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主→棘




月が綺麗ですねと投げ掛けたら、
ごめんなさいと『彼女』は言った。

たった、たったそれだけのことで、
狂おしいほどの恋情が、この空虚で壊れた胸の中を満たすのだ。

それなのに、何を他に望むべくしてあるのだろう。

『透明人間』を満たすのは、幾度も重ねた繰り返しの末に残った『虚無』ではない。

永遠に、永遠に、永遠に、ただひたすらに続いている『恋』だけだ。















































俺はソーンが好きだった。















































「Lucid」
Lucidが楽士たちの控え室で、こっそりとあくびをしていた時だった。
今日の控え室は、やけに人が少なく静かだ。聞けば一部の楽士が組んでちょっとしたライブをやるらしく、そのための準備をしているとのことだった。
貴方は出なくていいとソーンに言われ、理由は分からずともLucidは従った。ソーンがそう言うなら理由など要らない、と言うのが、実際のところではあるのだが。
そんなわけで、Lucidは同じく出演する予定がないという梔子と、時々他愛のない雑談をしながら時間を潰していた。
多少暇でも、帰宅部の部室にいるよりは、こちらの方がいい。何せ、ソーンがいるのだから。
そう思っていた矢先、Lucidと梔子の会話が途切れたタイミングを見計らったように、ソーンが声を掛けてきた。
「ちょっといいかしら」
「どうした?」
Lucidはそう言いつつ、ちらっと梔子に目配せする。
気にせず行って、と目で言われ、梔子に感謝しつつLucidはソーンに駆け寄る。
今日のソーンは何となく落ち着かなげというか、そわそわしていた。少し苛立っているようにも見える。
「明日の日曜は暇?」
それでもなお澄ましたように訊ねてくる『彼女かれ』に、Lucidは頷いてみせる。
「まあな。ラガート狩りでも行ってくるか?」
「いいえ、そうじゃないの」
ふるり、とソーンは首を横に振ると、少し悩むように視線を泳がせて、それから小さく溜め息を履いた。
何かあったのか、とLucidが聞く前に、ソーンは意を決したように、言った。
「……明日、買い物に付き合ってくれる?」
Lucidが断るわけがなかった。





*****





Lucidの姿で来いと言われ、素直にパピコの前の待ち合わせ場所に行くと、ソーンは既に先にいた。
「早かったわね」
懐中時計(ソーンの趣味ではないはずだ)を確かめながら言う『彼女かれ』に、思わずLucidは肩を竦める。
「こっちの台詞だ。15分前に来たのに」
「良い心掛けだわ」
そう言ってソーンは悪戯っぽく笑うと、「行きましょう」とLucidを促した。
連れ立って歩くにはあまりに目立つ組み合わせのせいか、人払いがされ、モール内にいるのはNPCばかりだった。
「いつもの実験か?」
「いいえ」
ソーンが素っ気なく言う。
「そうじゃないわ。ただ、買い物に付き合って欲しいだけ」
意外な返答に面食らいつつも、Lucidは大人しく着いていく。
ソーンが選んだのは、突き当たりにある、こぢんまりとした雑貨店だった。
白塗りの扉を開けるとからからと小さなベルが鳴り、NPCの店主が「いらっしゃい」と人の好さそうな声をかけてくる。
店の中は普通の雑貨の他、鉱石や標本なども並べられていた。
「こんな店あったのか」
「ここも誰かが望んだのでしょう」
ソーンはそう言って、棚を見て回り始める。
何か選んでいるのなら邪魔しない方がいいだろうと、Lucidは黙って着いていく。
と、不意に、ソーンがもの言いたげな視線を向けてきた。
「Lucid、あなたの好きな動物は?」
「ん?」
唐突な質問に面食らっていると、ソーンの前にある棚が目に入る。
動物を模したブローチが並べられているのを見て、Lucidは素直に答えることにした。
「烏かねえ……」
「烏?……、……」
意味を理解したらしいソーンが不快そうに眉をしかめ、Lucidはくつくつと喉奥で笑った。
「貴方って本当に嫌がらせが得意ね……」
「お陰様で」
Lucidは見つけた烏のブローチを指でつまみ上げる。
「だからあんたのとこにいるんだろ」
ソーンは呆れたように小さく溜め息を吐く。
「帰宅部の嫌がらせに楽士になったとでも?」
「あんたはそうして欲しいんだと思ったがな」
Lucidはそう言って、つまみあげたブローチを置き直した。
それを見て、ソーンが小首を傾げてみせた。
「買わないの?」
「買ってもすぐ失くす」
ほんの少し、Lucidの言葉の端に、拗ねたような響きが混じる。
「いつもだ」
「……」
ソーンは黙って睫毛を伏せ、その棚から離れた。

結局店内を一回りしても、ソーンの目当ては見つからないようだった。
「先に行っていて」
そう言ってソーンは店主の方へ向かい、何かを相談していた。
Lucidは首を傾げつつも、大人しく店外へ出る。
暫くして、ソーンは小さな紙袋を抱えて出てきた。
「待たせたわね」
Lucidが返事をする前に、ソーンは持っていた紙袋を突き付けた。
「へ?」
「いいから」
そう言って、ソーンはLucidの手に、紙袋を押し付けてしまう。
「もうすぐ、誕生日なんでしょう?」
「……えっ?」
「三月ウサギでスイートPたちが待ち構えているはずよ」
ソーンは淡々と言った。
「プレゼントは渡したわ。じゃあ、私はこれで」
「え。え、あ、あの、ソーン」
いつになく狼狽えながら紙袋とソーンを交互に見るLucidには目もくれず、ソーンはさっさと歩いていこうとする。
が、くるりと踵を返したかと思うと、悪戯っぽく微笑んだ。
「私からなら、失くさないでしょう」
じゃあ、私はこれで。
そう繰り返して、ソーンは歩き去っていった。
残されたLucidは呆然とそれを見送ってから、思い出したように紙袋を開けてみる。

烏のブローチが、可愛らしいラッピングに包まれていた。

「…………は、はは……は、」

失くさずにいられるなら、失くしたくなかった。
初めて、【初めて】nが『彼女かれ』から貰う、プレゼントだった。



失くしたくない。
失いたくはない。
けれどきっと、nはまた失くすだろう。
自分がまた、『彼女かれ』を失った時に。
今いる世界が過去に変わり、新たな世界にやり直す時に。
きっと、この世界で得たものは全て、手放す羽目になるだろう。

もう二度と手放したくない。
そう願い続けて何度繰り返したのか。
これが最後のチャンスかもしれない。
そう考え続けて何度怯えたのか。

永遠に、永遠に、永遠に。
永遠に繰り返し続けているこの恋ネバーエンディングラブストーリーを、どうしても終わらせられないのは。

「……あんたの、せいだからな…………」



棗飛鳥。
君の望む世界が永遠に続いてくれれば、
俺はもう、何にも要らないのに。



黒いコートの透明人間は、見えない唇で、そっと烏にキスをした。























































nは、ソーンに恋をしている。





















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