欺瞞の薔薇
獣が翼を羽ばたかせ館を目指す最中、グリアスは下方へと視線を向ける
そこには獣の大きな手に握られたジャックの姿
彼を見つめたグリアスの口元が怪しい笑みを浮かべる
ようやくだ
ようやく私の願いが叶う
グリアスは楽しそうに笑い獣の頭部を優しく撫でた
獣は嬉しそうに鳴き翼を強く羽ばたかせ館を目指した
暫くすると下方にエボニータウンが見えた
グリアスは獣の頭部を軽く叩き指示を出す
その指示に従い獣は館上空へと向かい、敷地内の最奥にある離れへと向かった
下には誰の姿もなく獣はゆっくりと離れ中央にある庭へとおりる
羽ばたきから発生する風に草木が音を立て揺れた
獣の上から軽やかに飛び降りたグリアスは手に握られたままのジャックへと歩み寄る
そっと腕を伸ばすと獣が自ら掌を開きジャックの身体をその腕へと預ける
グリアスはジャックの身体を抱えたまま建物の中へと進む
獣はそれを見届け建物の裏へと歩を進める
そこは漆黒の森が広がっており、闇に覆われた森の中へと姿を消した
グリアスは中へ入るなり室内を見渡した
そこには自分とジャック以外の姿はない
部屋の中央に置かれているベッドへと歩み寄りその上へ抱きかかえていた体を横たわらせる
獣に襲われついたのかジャックの頬につく土を指先で軽く擦り、同時に笑みを浮かべる
グリアス「これで、私の長年の願いが叶う…どれほど待ちわびた事か」
まるで愛でるかのようにジャックの丸い輪郭を指でなぞり、グリアスはゆっくりとその場から離れた
機嫌がいいのか鼻歌交じりに室内を後にする
そして扉が閉じられる瞬間、グリアスの影が微かに揺らめいた
ウェーレン「なぁ、つまりどういう事なんだ?」
街へと向かう最中、ウェーレンは何度となくブギーに問いかける
彼のしつこさにブギーは少々苛立ちはするものの、今は言えないと詳細を明かそうとはしない
ウェーレン「教えてくれてもいいだろう?」
ブギー「だから後で教えてやるって言ってんだろうが」
ウェーレン「後で後でってそればかりじゃないか」
こんな会話を既に何十分も繰り返しているのだ
ブギーでなくとも彼のしつこさは少々苛立つのかもしれない
しかし彼がここまでしつこいのにもちゃんとした理由がある
ジャックが関わっているからこそだった
そしてその事をブギーも理解している為、苛立つも声を荒げずにいるのだ
ブギー「とりあえず街に戻ってお前の家に行く、話はそこでしてやる」
ウェーレン「…本当か?」
ブギー「なんだよ、疑ってんのか?」
ウェーレン「少し疑ってはいる…絶対に教えてもらうからな?絶対だぞ?」
ブギー「わーかったって、しつこい野郎だなお前も」
漆黒の森を進みようやく遠くに光が見えた
森の出口だ
二人はウェーレンの家へと急ぎ歩を進めた
閉じられていた白い瞼が微かに震え、ゆっくりと開かれる
瞼に隠されていた大きな眼窩が露となった
ジャックが目を覚ました
しかし彼の目には何の景色も映らない
目を開いているはずなのに視界は闇に包まれている
ジャックは自分が横になっている事に気付き上半身を起こす
しかしその身体は起き上がる事はなかった
そこで自身の腕に何かが絡みついている事に気付く
軽く腕を引くと絡みついた何かが骨にチクチクと刺さるのを感じた
それは薔薇の蔓
ジャックの両腕をベッドへ固定するように蔓が絡みつきその棘が身じろぐ度に突き刺さる
グリアス「おや、お目覚めになりましたか」
気配も何もなく突然聞こえた声にジャックは思わず動きを止めた
その声は聞き覚えのあるもの
ジャック「グリアス公爵…これは一体何の真似ですか」
グリアス「ああ、大丈夫ですよ……動かなければ怪我はしません」
そう語る言葉と共に聞こえる何かの音
目の見えないジャックには彼が今何をしているのかなどわかりはしなかった
グリアスの両手には黒薔薇
彼はその薔薇をジャックが横たわるベッドへと一輪ずつ置いていく
顔の近くに置かれた薔薇の香り
それに気付きジャックが自然と口を開いた
ジャック「…薔薇?」
グリアス「ええ、薔薇です…とても美しい黒薔薇ですよ……そういえばご存知ですか?黒薔薇の花言葉を」
黒薔薇の花言葉
滅びる事のない愛、永遠の愛といった純粋な花言葉を持つ
しかしそれと同時に貴方は私のもの、憎しみや恨みといった意味も持っている
グリアス「一途で純粋なその言葉の裏に恐ろしい言葉を持つ、素敵な花言葉でしょう?」
ジャック「そう、ですね」
グリアスはベッドへと腰をおろしジャックの顎に指を添え若干上向かせた
目の見えないジャックは何をされるのかと緊張の色が伺える
グリアス「黒薔薇、この花言葉を貴方へ送ります…愛しき、そして憎き王」
ジャック「…僕は君に何か恨まれるような事をしたのかい?」
グリアス「………ええ、貴方は私を裏切った」
グリアスはジャックの顎から手を滑らせると骨の首へと触れる
簡単に折れてしまいそうなその細い首を見てグリアスは口を開いた
グリアス「私は貴方が王として必要な皆を恐怖させる才能は認めています、大変素晴らしい物だと思っています……ですが、貴方のその性格では私達が望むような王にはなれない」
ジャックは何も言わず彼の言葉に耳を傾けた
添えられた手が首をゆっくりと撫でる
グリアス「貴方は優しすぎる、それも大事な事でしょうが…果たしてこの世界に優しさなど必要でしょうか、恐怖が何よりも勝る世界にはそれに合わせさらなる恐怖が必要でしょう?誰しもが恐れ平伏すような力強く恐怖に満ちた王を私達は求めているのですよ」
ジャック「つまり、僕は王にふさわしくないと」
グリアス「他の連中はそう思っていますよ、ですが私は違う…私は貴方の素晴らしい才能を誰よりも知っている、ですからこう考えたんですよ」
グリアスはジャックへ顔を近付けると耳元でそっと囁いた
グリアス「貴方を私の理想の王として染め上げてしまえばいいと」
グリアスがそう告げ顔を離す
ジャックは彼から距離を置こうと考え咄嗟に身じろぐが動けば動く程黒薔薇の棘が食い込む
グリアス「私は貴方を誰もが認める王へと変えようと、何度も手を差し伸べた……しかし貴方はそんな私から距離を置き、こんなにも想う私の気持ちを裏切った…しかもよりによって私の秘密まで探ろうなど」
ジャック「僕は君の助けなんていらない」
ジャックのしっかりとした口調にグリアスは言葉を止めた
ジャック「君がどんな王を望んでいるか、そんな事、正直どうでもいいんだ……僕は今の僕のままでいい」
グリアス「…本気で言っているのですか」
ジャック「本気だ、僕は自分が望むままの王でありたい」
グリアスはジャックの迷いのない言葉に唇を震わせた
昔からそうだ
この若き王は誰の意見にも左右されず、自分の信じるままひたすら前のみを見るような男だ
あの手この手と様々な手段を用いて何とかこの男を皆が望むべき王へと染め上げようと企んでいたのだが
グリアスはそこである事を諦めた
なるべくこの手は使いたくはなかったのだが、もうそのような甘い考えではこれ以上現状を変えられないと理解したのだ
グリアスはベッドから腰を上げると窓へと向かう
大きな窓を開くと外から冷たい風が室内に流れ込んだ
するとグリアスが口笛を吹く
その甲高い音に誘われたかのように彼の目の前に獣が舞い降りた
グリアス「行け、但し殺すな」
グリアスが獣にそう囁く
獣は唸り声をあげ室内に飛び込むとジャックが横たわるベッドへと歩み寄った
獣の大きな影がジャックへとかかる
目の見えない彼だが獣の唸り声とその独特の匂いに身じろぐ
黒薔薇の蔓はびくともせず棘が食い込み骨が擦れる
獣が大きな口を開き、その牙を振るった