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indelible memory


「部長ってさぁ、何かミステリアスなイケメンって感じしない?」
鳴子の一言に、鍵介は思わず読んでいた雑誌から視線を上げた。
部室のテーブルにお菓子を広げながら、美笛と鈴奈を含めた三人で楽しそうにおしゃべりしているのは知っていた(鈴奈は紅茶を入れてくれた)ものの、さっきまで全くと言っていいほど気にならなかった会話が、急に耳に入ってきたのは、いわゆるパーティ効果というやつなのだろうか。
「あー、なんか分かります!」
美笛がチョコレートをつまみながら、うんうんと頷いた。
「黙って立ってるだけで、すっごい人目を引くっていうか!」
「そーそー!何考えてるかわかんないとこあるよね!」
褒め言葉なのか、それは。
鳴子のコメントに、鍵介が内心で呆れていると、鈴奈が慌てたようにフォローを入れた。
「あ、でも、部長って凄く優しいですよね。話しかけてみると、なんだか話しやすいっていうか……」
「そうそう、そうなんだよねー!」
鳴子がクッキーを片手に身を乗り出す。琴乃がいたら叱られそうだ。
「ずーっと喋ってても黙って聞いててくれるし、ちゃんと返事もしてくれるし。何て言うか、見た目とのギャップ?みたいなのがあるっていうかさ」
まあ、それは、分からなくもないな、と、鍵介は内心で頷く。
紅朗の整った容姿は、取っ付き難いような雰囲気はあるけれど、実際話してみると良い人だ。暇潰しに文句も言わずに付き合ってくれたり、何かと叱咤激励してくれたり。
まあ、それだけでは、ないのだが。
「……鍵介くーん?さっきからなーにちらちら見てんのかなー?」
ついに視線を鳴子に気付かれて、鍵介は慌てて雑誌を持ち上げた。
「ち、違いますよ。ちょっと話の内容が耳に入ってきただけで」
「えー?ちゃんと聞いてんじゃーん」
そう言ってぱたぱた近づいてくるなり、鳴子は鍵介のニットをぐいぐい引っ張った。
「ちょっと、伸びるから止めてください」
「ねえねえ鍵介くんってさ、部長と仲良いじゃん」
鳴子は聞いているのかいないのか、ひたすらに引っ張ってくるばかりだ。
「え?あ、はぁ、まあ、そう……なのかな」
確かに鍵介からしたら、ほとんど唯一と言っていいくらい仲の良い相手だが、紅朗の方はどう思っているか、分からない。
そういう意味で濁そうとしたのだが、鳴子は逃がさないと言わんばかりに迫ってくる。
「鍵介くん的にはどうなの?やっぱ同性としてもカッコイー!って感じ?」
「……先輩が、ですか?」
鍵介は色々と諦めて、雑誌を閉じる。
「そりゃあまあ、格好いいとは、思います、けど……」
見た目はまぁ、見れば分かるとして、頼りになるし優しいし、格好良くないところを上げる方が難しい。何せ彼は、ピアノだって弾けるのだ。
格好良いとは思う。思うけれど。
「けど、何?」
鳴子のきょとん顔に何と答えるべきか、鍵介が迷っていると、不意に部室のドアが開いた。
「やっほー!みんないるー?」
アリアが軽やかに飛んできて、テーブルの上のお菓子に目を輝かせた。
「なになに、おやつパーティー!?ちょっと〜、こういうのはアタシも呼んで欲しいってば!」
「まだ沢山あるよ」
鈴奈がそう言って微笑みながら、アリアの分の紅茶を入れ始める。
「アリア、食べ過ぎないようにな」
「あ、部長!」
アリアより少し遅れて部室に入ってきた紅朗に、鳴子がぱたぱたと駆け寄る。
ようやく服から手を離して貰えた鍵介は、ほっと息を吐いた。
「ちょうど今部長の話しててさー」
「ん?そうなのか?」
椅子に腰掛けた紅朗の隣にちゃっかり座りながら、鳴子がうんうん頷く。
「何考えてるかわかんないよね〜って」
「な、鳴子先輩……」
「はは、そうか?」
鈴奈が入れてくれた紅茶を受け取りながら、紅朗は笑う。
「これでも結構わかりやすいつもりなんだけどな」
「ええ~、全然わかんないよ」
鳴子が不満げに言うと、紅朗は軽く眉を上げてみせた。
「そうか?ちなみに今はな」
「うんうん」
「鈴奈ちゃんが入れてくれた紅茶が美味しいなと思ってる」
「そのまんまじゃん!」
鳴子のツッコミに、女子たちが明るい笑い声を上げた。
紅朗のああいうところが、つまりは『かっこいい』と言われる理由なんだろうなぁと思いながら、鍵介はすっかり温くなった紅茶を飲み干した。





*****





一緒に帰ろうと紅朗に誘われて、鍵介は思わずきょとんとしてしまう。
「わざわざ僕と帰らなくても」
「何でだ?」
と、今度は紅朗がきょとんとした。
「いや、だって……」
先輩モテるんだから、女の子と帰ればいいじゃないですか。
―――と、言うのは、あまりにも僻んでいるみたいだ。
喉まで出かかった皮肉を押し込んで、「何でもないですよ」と、鍵介は小さく首を振った。
「いいですよ、帰りましょう」
「うん。アリア、帰ろう」
「あっ、待って待って!」
アリアが腕いっぱいにお菓子を抱えながら飛んでくる。
紅朗は苦笑しながらそれを自分のカバンに入れてやり、アリアをポケットに収めた。
「じゃあね〜部長、アリア!あ、鍵介くんも!」
「お先に失礼します」
「また明日!」
「ああ、気をつけて」
賑やかな女子たちと別れ、部室を後にする。
「いやー、楽しい宴でしたなぁ!」
人があまりいないことを確認してから、アリアがポケットから満足げな顔を出す。
鍵介はそれに向けて、肩を竦めてみせた。
「ずっと食べてただけじゃないか」
「いーの!たまにはこういうリフレッシュも必要なんだってば!」
「ふーん?」
「ちょ、ちょっと何よ鍵介!そのもの言いたげな視線は!」
「別に〜?なんでもないですよ〜」
「いいから言ってみんさい!ほらほら!」
二人のやり取りに、紅朗が小さく笑う。
アリアは「ちょ、ちょっと!」と慌てながら、ポケットから思い切り飛び出した。
「Youまで笑わなくたっていーじゃん!」
「ふは、悪い。ついついな」
紅朗はくふくふと笑ってから、アリアを宥めて、再びポケットに入れてやる。
それから鍵介の方へ、穏やかな眼差しを向けた。
「鍵介は?リフレッシュ出来たか」
鍵介は眼鏡を直してから、再び肩を竦めてみせる。
「僕は見てただけですよ。いや、聞いてただけっていうのが正しいか」
そう返してから、ふと先程の話題を思い出す。
「そういえば先輩、女の子たちに騒がれてましたよ。『ミステリアスなイケメン』とかなんとか」
「え?」
紅朗が意外そうな顔をして、それから不思議そうな表情を浮かべる。
「どこがだ?」
「うわ、無自覚だこの人……」
「いや、だって」
紅朗は狼狽えたように首を振ってみせた。
「ミステリアスなとことか何にもないだろ」
「あ、イケメンは否定しないんですね」
「いや、そうじゃなくて……」
紅朗が困った顔をするのはなかなかに珍しい。
鍵介が悪戯っぽい笑みを浮かべていると、
「今のはずるくないか?」
と、軽く拗ねられてしまった。
「あはは、すみません」
ちょっとからかっただけですよ、と、鍵介は笑ってみせる。
「ほら、先輩って見た目が何かクールっぽいのに、結構優しいじゃないですか」
「ああ〜、なんかそれはわかるかも」
と、アリアがうんうん頷いた。
「ギャップってやつかな〜。Youってサバサバしてそうだけど、中身は結構ウェットじゃん?」
「まあ……それは否定しないけどな」
紅朗は軽く首を傾げてみせる。
「でも、身内にだけだよ。赤の他人は割とどうでもいい」
紅朗の口からそんな言葉を聞くとは思わず、鍵介は目を丸くする。
「そうなんです?」
「そうだよ」
驚かれると思っていなかったのか、紅朗は目を瞬かせた。
「そんなに意外か?」
「えー、だって先輩……」
鍵介は軽く眼鏡の位置を直して、ちょっと唇を尖らせる。
「僕を仲間に入れてくれる時も、結構優しかったじゃないですか」
「いや、あれは、まあ、うん……」
そう言って、紅朗は語尾を濁してしまう。
鍵介が怪訝そうな顔をしていると、
「みんな、他には何か言ってなかったのか?」
と、露骨に話題を逸らしてきた。
鍵介は追い打ちをかけようか迷ったが、やめておくことにした。
紅朗の機嫌を損ねて、気まずい帰り道になるのは困る。多分お互いに。
「いや、特には何も」
鍵介は首を振ってみせる。
「見た目より優しいとかそんな感じのことですかね」
それを聞いて、紅朗がしょんぼりと眉を下げる。
「俺、そんな怖い見た目してるかなぁ……」
「いや、多分そういう意味じゃないと思うよ?」
どこかずれた紅朗の発言に、アリアが冷静に突っ込みを入れる。が、紅朗はわかっていないらしい。
「多分あれですよ」
と、鍵介は人差し指を立てて、軽く振ってみせる。
「先輩、あんまり自分のこと話さないじゃないですか。だからいまいち、全体像が掴めないっていうか」
「ん、そうか?」
「そうですよ。だって僕も先輩のこと、ほとんど何も知りませんし」
紅朗の相槌が途切れた。
すぐにはそれを気付けずに、鍵介は話し続ける。
「だから見た目の問題じゃないと思いますけどね。先輩、色々謎に包まれ過ぎっていうか。たまにはちょっとぐらい、先輩のことも聞いてみたい、って、いう、か……」
ようやく、並んで歩いていたはずの彼の足が止まっていることに気付き、鍵介も足を止め、振り返る。
「……先輩?」
紅朗は黙って立っていた。
俯いた彼の表情は、夕暮れの中ではうまく窺うことが出来なくて、鍵介は続ける言葉を失ってしまう。
「You……」
アリアがポケットから顔を出し、心配そうな表情で、紅朗と鍵介を交互に見る。
そのことに気付いた紅朗が、ようやくはっとしたように顔を上げた。
「あ……」
紅朗は、困ったように、くしゃりと笑ってみせた。
「ごめん、ちょっと、ぼーっとしてた」
「……あ、あの……」
「何でもないよ、大丈夫」
そう言って、紅朗は鍵介の方に歩み寄ろうとする。
「えっと、俺の話だっけ。聞いても多分、面白いことは、あんまり無いと思うんだけどな」





紫露紅朗という人は、不思議な人だと、鍵介は以前から思っていた。

本来なら見ず知らずの他人でしかない、ただ『帰宅部』という奇妙な縁で繋がっただけの相手と、関わり、話を聞き、助けたり、支えたり、励ましたり、時には叱ってくれる。

けれど、紅朗は誰も頼らなかった。

周りがいくら彼を頼りにしても、彼自身は誰かを頼ったりはせず、ただ周囲と関わり、話を聞き、助けたり、支えたり、励ましたり、時には叱っていた。

だから、誰も紅朗のことをよく知らなかった。

鍵介にとっても、彼は不思議で、優しくて、『少しだけ』かっこいい、そんな印象の、それだけの人だった。

それだけの人だった。

それだけの人だった、けれど。

今は、彼のことを知りたかった。














『紫露紅朗』を知りたかった。














「せ、先輩!!」
紅朗が立ち止まるのとほぼ同時に、鍵介は思い切り叫んだ。
「僕じゃ頼りになりませんか?!!」
とっさに、出た一言だった。
紅朗が目を丸くするのにも構わず、鍵介は急いで駆け寄っていく。
「あの、僕、ずっと先輩には助けられてばっかりで、僕ばっかり頼ってて……!!」
必死だった。
言葉を選んでいる暇もなく、鍵介はただ必死に、紅朗に感情をぶつけた。
「何か力になりたいとか、何か、何か僕に出来ることないかとか、そういう、そういう風に、思ってて……」
思っていた。
思っていたのは、確かなのだ。
「思ってて……思った、だけ、なん、です、けど、……」
段々と語尾が勢いを失っていき、鍵介は漸く、紅朗が呆気に取られていることに気が付いた。
あまりに唐突な申し出に、きっと、こいつは何を言ってるんだと思われているだろう。
それどころかもしかしたら、呆れられているかもしれない。
鍵介が助けられたと思っているだけで、紅朗はきっと、他の帰宅部員と同じように、鍵介にも接しただけなのだ。
(……なのに、僕は、)
頼りになりたいだなんて、おこがましい。
急に顔が熱くなって、思わず鍵介は俯いた。
衝動のままに動いてしまった自分が恥ずかしいし、思い上がってしまった自分も恥ずかしい。
この人が信頼を置くのは、きっと自分のような子供でいたい人間ではなくて、もっと大人で、物分りが良くて、頼り甲斐のある―――
「鍵介」
不意に名前を呼ばれて、鍵介は顔を上げた。
ほとんど沈みかけた夕陽が、淡く濃く橙色を落としていて、紅朗が泣き笑いのような表情を浮かべているのを、鍵介は何とか目にすることが出来た。
「……ありがとう」
嬉しいよ、と、彼は目に浮かべた涙を拭って、笑った。





*****





今日はもう遅いから、日を改めて話を聞いて欲しい。
「今度の日曜とか、駄目か?」
「大丈夫です……どうせ暇ですし」
そう言って、鍵介は頷く。
まさか本気にして貰えるとは思っていなかったし、紅朗が自分を頼ることにしてくれたのは嬉しかった。
嬉しかったけれど、やっぱりちょっと、何だか申し訳ないような、照れ臭いような気持ちだ。
「ありがとう」
紅朗はにこにこと、嬉しそうに笑っている。
その表情は、鍵介がよく知るいつもの彼より、少しだけ幼く見えた。
「……ん?」
鍵介の視線に気付き、紅朗は軽く首を傾げてみせる。
「どうした?鍵介」
「……いえ」
何となく気恥ずかしくなって、鍵介は目を逸らす。
「もう泣いてないんだなぁと思って」
「ん゛っ」
紅朗は誤魔化すように咳払いして、
「……そういうのは、見て見ぬ振りしてくれよ……」
鍵介が何気なく視線を戻すと、紅朗の耳は赤く染まっていた。
この人も照れることがあるんだなぁ、と、鍵介は当たり前のことを、何となく考えた。
「と、とにかくもう遅いから……気をつけて帰るんだぞ」
「子供扱いしないでくださいよ」
鍵介は肩を竦めて、「先輩もお気をつけて」と、軽く手を振ってみせる。
紅朗はいつもの彼らしい顔で微笑むと、暗くなった道を、アリアと共に歩いて行った。
「……今度の日曜日、か……」
先輩は、何を話してくれるんだろう。
そんなことをぼんやり思いながら、鍵介も家に帰ることにした。
























‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐
Character episode #2
◆◆◇◇◇◇◇◇◇
‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐

to be continued…




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