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主鍵

放課後、いつものように部室へ向かっていると、「先輩」と聞き慣れた声が後ろから聞こえた。
振り返ると、鍵介が軽く手をあげて駆け寄ってくる
「鍵介」
「部室行くんでしょう?僕も一緒にいいですか?」
「勿論」
そう言ってから、紅朗はふと微妙な違和感を覚える。
「……鍵介、眼鏡変えた?」
「……よく気付きましたねえ」
鍵介は驚いたような顔で眼鏡を押し上げ、紅朗はふふっと笑ってみせる。
「そりゃあ、鍵介の顔が可愛いから」
「なんですか、それ」
「ずっと見てるから気付くってこと」
「ハイハイそうですか」
鍵介は紅朗の言葉を軽く受け流し、おどけたように肩を竦める。
「おだててもなーんにも出ませんよ?」
「本音だけどなぁ」
「よく言いますよ」
紅朗が日常的に可愛いだのなんだの言うせいか、鍵介はすっかり受け流し慣れたらしい。
ちょっと寂しいなぁなんて思いながら、
「前のは捨てちゃったのか?」
と、紅朗は訊いてみた。
「眼鏡ですか?まだありますけど」
そう言って、鍵介はわざわざ制服のポケットから眼鏡ケースを出してみせる。
すると、鍵介は思いついたように、
「……先輩、かけてみます?」
と、眼鏡ケースを差し出してきた。
「お、いいのか?」
「駄目だったら言いませんよ」
鍵介はそう言って立ち止まり、ケースから眼鏡を取り出すと、紅朗に掛けようとしてくれた。
紅朗は少し身を屈めて、掛けて貰った眼鏡の位置を指で少し直す。
「どう?」
「あー…………」
紅朗の顔をじっくり見て、鍵介は批評家のように、自分の顎に手を添えた。
「なんか、真面目って感じです」
「そう?似合わないか?」
「そういうわけじゃないですけど……」
鍵介の表情を見て、そう悪くないらしいと紅朗は受け取る。
「なら、今日は掛けてようかな。借りてていいか?」
好きにしていいですよ、と鍵介は言った。
「ていうか、気に入ったんならあげますよ」
「え?いいのか?」
「ええ。多分、もう使わないんで」
「ふーん?」
そういえば眼鏡を変えたいと言っていたっけ、と、紅朗は思い出す。
それなら有り難くいただこうと思いつつ、自然と頬が緩んだ。
「へへ。鍵介とお揃いだ」
「…………」
鍵介は照れたのか、何も言わずに先に行こうとしてしまう。
紅朗はそれに気付いて、慌てて後を追い掛けた。



紅朗と鍵介が部室に入るなり、美笛が声を上げる。
「あっ、部長!眼鏡じゃないですか!」
「うん。鍵介の古いの貰ったんだ」
紅朗の声が自然と弾む。
「似合う?」
「似合ってますよー!なんかこう、イケメン!って感じです!」
美笛の雑ながらも力強い褒め言葉に、紅朗は照れ臭そうに笑う。
「やっぱり眼鏡って、印象変わりますね」
と、読みかけの本に栞を挟みながら、鈴奈も話しかけてきた。
「ちょっとは真面目に見える?」
「ふふ、そうですね」
と、鈴奈は微笑みながら頷いた。
「あれ?でも、鍵介くんの眼鏡なんですよね。鍵介くんも眼鏡掛けてますけど」
「新調したんだよ。先輩のは古いやつ」
鍵介が、ほら、と眼鏡を強調してみせる。
「ちょっと色合いとか変わってるんだよ?」
「えーっと……」
美笛はまじまじと鍵介を見てから、申し訳なさそうに笑った。
「ごめんなさい、わかんないや。あはは……」
「ええ……」
切なそうな声を出す鍵介に、紅朗と鈴奈はそっと笑いを堪えた。
「こんにちは。何だか楽しそうね」
「あっ、琴乃先輩!」
部室に顔を出した琴乃に、鍵介が駆け寄る。
「あら、鍵介くん。どうしたの?」
「僕を見て何か気づきません?」
「……?」
期待を込めて琴乃を見つめる鍵介をじっと見て、琴乃は真面目な顔で言う。
「……髪切った?」
「そうなんです、ちょっと毛先を揃えて、って違うんですよ!」
紅朗が堪えきれず吹き出した。
美笛も遠慮なく声を立てて笑うが、鈴奈は笑うのが申し訳ないのか、控えめに笑っているだけだ。
「せんぱぁい、笑ってないで何とか言ってくださいよ……」
「いや、だって……ふふっ」
「? なんだかよく分からないけど……あら、部長。今日は眼鏡なのね」
「うん。鍵介から貰った」
紅朗がちょっと自慢するように言うと、琴乃は微笑ましげに表情を柔らかくする。
「そう。良かったわね」
と、紅朗のポケットが、もぞもぞと動く感触がした。
少しして、アリアがぴょこんと顔を出す。
「ふわぁ〜あ……」
アリアは大口を開けて欠伸をしながら、きょろきょろと辺りを見回した。
「よく寝た〜……今何時?」
「おはよう、アリア。もう放課後だよ」
紅朗が声を掛けてやると、アリアは目を擦りながら「おはよ……」と見上げてくる。
「もうそんな時間かぁ……って、アレ?!Youってば眼鏡じゃん!イケてるねー!」
ありがと、と紅朗は笑ってみせた。
結局琴乃にも新しい眼鏡に気づいてもらえず、やや納得行かなさげな表情の鍵介が、紅朗の隣に戻ってくる。
「先輩の眼鏡はみんな気付くのに……」
「俺は普段掛けてないからなぁ」
励ますように頭を撫でてやるも、嫌がられて離れられてしまう。恐らくは周囲(というか女子たち)の目を気にしただけで、本当に嫌がっているわけではないのだろう。
わかっていても、紅朗はちょっとだけ寂しかった。
「なになに?鍵介もどっか変わったの?」
すっかり目を覚ましたらしいアリアが、紅朗のポケットから飛び出て、鍵介の顔を覗き込む。
鍵介はちらりとアリアを見て、わざとらしく溜め息をついた。
「アリアに気付かれてもなぁ……」
「ちょっとちょっと!それどーいう意味よー?!」
「眼鏡新しくしたんだよ。それだけ」
鍵介が投げやりにそう言うと、「ああ」と、アリアは納得したように紅朗を見た。
「もしかしてYouの眼鏡、鍵介が前に掛けてたやつ?」
「そうだよ。よくわかったな」
紅朗が感心すると、アリアはえっへんと胸を張ってみせる。
「まあね〜。これでもちゃんと見てるんよ。……鍵介の眼鏡が新しくなってるのは、言われて気付いたケド」
「やっぱり」
と、鍵介は唇を尖らせる。
うっかり「可愛いな」と言いそうになって、紅朗は何とか言葉を飲み込んだ。
流石に、女性陣の前で言われたくはないだろうし、何より部員たちの前でいちゃつく訳にはいかない。
紅朗が色々と堪えていると、にわかに部室の外が騒がしくなった。
「だーかーらー、ちょっと見学させてくれたらいいんだって!ちょっとだけ!」
「させねえっつってんだろ……いい加減しつこいぞ、お前」
部室へ入ってきたのは、何やら必死に食いつく鳴子と、げんなりした笙悟だった。
「どうした?」
笙悟の様子に、紅朗が助け舟を出そうと声を掛けると、鳴子が勢い良く振り返る。
「聞いてよ部長!笙悟先輩のバイト先にね……って、あー!!眼鏡!!」
鳴子は紅朗の眼鏡に食い付いて駆け寄った。
笙悟はようやく解放されたと言いたげに、ほっと息をついて椅子に腰掛ける。琴乃がそれを見て、「お疲れ様」と労いの声をかけた。
「なになにどーしたの?!部長も眼鏡キャラの仲間入り?!」
「今日だけな。鍵介から貰ったんだ」
紅朗がそう言うと、「えーっ?!」と鳴子がオーバーなリアクションを取る。
「じゃあ鍵介くんは眼鏡キャラ卒業?……って、あれ?なんだ、掛けてるじゃん」
「新調したんでーす」
最早気づいてもらうことは諦めたらしい鍵介が、拗ねた口調でそう言った。
鳴子は「ふーん?」と興味なさげに背中のリュックを揺する。
「そうなの?あんま変わってない気もするけど。まいっか!部長、今日はお揃いだねっ」
にひひ、と笑う鳴子に、紅朗は曖昧に笑ってみせる。
隣の鍵介がぴくりと反応したような気がしたが、彼は結局、何も言わなかった。
暫くして鼓太郎と維弦も現れ、漸く帰宅部が勢揃いする。
紅朗は部長らしく指示を出し、それぞれ目的地へ向かうことになった。
「……毎回思うんだが」
維弦がふと疑問の声を上げる。
「活動前に必ず部室に集合するのは、意味があるのか?現地集合でも構わない気がするが」
「そりゃあ、お前、あれだろ」
紅朗が答える前に、鼓太郎が言った。
「なんかこう、集まった方が、仲間ー!って感じするじゃねえか。なぁ部長!」
「……よく分からないな」
維弦は納得していないようで、軽く首を振ってみせる。
「まあ、鼓太郎の言う通りでもあるんだけど」
紅朗は苦笑しながら答える。
「安否確認も兼ねてるんだ。俺たちは楽士たちに顔が割れてるし、メビウスじゃ何が起こるか分からない。だから集まれる時は集まって、みんなが無事かどうか確かめてるんだよ。WIREの連絡だけじゃ、限度があるし」
紅朗の説明に、維弦の眉間の皺が解かれる。
「……成程。部長の意向なら異論はない」
「ん。でも状況によっては、現地集合も考えようか。ありがとう、維弦。鼓太郎もサンキュ」
維弦は小さく頷き、鼓太郎は「おう」と誇らしげに笑ってみせる。
「それじゃあみんな、帰宅部活動開始だ。行こうか」
部員たちはそれぞれ返事をして、ぞろぞろと部室を出ていく。
鍵介が先に行ってしまったのを見て、紅朗は「あ」と小さく呟いた。
いつもなら、並んで連れ立って、一緒に向かってくれるのだが。
「……何かあったのか?」
「え?」
気付くと、笙悟が紅朗の隣にたっていた。
「鍵介とだよ」
笙悟は先を行く部員たちの方を顎で示す。
「喧嘩でもしたか?」
気遣うような笙悟の声色と視線に、紅朗はなんだか嬉しくなって、微笑んでしまう。
「ありがとう。大丈夫だよ……多分」
紅朗はそう言って、鍵介の方に目をやる。
と。
鍵介もたまたま紅朗の方を見ていたらしく、ばっちり目が合う。
が、すぐに逸らされてしまった。
「…………」
「……あー……」
その様子を見てしまっていたのだろう笙悟が、ぽりぽりと頭をかいた。
「まあ、なんだ。あれだ……若い内は、色々あるだろ。な」
「うん……」
全く慰めにはなっていないのだが、笙悟の優しさを無下にもできず、紅朗はとりあえず頷く。
鍵介はそれから、一度も紅朗の方を振り返ろうとはしなかった。



日が落ちかける時間になり、紅朗は部員たちに解散を告げる。
疲労したアリアをポケットに収めていると、それまでずっと知らんぷりを続けていた鍵介が、ようやく紅朗の方に歩いてきた。
「鍵介」
紅朗がほっとした声を上げるも、健介は相変わらず、どこか拗ねたような表情のままだ。
「もう、帰ります?」
「うん。鍵介は?」
「えっと」
鍵介は何故だかばつの悪そうな顔をしてから、「……帰るつもりですけど」と答える。
「ていうか、先輩」
「ん?」
「眼鏡、外しちゃったんですか」
鍵介に言われて、「ああ」と紅朗は自分の顔を触った。
「そうだな。戦闘で壊すのが怖くて……あ、でもケースとかに入れてないな。帰りに買っていこう」
ふーん、と、鍵介は興味なさげに言ってから、自分の眼鏡の弦を押し上げる。
「……僕も、眼鏡外そうかな」
思いがけない鍵介の一言に、紅朗は思わずきょとんとしてしまう。
「外しちゃうのか?」
「鳴子先輩とキャラ被りますし」
「そんなことないと思うけど」
そうやり取りしてから、紅朗は少し間を置いて訊ねる。
「…………妬いてる?」
「何のことだか」
即答だった。
つんと顎を上げてそっぽを向いている鍵介だったが、紅朗がじっと見つめているのに気付くと、眉をしかめた。
その表情に何といえばいいかわからず、紅朗が思わずうつむくと、
「……っ、ああ、もう!そうです!そうですよ!」
突如、鍵介が声を荒らげた。
「妬いてますけど!?女の子たちとは仲良さそうにするし鳴子先輩とおそろーいとか言われて嬉しそうにしてるし、笙悟先輩ともなんか仲良さそうにしてるし!」
「え」
「先輩ばっかり僕のこと好きだと思わないで貰えます!!?」
噛みつかんばかりの勢いで、鍵介は紅朗に迫る。
「僕だって先輩のこと……」
と。
鍵介は自分が何を言おうとしているのかに気づき、言葉を止めてしまう。
それから苦々しげな、泣きそうな顔をして、
「……ああ、もう!もう知りません!」
そう言って、首を振りながら紅朗から離れようとする。
「待って、鍵介」
紅朗はとっさに恋人の腕を掴んだ。
「ごめん」
鍵介は涙の溜まった目で、じろりと紅朗を睨む。
「なんですか。もう、知りませんってば」
「ごめんって」
「知りません」
「鍵介」
紅朗は言い聞かせるように名前を呼び、鍵介の腕を引いて自分の方へ引き寄せる。
「先輩、ここ、外……」
と、鍵介はわずかに抵抗したが、紅朗は構わず彼を腕の中に収めた。
「ごめんね」
抱きしめて髪を撫でながら、そう囁く。
鍵介はしばらくされるがままだったが、ぎゅっと紅朗のシャツを掴み、しがみついてきた。
「誰とでも仲良くするのやめてください」
「うん」
「仲良くしてもいいから、あんまり近いの嫌です」
「うん」
「…………ショコラモカフラペチーノ飲みたいです」
「買ってくるよ」
紅朗は少し体を離して、鍵介の顔を覗き込む。
「トッピング、いつもの?」
鍵介は泣き濡れた顔で紅朗を睨みつけた。
「……ばか」
「ええー……」
理不尽だ、と紅朗が言うも、鍵介はぐすぐすと泣きながら、紅朗のシャツに顔をこすりつける。
「そうやって、僕の機嫌とるのばっかりうまくなって、先輩は、」
「そんなこと言われてもな……」
鍵介のしたいようにさせながら、紅朗はとんとんと彼の背中を叩いてやる。
「鍵介のことが好きなんだ。喜ぶことはなんだってしたいし、嫌がることはなんにもしたくないよ」
「…………ばか」
鍵介はもう一度言ってから、溜め息をつく。
「ほんとうに、先輩って……ああ、もう、いいです……」
「……嫌いになった?」
「違いますよ」
鍵介は鼻をすすってから、ようやく落ち着いたのか、赤い目で紅朗を見上げる。
「眼鏡、もう掛けないでください。みんなの前で」
「うん」
「僕の前でだけにしてください」
「うん。そうする」
「……先輩の家行きたいです」
「いいよ」
紅朗は鍵介の濡れた頬を撫でた。
「泊まる?」
「……言わせないでください」
鍵介が爪先立ちで背伸びして、それに気付いた紅朗が少し身をかがめる。
唇と唇が触れ合う、その直前だった。
「……あのさー」
紅朗のポケットから声がして、二人は咄嗟に身体を離す。
ポケットの中から、物凄く呆れたような顔をしたアリアが、顔を覗かせた。
「邪魔して悪いんだけどね。Youたち、ポケットにアタシがいるってこと、忘れてたでしょ?」
紅朗と鍵介は顔を見合わせて、照れと申し訳なさで小さく笑った。



「えーっ!部長、もう眼鏡やめちゃったの?」
翌日の放課後。
紅朗の顔を見て、がっかりしたように鳴子が言う。
「昨日限定眼鏡だからな」
「ええ~、言ってよお……あーあ、写真撮っとけばよかった」
残念そうに肩を落とす鳴子に多少申し訳なくなりながらも、紅朗は苦笑してみせる。
「失礼しまーす、あ、先輩」
部室に入ってきた鍵介は、「いたいた」と言いながら、紅朗に小さな箱を手渡す。
「先輩、これ」
「ん?」
「昨日買わなきゃって言ってたくせに、忘れてたでしょう?」
鍵介の言葉に、昨日の記憶を手繰り寄せながら、紅朗は受け取った箱を開く。
中には、眼鏡ケースがひとつ入っていた。
「あ。……忘れてた、ありがとう鍵介」
「どういたしまして」
鍵介は気取った言い方をして笑ってみせる。
「なになに?眼鏡ケース?もう掛けないのに?」
覗き込む鳴子に、紅朗は黙って笑ってみせる。
「あ、その顔!なんか隠してるでしょー!」
「なんでもないよ。そういえば鳴子、笙悟のバイト先で何かあるって言ってなかったっけ?」
「ごーまーかーすーなー!」
「まあまあ鳴子先輩」
と、鍵介が割って入る。
「ほら、あれですよ、先輩は……」
「え?何?」
「だから……こないだ言ってた……」
「え、まさか……」
「そうそう。あれです」
「あ~……あれかあ……」
何やら鍵介が鳴子を納得させているようだが、何だか話題が不穏なような気がして、紅朗は咳払いをする。
「……二人とも、何の話してるんだ?」
「なんでもないよーだ!」
鳴子は可愛らしくあっかんべーをしてみせてから、何やらスマホをいじり始めた。
「……なあ鍵介」
「大丈夫ですよ、先輩」
鍵介はにっこり笑って、小声で言った。
「あれくらいじゃ、僕も妬きませんから」
今聞きたいのはそっちじゃない。
そう言おうか一瞬悩んでから、紅朗はやめておくことにする。
恋人が今日も可愛い。それでいい。
そう言い聞かせて、眼鏡ケースをそっと鞄に仕舞った。



「で、部長!噂の未亡人とは進展あったの?」
「……待ってくれ。何の話だ、本当に」
「あはは、鳴子先輩信じてる」
「鍵介くーん!?」
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