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甘くて苦い 秘密の味は

二人の苦くて甘い 秘密の味は

「おいで、修……」

 先ほどまで、ソファーで寝入ってた声の主が、寝ぼけている様子で、修に向けて手を差し伸べる。
 もさっとした黒色の髪、寝起きもあってか、いつもより乱れた形をし、きれいな顔立ちは、少し寝ぼけた瞼に少し微笑んだ表情でこちらを見ていた。
 それでも、格好良いと思えてしまうほどの顔の良さと甘い声。いつもは見せないような微笑みとで、修はドキドキしながら普段とは違う恋人の姿を見て、少し赤らんだ。

 数十分前、修は本部から玉狛支部に帰ってきた。部屋には明かりが付いておらず、帰るといつも騒がしい玉狛支部が、今はどこか異空間に迷い込んだような感覚となった。なんの気配すら感じない、寂しい空気だった。ひんやりと冷めきったリビングに、ゾクッと身体を震わせ、体感だけでなく、気持ち的にも寒く感じた。この空気に耐えきれず、修はそそくさと電気のスイッチをいれ、明かりをつける。パッと明るくなった部屋にホッとするが、後ろのソファーから、もぞっと動く物体に気がつきドキッとする。不法侵入者かと思い、慌ててバッと振り返る。もぞっと動いた物体は不審者ではなく、丸くなって寝入っていた烏丸であった。再び、ホッと息を吐き、丸まっている恋人を眺める。
 
 毛布もかけずに、ソファーに丸まった状態は、まるで犬のようにも見えた。毛布も掛けていない状態から察するに、座った瞬間、睡魔に襲われたのだろう。荷物が床に置かれたままで、少し中身が出て散らばっていた。
「無理しないでくさだい……」
 ボソっと起こさないように独り言を言いながら、恋人の寝顔を見つめる。風邪引かないようにと、キレイに畳まれている毛布を棚から取り、音を立てないように拡げ、丸くなっている恋人にそっとかける。冷えきった部屋では毛布だけでは足りないと、部屋全体を暖めるために、暖房のスイッチもいれた。できれば、ちゃんとしたベッドで寝てほしいが、少しでも休んでほしいという気持ちのほうがあったので、起こさずそのまま寝入ってもらっていた。

 海辺が近い玉狛支部は冬だと海風が強く、体感的によりいっそう寒く感じてしまう。まして、今夜は冷え込むと朝のニュースで言っていた気もする。
 なのに、暖もとらず、そのまま寝てしまっていたことに少し心配になった。玉狛支部に寄っているのも、弟子の訓練を見るためかもしれないと思うと、少し申し訳ない気持ちにもなる。
 一緒に訓練をできるのは嬉しいが、先輩自身の身体を優先的に労ってほしいと。
 兎に角、疲れが随分たまっていることは確かなので、恋人のために自分ができることはないかと、修は考え込んでいた。
 その矢先に不意を突かれてあの甘い声でハッと我に返ったのだ。
 
「烏丸先輩、起こしてしまってすみません。ここで寝入るなんて珍しいですね」
 赤らんだ顔を隠すかのように、眼鏡をあげ話題をそらす。差し出されたその手を握り返したい気持ちもあるが、恥ずかしさともう少し横になっていてほしいという気遣いの気持ちとが葛藤した。結果、差しのばされた手をつかまず、コーヒーを入れますね、と逃げるようにキッチンへ移動する。
 「ぅーん……」
 元気をなくした犬のような寂しげな声を漏らし、差しのばされた手は空をかき残念そうに降ろされる。しゅん、と寂しげな様子でいる。犬みたいな耳があれば、間違いなく力なく耳は垂れ下がって落ち込んだ様子であろう。しかし、寝ぼけたままであるが、その気遣いの意図を察し、烏丸はまた横になった。
 
 カチャカチャとキッチンから聞こえる食器の音、コポコポとコーヒーを入れるためのお湯の音、スタスタとキッチン内をこまめに動く足音、不規則にやさしく鳴る幸せをな和音おとに、安心しきって、烏丸は再び瞼を閉じる。
 その様子をキッチン越しに見ていた修は、良かったと、安堵する。少しでも休息をとってほしい、その想いが伝わったのと、手は掴めなかったが、犬みたいに悲しげな動作をする先輩を可愛いと思えたこと。年上の人には失礼かもしれないが、普段が格好いいだけにそのギャップは自分しか知らないかもしれないというちょっとした優越感を抱いていた。

 そうこう考えている内に、部屋全体も暖かくなっており、帰ってきた時のような、寂しい空気はどこかへ消え去っていった。お湯もいい具合に沸き上がり、棚からドリップ型のコーヒーを取り出した。大きめのマグカップに両端を引っ掛け、少しずつお湯を注いでいく。普段はスーパーで特売日の時に買い溜めする、お徳用インスタントだが、来客用の少しいい香りがするコーヒーをあえて使った。「(宇佐美先輩、すみません)」と心でつぶやきながら、時間をかけて、ゆっくりと注いでいく。少しでも休んでほしい、そう想いながら、カップの上のほうまで注ぐ。
 いい具合に出来上がったコーヒーだが、ブラックのままだと疲れ気味の身体にはあまり良くないだろうと考え、ミルクを探す。が、あいにく切らしていたようだ。うーんと、困った様子で代替えになるものは無いかと、キッチンの周りをキョロキョロとくまなく探す。
 ふと、キッチン棚に珍しいものが眼に入り、おもむろにそれを掴む。ジっと掴んだものを見つめ、そういえば……と何か思い出したかのような顔した。修はそれをきれいな小皿に添え、淹れたてのコーヒーと一緒にソファーの前のテーブルへ置いた。

「先輩お待たせしました。淹れたてのコーヒーですので、冷めないうちにどうぞ」
 ソファーで横になっていた物体はコーヒーの香りで気がついたのか、修の声と同時にモゾモゾと動きだし、むくっと起き上がって反応をする。まるで、嗅覚がすぐれた犬のようだと、修は気づかれないようにクスリと笑う。
「ありがとう、修。……と、これはなんだ?」
 テーブルの上に置かれた大きめのマグカップ。いつもとは少し香りが違うコーヒーと一緒に差し出されたきれいな小皿。その上には、サイコロを少し大きくしたぐらいの薄茶色の食べ物が添えられていた。そっと、手を伸ばし、指先で優しく掴むと目線より上にあげ、じっと見つめる。堅めのその食べ物は、昔、どこかでみたような……と指先で動かしながら寝ぼけた頭で考える。今度は、それを鼻近くまで持って行き、クンクンと匂いを嗅ぐ。
「うーん……あ、この匂いはキャラメルか?」
 寝ぼけた瞼を見開いて、修の顔を見上げる。
 その一連の動作がほんとうに犬のようで、キャラメルと言い当てた表情がまた珍しく、耳をピンと立てた嬉しそうな犬にみえる。
「正解です」
 緩みそうな口元を隠しながら、答える。
「そうか。なんで、キャラメル?」
 今度は、少し首をかしげ、また、表情を変える。
「えと、ブラックのままだと、今の体調によくないと思いまして……。できればミルクコーヒーが良かったんですが、あいにくミルクをきらしていて……。」
「だから、キャラメル?」
 まだ、理解できない様子で聞き返す。
「はい。こう、キャラメルを口に先に入れて、その後、ブラックコーヒーを入れてみてください。で、ヤケドしないように口の中で転がして、ゆっくり溶かしてみてください」
 ジェスチャーでキャラメルを口に入れる動きをし、マグカップを持ったようにコーヒーを飲む動作をする。まるで、口にキャラメルがあるかのようにモゴモゴさせる。
「ほう……」
 と、興味深そうに答え、修の言うとおりに、右手で掴んでいたキャラメルをそのまま口に放り投げた。
 そして、左手でマグカップを掴み、ヤケドしないようにフーフーと息を吹きかけ、そっと淹れたてのコーヒーを啜る。
 口内で舌を上手に使い、キャラメルを転がし、ゆっくり……ゆっくり溶かしていく。
 コーヒーの熱さで冷えたキャラメルが温かくなり、角張った形がゆっくり無くなっていくのがわかる。
 ゆっくりと溶けていくと当時にキャラメルの甘い味が舌にじわっと拡がっていく。
「ん!」
 口内に拡がる甘味ぴくっと反応をしめす。マグカップを口に運び、継ぎ足すかのようにコーヒーを口に含み、またゆっくりと溶かしていく。
 再び熱を帯びた液体に反応し、口内のキャラメルは形を変えていく。形を変える度、キャラメルの甘い香りとコーヒーが混じり合い、鼻腔を通り、脳内にも拡がっていく。舌で感じる、苦いコーヒーがキャラメルの甘さと混じり合い、苦みを中和していく。また、単体では甘すぎるキャラメル自体もコーヒーと混じり合って、ビターな味になる。強すぎる互いの苦さと甘さが適度に絡み合って、新しい味と変化し、優しく喉を通り、胃へ流れ込んでいくのがわかる。
「修、世紀の大発見だな!」
 大げさに伝える。先ほどまで眠たそうな瞼が大きく開き、眼をキラキラさせ、口の両端は少し上がって、少しニコリとしたような表情で修を見上げる。
「でしょ!僕も初めて口にしたとき、世紀の大発見と思いました!」
 同じことを思ってくれた恋人に喜びを隠しきれず、修もキラキラした眼をする。
 「小さい頃に父のまねをしてブラックコーヒーを飲もうとしたみたいです。でも、さすがにそれを飲ますわけにはいかないと、そのとき僕が持っていたキャラメルを口に含ませて、少量ですが、飲ませてくれたんです。そのときの感動は幼いながらもずっと覚えていて。」
 口内に拡がるキャラメルと苦いはずのコーヒーが、一気に新しい味と変わる。
 父も「世紀の大発見だろ!即席、キャラメルラテだ」と笑いながら教えくれた懐かしい味。
 それを、今、目の前にいる人と共有できる嬉しさもあり、恋人が座るソファーの横にちょこんと座り、思わず顔をのぞき込み笑う。
 突然の弟子の行動にドキリする烏丸は、サッと視線をテーブルの方へ戻す。加えているキャラメルを落とさないように、口元がこれ以上緩まないように照れ隠しも兼ねて、手を口に軽く当て隠す。
「修も飲まないのか」
 自分ではクールさを保てていることを願いつつ、尋ねる。
「余り物のようで、キャラメルは一つしか見つけられなかったです。きっと、陽太郎かヒュースあたりが片付け忘れたのを誰かがキッチン棚にしまっただけだと思います。それをたまたま見つけただけなので……」
 疲れている先輩が全部堪能してください、と遠慮がちに伝える。
 しかし、脳の記憶が、舌の味覚が、懐かしい味をじわりと思い出させる。そして、羨ましそうな眼をしてしまっていることに修は気づいていなかった。
 それを察してか、にやりと不敵な表情を浮かべた烏丸はおもむろに修の顎をぐいっと引っ張り、口付け、瞬時に舌で修の口をこじ開ける。
 と、同時に烏丸の口内にあるキャラメルを修のほうへと押し込む。
「うぐ……」
 予期せぬ行動に思わず、苦しめな声をあげる。それにかわまわず、烏丸の舌は修の歯をなぞり、ジュルッと唾液をすくい口を引き離す。
 烏丸は自身の口を軽く拭きながら、何事もなかったようにマグカップの側面の方を持ち、取っ手のほうを修に向けて、差し出した。
 本当は欲しいんだろ、と言いたげにニコリと微笑む。
 修は顔を真っ赤にしながら、目の前に差し出されたマグカップの取っ手を掴む。世紀の大発見の味を一度知ると、その欲望に抗えない。瞬時にそれを理解し、修に選択権がないように仕向ける先輩の行動はずるい。不本意ながらも、受け取ったマグカップの端まで口を近づけ、まだ熱いコーヒーにヤケドしないようにフーフーを息を吹きかけ、慎重に啜る。
 修の口内に拡がるコーヒーがキャラメルをゆっくり溶かしていく。「ん……」とその甘美な味と懐かしい味を噛みしめるように、そして、そのほどよい甘さに修の表情はふにゃとなる。
 幼い頃の記憶と同じ味が拡がる。
「ありがとうございます」
 と、少量だが幸せの味をお裾分けしてもらった修は満足げにお礼を云い、頭を少し下げながらマグカップをテーブルの上にそっと置く。
 ただ、まだ小さくなったキャラメルが修の口内に残っている。
 目の前の恋人のために用意したものなのに、このままどうしようかと口をモゴモゴとさせながら、先輩の方へ顔を向ける。
 その先輩はというと、弟子のコロコロと変わる可愛い表情と仕草に己の欲望と葛藤するかのように、額に手を当て顔を少し下へ向けていた。
「あの……先輩?」
 不思議そうに、顔をのぞき込む。
「修……すまない」
 そう云うと、顔を上げ、グッと修の両肩をつかみ、ソファーへ押し倒す。そのままの勢いで修の唇を塞ぐ。
 再び、舌で口をこじ開け、修の舌と絡ませ合う。中に残っているキャラメルと微かに残るコーヒーの味とを混ぜるかのように、ゆっくり優しく舌でさぐる。
 今日、初めて知った世紀の大発見の味を名残惜しそうに味わう。
 息が苦しそうな修に気づき、一度、唇を引き離す。
「せんぱ……い。急に飛びつかないでくらさい……。そんな、犬みたいに……」
 修は口内のキャラメルと唾液が絡まって、うまいこと話せないでいる。また、身体全体がしびれるような急激な刺激に、思考もぼやけ、先ほどからずっと犬のようだと思っていた本音が漏れる。修の顔の両サイドに手をつき、覆い被さるような体勢で見つめる烏丸は少しやり過ぎたかなと、思いつつも、弟子の犬発言に良い口実ができたと、にやりとした。
「つまりは、帰ってきてからずっと俺のことを犬だと思っていたわけか。そうか、そうか。なら、最初に差し出した手を拒否された犬はずいぶん悲しい思いをしたぞ。ご主人様に慰めて欲しいところだな」
 と再び、口を重ね合わせ、中のキャラメルを舐め始める。修は先輩の意味のわからない屁理屈に反論できる余裕もなく、されるがままに、自身の唾液と先輩との唾液の熱でキャラメルが溶けていくのを感じる。先輩の舌でゆっくりとキャラメルが転がされていく。その度に、自分の舌も一緒に絡み取られ、互いの舌でキャラメルを挟むような形になる。
 じゅわっと甘い味が舌の感覚に拡がる。かと思えば、先ほどまで飲んでいたコーヒーの微かな苦みも感じる。そこに恋人から注がれる、シロップのように透明で本来なら味のないはずの唾液に甘みをかんじる。その甘美な味と刺激に、修は思考も何もなく、ただただ熱くなる。身体を震わせ、先輩の背中に両手を強く絡ませた。
 ぎゅうっと二人分の体重にソファーが深く沈む。
 久々の世紀の大発見の味に、愛しい人の味が混じり合い、息をするたび「ふぁ……」と熱をおびた艶のある声が足される。
 そうこうしている内に、キャラメルは修の口の中から消えさえり、残ったのはどちらのものかわからない透明なシロップのみ。烏丸はジュルと吸い取り、また唇を引き離す。
 吸い取りきれなかった透明なシロップが糸を引き、互いの唇を繋いだままでいた。重力でゆっくり、修のほうへ滴り落ちおちていく。それを勿体ないと、修の口に近づき舌で拭き取り、烏丸自身の唇もぺろっと舐める。
 上体を起こし、ふーっと一息つくように、冷めきった残りのコーヒーを烏丸はゴクッと飲みほす。
 ブラックの苦みが一気に冷静さを取り戻していく。ソファーに横たわったままの修の頭を優しく撫でる。
 
 世紀の大発見の味は、数分足らずで互いに忘れられない刺激的な秘密の味へと変わっていった。
 それは、世界中で二人でしか作ることができない秘密のレシピ。
 
 苦くて甘い 愛しい二人の透明なシロップを隠し味として……。

 ―― 終 ――
 
 
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