鍵女主(恋)
「男前が台無しだね」
鍵介の顔に絆創膏を貼りながら、恋が困ったように笑う。
鍵介は外した眼鏡を弄びながら、
「傷は男の勲章って言うじゃないですか」
と、嘯いてみせた。
恋はまた苦笑して、
「でも、あんまり怪我はして欲しくないな」
と、鍵介の頬をそっと撫でる。
心配そうな恋の視線に、鍵介は、自分が無事で良かったと、思わずにはいられなかった。
*****
帰宅部の活動も佳境に入り、デジヘッドたちも徐々に強力になっていた。
その中でも一際強い力を持ったデジヘッドに、鍵介たちは襲いかかられたのだ。
幸い、アリアが傍にいたから良かったものの、カタルシスエフェクトが無ければ、逃げることも難しかっただろう。
別行動を取っていた恋たちが合流する頃には何とか撃退したものの、苦戦を強いられた鍵介たちは、大分消耗していた。
その後安全な場所で休息を取り、本日の帰宅部は解散となったわけだが。
「鍵介、まだ怪我、残ってる」
と、恋が心配そうに顔を覗き込んできたのだ。
「大丈夫ですよ、これぐらい」
「ダメ。手当するから、うちに来て」
こういう時の恋は、結構強情だ。
鍵介はそれ以上逆らわずに、大人しく引っ張られていったのだった。
*****
手当をすっかり終えても、恋の表情にいつもの明るさはなかった。
鍵介は眼鏡を掛け直すと、恋の手を取り、軽く引く。
恋はそれに気が付くと、ソファに座る鍵介の膝に、ぽすんと腰掛けた。
「……心配させました?」
鍵介が問いかけると、恋はちょっと拗ねたように睨んでみせる。
「しないと思った?」
「いえ。すみません」
鍵介が謝ると、恋は小さく溜め息をついて、首を左右に振る。
「……ううん、ごめんね。そもそもは私の判断ミスだ。やっぱり私も着いていけば良かった」
「そんなこと、ないですよ」
「でも……」
恋は俯いてしまう。
「……何かある度に、私が部長で、本当に良かったのかなって、思っちゃって。みんな着いてきてくれるけど、丞やみんなに頼ることだって多いし……」
「……先輩」
鍵介が心配そうに様子を伺っていると、恋ははっとしたように顔を上げた。
「……ごめん」
そう言って、恋は笑ってみせる。
「今日は鍵介がいっぱい頑張ってくれたから、労いたかったのに。私が落ち込んでたら、ダメだね」
そう言って笑う恋の表情は、どう見たって無理をしていた。
鍵介は何と言えばいいのか分からず、もどかしくなる。
こんな時、丞や永至なら上手く励ませるのだろうか。
子供でしかない自分が悔しくなりながらも、鍵介は結局、何も言えなかった。
「……鍵介、ごめん」
恋が申し訳なさそうに、鍵介の顔を覗き込む。
「心配させちゃった?」
「……いや、不甲斐ないなと」
「何が?」
鍵介は少しずれた眼鏡を押し上げながら、恋を見る。
「先輩のこと、上手く、励ませなくて……」
鍵介の言葉に、恋はきょとんとしてから、小さく笑った。
「ふふ……」
「な、何で笑うんですか……」
「鍵介って可愛いね」
「ええ……」
情けない顔をする鍵介に、恋は笑いながら、
「そういうとこ、大好き」
と、顔を近づけ、頬に唇を押し付ける。
柔らかくて幼いキスに、物足りなさを感じてしまって、鍵介は少し恥ずかしくなった。
「……ね、ところで」
恋がおもむろに、鍵介のセーターをくいくい引っ張った。
「いつまで敬語なの」
「え?」
「現実では同い年なんだから、二人の時は敬語止めてねって言ったじゃない」
わがままめいた恋の口調に、鍵介はぱちぱちと目を瞬かせてから、思わず微笑んでしまう。
「……僕、早生まれだから、厳密には違うけどね」
「いいの、学年一緒だから」
恋はふんすと鼻を鳴らす。
「現実に帰ったら、一緒に成人式行くんだから」
「分かったよ……」
もう何度も聞いた約束だ。
とっくにハタチを迎えて大人になっているはずの彼女は、鍵介と共に大人になると言って聞かない。
そう言われてしまっては、ピーターパンに憧れている暇もないというものだ。
「……恋」
静かに、愛おしさを込めて名前を呼ぶと、恋が一瞬目を見開いてから、そっと睫毛を伏せた。
鍵介は触れるだけのキスを落として、照れ隠しに訊いてみることにする。
「……キスすると痛みが和らぐって聞いたことない?」
恋は片目だけ開いて、悪戯っぽく笑ってみせた。
「なぁにそれ……どこか痛むの?」
「……プライドとか?」
「ふふ」
若干本音を混ぜてみたのだが、笑われてしまった。
恋はお姉さんぶった口調で「鍵介はかっこつけ屋さんだね」と言ってから、
「他に何かして欲しいこと、ある?」
と、鍵介の肩に頭を預ける。
彼女を抱き締めて、鍵介は少し考えてから、囁いた。
「……恋が欲しいな」
恋は仄かに頬を赤らめて、小さく笑った。
「僕は恋で良かったと思うよ」
枕に頭を沈めた恋の髪を撫でながら、鍵介が言った。
恋は何のことか分からず、視線だけで問い掛ける。
鍵介はその視線に気付いて、眼鏡を外した素顔で笑った。
「帰宅部の部長」
「……丞の方が向いてると思わない?」
鍵介は首を横に振ってみせる。
「あの人は、尊敬してるし、凄いと思うけど……現実に帰りたいって言うより、メビウス嫌いだろ。丞先輩は。恋は帰宅部のことも、µやアリアのことも、ちゃんと考えてくれてる」
そして楽士のことも、と、鍵介は呟くように言った。
「……だから僕は、恋が部長で良かったと思ってるよ」
鍵介の言葉に、恋は擽ったそうに笑ってから、からかうような視線を投げかける。
「……長いものに巻かれたくせに」
「いや、あれは、言葉のあやっていうか……」
慌てたような鍵介の表情に、恋はくすくすと笑った。
「鍵介って優しいね」
「……惚れ直した?」
「ううん」
恋が首を振って、鍵介はちょっと肩を落とす。
けれどそれを見透かしたように、恋は言った。
「ずっと好きだから、惚れ直す暇がないの」
「……参ったな」
それ以外何も言えずに、鍵介は恋の唇にキスをした。
恋は微笑んで、鍵介の手の中に、自分の手を滑り込ませる。
鍵介も、黙って恋の手を握り返す。
此処が、たとえどんなに理想の楽園で、いくら望むものを歌姫が与えてくれたとしても。
この手の中の温もりは、きっと教えては貰えなかっただろう。
二人の恋も愛も絆も、幼くはあるけれど、自分の力で得たものだ。
与えられたものでは、決してない。
それを護るために、自分たちは現実に帰るのだ。
大切なものを離さないために。
大事なものを無くさないために。
人は大人になっていく。
子供の小さな手のひらのままでは、何も護れないから。
「ありがとう、鍵介」
恋は、安心したように笑った。
「帰ろうね。絶対に。………みんなで」
「……勿論」
鍵介も、優しく笑い返す。
「帰ろう。みんなで、一緒に」
手のひらの中の温もりは、確かにお互いの未来を繋ぎ合わせている。
二人には、そう信じられた。