赤い糸40,075km
夢小説設定
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
「久世さんおかえり〜」
「この時間いっつもどこ行ってるの?」
連日通り赤葦くんと話し込んでから部屋に戻ると、各校のマネージャー達…通称マネちゃんズがそれぞれの布団の上でのんびりと過ごしていた。みんなとももう随分打ち解けることができてきたし、質問に対して素直に「赤葦くんと話してる」と返す。そうなんだ〜って感じで軽く流れるかと思ったのに、みんなが えっ て顔で固まるから、私も ん? と固まる。
「え、赤葦?」
「黒尾くんじゃなくて?」
「え、なんで黒尾?」
唐突に出てきた名前の意味が分からず聞き返すと、雀田さんと宮ノ下さんが顔を見合せている。えっ、なに?私が自分の布団の上に座るのを見届けてから、宮ノ下さんが意を決したように言う。
「気になってたんだけどさ…、久世さんと黒尾くんは付き合って…ないの?」
────???
付き合っ……え?付き合うって…そういうことだよね。私と黒尾が?ないないないないない。天と地がひっくり返っても無い。じゃあなんで宮ノ下さんはそんなことを言うのか。いや、そうか、黒尾のことをよく知らない人からしたら、普段のあの態度は確かに誤解を生む。黒尾の名誉のためにも、ちゃんと訂正しておかなくちゃ。
「私と黒尾の間にそんな特別なものはないよ。あれはね、そういう習性なの。みんなが音駒のマネだったとしてもやられてるよ」
みんなに誤解を与えているのは、黒尾がやたらめったら「うちの可愛いマネちゃーん」とか言って大した用事もなく私を呼びつけたりするアレだ。既にやめてほしいと伝えたし、それで大分控えてくれるようにはなったけど、それでも他校の人にドリンク配ったりしてるとすごい見てくるし、まるで周囲から隠そうとするように立ち塞がったりして、心臓に悪いことは変わりない。でもアレはもう黒尾の癖みたいなものなんだろう。研磨にもいっつも過保護だし、そういう人だ。身内に対しての親心というか、父性というか、そういうのでやっている。だから何も無いよと言うと、みんなはそうかな…?と少し困惑しているようだ。
「赤葦と夜会ってるの、黒尾くんは知ってるの〜?」
「うん、知ってる」
「何も言わないの?」
「…?早く寝なさいよー…くらい…?」
「お父さんか」
そう、それ。黒尾は世話好きや過保護が行き過ぎてもうお父さんみたいになってることも多い。宮ノ下さんはガッカリした様子で「キュンキュンする話聞けるかと思ったのに〜」と嘆いていて、なんだか申し訳なくなる。無いよ。そんな話。
「じゃあ赤葦くんは?赤葦くんとはどうなの?」
「どう……?」
「いつも何話してるの?」
「木兎の話か、バレーの話かな」
「あーー……」
「そうだった…久世さんはアイツらと同じくらいのバレーバカなんだった…」と雀田さんが頭を抱えてしまう。話の流れがよく分からないけれど、私の返答はどうやら期待外れだったようだ。宮ノ下さんが「誰か一人くらい恋バナないの〜?!」と言っているということは、既に他のみんなには聞いて、そして無かったんだろう。清水さんがそろそろ消灯時間だと言って電気を消す。それぞれの布団に潜った後も、宮ノ下さんは恋バナ〜…と嘆いていて、白福さんが「じゃあ〜」と提案する。
「この合宿メンバーの中で一番かっこいいと思う人発表しよ〜」
「わっ!それいい!やろやろ!」
「えぇ…」
二人以外は全然乗り気じゃないが、この合宿に参加しているメンバーの中で、それぞれが一番かっこいいと思う人を順番に言う流れになってしまった。まず二人がサラッと発表し、あとの面々は言いたくなさそうに順番を譲り合っている。二人が挙げた人達は、確かにかっこいい。ハーフ顔が好きで〜なんて理由も、軽やかで全然変な感じはしない。私もそのくらいのテンションで答えることができたらいいのに、ちょうど良い人が思い浮かばない。カッコ良さって様々だし、みんなそれぞれ素敵だと思う。好みのタイプとかよく分かんないし、誰が一番なんて分からない。というか、好みなんて考えたところで、私には一人しか居ない。みんなかっこいいけど、そこに差はなくて、あるとしたら私が特別な感情を持っているかどうか。でもここで馬鹿正直に言えるようなものじゃない。理由はなんて言うの?好きだから?言えるわけない。ぐるぐると考えている内に、谷地さんと清水さんも言わされてしまったようだ。まぁ仲良さそうだからその辺の名前が挙がるよねって感じで、何も不自然じゃない。とうとう雀田さんも発表させられ、へ〜意外〜なんて揶揄われている。どうしようどうしよう。あとは私だけだ。白福さんが「じゃあ最後に〜」と声を掛けて来た瞬間、閃く。『今日のMVPだから』とかいう理由にすればいいんだ!!今日の黒尾は間違いなく大活躍だったし、それは試合をした他校のマネちゃんだって分かるはず。よし。ちょうど良い理由を思いつくことができて、私は冷静に発表することができた。「へぇ〜?」「ふぅ〜ん?」と含みのある反応をされてしまったけど、決定打にはならないはずだ。別にマネージャーが部長のことを好きだなんてよくある話だし、もうみんなとも仲が良いんだから話してしまっても何も問題はないんだけど、私はこの恋心を隠すと決めている。少なくともマネージャーでいる内は。
雀田さんがいい加減寝るよと言うと、盛り上がっていた二人も満足したのか、素直におやすみなさいをした。
薄い掛け布団に潜り込み、久々に自分の恋心の蓋を開けてみる。黒尾のことが好き。好き。好き。彼の色んな表情や言葉と共に、それを愛しく思う気持ちが溢れ出てくる。その勢いに思わずまた蓋を閉める。ぐいぐいと押し込んで、叩いて、小さくして、はみ出たものを詰め直して。やっぱり駄目だこれは。ちゃんと管理しておかないと。気付けばもう二年以上も膨らみ続けた想い。蓄積されるばかりで、何一つ減らない。私は私の恋心を嫌いではない。黒尾のことを好きでいるだけで幸せだと感じれる瞬間は、とても優しく、尊い気がするから。でも黒尾の邪魔になるなら、居なくなってもらうからね。ごめんね、窮屈だけどしばらくはそこに隠れてて。いつの日か彼の居ないところで、自由にしてあげるから。
─────
翌日。今日も短い試合を繰り返す。
試合の合間にドリンクを配って回っていると、なんだか違和感を覚える。なんだろう、なんか、いつもより快適なような…。森然の選手達にドリンクを配り終え、次の仕事を探す。広い体育館を見渡すと、黒尾がマネちゃん達と話しているのが視界に入る。あ、そうか。違和感の原因はコレだ。合宿中ずっと監視してきた黒尾の視線がなかったから、それで快適だったんだと気付き納得する。それにしても、黒尾がああやって他校のマネちゃんと話し込むなんて珍しい。しかも複数人。……パッと見、チャラ男がかわい子ちゃん達を侍らせているように見えなくもない。うーん。絵面が良くないなぁ。でもよく見てみると、黒尾はなんだかタジタジで、赤くなった顔を手で隠そうとしている。め、珍しい……。黒尾はクラスでも普通に女子と話す方だけど、あんな風に分かりやすく照れているのは見たことがない。なんだか見てはいけない気がして、踵を返す。今は特に急ぎの仕事はないようだから、空いているコートのモップがけでもしてしまおう。私は隅っこに立て掛けられているモップを手に取り、余計なものを見ないように少し俯いてモップがけをした。
試合が全て終わり、ビブスを回収してカゴに入れる。今日は音駒と生川の試合が早く終わり、隣のコートでは行われている試合はまだ中盤辺りのようだ。ビブスの最終的な回収、洗濯は全ての試合が終わってからだし、そうなると今私にできそうな仕事はここには無い。それならさっさと第三体育館の準備をしてしまおう。ストレッチをしている黒尾を横目に、一人で移動する。
第三体育館のちいさな用具入れからポールを運び出す。重いものを一人で持つなとガミガミ言ってくる人が来る前に、えっほえっほと左右のポールを立てる。ふぅ。これでひと安心だ。再び用具入れに戻ってネットを抱きかかえる。その時、辺りがふっと暗くなった気がして体育館の方を振り向くと、用具入れの入口を塞ぐように黒尾が立っていた。
びっっっくりした。
足音とか気配とか消すの上手すぎでしょ。
「風の噂で聞いたんだけどさァ」
私がどうにか心拍を落ち着けようとしていると、黒尾が唐突に喋り出す。その声はダル絡みしようとしている時の雰囲気も孕みつつ、それなのに妙に重い。えっ、なに。なんの話。ネットをぎゅっと抱きしめて身構える。黒尾がじっと目を見詰めてきて、心臓は休む暇を与えてもらえない。
そして───
「久世サンって、俺のことカッコイイと思ってんだって?」
ぶわわ、
あっ、しまった。
急激に頬に熱が集まってしまい、悔しくて顔を逸らす。やってしまった。こういう態度を取ってしまったら好きなことがバレてもおかしくないのに。別に今の発言くらいどうにか流せたはずなのに、なんだか声が妙に艶っぽくて食らってしまった。発言内容とタイミングからして、マネちゃんズの誰かから昨夜の話を聞いたんだろう。それは別にいい。内緒にするって話でもなかったし。でも揶揄うならもっと分かりやすく、もっと軽いノリで来てもらわないと困る。口元はニヤニヤしていたけれど、瞳にはどこか熱が籠っているように見えてしまって、勝手にドキドキしてしまった。ちくしょう、やらかした。これは新手の嫌がらせなんだろうか。彼の持つ色気を全面に押し出して、その反応を面白がられてる?なにそのモテ男の遊び。こっちはレベル0なのに、レベル100のモテ男にそんなことされたらひとたまりもない。というかそもそも私はこの人に一目惚れしたんだし、そりゃかないっこないよ。
……で、なんで黙ってるの?
自分から仕掛けたんだから、回収くらいしてよ。この雑魚を好きなだけ嘲笑えばいいじゃん。
沈黙に耐えられず、黒尾の顔を見上げる。
「……………なんでそっちが照れてんの」
「い゙やっ、……ぐ…」
黒尾は何故か、顔を赤らめて呆けていた。
………???
それを指摘しても、あーとかえーとか言っていて要領を得ない。私は逆に冷静になり、考える。今黒尾が赤面するような要素は無かったはずだ。そういえば昼間マネちゃんズと話していた時も顔が赤かったけど、あの時は一体どんな理由でそうなっていたんだろう。黒尾はそう簡単に弱みを見せるような人じゃない。だとすると、これは照れてるんじゃなくて、もしや病的なもの…?プレーの様子は全然いつも通りだったけど、熱でもあるんだろうか。見逃してしまったんだろうか、大切な部長の体調不良を。
「のわっ、?!」
ずいっと近付きその顔を近くで観察するが、判断が付かない。でもちょっと首まで赤い気がするし、もし本当に体調不良だったら大変だ。体温や脈拍を測ろうと手を伸ばし、その首筋に触れる。指先にじゅわっと熱を感じた瞬間、その手がベリっと剥がされる。
「おまっ…、お前はさぁ……」
黒尾は片手で顔を隠し、長い溜息を吐いた。私の手をぐちゃっと握る手は、熱い。その手の温度や、大きさに、私の顔にもまた熱が上がりそうになる。
「もしかして熱でもあるのかしら、って思ったワケ」
「思っ……てる。」
「現在進行形ね」
違ぇから。と言って黒尾が手を離す。その顔からはもう大分赤みが引いていて、結局さっきの反応が何だったのか分からなくなる。
「はぁ〜〜〜。もういいや。ネット張ろうぜ」
「あ、うん」
私が抱いているネットを受け取ろうとするから、そうはさせずに歩き出す。黒尾は少し手持ち無沙汰な様子だけど、特に咎めることもなく一緒にコートの中央まで戻り、二人でネットを張る。
「お前さぁ、たまにはもうちょっと優しくレシーブしてくんない?いっつもダイレクトとかキルブロックじゃん」
「…?何の話?」
「こっちの話。」
黒尾は訳の分からないことを言って、勝手に拗ねている。私はとにかく、かっこいいと思っている件についてなあなあに流れたことに安堵しているから、今は黒尾の言うことに追求するつもりはない。ネットを張り終えた頃、いつもの面々が続々と体育館に集まってくる。合宿は明日も続くけれど、夜の自主練は今日が最後。私達3年には“来年”が無い。この場所で、このメンバーで練習するのは、本当に最後だ。
「よっしゃあ!そんじゃ本気の3対3やろうぜ!久世!審判と得点やってくれ!」
「オッケー!」
気合い十分の木兎に返事をして、パイプ椅子を持ってきてポールの横に置く。第三体育館には主審台なんて大層な物はないから、この上に立って少しでも視界を上に持っていく。コートの右側には木兎、赤葦くん、日向くん。左側には黒尾、リエーフくん、月島くん。最もよく組むチーム分けだ。3対3は既にやっていたけど、1本ずつ指導が入ったり、サーブ権とかは適当だったから、最後にガチ試合っぽくやりたいんだろう。みんなの準備が整ったのを見計らい、笛を鳴らす。
月島くんのサーブから始まった試合。それぞれがこの合宿での集大成を見せるかのように好プレーを連発し、私もつい興奮して、得点を知らせる笛の音が上擦る。リエーフくんも随分成長したなぁ。まだまだ素人っぽいところもあるけど、黒尾の指導のおかげでたまにすごく良いブロックが出るし、高い打点からのクイックはなかなか止められない。日向くんも変わった。GWに見た時とは違って、自分自身で戦う方法を模索し、たくさん試して、少しずつ自分のものにしているようだ。上手くいかない時は悔しがって、でもすぐに「もう一本!」と言う彼は、やはり見ていて飽きない。そんな日向くんにトスを上げる赤葦くんも、本当に頼もしくなった。そりゃ木兎に付き合って毎日数え切れないほどトスを上げてるんだから当然だけど、トスの安定感がすごいし、それ以外にも、基礎的なスキルがぐっと上がっている。さすがは強豪校の正セッターという貫禄がある。木兎は相変わらずだけど、その迫力はどんどんと増している。バレーしてる時の木兎は本当に眩しくて、引き込まれる。全国で5本の指に入る大エース。この人とこうして一緒に自主練できる環境が本当にありがたいと思う。黒尾のことは合宿以外でも毎日見てるから目立った変化を見付けるのは難しいけど、最近は特にブロックが力強くなった気がする。元々どのポジションでもやれそうなくらい苦手なプレーのない選手だけど、ブロックだけは多分この合宿に来てる選手で一番上手いと思う。しっかりと我慢してネチネチ付いていくこともできるし、タイミングを読んで1枚で止めることもできる。しかもその読みも上手いと来た。もはや完全に職人だ。そしてその職人からの熱心な指導を受け、メキメキと成長しているのが月島くん。初日に黒尾に煽られてここにきた時とはまるで別人、トスについて行くその横移動、我慢してタイミングを狙い、腕をしっかりと前に出す。自分という壁がここにあると主張するように、静かに、強く。その姿が、たまに黒尾とリンクする。二人はまさに師弟というのがぴったりの関係性だ。音駒のミドル陣も黒尾からたくさんの指導を受けてるけど、そのプレースタイルを丸ごと受け継ぐような人は居ないから、やっぱり月島くんは特別だ。一年生でコレということは、三年生になった時には今の黒尾を越えているかも知れない。ブロックに関してだけだけど。そんな月島くんのブロックが日向くんを捕らえ、1セットが終了する。
「ナイスツッキー!」
「くっそぉぉおぅぅう!」
「ドンマイ日向ー!」
みんなの姿が眩しくて、ふと、青春の真ん中に居るなぁなんて感傷に浸る。バレーに真摯に打ち込むその姿は、素直に素敵だと思う。日向くんがお得意の「もう1回」を発動し、それぞれが反応を返す。黒尾の様子を盗み見ると、ちょっと呆れたような、しょうがねぇなみたいな顔を作った後、純粋に楽しくて仕方ないみたいに笑う。私の心の奥底にしまった箱が、ギチギチと音を立てる。それをあっち行け!と奥に押し込めて、得点板を0に戻す。もう1回、もう1回を繰り返し、ついにタイムリミットが来てしまう。嫌だなぁ。このままずっと、ここでみんなのバレーを見ていられたらいいのに。なんてことは絶対に言わない。彼らは楽しくバレーするためだけにここに居る訳じゃない。春高を、全国を、その天辺を獲るためにここに集まっている。ここは通過点、だけど。きっとみんなにとっても、大切な場所になったはず。時間を知らせると、日向くんが私と同じように名残惜しそうにする。
「もう終わりか……」
「ヘイ日向!この俺が必殺技を教えてやったんだ。また全国で会おうぜ」
木兎がそう言うと、日向くんは目を輝かせて大きく返事をした。赤葦くんが「その前に明日試合しますけどね」なんて冷静に突っ込む。そんないつも通りの光景が、とても大切に感じる。
「透香さん!俺成長したでしょう!!さぁ!好きなだけ褒めていんですよ!?」
「えっ?あぁ、うん…」
リエーフくんが両手を広げ、期待の籠った顔で見下ろしてくる。確かにいっぱい頑張ったよね。彼の成長は、必ずうちの武器になってくれる。タオルをリエーフくんの頭に被せ、その上からよーしよしよしと頭を撫でる。へへん!とご満悦な彼の後ろに、ぬっと黒尾が寄ってくる。そしてわざとらしく咳払いをして、私と目を合わせる。
「あー、ちなみにぃ、ボクのことも好きなだけ褒めてくれていーんすけど」
「え、」
珍し。
リエーフくんに謎の対抗をすることはあるけど、褒めてほしいって言ってきたのは初めてだ。だってこの人、真正面から褒められたりするの苦手そうだし…というか苦手でしょ。褒めるところなんてたくさんあるけど、ありすぎて困る。リエーフくんみたいに頭を撫でるのもなんか違う気がする。その寝癖ヘアーにタオル被せていいのか分かんないし。うーんと考えてしまうと、「一個もないことある?」と黒尾が落胆する。
「いや、どんな風に褒めたら黒尾が喜ぶか分かんなくて」
「……お前が思うより簡単よ、俺」
呆れたように、でも予想の範囲内って風に黒尾が言う。確かに普通に単純なところもあるし、言葉で言うだけでいいんだろうけど、とにかくいっぱいありすぎて悩む。すると黒尾が「じゃあ俺が褒めるわ」なんて言うから、その意味が分からず顔を上げる。
「去年からずっと、遅くまで付き合ってくれてありがとな」
優しい表情、優しい声に、ちょっと涙腺が緩みそうになる。黒尾とはまだこの先も一緒に居るし、引き続き自主練も手伝うことになるのに、わざわざこう言ってくれるのは、私がこの場所との別れを惜しんでいることに気付いたからだろう。この場所は私にとって特別だった。少し閉鎖的な空間、そしてそこに居るバレーバカ達のおかげで、バレーへの愛を、好きなだけ解放できた。音駒の体育館だって勿論大切だけど、それとは別で、本当に好きな場所だった。感謝するべきなのは私の方なのに、黒尾が私の想いを分かってくれていたことが嬉しくて、上手く言葉が出ない。
「そうかー!久世とバレーすんのも最後かー!お前見る目あるから、すげー楽しかったぜ!」
「おっ、俺も!アドバイス分かりやすくて、助かりました!」
木兎が話に入ってきて、全員の視線が集まる。バシバシと叩かれる背中は結構痛いけど、それよりも嬉しい。私はただみんなの周りをうろちょろしていただけなのに、それを一緒にバレーしていたと思ってくれていたことが、とても、とても、嬉しい。日向くんも声を掛けてくれて、「ほら月島も!」なんて言っている。そんな、いいのに。なんかまるで私の送別会みたいになってない?ほんと泣いちゃいそうだからこれ以上いいよ。でも月島くんも律儀に「お世話になりました」なんて軽く会釈してくれて、あれっ?私って今日で引退だっけ?って気分になってくる。木兎が赤葦くんにも振ると、「まだ最後じゃないですから」と言ってくれるので安心する。そうだよね、良かった。
「だな!春高は1月!まだまだ先は長ぇぞ。ちゃんっと見とけよ?」
「…うん……!」
私の返事を、木兎は当然だと言わんばかりの顔で受け止めてくれる。この場所で集まるのは最後だけれど、まだ、先がある。予選を乗り越え、年を越せば、春高本戦。そこでまた、必ず会おう。今見るみんなの姿は、既に頼もしい。でももっと、もっと。もっと強くなった姿が、きっと見られる。
────
自販機の灯の元で話すのも、これが最後。
何もかもが、あっという間に過ぎ去って行く。
隣にいるのが音駒の誰かだったら、こんな気持ちを吐露することはない。勝手に感傷に浸って、仲間の士気を下げたくないから。でも今隣に居るのは赤葦くんだ。彼にはなんだか隠し事ができないし、したくない。赤葦くんは私がいつどんな話をしても穏やかに聞いてくれて、私が遠慮することを決して許さない。それは間違いなく優しさだけど、圧力でもある。俺に話せないことがあるんですか?ないですよね?と言われているような、そんなオーラを感じることがある。でも別に嫌じゃない。実際彼に話せないようなことなんて何も無いし、話せば話すほど、心が穏やかになっていく。私だけが頼りっぱなしでいいのかと思うけど、赤葦くんはいつもそれこそが幸せだなんて言うから、最近は本当に遠慮ができなくなった。
「やっぱり寂しいな」
「俺もです」
もう第三体育館で集まれないのが寂しい。もう二度と夏合宿が返ってこないことが寂しい。こうして毎日赤葦くんと話せなくなるのも寂しい。思っていることをただそのまま呟き、赤葦くんが共感してくれる。「まぁ俺は呼んでもらえればいつでも会えますけどね」なんて言ってくれる彼は、やっぱり優しい。終わっていくものだけじゃない。まだこの先がある。それに目を向けるべきだとは分かっていても、それでも寂しさに抗えない。すると赤葦くんが「多分、俺の方がもっと、ずっと寂しいです」と言う。
「来年は貴女も、木兎さんも居ない。正直全然想像つきません。寂しいというより、もはや怖いくらいですよ」
そう言って少し笑う赤葦くんは、本当に怯えているように見える。私は新体制になったばかりのチームに加わり、ここまで来た。置いて行かれる側の気持ちを味わったことはない。でも確かに、もうここに来れないことよりも、来年も来れるのに、そこにいつものメンバーがいないことの方がしんどい気がする。特に赤葦くんは、バレーへのモチベーションの大半を木兎に委ねているように見える。そんな人が居なくなったらと思うと、そりゃ怖いよね。私がその怖さを取り払ってあげることはできないけど、寄り添うことはできる。いつも赤葦くんがしてくれているように。
「寂しくなったらいつでも連絡してね、メールでも、電話でもいいよ、すぐ出るから」
赤葦くんはじっと私の目を見て、ふっと力が抜けたように目を細める。「多分その時私も寂しがってるだろうし」と追加すると、ふ、と笑う。
「じゃあ、毎日3時間電話させてください」
「あははっ、いいよ」
お互い絶対しないだろうということが分かった上での冗談に笑い合う。優しい時間が流れ、過ぎていく。「また明日」と言ってすんなり別れることができたのは、きっとさっきの冗談のおかげだ。
合宿は、明日で最後。
合宿最終日。
各校それぞれがこの合宿でより練度を上げ、更に強敵になっている。でもそれはうちも同じ。梟谷には負け越しちゃったけど、最終的な戦績はまずまずだ。みんなも今後の課題ややってみたいことも色々見つかったみたいだし、今年の合同合宿もとても有意義なものになった。全ての練習試合を終え、この合宿最後の、スペシャルなメニュー、BBQが始まっていた。
手先が不器用な私は、野菜を切ったりするのを他のマネちゃんにお願いし、ひたすら往復して必要な物を運んでいた。これを運んだら全て揃うし、マネちゃんズの中でも既に手の空いた人が居るようだから、私もそろそろお肉にありつけそうだ。とはいえ、基本は頑張った選手が優先。私は女子の中では体が大きい方だけど、食べ盛りの高校生男子が群がる中では弱者だ。端っこのお肉を一つだけ拝借し、マネちゃん達の元に戻る。白福さんの食べっぷりは見ていて気持ちがいいな。私もおにぎりを貰って食べる。美味しい。食べるって幸せだ。心地よい疲労感、野外で大人数で食べるご飯はいつもとは違う特別感がある。みんなと談笑しながら食べ進めていると、ふと視線を感じる。よく見てみると、あちこちの男子達がこちらをチラチラと窺うように見ていた。ここに集まっているマネちゃんズはみんな可愛いから、意識してしまうのも分かる気がする。えっ、私ここに居たら邪魔かな。いや、むしろ私は男子の邪な目線から彼女達を守るべき?どの立場で居たらいいんだろうか。少し離れたところでは、虎くんが烏野の子達と清水さんを守る会を発足していて、やっぱりその対応が正しいのかと一人頷く。ヘラヘラ、ニヤニヤ、モジモジと、多種多様な様子でマネちゃんズを見てくる男子の視界を邪魔するように仁王立ちする。彼女達に話しかけたくば私を倒してから行け!そんな意気込みでいると、早速一人近付いてくる。貴様は彼女達に見合うような男なのか?!と見上げてみると、それは黒尾だった。なんだ黒尾か。黒尾ならまぁ…いいのか?私が考えていると、黒尾は「なぁにやってんのお前は」と言って私の方を見ている。
「ちょっとコイツ借りてっていい?」
「どうぞ〜」
「どうぞどうぞー」
ぼけっとしていると、何故かマネちゃん達に差し出されてしまい、何も理解できないまま黒尾についていくことになる。黒尾は別にマネちゃんズを狙ってた訳じゃないのか。私に何か頼みたい仕事でもあるのかな、と思っていると、バーベキュー台の前に立たされ、「はいこれ持って」と紙皿と割り箸を渡される。
───??? これは──??
「はいお食べ〜」
「???」
私が持つお皿の上に、焼かれたお肉、野菜が乗せられていく。
「あの…これは」
「お前がおにぎり一個で足りる訳ないだろ。どうせ選手が優先〜とかって遠慮してたんじゃねぇの」
なんでそんなに全部知ってるんだこの人。こういうご奉仕みたいこと、やるとしたらマネージャー側がやることなんじゃないんだろうか。なんで私は今部長様にお肉を焼かせてるんだ?「冷める前に食えよ〜」と言われ、反射的にお皿の上のお肉を食べる。美味しい〜〜〜♡かぼちゃ、玉ねぎも美味しくて、簡単に幸せの絶頂にまで登る。私の顔をチラッと見て満足そうにほくそ笑む黒尾を見て、ハッと我に帰る。何普通に受け入れてるんだ私は。
「待って、なに、なにこれ。なんで餌付けされてるの私」
「ただの俺の趣味だから、気にせず食え、ほら」
出た。黒尾の世話焼きモード。
この合宿で分かったこと。それは、黒尾はダル絡みをウザがる人に対して、より一層絡むと言うこと。月島くんへの態度を見て確信した。研磨にしろ月島くんにしろ、彼が熱心にお節介を焼く相手は頭脳派で、大人しくて、彼のその絡み方に対し、非常に冷たく対応する。私と二人に共通点があるかは微妙だけど、黒尾の中では同じカテゴリーに入っているのかも知れない。こういうのほんと、やめてほしい。
「そんなジト目で見てもダメ」
「これだけ食べたら帰る」
「はいはい、いっぱい食べような〜」
嫌だという意思表示をしてみても、全く効いた様子はない。いや、嫌がるからエスカレートするのか。それならもう受け入れてしまった方が早く解放されるのかも知れない。私はもう普通に世間話でもしてやろうと思い、ちょっと気になっていたことを聞いてみる。
「そういえば、おでこ大丈夫?たんこぶ引いた?」
「んぶッ?!、ぐ、ゲッホ…!…、!」
「えぇ?!なに?!大丈夫?!」
急に咽せる黒尾にお茶を渡すけど、受け取ってはもらえず、どうにか落ち着いても目も合わせてもらえなくなる。世話焼きモードを強制終了させることはできたようだけど、今度はまた別の、よく分からない状態になってしまったのかも知れない。ぶつけたところを心配しただけなのに。
「…あ、のさぁ。…危機感とか羞恥心とか、そういうのはお持ちでないんですかね?」
「お持ちのつもりだけど…」
「お持ちだったら普通見られたくないとか思うはずなんですけどね」
早口で責めているのは、黒尾がおでこをぶつけてしまった原因の出来事───私のびしょ濡れのTシャツを、黒尾に絞ってきてもらった後のことだろう。黒尾は何も見ないように努めてくれたけど、結果的には粗末なものを至近距離で見させてしまった。それについては心から申し訳なく思っているけど、黒尾があまりにもショックを受けたような反応をしていたから、羞恥心とかを感じる余裕が無かった。
「本当にごめんって思ってるよ」
「そうじゃねえの!警戒しろっつってんの!」
文句を言いながら網の上の野菜を丁寧にひっくり返す黒尾はチグハグで面白い。警戒と言われてもなぁ。相手は黒尾…つまり好きな人だし、好きなことがバレそうなら警戒しなきゃいけないけど、別に事故で下着姿を晒したイコール好きにはならないだろうし、やっぱりそこまで警戒するようなことじゃない。でもそうか、黒尾からしたら、私は誰にでもあんなに無防備だと思われているのか。それは流石に違う。よく知りもしない異性が相手だったら、当然不快感でいっぱいになる。そもそも頼まないよ、あんなこと。
「誰にでもって訳じゃないから、大丈夫」
はぐ、とお皿に盛られた椎茸をかじる。ふか、じゅわっと旨みが広がり。再び幸福を噛み締める。鼻から抜ける香りがより美味しさを増長させ、味覚と嗅覚両方で味わう。ふんふんと咀嚼しながら黒尾の様子をみると、文字通り頭を抱えていた。そういえば結局おでこの状態を聞けてないけど、痛むのかな。
「おでこいたい?ごめんね」
「でこはもう痛くない。もうこの話終わりな。永久に。」
有無を言わさないような低い声で言われ、口を噤む。相当ショックを与えてしまったんだな。本当に本当にごめん。もう一度心の中で謝罪をし、あの時のことはもう忘れることにした。その後木兎がお肉を奪いに来て、雰囲気は一変。黒尾が年相応にギャアギャアと騒ぐのを尻目に、マネちゃん達の元へ帰る。宮ノ下さんが「ナイスきゅんきゅん!」とサムズアップしてくれるけど、あまり意味が分からずに首を傾げながら同じハンドサインを返すことしかできなかった。
宴も酣。空がオレンジ色になり、みんなで手分けして机やBBQ台を片付ける。赤葦くんと台を運びながら、美味しかったね、合宿終わっちゃったね、美味しかったねと話す。撤収作業はあっという間に完了し、それぞれが荷物をまとめに宿泊部屋まで戻る。
「清水さん、谷地さん、お互い頑張ろうね」
「うん」
「はい!」
一足先にバスに乗り込む烏野の面々を見送る。バスのエンジン音が遠ざかり、手を振っていた腕を静かに下ろすと、夕暮れの風がゆったりと頬を掠めていく。
夏の合同合宿、全日程が終了。
私たちもそれぞれ荷物を積み、バスに乗り込む。最後にもう一度、お世話になった親善高校を見上げる。この場所で、たくさんのものを得た。もう戻ることはないけれど、大切な場所。視線を戻すと、同じようにバスに乗り込む直前の赤葦くん、木兎と目が合い、手を振る。まだまだ先は長い。ちゃんと見ておけ。昨日の木兎の言葉を思い出す。もう、感傷的になっている暇はない。みんなが更に強くなって、もっと上のステージで会うために、私は引き続き、私にできることを精一杯やろう。バスの揺れに身を委ね、心地良い疲労感に目を閉じた。