主笙
「え、3月って31日まであんの」
「なんだ突然、どうした」
日めくりカレンダーをべりっと剥がして、浅葱が残念そうな声を出す。
「30日までだと思ってたのに。今日エイプリルフールだと思ってさあ、楽しみにしてたんだよ、俺」
そう言って彼は、「3月30日」と書かれた紙を丸めてゴミ箱に投げ捨てた。
笙悟の部屋が、ようやく「3月31日」の日付に変わる。
そういえば、浅葱の朝の第一声が「しょうごきらい」だったのを思い出し、そういうわけか、と笙悟は納得した。
昨夜何かしでかしただろうかと不安にさせられたが、「あ、ごめん、嘘だよ嘘」という軽い調子の言葉とキスで、既にその不安は解消されている。
自分のことながら甘っちょろいなと、笙悟は内心溜め息を吐いた。
「笙悟、朝飯作るけど。目玉焼き半熟でいい?」
「ん、ああ、頼む」
「ほいほーい」
浅葱は勝手知ったる恋人の家と言わんばかりに冷蔵庫を開け、有り合わせ(といっても食材や調味料は浅葱が買い揃えているのだが)のもので朝食を作ってくれる。
笙悟が一人暮らしを始めてからは、金曜の夜にデートをし、土曜の朝にこうして一緒に朝食を食べるのが習慣になっていた。
初め、笙悟の食生活の貧相さに呆れ、浅葱が自分の小遣いで調味料などを買い揃えて来た時には、笙悟も流石に驚いた。
高校生にとっては貴重であろう小遣いを使わせるのが申し訳なく、気を使わなくていいと止めたのだが、
「はあ?バランスガッタガタの食事して生活習慣病だのなんだのになった方が俺に悪いと思わない?脂肪分摂りすぎてお腹ぷっよぷよの笙悟ちゃん抱くのもやだし。俺に申し訳ねえなと思うなら、健康的な生活をして長生きしろ。運動しろ。あと野菜も食え。いいな」
……と、キレられ、今に至る。
こと、食生活に関して、浅葱はとても厳しいのだ。それが笙悟を思ってのことだと、笙悟も分かってはいるのだが。
「はいはーい、お待たせー」
やがて運ばれてきたのはほうれん草とお麩の味噌汁と目玉焼き、よく焼けたウィンナーと美味しそうなご飯だった。
「お、美味そうだな」
いただきます、と、笙悟は両手を合わせて、温かい食事に箸を伸ばす。
「笙悟もそろそろ料理覚えなよ」
浅葱も同じようにいただきますと言ってから、呆れたように笙悟に言う」
「俺、そのうち来れなくなるよ」
「……親御さんに何か言われたのか?」
「ちーがーう」
心配そうな笙悟に、浅葱はゆるりと首を振ってみせる。
「俺、今年ジュケンセーなの。大学受験」
「……そうか」
笙悟は思わず箸を止める。
「そうだったな」
メビウスから帰って、一年。
もうそんなに経つのか、と、笙悟は目を細めた。
「……推薦取れたらあんま心配しなくていーんだけどね」
浅葱は味噌汁を一口飲む。
「留年しちゃってっからなあ。しょうがねーんだけどさ。成績ユーシューでもそればっかりはな」
「難しそうなのか?」
「ま、一般入試でも何とかなるっしょ。勉強さえしとけばいいんだし」
あっけらかんという浅葱に、思わず笙悟は苦笑する。
「変わらねえなあ、お前は」
「ん?」
「あっちでも、こっちでも」
メビウスでも彼はこんな調子で、能天気とも言えるお気楽さで仲間を励まし続けていた。
有難くもあり、騒がしくもあり、それでも帰宅部の面々は、彼を信じて着いていった。
本当は。
現実に帰るのが怖いと泣いていたのを、笙悟だけが知っている。
「まあ、現役コーコーセーですし?」
ふふん、となぜだか自慢げに浅葱は言う。
どうやら、外見のことだと思ったらしい。
「笙悟ちゃんも変わんねーよ、全然」
「あ?……俺は老けただろ」
少し引け目に感じながら笙悟が言うと、浅葱はけらりと笑う。
「いやあ、元が老け顔だからさ。全然わかんねーもん」
「…………」
「あっ、俺のウィンナー!とっといたのに!」
「今のはお前が悪い」
浅葱が楽しみにしていたウィンナーは、哀れにも笙悟の口で噛み砕かれてしまう。
ああ……としょんぼりしながらも、浅葱は目玉焼きの黄身をそっと口に運んだ。
「あ、あとさ、言おうと思ってたことがあるんだけど」
「ん?」
「俺、大学受かったら一人暮らしするんだけど」
浅葱は真面目な顔をして言った。
「一緒に暮らさない?」
「…………とりあえず、口拭け」
口の端に目玉焼きの黄身をくっつけたまま言うことではない。
笙悟は笑いを堪えながらティッシュを差し出し、浅葱は慌てて口を拭った。
「やべえ全然かっこつかねえ!」
「お前らしいよ、ほんと」
笙悟は笑いながら、目尻の涙を擦って拭う。
「……俺で、いいのか」
「しつけーなぁ」
浅葱は呆れたように言った。
「俺は笙悟がいいの、オンリーワンでナンバーワンなの。あと何回言ったら信じてくれんの?」
「そうだなあ」
笙悟は食べ終えた皿の上に、箸を置く。
「明日以外は毎日言ってくれりゃ、信じてやるよ」
「なんだ突然、どうした」
日めくりカレンダーをべりっと剥がして、浅葱が残念そうな声を出す。
「30日までだと思ってたのに。今日エイプリルフールだと思ってさあ、楽しみにしてたんだよ、俺」
そう言って彼は、「3月30日」と書かれた紙を丸めてゴミ箱に投げ捨てた。
笙悟の部屋が、ようやく「3月31日」の日付に変わる。
そういえば、浅葱の朝の第一声が「しょうごきらい」だったのを思い出し、そういうわけか、と笙悟は納得した。
昨夜何かしでかしただろうかと不安にさせられたが、「あ、ごめん、嘘だよ嘘」という軽い調子の言葉とキスで、既にその不安は解消されている。
自分のことながら甘っちょろいなと、笙悟は内心溜め息を吐いた。
「笙悟、朝飯作るけど。目玉焼き半熟でいい?」
「ん、ああ、頼む」
「ほいほーい」
浅葱は勝手知ったる恋人の家と言わんばかりに冷蔵庫を開け、有り合わせ(といっても食材や調味料は浅葱が買い揃えているのだが)のもので朝食を作ってくれる。
笙悟が一人暮らしを始めてからは、金曜の夜にデートをし、土曜の朝にこうして一緒に朝食を食べるのが習慣になっていた。
初め、笙悟の食生活の貧相さに呆れ、浅葱が自分の小遣いで調味料などを買い揃えて来た時には、笙悟も流石に驚いた。
高校生にとっては貴重であろう小遣いを使わせるのが申し訳なく、気を使わなくていいと止めたのだが、
「はあ?バランスガッタガタの食事して生活習慣病だのなんだのになった方が俺に悪いと思わない?脂肪分摂りすぎてお腹ぷっよぷよの笙悟ちゃん抱くのもやだし。俺に申し訳ねえなと思うなら、健康的な生活をして長生きしろ。運動しろ。あと野菜も食え。いいな」
……と、キレられ、今に至る。
こと、食生活に関して、浅葱はとても厳しいのだ。それが笙悟を思ってのことだと、笙悟も分かってはいるのだが。
「はいはーい、お待たせー」
やがて運ばれてきたのはほうれん草とお麩の味噌汁と目玉焼き、よく焼けたウィンナーと美味しそうなご飯だった。
「お、美味そうだな」
いただきます、と、笙悟は両手を合わせて、温かい食事に箸を伸ばす。
「笙悟もそろそろ料理覚えなよ」
浅葱も同じようにいただきますと言ってから、呆れたように笙悟に言う」
「俺、そのうち来れなくなるよ」
「……親御さんに何か言われたのか?」
「ちーがーう」
心配そうな笙悟に、浅葱はゆるりと首を振ってみせる。
「俺、今年ジュケンセーなの。大学受験」
「……そうか」
笙悟は思わず箸を止める。
「そうだったな」
メビウスから帰って、一年。
もうそんなに経つのか、と、笙悟は目を細めた。
「……推薦取れたらあんま心配しなくていーんだけどね」
浅葱は味噌汁を一口飲む。
「留年しちゃってっからなあ。しょうがねーんだけどさ。成績ユーシューでもそればっかりはな」
「難しそうなのか?」
「ま、一般入試でも何とかなるっしょ。勉強さえしとけばいいんだし」
あっけらかんという浅葱に、思わず笙悟は苦笑する。
「変わらねえなあ、お前は」
「ん?」
「あっちでも、こっちでも」
メビウスでも彼はこんな調子で、能天気とも言えるお気楽さで仲間を励まし続けていた。
有難くもあり、騒がしくもあり、それでも帰宅部の面々は、彼を信じて着いていった。
本当は。
現実に帰るのが怖いと泣いていたのを、笙悟だけが知っている。
「まあ、現役コーコーセーですし?」
ふふん、となぜだか自慢げに浅葱は言う。
どうやら、外見のことだと思ったらしい。
「笙悟ちゃんも変わんねーよ、全然」
「あ?……俺は老けただろ」
少し引け目に感じながら笙悟が言うと、浅葱はけらりと笑う。
「いやあ、元が老け顔だからさ。全然わかんねーもん」
「…………」
「あっ、俺のウィンナー!とっといたのに!」
「今のはお前が悪い」
浅葱が楽しみにしていたウィンナーは、哀れにも笙悟の口で噛み砕かれてしまう。
ああ……としょんぼりしながらも、浅葱は目玉焼きの黄身をそっと口に運んだ。
「あ、あとさ、言おうと思ってたことがあるんだけど」
「ん?」
「俺、大学受かったら一人暮らしするんだけど」
浅葱は真面目な顔をして言った。
「一緒に暮らさない?」
「…………とりあえず、口拭け」
口の端に目玉焼きの黄身をくっつけたまま言うことではない。
笙悟は笑いを堪えながらティッシュを差し出し、浅葱は慌てて口を拭った。
「やべえ全然かっこつかねえ!」
「お前らしいよ、ほんと」
笙悟は笑いながら、目尻の涙を擦って拭う。
「……俺で、いいのか」
「しつけーなぁ」
浅葱は呆れたように言った。
「俺は笙悟がいいの、オンリーワンでナンバーワンなの。あと何回言ったら信じてくれんの?」
「そうだなあ」
笙悟は食べ終えた皿の上に、箸を置く。
「明日以外は毎日言ってくれりゃ、信じてやるよ」