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ルシ←梔




『タナバタ』をやりたい、と唐突に言い出したµに、控え室にいた楽士は呆気に取られた。
普段何かとµから相談を受けているソーンでさえも、その話は突然だったらしい。
それでも冷静な様子で、「どういうこと?µ」と聞き返すと、µはわくわくした表情で話し出した。
「あのね、タナバタって、みんなの願いを集めて叶える日なんだって!だから、みんなのお願いをいーっぱい集めて、一気に叶えたら、みんな幸せになれるかなぁって!」
ソーンは暫く考える素振りを見せてから、
「……どこでそんなことを?」
と、改めて訊ねる。
「メタバーセスの情報ソースだよ!……あれっ、違うの?」
急に不安そうな表情をするµに対して、「いいえ」と、ソーンは柔らかな表情をしてみせた。
「違うわけではないけれど……そうね、今それをするには、少しメビウス全体の余力が足りない気も……」
「おっ、ライブか?」
イケPが乗り気といった表情で、手持ちのギターを掻き鳴らす。
「いいぜ……俺に恋する仔猫ちゃんたちのために、俺が彦星として降り立ってやろうじゃねえか!」
「フッ……夜闇を舞う鷲の名を冠する星として降り立つというのか、イケPよ……」
シャドウナイフが目を細め、いつも通りの大仰な台詞で反応した。
何やら思うところがあったらしく、一部には恐らく「カッコイイ」と評されるであろうポーズまで決めている。
「良かろう……貴様にその覚悟があるというのなら、俺もこの封印されし影の力を解き放たねばなるまい。そして、正義という名の星々を輝かせるのだ……!」
「……Lucid、通訳頼むわ」
イケPが助けを求めるも、Lucidは肩を竦めて首を振るだけだ。
「七夕かぁ〜、ちょっと季節外れだけど、まあメビウスだしね。いいんじゃないかな?」
Storkがうんうんと頷いた。
「七夕といえば夏祭り、夏祭りといえば浴衣、浴衣といえばチラリズム!いやぁ〜、眩しいふくらはぎやうなじが、今から目に浮かぶようじゃないか~!」
「あんた結局覗きのことしか考えてないんじゃない……」
いつも通りのStorkに対し、スイートPが呆れた顔をしてみせる。
「まぁ、私も構わないけどぉ?星空にきらめくゆめかわな世界なんて、ロマンティックじゃなぁい!あとはソーンちゃんがゴーサイン出すかどうか、でしょ?」
「そうね……」
「ちょっと!私の意見を聞かずに話を進めるなんて許さないわよ」
考え込む素振りを見せたソーンの言葉を遮るかのように、ミレイが割り込んだ。
「やるならとことん、派手にやればいいじゃない。そうねえ、せっかくだからこの私が直々に豚どもの願いを叶えるイベントでも開いてやろうかしら?」
「結局賛成なんじゃねーか」
ウィキッドが呆れたような顔をしながら、退屈そうに欠伸する。
「どーでもいーしどーでもいーしメンドクセー。あ、強いて言うなら、こーゆーイベントで浮かれてるヤツらを真っ最中にぶち壊すのは楽しそうかもなぁ?そんときゃ、アタシのとっておきのオキニぶちかましてやるよ……で、どのニトロは使っていいんだっけ?」
「時と場所は弁えてほしいわね、ウィキッド」
窘めるソーンに対し、ウィキッドはどうでも良さげに舌を出してみせる。
ソーンは諦めたように小さく頭を振り、梔子の方へと振り向いた。
「梔子、あなたはどうかしら」
梔子は何度かまばたきしてから、頷いてみせる。
「µがやりたいって言い出したことなら、私は協力するだけ。やるなら何か考えておく。……少年ドールは?」
梔子に急に話を振られ、部屋の隅で縮こまっていた少年ドールが、びくりと身を竦ませた。
「ええ……何で僕に聞くんだよ……」
梔子は黙って小首を傾げてみせる。少年ドールは渋々といった様子で、
「別に、勝手にやったらいいんじゃない……そんないかにもリア充が好きそうなイベント、僕には関係ないし……」
「ええっ!少年ドール、参加してくれないの……?」
µが寂しそうな声を上げ、少年ドールは「うぐ、」と、言葉を詰まらせた。
「……分かった、分かったよ、なんか考えとけばいいんだろ……。……言っとくけど、絶対外には出ないからな、絶対に」
µはぱあっと顔を輝かせ、「やったあ!」と飛び跳ねた。
ソーンはそれを見て小さく息を吐いてから、傍らで黙ったままのLucidに問い掛ける。
「……Lucid、貴方は?」
「ん?俺はソーンに従うけど?」
あっさりとそう答えるLucidに、ソーンは小さく顎を引いてみせた。
「そう……聞くまでもなかったわね」
そう言って、ソーンは改めて控え室を見回す。
「なら、計画を立てましょう。近頃減少してきたデジヘッドを増やす、いい機会だわ」
「わーい!」
µは嬉しそうに飛び跳ねてから、「じゃあはいっ、これ!」と、大量の紙束とペンを出現させる。
「…………これは?」
怪訝そうなソーンに対し、µは自慢げな表情で、
「願い事は『タンザク』に書くんだよねっ!みんなも書いて書いて!私、頑張って叶えるからね!」
ソーンはしばらく眉間を抑えてから、「……まず、七夕のレクチャーから始めた方が良さそうね……」と、誰に言うでもなく呟いた。




結局、µの提案通り、楽士たちはウィキッドを除く全員が、短冊を書くことに決まった。
ウィキッドがびりびりに破いて散らかした紙くずは片付けられ、テーブルに置かれた紙束の中から、それぞれ好きな色を選んでいく。
「ちょっとµ!ゴールドはないの、ゴールドは!この私に相応しい色は!」
「おっ、悪いなミレイ。ゴールドはこの俺が貰っちまった☆」
「なんですってえ!」
「どうせ全部折り紙なんだから、こだわる必要ないと思うけど……」
ミレイとイケPのやり取りに呆れつつ、梔子は青い短冊を選ぶ。
何を書こうか、と、少し考えてから、思いついた言葉を、丁寧な字で書き記した。
と、近くに気配を感じて、梔子はふと顔を上げる。
すぐ傍で、Lucidが透明な薄いシートを片手に、何やら考え込んでいた。
どうやら透明人間だからと、わざわざ透明な短冊を用意してもらったらしい。
梔子は短冊を伏せながら、「Lucid」と声を掛けた。
「ん?ああ梔子、短冊書けたのか?」
「うん」
何となく短冊を後ろ手に隠しながら、梔子は頷く。Lucidはそれを気にも留めていないようで、黒の油性ペンを器用に回していた。
「Lucidは?」
「いや、書きたいことは決まってるんだが……」
そう言いながら、Lucidは「んー」と軽く唸る。
「上手いこと言葉が出なくてな。梔子は何て書いたんだ?」
「…………」
梔子は少し黙って、辺りを伺うように見回す。
周囲は誰も自分たちに注目していないことを確かめてから、梔子はそっと、Lucidに自分の短冊を見せた。

『家内安全』

Lucidが見たことを確かめて、梔子はすぐにそれを伏せる。
「馬鹿みたいでしょ、でも……」
「いや、そんなことはない」
自嘲する梔子を、Lucidがすぐさま窘めるように否定した。
「それがお前の願いなんだろ?なら、それでいい。そうだろ?」
「……うん」
言い聞かせるようなLucidの口調に、梔子は素直に頷いた。
表情の分からない髑髏頭の彼の言葉は、淡々としていながらも優しい。
普段は飄々としているLucidだったが、こういう時は兄のようだと、梔子はこっそり思っていた。
「ん……あ、思いついた」
不意にLucidはそう言い出して、油性ペンで何かしら書き込み始める。
角度的に梔子からは何を書いているのか見えず、
「何を書いたの?」
と、思わず聞いてしまった。
「……恥ずかしいんだが」
普段照れるようなことのない彼が、珍しくそんなことを言いながらも、「お前も見せてくれたから」と、透明なシートを梔子に差し出す。

『貴方の望む世界が永遠に続きますように』

どこか既視感のあるフレーズだと梔子は思ったが、それを思い出す前に、Lucidはその短冊をコートの内ポケットに仕舞い込んでしまった。
「µに渡さないの?」
梔子が訊ねると、Lucidは小さく笑った(ような気がした)。
「µに渡して叶えて貰えるような願いなら、願わなくてもいいんだけどな」
そう言って、彼はちらりとµの方に視線を向ける。
釣られてその視線を追った梔子は、Lucidの視線の先にいるのが、µではないことにすぐ気が付いた。
µはソーンと共に、イベントの段取りを話し合っていた。
それから、梔子は先程のフレーズの既視感に思い当たり、ああ、と、改めて納得する。
「……それが願い事なの?」
梔子の問い掛けに、Lucidは答えない。
「……どうかしたの?」
と、ソーンが二人の視線に気付いて振り返った。
「いや、何でもない」
Lucidはそう言うと、梔子の脇をすり抜けて、ソーンの傍へと歩み寄っていく。
「何か手伝うことは?」
「ええ。µが笹を飾りたいと言って聞かないのだけど……」
「ああ、うーん、リソースがなぁ……」
「………………」
何やら相談し始めた二人の背中を、梔子は少しの間、ぼんやりと眺めていた。
Lucidがソーンをどう思っているのか、という件は、楽士たちの間では公然の秘密と言っても良かった。
そもそも、Lucidは隠す気が無いどころか、本人を目の前にしてあっさりと話す始末だ。ソーン本人はかなり、迷惑がっているようだったが。
それでも、彼なりに真剣なのだろう。
自分の願いではなく、彼女ソーンが歌詞に載せた願いを、祈るほどには。
と、µが梔子の持っている短冊に気が付いたらしく、ふわりと傍まで飛んできた。
「梔子!短冊書けた?」
「あ、ええと、私は、」
梔子は少し戸惑いながら、自分の短冊を見つめ直す。
それから、少し考えて、µに言った。
「……ええと。笹、飾るんでしょ?後で、自分で飾るから……」
「いいの?私がやってあげるのに……」
「大丈夫。自分で出来るから」
µは首を傾げながらも、にっこりと笑った。
「わかった!すぐ叶えてあげられるお願いだったら、何でも言ってね!」
無邪気なµの笑顔に、梔子は微笑んで頷く。
「うん。ありがとう、µ」
「どういたしまして!……あっ、シャドウナイフー!短冊書けたー?」
またふわりと飛んでいくµを見送ってから、梔子はふと、まだ沢山積まれている紙束に気が付いた。
「……ねえ、もう一枚貰ってもいい?」
散らばりかけた紙束をまとめるStorkにそう訊ねると、「ああ、構わないんじゃないかな?」と、彼は見やすいように紙束を広げ直してくれた。
「ありがとう」
透明なシートは流石に無く、今度は水色の紙に書くことにする。
これはきっと、自己満足なんだろう。
そう思いながらも、文字を綴った。
でも、それでいい。
願い事なんて、きっとそんなものだから。
梔子は自分の願いを綴った短冊と、彼の願いについて祈りを込めた短冊を、そっとポケットに仕舞い込んだ。
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