しそうな笑顔を見せてくれるから、プレーヤーとしての俺が満たされ、ただの恋する男子高生の俺が揺れる。これでいい。
また笛がなって、プレーが再開される。
どうせ諦められないんだから、等身大のままの俺で居ればいい。
ラリーが続く中、床スレスレでボールを返した時、少し床と皮膚が擦れる。じゃっ、っと摩擦熱で焼けた皮膚は当然痛が、ボールが繋がったなら、そんなのは些細なことだ。「ナイスレシーブ!」と彼女の声がして、単純に士気が上がる。それでいいんだ、俺は。アイツに振り向いてほしいって気持ちも全部、バレーに変換する。頑張る理由なんか、いくつあったっていい。