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主笙

日曜の午後、シーパラの前で。
楽しそうに約束をしてから、浅葱はスマホの通話を切る。
それからテレビを見ながらくつろいでいた笙悟に向かって、声をかけた。
「しょーごちゃーん。俺、明日の日曜出掛けてくっからね」
笙悟は浅葱の方を振り返る。
「おう、気ぃつけてな。どこ行くんだ?」
浅葱はスマホをポケットに押し込みながら、笙悟の隣に座った。
「鍵介とご飯。夕方には帰るよ」
「へえ……そうか」
一瞬妙な間があったものの、笙悟は笑って浅葱の頭をくしゃくしゃと撫でる。
「久々に会うんじゃねえか?鍵介によろしくな」
浅葱はちょっと目を見開いてから、先程の妙な間には気づかなかった振りをして、へらりと笑ってみせる。
「ん。明日の夕飯、何がいい?」
「そうだなあ……なんか和食食いてえな。きんぴらとか」
「お、いいね。オッケー、帰りに材料買ってくる」
サンキュ、と笑う笙悟に、浅葱は返事の代わりにキスをした。
触れるだけの冗談みたいなキスではあるが、こうすることで、さっき笙悟の目に揺らいだ不安のようなものが、和らいだらいいなと思ったのだ。
笙悟は何も言わず、代わりに照れくさそうに、目を逸らすだけだった。




「そういうのって、束縛に感じたりしないんです?」
「へあ?」
鍵介の一言に、浅葱は口に運ぼうとしていた白玉載せスプーンをぴたりと止めた。
ぽろりと、蜜がけ寒天の上に、白玉団子が着地する。
「そくばく」
「あ、言い方がちょっと大袈裟だったかもしれませんね」
鍵介は自分のあんみつをつついた。
「友達と出掛けるって言っただけで、焼きもち妬かれたりするんでしょう。それって、浅葱先輩的に嫌だったりしないのかなーって」
思っただけです、と、彼はぱくりと黒豆を口に運ぶ。
浅葱は先程白玉を食べようとしていた口のまま、ぽかーんとしていたが、やがて真面目な顔をして言った。
「その発想はなかった……」
「そうですか……何かすみません」
「いや別にいいんだけど」
この年上の後輩の生意気っぷりはいつものことだ。というかあんまり変わりがないなと思って、浅葱はちょっとだけ安心した。
帰宅部の皆は大抵みんな元気そうなのだけれど、もしかしたら、帰ってきたあとに現実で何だかんだあって、元気を無くしたりしていないかなーなんて、時々思ったりもするのだ。
一応、浅葱は『部長』だったわけなのだから。
「んん、なんつーか、笙悟ちゃん、あれよ。笙悟ちゃんと俺の年が離れてるからさ。そこが引け目になってるというか」
「ああ……それで、年が近い人に妬いちゃう、ってことです?」
「そうそう。……てゆーか鍵介、いつまで敬語なわけ?」
あ、と気がついて、浅葱は鍵介に言った。
「俺ってば2歳も年下よ?もう先輩じゃねーよ?」
鍵介は面倒くさそうな顔をした。
「ええ……じゃあ浅葱先輩も敬語使ってくださいよ……って、ああ、もう。ややこしいな……もう先輩でいいじゃないですか、面倒臭い」
そう言って鍵介は、本当に面倒くさそうに片手を振った。
彼と会うたびの恒例のやり取りなのだが、浅葱としては何だかちょっと申し訳ないのだ。一応現実では年下なのだから。
「いや、鍵介がいいならいいんだけどさ……」
「いいって言ってるんだからいいでしょう」
「そうね。俺の方が背は高いし」
「あ、それ言います?」
むっとする『後輩』に、けらりと浅葱は笑ってみせた。
「ごーめんって、冗談冗談。ところでさ」
「はい?」
「束縛してんのはね、俺の方」
唐突な浅葱の言葉に、鍵介は目を丸くする。
その間、浅葱は先程食べ逃した白玉を再び口に運び、もちもちとした食感を頬張った。
「……さっきの話です?」
「うん」
聞き返す鍵介に、浅葱は頷いてみせた。
「たとえば、さ。俺と笙悟が、あと10年くらい付き合ってたとするじゃん」
「はあ」
「で、俺がもし笙悟に10年後くらいに振られたとしたら、そうな、28歳?」
浅葱は指折り数えてみせる。
「まだ若いっしょ。これから彼女作って結婚して子供も……みたいなこと、考えられる余裕あるじゃん」
「……そうですね」
鍵介は浅葱の言わんとすることを飲み込めていないようだったが、ひとまず聞こうとしてくれているようだった。
有難いな、と思いつつ、浅葱は説明を続ける。
「じゃあ、逆に、10年後に俺が笙悟を振ったら?41歳。次の人生だー、って考えられるほど、若くもないと思わね?いや、人によっちゃ考えられるだろうけど、多分笙悟ちゃん、そこまでメンタル強くないよ」
浅葱はそう言って、抹茶アイスにスプーンを突き立てる。
「そう考えるとさ。俺、笙悟の貴重な時間貰ってんだなーってね。ほんとにあと10年、20年って一緒にいられるかは、わかんないけど。俺は少なくとも一緒にいたいと思ってるから……そういう意味では、俺の人生に笙悟を縛り付けてんだなーっと。思ったりもするわけよ」
溶けかけた抹茶アイスを掬い、浅葱はそれを口に運ぶ。
ほろ苦く甘い味が、舌の上で溶けた。
鍵介は何とも言えない顔をして俯き、あんみつの器を見つめる。
「……何だかすみませんでした」
「いや、俺の方こそ何かごめん……」
謝られる方が申し訳なくて、浅葱は冗談めかしてみせることにした。
「こう見えて結構めんどくさいんだよ?俺。メンヘラっぽいというか」
「いえ、それは知ってましたけど」
ナチュラルに失礼なことを言われた。
鍵介にそういうとこ見せたっけ俺、と浅葱が思い出そうとしていると、鍵介はやがてため息を吐く。
「先輩、案外真面目ですよね……」
「案外ってなんだ、案外って。まあ、笙悟に関しては特に真面目なつもりだけど」
彼に恋をしてからは、好きになったりなられたりすることの、良いことも悪いことも学んだつもりでいる。
でも、それだけじゃ足りないのだ。
オトコドウシで歳も離れていて、挙句自分はまだ未成年で。
それでも一緒にいたいと思うから、浅葱はそれがどういう意味を持つことなのか、常々考えてはいたのだ。
鍵介に話したのは、その一部に過ぎないのだけれど。
「ていうか、本気で10年後とか考えてるんです?」
「笙悟とのこと?俺は一生一緒にいるつもりだけど」
浅葱はあっさり言った。
鍵介は、わあ、ごちそうさまです、と、冷やかすように言う。
それがからかいの意味ではないことはわかっていたので、浅葱は笑ってみせた。
「でも、まあ、そうだな。そう簡単にはいかないだろな。親のこととかあるしさぁ……でも、」
現実に帰るのが怖いと泣いた浅葱に、笙悟は言ったのだ。
『帰ろうぜ、浅葱。俺が一番に会いに行ってやるよ。お前んとこに』
その言葉を信じたから、信じさせてくれたから、浅葱は立っていられた。
帰ってこれたのだ。
「……自分自身のためって意味じゃあ、そのために、帰ってきたみたいなもんだし」
現実でも笙悟と一緒にいたかった。
ただそれだけだよ、と浅葱が言うと、鍵介はすっかりぬるくなったあんみつをつつきながら、再びため息をつく。
「………なんかいいですね、そういうの」
「笙悟はやらねーぞ」
「遠慮します」
真顔で首を振ってから、鍵介はみたび、今度は深い深い溜め息を吐いた。
「いいなあ……僕も彼女欲しい」
「彼氏は?」
「いやあ……今のところは、遠慮したいですね」
「そっか~」
浅葱はそう言いながら、何だか落ち込んでしまった後輩の皿に、溶けかけの抹茶アイスを分けてやった。
「あ、ありがとうございま……うわっちょっと味混ざるじゃないですか!」
「いや~飽きてきちゃってさ」
「せめて別の皿に移すとかしてくださいよ……うわ、有り得ない……」
「元気出た?」
「出てません!!」
「そうかそうか、元気出たか」
けらりと笑う浅葱に向かって、鍵介は、今度はわざとらしい溜め息をついてみせた。



帰り道、「夕飯の買い物していくから」と言って別れようとする浅葱を、鍵介が引き止めた。
「先輩」
「ん?どした?」
「あの」
鍵介は少し言いづらそうに口ごもってから、真面目な顔をして言う。
「束縛とかじゃ、ないと思います」
浅葱はきょとんとしてから、鍵介の表情を見て、言葉の続きを待った。
「一緒にいたいとか、そういうのは……違うのかなって。先輩は、笙悟先輩を自分の人生に縛り付けてるって言ってたけど……多分、そうじゃなくて」
いったん言葉を切って、鍵介は言葉を探すように視線を彷徨わせる。
「ああ、ええと、何て言ったらいいんですかね……こういうとき、維弦先輩が意外と良いこと言ったりするんですけど。ええと、つまり、僕が言いたいのは」
鍵介は、何とか言葉を見つけて、浅葱の方を見て言った。
「先輩は、もっと自信持っていいんじゃないかなって」
「……自信?」
浅葱は首を傾げてみせる。
鍵介は頷いた。
「そうですよ。だって、そうでしょ。妬かれるってことは、愛されてる証拠じゃないですか」
愛されてる、の部分でちょっと照れつつも、鍵介はそう言い切った。
「笙悟先輩も浅葱先輩のこと、好きってことなんでしょう。だから、なんていうか、こう。人生に縛り付けてる、とかじゃなくて……」
ああ、と、鍵介はようやく言葉を見つけたらしく、浅葱に向かって言った。
「一緒に人生を歩むって考えたら、いいんじゃないですかね」
「……一緒に、人生を」
浅葱は思わず繰り返した。
「同じ時間を生きるって言い換えた方がいいかな。一緒にいるって、つまり、そういうことでしょう」
真面目な顔をして言う鍵介に、浅葱はしばらくぽかんと口を開けていた。
一緒に人生を生きる。
同じ時間を生きていく。
なるほど。
それはつまり。
「…………鍵介」
「はい?」
「俺と笙悟ちゃんが結婚式するって言ったらそのテーマで曲書いたりしてくれる?」
浅葱の唐突な言葉に、鍵介は「は?」と一瞬目を丸くしたが、やがて吹き出すようにして笑った。
「いいですよ。その時は、お祝いしてあげます」
「……サンキュー」
浅葱も笑ってみせた。
「良い後輩を持ったわ。俺」
「そうでしょう?」
「そもそも束縛云々言い出したのは鍵介だけどな」
「いや、だから、すみませんって」
「あはは、怒ってねえよ」
浅葱は笑って、鍵介の髪をぐしゃぐしゃと撫でた。
やめてくださいよ、という後輩の顔は、ちょっとだけ赤くなっていた。

一緒に人生を生きる。
同じ時間を生きていく。
これからずっと、そうしていきたいと彼に改まって言うのは、まだ何だか早いような気がした。
もし言える時が来たら、その時は、ちゃんと。

「ほんと、ありがとな、鍵介」
「いえいえ、どういたしまして」
年上の後輩はそう言ってから、「それじゃあ、呼び止めてすみませんでした」と浅葱に手を振った。
浅葱も手を振り返してから、さて、と近所のスーパーを目指して歩き始める。
先のことはまだわからないけれど、少なくとも今日は、笙悟と一緒にご飯を食べるのだ。
明日の朝も。できればずっと。これから先も。
そうできたらいいなぁ、と、浅葱は夕飯のメニューを考える頭の片隅で、そう思った。
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