主鍵
君がその「好きな人」なんだと言えたら、この気持ちはいくらか楽になるのだろうか。
「先輩って、好きな人います?」
鍵介からそう訊かれ、紅朗は少し迷ってから答える。
「いるよ」
目の前に。とまでは、流石に付け足す勇気はない。
へぇ、と、鍵介は興味のなさそうな声で、更に聞く。
「どんな子なんですか」
紅朗はちょっと目を丸くしてから、悪戯っぽく笑ってみせる。
「ないしょ」
「……そうですか」
「えーなになに?!部長好きな人いるの?!」
真っ先に食いついた鳴子に、紅朗は苦笑いしてみせる。
そう広くはない部室で10人が会話していれば、自然と話題は耳に入るものだ。
部活を始める前の、このちょっとした時間が、紅朗は結構好きだった。
「なになに?部長の恋バナですか?」
「ちょっと……気になりますね」
美笛は興味津々といった様子で身を乗り出し、鈴奈もおずおずと首を傾げた。
当の話題を最初に振った鍵介は、すっかり興味を失くしたように頬杖をついて、窓から外を眺めている。
何か機嫌を損ねるようなことをしただろうか、と、紅朗は少し不安になった。
「部長~?聞いてる?」
「え、あ、ごめん」
鳴子に引き戻されて、紅朗は慌てて向き直る。
「ねーねーどんな子どんな子!?クラスどこ!?」
「いや、それは、」
「あっもしかして帰宅部にいたりする…?!」
鳴子の一言で、ぴん、と空気が張り詰めた。主に女性陣の。
あ、やばい、と直感した紅朗は、笙悟に視線で助けを求める。が、笙悟は申し訳なさそうに顔を逸らした。
ごめん、助けを求める相手を間違えた。でも、絶対許さないからな。
鼓太郎は鼓太郎で、この手の話しは苦手らしく、苦い顔をしているし。維弦は物凄く興味なさそうで、「早く活動を始めた方が有意義なんじゃないのか」と言いたげだ。
アリアを見ると、彼女は鍵介が気になるらしく、心配そうにそちらを見ていた。
「ねえ、どうなのどうなの!?」
迫る鳴子に気圧されて、「あー、」と返事になっていない返事をしながら、紅朗は、今度は琴乃の方に視線を向けた。
視線に気付いた琴乃は、ちょっと目を見開いてから、「しょうがないわね」と言いたげに、肩を竦めてみせる。
「いる、とも、いない、とも、言えないんじゃない?」
琴乃がそう言って、助け舟を出す。
「それで結構、絞り込めちゃうから。言いたくないんでしょ?ね、部長」
「あ、ああ……」
琴乃のパスに、紅朗は必死で頷く。彼女のさり気ないウィンクが有難い。でも、貴女もさっき、ピリッとしてましたよね?
「ええ~……」
不満そうな鳴子に、ごめんな、と紅朗は笑ってみせる。
「その、なんて言うのかな。俺の片思いだから。迷惑かけたくないというか」
「片思いだと、何で迷惑がかかるんですか?」
美笛が不思議そうに言う。
言葉選びを間違えたな、と思いつつ、紅朗は答える。
「……好きになっちゃいけない人っているだろ?」
その一言で、女性陣は何かしら察してくれたらしい。
「色々大変なんですね……」
「そっか……なんか色々聞いちゃってごめんね……」
「わ、私は応援しますから!部長のこと!」
鈴奈、鳴子、美笛の三者三様の同情やら励ましやらを受けつつ、紅朗は苦笑した。
多分彼女たちの想像は、大してそう当たってはいない。
当たっていても困るのだが。
「そろそろ行かねえか。日が暮れちまうぞ」
丁度良いところで話題が途切れたと言わんばかりに、笙悟が部員たちに呼びかける。
それを受けて、真っ先に鼓太郎が立ち上がった。苦手な話題がひと段落して余程安心したのか、すっきりした顔をしている。
「あーあ、肩凝った~。峯沢、行こうぜ!」
「……なんであんたと一緒に行かなきゃならいんだ?」
維弦が鼓太郎に向かって、純粋な疑問を投げかけると、鼓太郎は言葉に詰まる。
「鼓太郎先輩、振られちゃったね~!」
「てめっ、鳴子!」
鳴子と鼓太郎がどたばたと走っていき、その後を追うようにして、笙悟と維弦も部室を出ていく。
「じゃあ、行きましょうか。いったん校門前に集合でいい?部長」
「ああ」
琴乃に頷きながらも、紅朗はちらりと鍵介の方を見た。
彼は小声で、アリアと何かを話しているようだった。
「先に行ってますね!」
「ん」
琴乃に連れられるようにして、美笛と鈴奈も部室を出る。
残ったのは、紅朗と鍵介だけだった。
鍵介は紅朗の視線に気付き、きょとんとする。
「先輩。行かないんですか?」
「あ、いや」
紅朗は口ごもった。
「……鍵介と一緒に行こうかと」
「別に待ってなくてよかったんですよ」
「いや、うん……」
何と言えばいいかわからなくて、紅朗は思わず俯く。
鍵介の生意気な口調は、いつものことだ。
いつものことなのだが。
今日は少し、棘があるような気がして、なんとなく胸が痛い。
「……二人とも。アタシ、先に行ってるからね」
アリアはそう言って、光の軌跡を残しながら、飛んで行ってしまう。
紅朗は引き留めかけて、何も言えずに見送った。
「……あの」
と。
鍵介が、おもむろに口を開く。
「ん?」
「……困らせて、すみませんでした」
やけに殊勝な態度で、鍵介はそう言った。
なんのことを言われているかわからず、紅朗はきょとんとするが、「さっきの話ですよ」と鍵介は続ける。
「僕が話題振ったせいでしょう」
紅朗はようやく理解する。
「ああ、別に。気にしてないよ」
「そうですか?なら、いいんですけど」
そう言う鍵介は、どこか元気がない。
何と言えばいいのかわからずに、紅朗は自分の首元をさすった。
「……そろそろ行きましょうか。みんな待ってますし」
「ん、ああ、そうだな」
彼の心が覗けたら、欲しい言葉をあげられるんだろうか。
そんなことを思いながら、紅朗は鍵介と共に部室を出て、校門へと向かった。
「叶わぬ恋、ってやつですか」
帰宅部の活動を終えた夕方。
部員たちがそれぞれ帰路につくなか、紅朗は鍵介と共に、家への道のりを歩いていた。
「昼間の話?」
「ちょっと気になっちゃって。……嫌なら止めますけど」
嫌じゃないよ、と、紅朗は穏やかに笑う。
「そうだな。叶わない恋だ」
きっと君は俺を拒絶する。
そんなことは分かっている。
だからこの思いは口にしない。
君と現実に帰るために。
「………辛くないですか?」
と、鍵介は気遣わしげに訊ねてきた。
「辛いけど、いいんだ」
紅朗は笑ってみせた。
「告白したら、その子との関係が壊れちゃうから……俺は今のままでいい。その子にも、俺のこと、嫌いになって欲しくないし」
多分この感情は、本当のところ、ただのわがままだ。
恋という名の汚泥のような感情を彼に抱いておきながら、それを見せたくなくて必死に取り繕っているだけなのだ。
そのことすらも紅朗は知られたくなかった。鍵介にだけは隠しておきたかった。
「……本当に好きなんですね」
ぽつりと、鍵介は呟くように言う。
彼から見た自分の感情は、きっと健気で一途で綺麗なものなのだろう、と、紅朗は思った。
そんな風に取り繕っているのは、自分なんだけど。
「わかりました。僕も、応援してますよ」
「え?」
「先輩のこと。負け戦でも、味方は多い方が良いじゃないですか」
鍵介は、そう言ってシニカルに笑ってみせる。それがこの後輩の、精一杯の優しさなのだろう。
「………ありがとう。嬉しいよ」
「えっ。ちょっ、何泣いてるんですか!」
「ごめん、何か、ちょっと……」
仕方がないなぁと言いながら、鍵介はハンカチを取り出して、紅朗の顔に当ててくれる。
ああ、ちゃんとハンカチ持ってるんだなぁなんて思って、紅朗は思わず笑ってしまった。
「もう、なんですか。笑ったり泣いたり……」
「ごめんごめん、もう大丈夫だ」
紅朗が涙を拭いて笑ってみせると、鍵介も「しょうがない先輩ですねぇ」と笑ってくれた。
「頼りになる後輩がいて、幸せだよ。俺は」
そう。自分は幸せなのだ。
好きな人が自分の傍で笑ってくれる。
例え想いが叶わなくとも。
「はいはい。僕も面倒見甲斐のある先輩がいて幸せですよ」
鍵介は笑ってから、「まあ、僕も頼りにはしてますけど」と、素直になり切れない口調で言う。
君が頼りにしてくれる内は、精一杯頼りになる先輩でありたい。
紅朗は、密かにそう思った。
「先輩って、好きな人います?」
鍵介からそう訊かれ、紅朗は少し迷ってから答える。
「いるよ」
目の前に。とまでは、流石に付け足す勇気はない。
へぇ、と、鍵介は興味のなさそうな声で、更に聞く。
「どんな子なんですか」
紅朗はちょっと目を丸くしてから、悪戯っぽく笑ってみせる。
「ないしょ」
「……そうですか」
「えーなになに?!部長好きな人いるの?!」
真っ先に食いついた鳴子に、紅朗は苦笑いしてみせる。
そう広くはない部室で10人が会話していれば、自然と話題は耳に入るものだ。
部活を始める前の、このちょっとした時間が、紅朗は結構好きだった。
「なになに?部長の恋バナですか?」
「ちょっと……気になりますね」
美笛は興味津々といった様子で身を乗り出し、鈴奈もおずおずと首を傾げた。
当の話題を最初に振った鍵介は、すっかり興味を失くしたように頬杖をついて、窓から外を眺めている。
何か機嫌を損ねるようなことをしただろうか、と、紅朗は少し不安になった。
「部長~?聞いてる?」
「え、あ、ごめん」
鳴子に引き戻されて、紅朗は慌てて向き直る。
「ねーねーどんな子どんな子!?クラスどこ!?」
「いや、それは、」
「あっもしかして帰宅部にいたりする…?!」
鳴子の一言で、ぴん、と空気が張り詰めた。主に女性陣の。
あ、やばい、と直感した紅朗は、笙悟に視線で助けを求める。が、笙悟は申し訳なさそうに顔を逸らした。
ごめん、助けを求める相手を間違えた。でも、絶対許さないからな。
鼓太郎は鼓太郎で、この手の話しは苦手らしく、苦い顔をしているし。維弦は物凄く興味なさそうで、「早く活動を始めた方が有意義なんじゃないのか」と言いたげだ。
アリアを見ると、彼女は鍵介が気になるらしく、心配そうにそちらを見ていた。
「ねえ、どうなのどうなの!?」
迫る鳴子に気圧されて、「あー、」と返事になっていない返事をしながら、紅朗は、今度は琴乃の方に視線を向けた。
視線に気付いた琴乃は、ちょっと目を見開いてから、「しょうがないわね」と言いたげに、肩を竦めてみせる。
「いる、とも、いない、とも、言えないんじゃない?」
琴乃がそう言って、助け舟を出す。
「それで結構、絞り込めちゃうから。言いたくないんでしょ?ね、部長」
「あ、ああ……」
琴乃のパスに、紅朗は必死で頷く。彼女のさり気ないウィンクが有難い。でも、貴女もさっき、ピリッとしてましたよね?
「ええ~……」
不満そうな鳴子に、ごめんな、と紅朗は笑ってみせる。
「その、なんて言うのかな。俺の片思いだから。迷惑かけたくないというか」
「片思いだと、何で迷惑がかかるんですか?」
美笛が不思議そうに言う。
言葉選びを間違えたな、と思いつつ、紅朗は答える。
「……好きになっちゃいけない人っているだろ?」
その一言で、女性陣は何かしら察してくれたらしい。
「色々大変なんですね……」
「そっか……なんか色々聞いちゃってごめんね……」
「わ、私は応援しますから!部長のこと!」
鈴奈、鳴子、美笛の三者三様の同情やら励ましやらを受けつつ、紅朗は苦笑した。
多分彼女たちの想像は、大してそう当たってはいない。
当たっていても困るのだが。
「そろそろ行かねえか。日が暮れちまうぞ」
丁度良いところで話題が途切れたと言わんばかりに、笙悟が部員たちに呼びかける。
それを受けて、真っ先に鼓太郎が立ち上がった。苦手な話題がひと段落して余程安心したのか、すっきりした顔をしている。
「あーあ、肩凝った~。峯沢、行こうぜ!」
「……なんであんたと一緒に行かなきゃならいんだ?」
維弦が鼓太郎に向かって、純粋な疑問を投げかけると、鼓太郎は言葉に詰まる。
「鼓太郎先輩、振られちゃったね~!」
「てめっ、鳴子!」
鳴子と鼓太郎がどたばたと走っていき、その後を追うようにして、笙悟と維弦も部室を出ていく。
「じゃあ、行きましょうか。いったん校門前に集合でいい?部長」
「ああ」
琴乃に頷きながらも、紅朗はちらりと鍵介の方を見た。
彼は小声で、アリアと何かを話しているようだった。
「先に行ってますね!」
「ん」
琴乃に連れられるようにして、美笛と鈴奈も部室を出る。
残ったのは、紅朗と鍵介だけだった。
鍵介は紅朗の視線に気付き、きょとんとする。
「先輩。行かないんですか?」
「あ、いや」
紅朗は口ごもった。
「……鍵介と一緒に行こうかと」
「別に待ってなくてよかったんですよ」
「いや、うん……」
何と言えばいいかわからなくて、紅朗は思わず俯く。
鍵介の生意気な口調は、いつものことだ。
いつものことなのだが。
今日は少し、棘があるような気がして、なんとなく胸が痛い。
「……二人とも。アタシ、先に行ってるからね」
アリアはそう言って、光の軌跡を残しながら、飛んで行ってしまう。
紅朗は引き留めかけて、何も言えずに見送った。
「……あの」
と。
鍵介が、おもむろに口を開く。
「ん?」
「……困らせて、すみませんでした」
やけに殊勝な態度で、鍵介はそう言った。
なんのことを言われているかわからず、紅朗はきょとんとするが、「さっきの話ですよ」と鍵介は続ける。
「僕が話題振ったせいでしょう」
紅朗はようやく理解する。
「ああ、別に。気にしてないよ」
「そうですか?なら、いいんですけど」
そう言う鍵介は、どこか元気がない。
何と言えばいいのかわからずに、紅朗は自分の首元をさすった。
「……そろそろ行きましょうか。みんな待ってますし」
「ん、ああ、そうだな」
彼の心が覗けたら、欲しい言葉をあげられるんだろうか。
そんなことを思いながら、紅朗は鍵介と共に部室を出て、校門へと向かった。
「叶わぬ恋、ってやつですか」
帰宅部の活動を終えた夕方。
部員たちがそれぞれ帰路につくなか、紅朗は鍵介と共に、家への道のりを歩いていた。
「昼間の話?」
「ちょっと気になっちゃって。……嫌なら止めますけど」
嫌じゃないよ、と、紅朗は穏やかに笑う。
「そうだな。叶わない恋だ」
きっと君は俺を拒絶する。
そんなことは分かっている。
だからこの思いは口にしない。
君と現実に帰るために。
「………辛くないですか?」
と、鍵介は気遣わしげに訊ねてきた。
「辛いけど、いいんだ」
紅朗は笑ってみせた。
「告白したら、その子との関係が壊れちゃうから……俺は今のままでいい。その子にも、俺のこと、嫌いになって欲しくないし」
多分この感情は、本当のところ、ただのわがままだ。
恋という名の汚泥のような感情を彼に抱いておきながら、それを見せたくなくて必死に取り繕っているだけなのだ。
そのことすらも紅朗は知られたくなかった。鍵介にだけは隠しておきたかった。
「……本当に好きなんですね」
ぽつりと、鍵介は呟くように言う。
彼から見た自分の感情は、きっと健気で一途で綺麗なものなのだろう、と、紅朗は思った。
そんな風に取り繕っているのは、自分なんだけど。
「わかりました。僕も、応援してますよ」
「え?」
「先輩のこと。負け戦でも、味方は多い方が良いじゃないですか」
鍵介は、そう言ってシニカルに笑ってみせる。それがこの後輩の、精一杯の優しさなのだろう。
「………ありがとう。嬉しいよ」
「えっ。ちょっ、何泣いてるんですか!」
「ごめん、何か、ちょっと……」
仕方がないなぁと言いながら、鍵介はハンカチを取り出して、紅朗の顔に当ててくれる。
ああ、ちゃんとハンカチ持ってるんだなぁなんて思って、紅朗は思わず笑ってしまった。
「もう、なんですか。笑ったり泣いたり……」
「ごめんごめん、もう大丈夫だ」
紅朗が涙を拭いて笑ってみせると、鍵介も「しょうがない先輩ですねぇ」と笑ってくれた。
「頼りになる後輩がいて、幸せだよ。俺は」
そう。自分は幸せなのだ。
好きな人が自分の傍で笑ってくれる。
例え想いが叶わなくとも。
「はいはい。僕も面倒見甲斐のある先輩がいて幸せですよ」
鍵介は笑ってから、「まあ、僕も頼りにはしてますけど」と、素直になり切れない口調で言う。
君が頼りにしてくれる内は、精一杯頼りになる先輩でありたい。
紅朗は、密かにそう思った。