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鍵女主(恋)

メビウスの文化祭は、現実とは一味違う。
普通の文化祭は学校だけの行事だが、メビウスでは街を巻き込んだお祭り騒ぎだ。
あっちもこっちも賑やかで、いつも以上にµの歌で溢れ返り、楽士たちは主催者としてそこかしこに顔を出す(出さない者もいる)。
祭りの中心である学校は最たるもので、昼間から花火が上がり、数多くの出店で埋め尽くされている。
そんな賑やかな学校の中でも、比較的静かな場所に、鍵介は向かっていた。
旧校舎の空き教室。
『休憩室』と書かれたプレートがぶら下げられただけのその場所は、何の催しもしていない。
ただ、机と椅子が並べられ、休めるようになっている。それだけの場所だ。
鍵介はその教室を覗き込み、目当ての人物を見つける。
窓際の席につき、彼女は眠たそうな顔で頬杖をつきながら、ぼんやりと窓の外を見つめていた。
「恋先輩」
鍵介の呼びかけに反応して、彼女の髪がさらりと揺れる。
眠たそうな瞳が、鍵介の姿を捉えると、ぱっちりと開いた。
「あれ、鍵介。どうしたの」
「探しましたよ、もう」
生意気な口調で鍵介は言うが、内心ほっとしていた。
人から伝え聞いただけで、彼女がいる、という確証はなかったのだ。
連絡すればいいものを、その勇気がなくて、わざわざこんなところまでやってきてしまったわけだが。
「え?ごめんごめん。連絡してくれれば良かったのに」
「いえ、まあ、それはいいんですけど」
誤魔化すように、鍵介はずれかけた眼鏡の位置を直す。
「一人ですか」
「うん、そうだけど」
どうしたの?と、恋は気の良い笑顔で鍵介に首を傾げてみせる。
実をいえば、たった一言を言うためだけに、鍵介はわざわざこんなところまでやってきたのだが、今日に限っては上手く口が回らない。
いや、いつものことだ。恋を前にすると、言いたいことが、大抵言えなくなる。
「いえ、あの」
鍵介は少し口ごもってから、
「回らないんですか。文化祭」
と、他愛のない話題に逃げてしまう。
「うーん」
恋はまた頬杖をついて、窓の外を眺める。
校庭では、何やら催し物が開かれている。
「楽しみ方がよくわからなくて」
「楽しみ方?」
鍵介が聞き返すと、恋は照れくさそうに笑った。
「毎年ね、こういうイベント事とかあると、私、実行委員だったんだよね。司会とかそういうの。ショーとかにも出ずっぱりだったし」
「……なるほど」
人を楽しませることが好きな恋だからこそ、自分が楽しむ側になろうとは思ってもみなかったのだろう。
鍵介は少し考えて、言葉を選び、恋に向かって、それとなく言ってみる。
「僕が教えてあげてもいいですよ」
恋は目を丸くして、鍵介を見上げる。
「なぁに?お誘い?」
「そのつもりなんですけど」
と、鍵介は何でもないことのように言う。
「せっかくのお祭りなんだから、楽しんだ方がいいじゃないですか。幸い、今日は楽士たちもあっちこっちで忙しくしてるみたいですし。帰宅部の僕らが見つかったって、今日ぐらいはきっと、見逃してくれますよ」
たぶん。保証はないけれど。
鍵介の言葉に、恋は目をぱちくりとさせていたが、やがて花のように笑う。
「ふふ。そうだね。じゃあ、鍵介と行こうかな」
鍵介は内心ガッツポーズを決める。思わず片手は拳を握っていた。
「でも、もっと可愛い子誘えばいいのに」
「え」
先輩だって可愛いじゃないですか。
……と、言えれば苦労はしないのだ。
恋は言葉に詰まった鍵介の様子に、「もしかして」と、何故だか心配そうな顔をする。
「琴乃に振られちゃった?」
「……最初から誘ってませんよ」
鍵介は拗ねたように言って、顔を逸らした。

ああ、もう。
自分のひねくれ具合が嫌になる。
最初っから、鍵介は、恋を誘うと決めていたのだ。
先輩と一緒に、文化祭を回りたいんです、と、正直に言いたかったのに。

「ねえ、行こう、鍵介」
鍵介が凹んでいることなどいざ知らず、恋は鍵介のセーターの袖を引っ張る。
「どこから回るの?色々教えてね」
恋の無邪気な笑顔に、鍵介は思わず頬を緩めた。
「いいですよ、じゃあ、行きましょうか」
二人は並んで連れ立って、教室を出ていった。

祭りはまだ、始まったばかりだ。
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