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琵琶女主




良いワインが手に入ったから飲まないかとWIREで誘われて、あの人イメージそのまんまのことしてどうするんだろうと思いながらも、小夜香は「伺います」と返事をした。
『何かつまむものとか作りましょうか』
『いいね、赤ワインによく合うものを頼むよ』
今日の永至はやたらと機嫌がいい、気がする。
帰宅部の活動が遅々として進まないことに苛立つ彼をちらちらと見掛けていた身としては、まあ有難いことではあるのだが。
何か良いことでもあったのだろうか、と思いながらも、彼にとってそれはラッキーなことというよりも、彼自身に都合の良いことなんだろうなぁ、などと思ってしまう。
あの人本当に自分大好きだからなぁなんて、まあ、そんな男に惚れた自分も自分だ。
赤ワインなら安直に肉でも焼こうかと考えつつ、小夜香は近くの店へ買い出しに向かう。
メビウスの良いところは、どこへ行ってもそれなりに彼の口に合う食材があるところだと思う。
小夜香自身、料理の腕はそれなりのつもりだし、少なくとも今まで作ってきたものに対して、不味いと文句を言われたことはない。
花嫁修業を無駄に頑張っておいて良かったなぁと思いつつ、それが文字通りの意味で活かされるわけではないのが何だかちょっと皮肉っぽくて、小夜香は自嘲するか少し迷ってから、代わりに溜め息を吐いた。
結婚して幸せな家庭を持つ、なんてどれほどの夢物語なのだろうか。
それに、今愛している男にそんなものは望んでいないどころか、「愛しているから一緒になろう」なんて言われたら、多分きっと、小夜香はショックのあまり彼を殺してしまうだろう。
そんなことを言わないから良いのだ、琵琶坂永至という男は。
自分を都合の良い猟犬としか思っていない。アクセサリーにもならない、ただの子飼いにしている人間の一人だと見なしてくれる。
それが小夜香にとって何より有難く、小夜香が永至をこよなく愛せる理由だった。
まあ、たまにちょっと、ご褒美をくれてもいいのではと、思わなくもないけれど。
懐が広いように見せ掛けてさほど気の長くない彼をあまり待たせるわけにもいかず、さっさと買い物を済ませてしまおうと考える。
ふと、ちょっとした悪戯心で、季節外れの果物を手に取った。
桜なんかが咲く割には、店に置いてある食材には季節感がない。
あのどこか世間離れしている歌姫が考えた世界なのだから、致し方ないのだろうけど。
小夜香は会計を済ませ、顔のないNPCから、袋に詰まった品々を受け取った。





「意外と早かったね」
出迎えてくれた彼はいつもの澄ました制服ではなく、ラフなジャージ姿だった。
小夜香が思わず目を丸くしていると、「早く入りたまえ」と促される。
「あっ、すみません……今日は私服、なんですね」
「いつも制服でいるわけにはいかないだろう?」
オンオフの切り替えは大事だよ、なんて笑ってみせる永至に、小夜香は言いたいことがいくつか浮かんだが、結局止めた。
「何か買ってきてくれたのかい?」
「あ、はい……おつまみ、すぐ食べられそうなのも買ってきましたけど。チーズとか……」
「ふむ」
袋を開けてみせるも、永至は眺めているだけだ。
「……とりあえず、何か作りましょうか?」
小夜香の提案に、永至はにこっと人懐っこく笑ってみせた。
「いいのかい?悪いね、買い出しまでさせておいて」
どうやら正解だったらしい。
この男、しばしば小夜香の反応を試して遊ぶのだ。
さながら良犬クイズとでも言うのだろうか。永至の望むことを望む通りにやれるか、という点において、小夜香はいつも冷や冷やさせられていた。
「いえいえ……好きでやっているので」
誰かさんのことがね、と口の中で呟いてから、「台所お借りします」と、小夜香は改めて許可を取った。
自分でも料理をするという彼の台所はぴかぴかに磨き上げられていて(まあµの力なのだろうけれど)、いつも使うことにちょっと気が引けてしまう。
まあいいかと思い直し、小夜香は買ってきた食材を取り出して、彼の望むであろうものを思い描きながら、料理を始める。
途中、永至が自慢げに見せてきた酒類の数々(手に入れたのはワインと聞いていたが、日本酒やウィスキーなどもあった)に目を丸くしつつ、これに合わせろという意味だと理解して、味付けを少し変えることにした。
「先輩、好き嫌いは?」
「無いよ」
「そうですか」
間髪入れずに返ってきた答えは、恐らく「自分の舌に合えばいい」という意味だろう。
彼の好みは徐々に把握しているものの、まだ完璧とは言えない。
努めなければ、と内心決意を新たにしているうちに、おつまみが出来上がっていく。
「お待たせしました」
永至がくつろいでいるリビングへと料理を運んでいくと、彼はつまらなそうな顔でテレビを眺めながらソファに身を沈め、ワイングラスを揺らしていた。
「ああ、ご苦労様。君も飲むかい?」
「はい、いただきます」
小夜香が素直に頷くと、隣に座れと促された。
普段なら床に座るのだが、主の命令ならばと、小夜香は広いソファに腰を下ろす。
永至は機嫌良くワイングラスに赤ワインを注いで、小夜香に手渡した。
「ありがとうございます、いただきます」
「好きなだけ飲みたまえ」
永至はそう言って、ワイングラスをあおる。
小夜香もほんの少しだけワインに口をつけた―――美味しい。
「……美味しいですね」
「当然だ」
永至は上機嫌に笑った。
「僕が見立てたんだからな」
……どうやら今日の飼い主は、アルコールのせいでいくらか浮かれているらしい。
珍しいこともあるものだ、と思いながら、小夜香は料理を取り分けた。
「よろしければ召し上がってください。お口に合えば良いのですが」
小夜香が皿を差し出すと、永至は受け取った。
「まずいものを作ったわけじゃないんだろう?」
「それは、もちろん」
「ならいただこう……これは?」
永至が示したのは、春巻きの皮に包まれ揚げられた、一口サイズのおつまみだった。
小夜香は悪戯っぽく笑いたいのを押し殺しながら、なんでもないことのように答える。
「柿とチーズの包み揚げです」
「……柿?」
永至の表情が、怪訝なものに変わる。
「今は春だったと思うんだが?」
「ええ。どうもこの世界は、季節感というものがしっちゃかめっちゃかなようで」
小夜香はワインを一口飲んだ。
「柿の隣には、西瓜もありましたよ」
「成程……全く、出鱈目とはこのことだな」
そう言って、永至はその包み揚げを口に運んだ。
暫く咀嚼して、気に入ったのか、またひとつ、もうひとつと口に運んでいく。
ほんの些細な悪戯心で選んだ食材だったが、気に入られたようで、小夜香は何となく安心した。
何気なくテレビに目をやると、ニュース番組らしいものが流れている。
といっても当然この世界での話題しか流れていない、となるとその話題は限られていて、つまるところ、µの話ばかりがテレビの中も独占している。
情報収集にすらならない、どうでもいい情報に目を細めていると、
「菫野」
と、隣から声を掛けられた。
「っ、し、失礼いたしました、少しぼうっとしてい、て…………」
慌てて振り向くと、目の前には箸で摘まれた揚げ物が、ひとつ。
「食べないのか?」
「……いただきます」
「そうじゃない」
小夜香が箸を受け取ろうとすると、永至は手を引いて、くつくつと楽しそうに笑った。
「口を開けたまえ、と言っている」
「………………」
小夜香は控えめに口を開け、放り込まれる包み揚げを受け入れた。
永至は満足げにそれを見届けると、別の料理に手を出していく。

ああ、もう、全く、この人は。

じんわりと頬が熱くなるのを感じながら、小夜香は口の中のものを噛み砕いて、ワインで流し込んだ。





それなりに酒は強い方だと自覚しているものの、流石にワインとウィスキーと日本酒のちゃんぽんはきつかった。
永至が寝こけてしまう頃には、小夜香も大分酔いが回っていた。
当の飼い主はといえば、実はそう強くないらしい。酔って好きなだけ騒いだかと思えば、今はソファでぐっすりと眠っている。
酔って騒いだ彼の話したことと言えば、
「社長は嘘じゃない、これからなるんだからな!」
「僕が社長になったらそうだな、君は……部長にしてあげよう!ははは!」
「何、労基法のすり抜け方なんざいくらでもある、僕ならやれるさ……」
……などなど。
ある意味、無邪気な人だ。
小夜香はそう思いながら、寝室から持ってきた毛布を彼の身体にかけてやる。
彼と二人で飲んだ量をちらりと見て、二日酔いにならなければいいが、と、密かに彼の体調を心配しつつ、後片付けを始めた。
物音を立てないように注意しながら、散らかした瓶や取り分け皿をそっと台所に持っていく。
洗い物は、明日でいいだろう。余計な物音で、彼を起こしたくはなかった。
「……ん……」
「!」
小さな呻き声が聞こえ、小夜香は咄嗟に振り返る。
けれど永至は、ごろりと寝返りを打っただけだった。
小夜香はほっとしながらも、このままだと彼がソファから転がり落ちてしまう危険性に気付く。
とはいえ小夜香も、永至をベッドまで運ぶ腕力は持ち合わせていない。
「…………」
酔っているせいか、解決策がひとつしか思いつかなかった。
それも根本的な解決にはなっていないし、許可を得ていないわけだから、翌朝罰せられる可能性もある。
まあ、どうせ二日酔いで機嫌が悪くなっていたら、八つ当たりはされそうだが。
小夜香は片付けを終えたのち、床にぺたりと座り込んで、暫く永至の寝顔を眺めた。
結局、他に良い案も思いつかない。
小夜香は諦めたように小さく息を吐いたのち、そうっと、永至の隣へ横になった。
大きめなソファとはいえ、 既に体格の良い男が寝ているので、小夜香のスペースはかなり狭い。
それでも、彼が転がり落ちそうになったときのストッパーとしての役割は、まあ、果たせるだろう。
許しを得ていないのにこうして触れるのは、かなり躊躇いがあったけれど。
でも、今日良いにしていたご褒美くらいは、今夜貰ったって、構わないだろう。
「……おやすみなさい、先輩」
小夜香はそう呟いて、こっそり永至の方へと身体を寄せ、静かに目を閉じた。


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