ノボリ×メイ

地下鉄ホームに流れるトレインの風に煽られて、黒コートの裾が翻る。
線路を思わせる赤い横縞模様が映える、誇り高きサブウェイマスターの制服をぴしりと着こなした凛々しい姿は、背筋の良い佇まいでホームに立ち止まっているだけでも、ひと目で強者だとわかる雰囲気を纏わせている。

駅構内のアナウンスを流しながら、指差し確認をして、ノボリがバトルトレインを見送った。
先ほど一周してきたばかりなのに、またすぐに次のチャレンジャーを乗せて出発していく。始発から終電まで延々と走り続ける環状線。
バトルサブウェイはすごい場所だと、こうして眺めているだけでも肌で実感する。

メイはホームのベンチに座り、仕事風景を見学していた。
白い手袋を嵌めた手を軽く握りしめ、一息ついたノボリが不意にこちらに視線を向けてきたものだから、目が合ってしまった。

(わわっ、目が合っちゃいました……!)

嬉しさで鼓動が跳ねる。けれど同時に恥ずかしさも込み上げてきて、慌てて目を逸らした。
顔が見えないようにサンバイザーで彼との視界を遮ったが、もう遅い。ばっちり視線が合った後なので、律儀なノボリがメイを無視するわけがなく、彼女に歩み寄り、声をかけてきた。

「これはこれはメイ様! 本日のコンディションはいかかですか?」
「ノ、ノボリさんこんにちは! え、えっと、もちろん、ばっちりですよ!」

心の準備ができておらず慌てふためくメイを見て、彼女の気持ちを知ってか知らずか、ノボリは、ふっと瞳を細めて微笑んだ。

「それは頼もしい! メイ様とのお手合わせを、心待ちにしております!」

メイのバトルサブウェイの戦歴はまだまだ未熟だ。
もっと経験を身に着けないと。いつの日かサブウェイマスターと……憧れの存在である黒のボスと、最高に心躍るバトルをするために。
だから今日も、ホームのバトルモニターに映る車両内のバトル風景を見学して、学ぶためにここに来た。

(……でも目的の半分は、ノボリさんが仕事してる姿を眺めたいっていう邪な気持ちもありますけど、これは内緒)




「ほう、これはなかなか。先程乗車されたチャレンジャーは、かなり腕が立つ方のようでございますね……」
「でも鉄道員さんもさすがですね! エレキブルの冷凍パンチで不意を突く手段もあるなんて!」
「しかしチャレンジャーは形勢を崩される事を予測して、瞬時にメタグロスに切り替え、受け流しました。彼のほうが上手のようです!」
「すごい……!」

ノボリの戦況解説に耳を傾けながら、めまぐるしい激戦のバトルモニターを必死で追う。
畳み掛ける上級者達の戦術。頭がパンクしそうだ。でも、楽しい!
知識を少しでも吸収して、一つずつ活かしていけたら、きっとポケモンたちにスマートな指示が出来るようになるはずだ。そんなトレーナーになりたい。メイは強く思った。


ふと魔が差して、モニターに魅入っているノボリの横顔を、つい、ちらりと盗み見た。そしてメイは驚く。
彼が先ほどまでの、優しく紳士的な表情とは一転していたからだ。
黒い制帽の鍔の下から覗く、銀色の眼光がとても鋭い。好戦的なギラギラとした目つきを覗かせていた。
いつも凛々しく引き結んでいるはずの口元は、僅かに緩み、不敵な笑みを浮かべている。
まるで、格好の獲物ライバルを待ちわびていたように、目に宿る闘志は、燃えたぎる炎というよりも、静かに燻る青いほのお……まるでシャンデラの焔のような……。

(ノ、ノボリさんって、そういう表情もするんだ……)

ぞくりと、メイの背筋を冷たい電流が駆け抜けた。
一瞬、怖いと思う感情と、なぜかゾクゾクとそそられる好奇心が同時に襲ってくる。

これが、手練れのチャレンジャーへ向ける、バトル狂の本気の感情。
日々凄まじい迫力のバトルをトレインで繰り広げ、強さをとことん突き詰めるディープな世界で生きる者の面差し。
サブウェイのボスという地位まで登り詰めた男の、恐ろしく強いメンタルを垣間見てしまったような―――……

もし彼に、こんな貫かれるような鋭い瞳で見据えられたら……。

心臓がばくばくと早鐘を打つ。
なんだか、すごくいけないことを考えてしまっている気分だ。ドキドキが止まらない。

(あ、あれ……? なんだか……胸がきゅんきゅんしちゃうんですけど、どうして!?
ち、違うの! この気持ちは単純に、真剣な眼差しのノボリさんかっこいいなって、純粋な憧れであって……! べつにSっ気なノボリさんを求めてるわけじゃないからね!? そうだよね!?
……正直言うと、ちょっぴりだけ、ときめいちゃいますけどぉ~っ!! うぅ~~~!!)


「……メイ様? どうかなさいましたか?」

現実に引き戻されて、メイは我に返った。
メイの動揺を、不思議そうに見つめてくるノボリの姿を目の当たりにした瞬間、感じていたときめきが、しゅるしゅる音を立てて急速に萎んでいく。
ものすごく恥ずかしい。頬が熱を帯びて染まるのを自覚しながら、メイは羞恥する顔を手で扇ぎ、慌てて誤魔化した。

「ええっと、あの、ノボリさんって真剣な時はそんな表情するんですね。初めて見たなぁって思っちゃいまして」
「??? そんな表情とは……? 私なにか変な顔をしておりましたか?」

どうやら無自覚らしい。
考え込む仕草で自身の顎に指を添え、首を傾げたノボリは、いつも通りの紳士然とした優しい面差しに戻っていた。

さっきの、静かに揺らめく闘争心を燃やす表情は、とても素敵で格好良くて、そして艶っぽくて、ちょっぴり嗜虐的で。
メイの純粋な乙女心に、危険な感情を植え付けてしまいそうになるほどの、破壊力の可能性を秘めていて。
しかし、そんな事を本人に伝えられるはずもなく。
メイは誤魔化すように言葉を濁した。

「えぇと……そう、格好良い! 真剣な格好良い顔してましたよ!」
「か、格好良い……? そ、そうでございましょうか? あまり自覚がありませんけども……」

ノボリは照れ臭そうに、制帽をの鍔を持ち、深く被った。
格好良いのは事実だ。嘘は言ってない。内容は思いきり誤魔化しを入れてしまったが。


バトルモニターに決着のアナウンスが流れた。
チャレンジャーはノボリの見込み通り、サブウェイボスを楽しませる期待に応えてくれたようだ。

「わぁ、すごいです! あのチャレンジャーさん、42連勝を果たしましたね!」
「お見事な連勝! いよいよ、お次は43戦目! しかしこの先は、今までの景色通りにはいきませんよ!」

ホームに生暖かな風と共に、次の戦いに備えてのトレインが入ってきた。
ノボリが敬礼で出迎える。
列車特有の高いブレーキ音が響き渡り、安全に停車すると、まるでボスを迎え入れるようにドアが開いた。

遂に待ちわびた、スーパーシングルトレイン・サブウェイマスターの乗る車両となる。

「代わり映えのない車窓の地下鉄と言えども、各トレーナーの目に映る景色バトルは千紫万紅! では私、行って参ります!」
「頑張ってくださいノボリさん!」

ノボリは踵を返し、規律正しい足音を響かせる。
が、乗車する直前、彼はふと一度立ち止まり、振り返った。
視線が重なり合う。
制帽の影の下で、銀色に光る双眼が穏やかに細められ、メイへ微笑が向けられた。
メイの心がドキリと跳ねる。

(な、ななな……なんで急に微笑みかけられたんですか!? 今の笑顔の意味は何!?)

突然のトキメキを贈られて、動揺する。
真意に翻弄され混乱しているメイを余所に、ノボリは何事もなかったかのように、バトルトレインに乗車してしまった。

ひとり取り残されたメイだけが、高鳴った鼓動の残響を聞きながら、佇む。
ノボリの去り際の、柔らかな視線を思い出す。心臓が壊れそうだ。落ち着かない。

「さっきの鋭い眼差しのノボリさんと、今のノボリさんの微笑み……、一体どっちが特別なものなんですか……?」

小さく呟いたけれど、答えてくれる人は、いない。
なにがなんだかわからなくなり、メイは頭を抱えた。
ノボリの魅力的な一面を、ひとつ、ふたつと、知っていくたびに、どうしたらいいのか、自分の気持ちを見失いそうになる。

(やっぱりノボリさんって手強い! バトルだけじゃなくて、なんていうか色々全部、勝てるような気がしないです……!)

脳内でせめぎ合う雑念。
振り払うように、メイは自分の両頬を叩き、喝を入れた。

「やることは決まってる。目指すは勝利! 目的地は単純明快ただひとつ。あなたです、ノボリさん!」

バトルは貪欲でなければつまらない。
欲張りかも、と弱気になれば、敗北の隙を作る。

辿り着き対面した時、熱く鋭い眼光で射抜いてほしい。
そして勝利したら、優しく微笑んでほしい。
どちらか片方だけでも、じゃなく、両方が欲しい。
バトルも、彼への恋心も、全部勝ち取りたい!

『間もなくスーパーシングルトレインが発車致します。危険ですので、黄色い線の内側まで―――……』

駅構内にアナウンスが流れ、発車ベルが鳴る。
ちらほらと見学に集まってくるトレーナーたちに混ざって、メイはバトルモニターへと顔を上げた。

ここはバトルサブウェイ。
勝利ばかりが強者ではない。
負けを繰り返し、繰り返し、繰り返し、繰り返し、それでも負けじと喰らいついていく貪欲な強者チャレンジャーのみが突き進める場所。

終着点のない、ぐるぐる巡る環状線。
彼の背中を道標に、少女はひた走っていく。
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