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主鍵

電話越しに聞こえた『今から会いに行っていい?』との声が、随分疲れているように聞こえたので、鍵介は一も二もなく「良いですよ」と答えた。
作曲のために散らかしていた部屋の体裁を急いで整え、適当な部屋着を慌てて着替える。
鍵介が忙しく立ち回っていると、WIREに「着いたよ」と着信があった。
合鍵を持っていても、彼は律儀に連絡をくれる。
自分が体裁を整えていることなど、きっとお見通しなのだ。
それでも彼は、一切顔に出さないのだが。
「先輩」
玄関まで出迎えに行くと、はぁ、と白い息を吐き出して、ラティカがそこに立っていた。
「ごめんね、急に」
彼は申し訳なさそうに笑う。
「鍵介の顔が見たくなって」
「いいんですよ」
嬉しさを押し隠すようにして、鍵介は言う。
「寒かったんじゃないですか?ホットワイン、入れてありますよ」
「ああ、いいね。でも、その前に」
コートを脱いだラティカが手招きする。
鍵介はすぐに察したものの、少し戸惑ってから、その腕に飛び込んだ。
「あー、鍵介あったかい」
ぎゅう、と、苦しくない程度に抱き締められる。
メビウスでの彼とは違って、ラティカの背丈はほとんど鍵介と一緒だ。
「今日もお疲れ様です」
ぎゅ、と抱き締め返し、肩に顔を埋めて甘えていると、ラティカが甘やかすように背中を撫でる。
「ん……ちょっと充電出来た」
「もっとしてもいいんですよ?」
悪戯っぽく笑う鍵介に、ラティカは優しく笑う。
「ありがと。でも寒いだろ?部屋入ろう」
はい、と鍵介は、少し名残惜しそうに離れた。

ラティカは本当に疲れているようだった。
ホットワインを飲んで落ち着くと、鍵介に寄り掛かって動かない。
「……先輩」
「ん……ごめん、重かった?」
「いえ、」
そのままでいいですよと答えると、ラティカは安心したように微笑んで、また鍵介に寄り掛かる。
「お仕事、忙しいんですか?」
「うん……」
「夕ご飯とか」
「食べてないや……」
「作りましょうか」
「大丈夫。会ってくれただけで十分」
もう少し、頼ってくれてもいいのに。
言い出せず、鍵介はラティカの手を握る。
「先輩」
「ん?」
「一緒に住みましょっか」
「………うん?」
ラティカは顔をあげ、目を丸くした。
「ダメ、ですか……ね」
鍵介は恐る恐る訊ねる。
「どうしたの、急に」
「一緒に住めば、いちいち会う時連絡いらないかなって」
「いや、まあ、そうかもだけど」
「光熱費とかは折半で……あ、僕が持った方がいいのかな。電気代は払いますけど」
「け、鍵介。鍵介」
「もっと頼って欲しいんですよ」
鍵介の口から、ぽろりと本音が零れでる。
「甘えて欲しいし、頼って欲しいんです。……遠慮せずに」
ラティカは暫くじっと鍵介の顔を見つめていたが、やがてふと笑った。
「先輩。僕真面目なんですけど」
「いや、ごめん、分かってるよ。鍵介が愛しいなって思っただけ」
むくれる鍵介を、ラティカは笑いながら抱き締める。
「ありがとう。凄く嬉しい。……でも、迷惑かけると思うから、色々擦り合わせてからにしようか」
「あ、いえ。僕も、迷惑かけると思うんで……」
「とりあえずおっきいベッド買おうか」
冗談混じりに言うラティカを、鍵介はちょっと睨んでみせる。
「別にいいですけど……先輩のベッド、古くて軋みますもんね」
「ああ、うん。そろそろ買い換えないとね……」
と。
楽しそうだったラティカの瞳が、少し濁る。
「………先輩?」
「あ、……ごめん」
ラティカの視線は、遠くを映していた。
「誰かと暮らすのは、久しぶりだなって思って……」
「………先輩」
「なんてね。ごめん、何でもないよ」
そう言う彼の眼差しが、すぐに鍵介の方へ戻ってくる。
鍵介は何を言えばいいかわからず、「はい」とだけ答えた。
「色々決めたら、部屋見に行ったりしようか」
「そうですね」
彼の心に住めるのが、自分だけならいいのに。
そう思いながら、鍵介は黙って微笑んだ。
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