赤い糸40,075km

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最近、黒尾の様子がおかしい。
親心による嫉妬でイライラしたり冷たくしたりしていたということは既に本人から聞いたし、謝罪までされたけれど、それ以降も、彼の言動には微妙に違和感がある。
特に私がリエーフくんと話ている時とか、虎くんと話している時とか、この前も練習試合で赤葦くんと話している時とか…。他の人と話している時に、やたらと割って入ってくる。怒ったり素っ気なくしたりはしないけど、彼の中ではまだ嫉妬が継続しているようだ。
苦労して飼い慣らした猫がいつの間にか他の人にも懐いていた、という寂しさはなんとなく分かる気がするし、私は確かにマネージャーになってからしばらく黒尾しか頼れる人がいなくて、なんでもかんでも全部黒尾に聞いていた。でもそれじゃ駄目だと思っていたし、他のみんなとも親しくなれて、できるだけ黒尾には頼らないように努めていた。それが本人にとっては嫉妬に繋がってしまっていたんだなと言うことは理解したけど、それを分かった上で、私はどうしたらいいんだろう。私は変わらず黒尾のことが好きで、でもマネージャーとしてそばにいる間はその気持ちは押し込めると決めている。だから必要以上に関わらないようにしていた時は心穏やかだったのに、最近は黒尾の方から来るから、結構心臓に悪い。


「やっぱお留守番寂しいッスよー!!」

うわぁんと大袈裟に嘆くリエーフくんが腰に巻きついてくる。明日からのGW、うちは宮城まで行って4日間の合宿を行う予定になっていた。リエーフくんは他の1年生より入部届の提出時期が遅く、遠征費用のことも鑑みて今回の合宿には不参加となった。他のみんなが後片付けをする中、膝をついて嘆く彼の頭を撫でる。リエーフくんのことは、正直人間だと思っていない。動物だ、彼は。「リエーフくんも宿題の走り込みちゃんとやっといてね」と言いながらサラサラの髪を梳く。銀色に輝く細い髪が綺麗だ。大きい猫ちゃんは「走り込みなんて楽しくないッス…」と拗ねて頭をグイグイ押し付けてくる。するとそこに、やっぱり黒尾がやってくる。

「退けリエーフ!いちいちベタベタすんな!」
「あぁーっ!」

べりっと引き剥がされたリエーフくんが体育館の床に転がる。そしてそのままそこで駄々を捏ね始めた。あらまぁ…とその様子を眺めていると、黒尾が一歩、ズイッと距離を縮めてくる。
え、近。
シューズの爪先が触れそうなくらいの距離に、私が一歩後ずさると、もう一度黒尾が距離を詰めてくる。えっえっ、なに?!どういうつもりなのかと仰け反って顔を見上げると、黒尾は口をへの字にしてじっとこちらを見下ろしていた。私は心臓が飛び出そうなのをぐっと堪えて、なんとか声を絞り出す。

「な、なに」

黒尾は何も答えず、じぃ〜〜っとこちらを見ている。
なになになにもう。
耐えきれずまた一歩後ずさると、肩をすくめた黒尾がやっと口を開く。

「な、近ぇよな?」
「う、うん」
「でもリエーフとはいっつももっと近ぇよな?」
「うん…?」

ピンと来ない。
リエーフくんのはじゃれ合いで、黒尾のは…。いや、というか、動物だと思っている人と好きな人とじゃ違うに決まっている。…待って、もしかして、こういうところからも好きだってバレてしまうのかな。じゃあ、どうしたら。

「でも俺がやったら絶対怒るよな。その差って、なに?」

核心に迫るような質問に、息を呑む。えええ。それ、何て答えればいいの。というか、なんで黒尾がそんなこと気にするんだろう。

「…リエーフくんは…猫ちゃんだから…」
「はぁ?」

とりあえず黒尾のことには言及せずリエーフくんのことだけ答えると、黒尾は顔を歪めた。

「じゃあ、山本は」
「虎くん?」
「結構グイグイ行ってんじゃん。なにあれ。」

なんなんだ。なんでそんなに質問責めしてくるの。虎くんには確かに私から話しかけることの方が多い。私程度を女子と意識して緊張しているから、流石にそれじゃ日常生活にも支障が出るだろうと思って、ちょっとしたスキンシップとかを交えることもあるけど、そんなにグイグイ行ってるかな。考え込む私に気づき、黒尾が短く息をつく。

「…まぁ、いいや。とりあえずは。」

まだ納得していなさそうな顔をしたまま、黒尾はその場を後にする。
…なん…なんだったんだろう。
内心ほっとしながら、私は倉庫にモップを取りに行く。チラッと黒尾の様子を見ると、海くんと合宿のことを話しているようで、その期待に満ちた横顔はどこか少年のようだった。
私は詳しくないけれど、合宿の最終日に因縁の相手との練習試合があるそうだ。確か…烏野高校。それを聞いた時、黒尾はとても嬉しそうにしていた。因縁というのは主に監督同士のものらしく、黒尾は猫又監督のことを本当に尊敬しているようだから、それで張り切っているんだろう。そういうところが、やっぱり好き。



───────


東京駅。たくさんの人が行き交う中、赤いジャージの仲間達と歩く。黒尾が部長として先導して、新幹線の改札を通り、目的のホームに上がる。私はそれを一番後ろから見守り、誰も逸れていないか一応確認する。乗車券に書かれた号車の前で整列し、数分待つと私達が乗る新幹線がやってくる。乗るのが初めての人も居るようで、時々騒がしくなってしまいそうになるのを黒尾がすぐ抑える。いいチームだし、いい部長だな〜なんて客観的に眺めながら指定の号車に乗り込むと、みんなそれぞれ好きに座席に着いていった。うちの団体は1両の後方を人数分取っていて、誰がどこに座るかは特に決めていない。空いてる席を探していると、ちょいちょいと手招きされる。その手は、2列シートの窓側に座った黒尾のものだった。

「えー…やだ…」
「やだじゃないの」

車内なので少し声をひそめて抗議すると、当然却下されるので仕方なく黒尾の隣に座る。
うわーー……。やだな。近いな。
黒尾の隣にはてっきり研磨が座るものだと思っていたから、このパターンは想定していなかった。気を抜いたら肘が触れてしまいそうな距離で、できるだけ通路側に体重を傾ける。他の人だったらここまで気にしなくてもいいのに、なんでよりによって黒尾なんだ。

「2時間くらいで着くけど、アレだったら寝ててもいいぞ」
「寝ないよ」
「そ?残念」

残念ってなに?
近すぎて顔を直視することはできないけど、またいつものようにニヤニヤしているであろうことは分かる。2時間なんてあっという間だし、目的地の仙台が終点だからといって、マネージャーが寝るのはなんだか良くない気がする。それなのに、黒尾はそれっきり何も話しかけて来なくなるし、隣に好きな人がいるせいで少し体温が上がっていて、ポカポカして少しずつ意識がぼんやりとしてきてしまう。頭が通路側にカクッと傾き、瞬時に戻す。寝ないと宣言したくせにやっぱ眠いんじゃん、と黒尾に揶揄われると思ったのに、彼はただじっと窓の外の景色を眺めていた。私はホッとして、ついまた瞼を閉じる。うつらうつらしながら、黒尾の方にだけは傾いちゃいけない、と無意識に思う。また通路側にカクッと首が倒れて、今度はそのまま意識を手放した。




「♪──ご乗車ありがとうございました。まもなく、福島に到着します。」


車内アナウンスが聞こえてきた気がして、ゆるりと意識が浮上する。…えっと、今、合宿で宮城に向かっていて……。あ、結局新幹線の中で寝てしまってたんだ。ゆっくり目を開けると、前の座席のちょうど隙間らへんが視界に映る。…あれ…。私、通路側の方に…。

そこで、自分のものじゃない体温に気付く。

私の頭は、完全に黒尾の肩に乗っかっていた。

意識が完全に覚醒する。
本当は飛び上がってしまいそうなほど驚いているけれど、ビクッと身体を強張らせるだけで、それ以上動けない。私の頭の上に、恐らく黒尾も頭を預けている。私が飛び上がったら確実に彼は首をやってしまうだろう。大切な部長様にそんなことはできない。でもこのままなのはまずい。どうしたら、どうしたら、と頭の中でぐるぐる考えていると、「…ん、んぅ…」と喉の奥が鳴るのがゼロ距離で聞こえる。聞こえるといより直接響いてくるそれに、ブワッッと体温が上がる。どうにか抜け出せないかと身を捩っていると、「ん…?」と吐息混じりの声が降りかかり、頭の上の重さがゆっくりと薄れていく。黒尾がしっかり頭を退かしたタイミングで、シュバッッと勢いよく離れる。

「おあっ?!」
「………」
「………」

「「……………」」

お互いに目を丸くして、無言で見合うこと数秒。どちらともなく、ぎこちなく視線を逸らす。

私は確かに通路側に身体を傾けていたはずだけど、寝てしまった後のことは分からない。状況的に、きっと私が黒尾の方にゴロンっと行ってしまったに違いない。でも、黒尾の方からも身を乗り出さなきゃあそこまで密着することはなかった。私の頭が邪魔になった時点で起こしてくれれば、あんなことにはならなかったのに。いや、もしかしたら黒尾も既に寝ていて、偶然が重なってああなってしまっただけなのかも知れない。というか、それしかない。黒尾が望んであの状態にするはずがないんだから。さっき「なんでこんなことに?!」と責めるような視線を向けてしまったことを後悔する。

「……ごめん」

私が膝の上で遊ばせた指に目を落としながらそう呟くと、隣の黒尾がすごい勢いでこちらを向いたのが視界の端に映る。そして、私がそちらを向いていないと気付いて、また顔の向きを戻したようだ。

「……いや…。…俺がやった。ごめん。」

そう言って、黒尾は頭を掻いているようだ。


…?

私の脳は、考えることを完全に放棄していた。
というより、考えたところで理解できないと判断し、諦めたようだ。意識的に黒尾の発言について考えようとしてみても、ビクともしない。

「…とりあえず、忘れます」
「あ、ハイ…」

このままだとこれから始まる合宿に気まずさが残ってしまう気がして、私は何もなかったことにした。黒尾もとりあえず了承してくれたようなので、さっきのことはこれでおしまい。何も、無かった。



────



宮城県内のいくつかの学校と練習試合を行い、音駒は好調な戦績を収めていた。特に最近虎くんがエースとしての頭角を現してくれたことが大きい。私は宿泊所の部屋で一人、ビデオカメラで撮影した映像を見返してほくそ笑む。このカメラは、みんなのプレーを撮影したくて貯金と今年のお年玉で買ったものだ。この前梟谷と練習試合をした時も、許可を取って上の通路に三脚を立て、試合の全容を記録した。そしてその映像を視聴覚室で見ながらミーティングをしたりして、結構有意義に使えていると思う。この合宿で撮影した映像も、きっとみんなの役に立つ。ニマニマしながら小さい画面を見詰めていると、携帯のバイブが鳴る。パカリと開いて確認をすると、その通知は黒尾からのメールを知らせるものだった。

───────────────
ロビー集合。
コーチからアイスの差し入れです。
───────────────

私はしばらくゴロゴロしながら映像を確認して、そしたらもう寝ようと思っていたから、窮屈な下着は既に外してしまっていた。でもみんなに会うなら、やっぱりよくないよね。私は手早く支度をしてロビーまで向かった。

「溶けるぞ〜」

階段を降りると、ロビーには既にコーチの姿はなく、みんながそれぞれ同じアイスを口にしていた。私が来たことに気付いて最後の一袋をひらひらと振って見せてくれる彼は、えーっと、誰だろう。パタパタと近付き、アイスを受け取る。声は黒尾に似ているし、体格も黒尾、顔も……黒尾だ。

「………黒尾……?」

ここに集まっている面々から考えても、彼はどう考えても黒尾なんだけど、いつもとあまりにも髪型が違って、そのせいで雰囲気もまるで違うので疑心暗鬼になる。控えめに確認を取ると、彼は前髪に隠れ気味な目をパチクリさせ、「あー」と納得したような声を出す。そして顔の左側にかかった髪をぐいっとかき上げて見せてくれる。あ、黒尾だ。

「お前見んの初めてだっけ?」
「…うん…」

去年の夏合宿の時は入浴後の黒尾に会うことは無かったから、ノーセットの彼を見るのは正真正銘初めてだ。いつも謎に逆立っている髪が全て重量に従っていて、どちらかと言えば大人しそうな印象を受ける。……これは私が黒尾を好きだからかも知れないけど、…なんだか、可愛く見える。
ボケっと見詰めていると、黒尾に「溶ける」と未開封のアイスを指さされるので慌てて開封する。シャクッと一口齧ると、清涼感のあるソーダ味が口の中に広がる。夜に食べるアイスは、なんとなく背徳感もあって特別美味しく感じる。

久世、座って食えよ」

食べ終わったらしい夜久くんがそう言ってソファを空けてくれる。夜久くんのこういう優しさには裏がないから、私も素直にお礼を言って海くんの隣に腰を下ろした。みんなが明日の烏野のことを話す中、シャクシャクとアイスを食べ進める。始めはその美味しさに打ち震えていたけど、5月の夜は少し肌寒い。虎くんなんかは半袖でも暑そうにしているけど、私は身体が冷えてきてしまい、アイスを食べる速度がじわじわ遅くなる。会話のキリが良くなったところで、食べ終わっている人が一人また一人と部屋に戻って行く。黒尾がそれにいちいち「歯磨きなさいよ〜」と保護者のようなことを言って、ついにロビーには私と黒尾の二人になってしまった。黒尾は優しいから、私が一人にならないように残ってくれている。みんなもそれが分かっていて、黒尾に任せて部屋に戻って行ったんだと思う。アイスも残りあと少し。私がぱぱっと口に入れてしまおうと考えていると、黒尾が「ゆっくりでいいよ」と言って立ち上がる。そして、当たり前のように私の隣に移動してきた。

……??

「なんでわざわざこっち来たの」
「いいだろ別に」

海くんが隣に座っていた時はなんとも思わなかったのに、黒尾だとどうしても気になってしまう。黒尾は真横からじぃっとこちらを見ていて、なんだか居た堪れない。でもここで照れたりなんかしたら好きなことがバレてしまうから、私も負けじと見詰め返してみる。すると黒尾の方が少し照れたような反応をするので、こちらは逆に余裕が生まれる。

「髪、なんでいつも上げてるの?下ろしてるの可愛いよ」
「かっ……。…なに、こっちのが好き?」
「んー、どっちでもいいけど、下ろしてると内気な子っぽくて可愛い」
「可愛いって…こんな大男に言うことじゃないだろ…」

好き?と聞かれて心臓が跳ねるのを無視して淡々と返す。黒尾は照れた様子で片手で口元を覆っている。珍しい。モテ男だからカッコイイと言われるのは慣れてそうだけど、可愛いはあんまり言われないのかな?この人、結構可愛いとこたくさんあると思うんだけど。シャク、と一口アイスを食べ進める。もうちょっとで食べ終わりそうだ。

「…つーか、いつもの、別にセットじゃねぇから。寝癖ね、アレ。」
「?!」

いつものアレが、寝癖……?!何をどうしたらあんな寝癖がつくの?!それをそのまま聞くと、枕を両側がら押し当てて寝ているんだとか。どう考えても寝苦しそうなのに、彼は小さい頃からその寝方しか出来ないらしい。光も音も全て遮断するようなその寝方は、なんだか彼の繊細さを表しているようで、申し訳ないけどちょっとキュンとした。やっぱりこの人は可愛い。

アイスを食べ終わって、冷えてしまった指先を擦り合わせていると、ソファがギシッと音を立て、隣の黒尾がこっちに身体を傾けたのを感じる。そして、耳の上辺りに何かが当たり、スゥと吸われる感覚がする。

──…??


「な、にしてんの…?」

ぱっと身を引き、暴れる心臓を無視して困惑だけを顔に出す。困惑というか、照れ隠しに必死で憎悪の混じった表情をしてしまっている気がする。黒尾は特に動じた様子もなく、そんな私をじっと見ながら「自分のシャンプー持って来た?」とか聞いてくる。いや、そうだけど。みんなが大浴場を使う中、私だけは部屋の小さいユニットバスで入浴していた。備え付けのシャンプーやリンスはあったけど、念の為持って来た自前のシャンプーを使っている。…で、なんでそれが分かるの?

「食べ終わった。部屋戻ろ」

黒尾の問いには答えず、立ち上がる。どう考えてもよくない雰囲気だ。こういう行動も親心での嫉妬とかいうやつなんだろうか。心臓に悪すぎる。食べ終わるまで残ってくれていたことにお礼も言えず、黒尾に背を向けて歩きだそうとすると、後ろからぬっと長い腕が伸びてくる。


──……?????


じんわり、と、背中に黒尾の温もりを感じる。

両肩を包まれ、頭の上に顎を乗せられている。

全身すっぽりと、完全に、黒尾に包まれている。


「……えーーーっと…」

妙なことを考える前に、冷静な声を出しておく。この体勢は、リエーフくんがよくやるものだ。つまり、黒尾はそれに対抗してやっただけ。うん。分かってる。大丈夫。冷静冷静。
黒尾は何も言わない。この状態を打破するには私が動かなければならなかった。肩に回された腕をそっと押すと、それは簡単に解かれた。距離を取って向き直ると、黒尾はこちらをじっと見ている。前髪で少し見えづらいその瞳には、確かに熱が篭っていて、それが恋愛感情を含まないタイプの嫉妬だと分かっているのに、どうしても心臓がつらくなってしまう。

「あの、多分、黒尾は、こういうの許されるタイプじゃないよ」
「え」

黒尾の眼前に掌を出し、距離を取ったまま冷静に話す。こんなことが続いたらどうにかなってしまうし、私の気持ちがバレることも必至だ。きちんと彼を納得させ、やめてもらわなきゃ。

「こういうのってリエーフくんみたいな、絶対裏がなくてちょっとお馬鹿な子がやるから許されるんであって、普通は駄目だよ。夜久くんとか海くんでも駄目だと思う。」

黒尾はじっと私の話を聞いている。

「黒尾のことは、部長として尊敬してるし、プレーヤーとしても頼もしくて、ほんと、いつもカッコイイと思ってるし、だから、リエーフくんに対抗する必要はないと言うか」

つい早口でそう諭すと、黒尾は頭の後ろを掻いて「あー、まぁ、うん。今のは確かに悪かったけど」と歯切れ悪く零す。その目にはもうさっきの熱はなく、ほっと胸を撫で下ろす。そして自然な流れで階段に向けて歩き進める黒尾に、少しだけ距離を取って付いていく。

「でもお前、俺に対するのと同じくらい他の奴にもちゃんと警戒しろよ、女子なんだから」
「………ちょっとよく分かんない」
「ハァ〜〜。」

黒尾は大袈裟に溜息を付いて、「ちゃんと歯磨きなさいよ」と言って2階のフロアに歩いていった。私はできるだけ何も考えないようにして、3階に上がり自分の宿泊部屋に戻る。

そして、ビターン!!と布団の上に倒れ込む。
…なに、あれ。
なにあれ。
なにあれ。
なん……………。
バクバクと騒ぐ心臓。アイスを食べたことで一時的に下がっていたはずの体温が、どばっと上がる。
駄目だ。思い出しちゃ駄目。髪の匂いを嗅がれたこととか、背中に感じた体温とか、肩を掴む手の大きさとか……

「う、うぅ…」

枕をぎゅうぎゅうと抱えて、自分の中の衝動をどうにか逃がす。…これ、今夜寝れなかったらどうしてくれるんだ。私はもはや涙目になりながら、無責任に嫉妬なんかしてくる想い人を恨んだ。



──────


翌日。場所は烏野高校。
それぞれが挨拶を済ませ、アップをすると早速練習試合がスタートした。
私は烏野のマネージャーさんと軽く挨拶をしたけど、吹き飛ばされそうなほどの美しさに耐えるのに必死で、ろくな会話もできなかった。烏野の監督やコーチと思しき人達と話す猫又監督は、なんだかいつもと雰囲気が違って、聞いていた通り特別な相手なんだなと再認識した。キャットウォークに三脚を立てさせてもらい、ベンチに戻る。烏野はまだまだ荒削りのチームに見えるけど、結構粒揃いで、個々のプレーはなかなか面白い。特に9番10番の速攻は普通じゃない。もちろんみんなもそれに気付いて、研磨を筆頭に対策を練る。少し心が痛むけれど、あのすばしっこい10番を潰す作戦を実行するようだ。うちは既に戦い方が確立されたチーム。じわじわと追い込み、戦意を喪失させる。あの元気そうな10番くんだって、そろそろしんどいはず───でも、その時、彼は笑った。
不気味にも見えるその笑みに、その場の空気がヒヤリとする。監督も驚いて「笑った」と零し、コートのみんなもゾワリとしつつ気を引き締め直したのが分かる。

「……あはっ、」

私は、つい笑ってしまった。
バレーボールのしんどい部分に直面して、それでもバレーボールが楽しくて笑ってしまう。そんな人を、私は知っている。
10番くん、君もバレーボールが大好きなんだね。

烏野の巻き返しは適わず、2-0でうちが勝利する。すると10番くんがすかさず「もう1回!」と言い、猫又監督が応える。
好敵手とはまさにこのこと。
現時点ではうちの方が一歩、二歩前に出ているように思う。でもこの烏野というチーム、それぞれの歯車が噛み合ったら、きっとそう簡単に止められない。リベロは音駒のマネージャーである私から見ても相当優秀だし、主将さんの安定感は抜群、エースのパワーも十分。ちょっと虎くんに似たタイプのスパイカーも居るし、頭の良さそうなミドルも居る。そしてセッターの9番くんとすばしっこい10番くん。彼らはまだ1年生だというけれど、バケモノだ、あれは。

2試合目もうちがストレートで取るけど、全然油断できない。むしろ気を抜いたら食われるという焦りすらある。合宿前、高校バレーにも詳しい母に烏野高校のことを聞いてみると、「まさかまたゴミ捨て場の決戦やるの?!」と興奮していたが、今目の前で見て、なるほどと思う。これはネコとカラスの縄張り争い。その羽を捥ぎ、嘴で啄まれる、そんな、身を削った楽しい楽しいじゃれ合いだ。
3試合目も終わり、結局うちがセットを落とすことはなかったけれど、みんなヘトヘトの中さらに「もう1回!」と言う10番くんに畏敬の念を抱く。さすがにもういい時間になってしまったし、みんなボロボロだし、君ももうさすがに飛べないでしょ。でもその心意気や良し。烏野の10番くん、君のことはしっかり覚えたよ。



帰り際、またそれぞれで別れを惜しむ。私も勇気を出して烏野のマネージャーさんに声を掛け、名前を聞き出すことに成功する。

久世さん、すごいよね。働きもので…カメラとかも…。私は何も出来てないんだなって思った。」
「そんっっっなことないよ?!?!」

清水さんのあまりにも謙虚な発言に、思わず大きい声が出てしまう。彼女だってテキパキとマネージャーとしての仕事を全うしていたし、真剣なその表情で見守られたら選手達だって絶対気が引き締まるはず。それに、これは本人としては言われたくないかも知れないけど清水さんはとにかく美しい。こんっな綺麗な女子マネが居たらそりゃあやる気も出るってもんだよ清水さん…!!私が心の中で思ったことの前半部分だけ口から出して伝えると、清水さんは控えめに「ありがとう…」と微笑む。うわああ、なんて綺麗なんだ。

「あ、そうだ。今日の映像、烏野のみんなも見たいよね?監督…コーチ?の人伝に渡せるかも。後で聞いてみるね」
「えっ、本当?それは…すごく助かる」

でへへ〜と顔が緩んでしまう。清水さんは一見とてもクールで寡黙なタイプに見えるけど、意外と普通に話しやすい。

「なんかあっこだけ作画違くね?」
「うわ、ほんとだ。清水があんな自然に笑ってんの初めて見た」

少し遠くで黒尾と烏野の主将が話しているのが聞こえる。いやほんと、清水さんってなかなか見ないくらいの美女だよね。
因縁の相手に同い年のマネージャーが居てくれるのが嬉しくて、私と清水さんはどちらともなく連絡先を交換した。美女の連絡先がこの携帯の中に…。すごいことだ。

「じゃあ、お互い頑張ろう」
「うん」

このチームとは、きっとまた会える。
そんな確信めいた予感を胸に、私達は烏野高校を後にした。



帰りの新幹線では夜久くん、海くんと3列シートに座り、快適な時間を過ごすことができた。混雑する東京駅の隅っこで集合し、短い挨拶で解散する。
心地良い疲労感の中、合宿の内容を思い返す。うちのチームはそこそこ仕上がってきているけれど、インターハイで東京予選を勝ち上がるにはまだ今一つ足りない。もう私達は3年生。もしかしたらインターハイで引退なんてこともあるのかも知れない。そんなことを考えたって仕方ないけれど、いつその時が来てもいいように、やれることは全てやりたい。…ただのマネージャーに、何ができるんだろう。そんな相談をできる相手が、今日ついにできた。携帯をパカッと開き、カコカコと操作する。アドレス帳には清水さんの名前が確かにあった。今日はもう遅いけれど、その内聞いてみよう。私は携帯をポケットにしまい、自宅の最寄り駅まであと数駅、電車に揺られた。












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