欺瞞の薔薇
ジャックはウェーレンの上着を着こんで家の前に立っていた
時刻は早朝であり、外をうろつく者の姿は多くはない
時折通りかかる住民はジャックをまじまじと見ては軽く頭を下げて挨拶するだけで足早に去っていく
ウェーレン「すまない、待たせたな」
暫くするとウェーレンが家から出てくる
彼も上着を身に着けその肩には鞄を一つ下げている
戸締りをしっかりと確認しジャックの隣に歩み寄る
ジャック「さてと…それで目的の場所はここからどれくらいかかるんだい?」
ウェーレン「彼らは森の中に住んでいるんだ、昨夜ジャックや俺達が向かった方とは真逆に行けば辿り着く、ただ……本当に大丈夫なのか?」
ジャック「何がだい?」
きょとんとし丸い眼窩で不思議そうに此方を見てくるジャック
ウェーレンは進むべき方角へ腕を伸ばし指差した
ウェーレン「彼らのいる場所までの道のりは少し険しくてな、それに距離もある…俺でも疲れるくらいのな」
それを聞いてジャックは少々不安げな表情を浮かべた
健康体であるウェーレンでも疲れるという程の険しい道のり
果たして今の自分が行けるのだろうか
確かに昨夜より体調は優れているものの、それは薬草の効果があっての事
要するにブギーが言っていた通り
あくまで一時的な回復に過ぎないのだ
ジャック「大丈夫だと、思う…かな」
ジャックにしては珍しく、なんとも気弱な発言
それを聞いてウェーレンは少し考え込み、ジャックの肩に手を添えた
ウェーレン「じゃあこうしよう、もしも具合が悪くなったり何か違和感を感じたりしたらすぐに教えてくれ。そうすれば俺が担いで行く」
ジャック「けど君が苦労するんじゃないかい?ただでさえ道のりが険しいって言ってたし」
ウェーレンはニカっと笑い自身の鍛えられた腕をジャックの前に晒す
ウェーレン「俺はしっかり鍛えてるから大丈夫だ、ジャックを担ぐくらいわけないぞ!」
そう言いながら力がある事をアピールする彼にジャックは笑いその腕を骨の手で軽く叩いた
ジャック「そうだね、じゃあその時が来たら君に助けてもらうよ」
ウェーレン「ああ、任せてくれ」
互いに笑みを見せ2人は早速例の古株達が住むという場所を目指す事とした
一方その頃ブギーは館へと戻り、部屋のベッドに寝ころんでいた
ジャックがいない事について問いただされるかと思っていたのだが、グリアスは顔を見せず他の従者達もおかえりなさいませと一礼するだけで簡単に館内へと通されたのだ
ぼんやりと天井を見上げ、一定の間隔で身体を右へ左へと転がす
ブギー「くっそ…どうも落ち着かねぇ」
身体を起こし頭を掻きながら呟く
ベッドから降りると今度は室内を意味もなくうろつく
バルコニー前で立ち止まり、大きな窓からふと外を眺める
視線を下へと向けると館の門付近に人の姿が見える
それはグリアス公爵だった
そして彼を囲うように黒服の男達が集っていた
流石に声は聞こえないが何やらその黒服達へ指示を出しているようだ
グリアスが示す方角は昨夜訪れた森とは真逆の方角
黒服達がぞろぞろと移動を開始する
するとグリアスは彼らとは逆の方向へと進んでいった
それは昨夜ブギー達が進んだ方角
ブギー「どう考えても怪しいよなぁ」
明らかに何かを企んでいる
1人そう呟きブギーは何方について行くか考えた
ブギー「…やっぱグリアスの方が気になるな」
黒服の連中の行き先や目的なども知りたいところではあるが、それよりも気になるのはやはりグリアス公爵の動向だ
1人漆黒の森の中へ向かっていったが、あそこに一体何の用があるというのか
ブギー「どうせ暇だしな…探りでも入れてみるか」
ブギーは森へ入ったグリアスを追うべく室内を後にする
誰もいなくなった室内
その中央に何やら黒い染みのようなものが見える
その染みは少しずつその範囲を広げ、まるで水のように揺らめく
その中から何か黒い物体が頭を覗かせた
室内を一度見渡すその物体は再び揺らめく黒へと沈んでいった
黒い染みはゆっくりと床へと溶け消えた
館を出たブギーはグリアスの後を追い、漆黒の森の中を歩いていた
時刻は朝ではあるのだが頭上は枝葉によって陽光が遮られている為少々薄暗い
ブギー「どこまで行きやがったんだアイツ」
どれほど歩いただろうか、ブギーの前にはどこまでも続く森
肝心のグリアスの姿が見えず、ひたすら歩くのみ
するとそんな彼の耳に何か微かにだが声が聞こえた
耳を澄ませその声に意識を集中させる
それは男の声だ
ブギーはその声がする方角へと足音を立てぬよう進む
暫く歩いたブギーの目に開けた場所が映る
周りには伐採された樹木がそのまま放置されており、そこが伐採現場だという事がわかる
そしてその開けた場所の中央
そこには探し求めていたグリアスが立っていた
彼は何やら上空へと腕を伸ばしている
ブギー「…何やってんだアイツ」
ブギーが不思議に思っていると突然周囲に強い風が舞う
黒色樹木の枝葉が揺れ、錐輝石がその揺れに合わせて陽光を浴び輝く
グリアスが立つ場所の上空
そこから何かが舞い降りてきた
それは大きな獣
ブギーはその姿に見覚えがあった
今目の前に降り立った獣は間違いなくあの夜に対峙した獣
グリアスの前へと降り立った獣は翼を仕舞いこむと伸ばされた彼の腕に自ら顔をすり寄らせる
グリアス「よしよし、いい子にしていたか?」
獣はその問いかけに答えるように小さく鳴く
そんな獣の顔を撫でていたグリアスはふと手を止める
獣の牙に何かが引っ掛かっている事に気付く
グリアス「これはなんだ…?」
手に取ったのは何かの切れ端
彼はそのストライプの切れ端に勿論見覚えがあった
グリアス「ふむ……ジャック・スケリントンとここでやり合ったのか?」
グリアスは周囲を確認する
彼の姿はどこにも確認できない
続いて獣を見上げる
獣には目立った傷はなく、また弱っている様子もない
グリアス「全く困った奴だ、言っただろう?お前を見た相手は必ず殺してしまえと」
獣はグリアスの言葉を聞いて怒られたと感じたのかその体躯に似合わぬなんとも情けない声を漏らす
グリアス「目撃者が生きていては困るのだ、お前も私もな…それで肝心のジャックはどこに行ったのだ、まさか食ってしまったのか?」
ブギー「あんな骨食っちまったら喉に刺さって死んじまうぞー?」
突然聞こえた声にグリアスは慌てて振り返る
そこには樹木に寄り掛かるブギーの姿
グリアス「ブギー…何故お前がここにいるのだ」
ブギー「さぁ何でだろうなぁ…俺はただ散歩してただけだぜ?」
グリアス「貴様…ふざけるな!」
グリアスが声を荒げるとそれに合わせて獣が唸り声をあげブギーに飛び掛かった
爪は出していない為、袋が裂ける事はなかったが全身を木に強く押し付けられる形となる
ブギー「おいおい…ただ散歩してただけだってのに殺そうってのか?そいつはひでぇ話じゃねぇか」
グリアス「つまらん嘘をつくな、ジャックに言われ探りを入れにでも来たのだろう」
グリアスはブギーへとゆっくり歩み寄る
獣に押さえつけられ身動きが取れないブギーの頭を乱暴に掴む
グリアス「ジャック・スケリントンは何処にいる」
ブギー「お前さぁ…何でそこまでアイツに拘るんだ?」
グリアス「貴様が知る必要はない、いいから私の質問に答えろ…ジャックは何処にいる」
グリアスの口調が荒くなり白い眼がブギーを鋭く睨みつける
するとブギーの身体が微かに震えた
恐怖からの震えだろうか
そうではない
ブギーは何がおかしいのか、急に笑い出したのだ
ブギー「お前必死過ぎだろ…あー、面白れぇ!」
するとブギーの身体がどす黒く変色し、次の瞬間まるで水のように全身が溶け地面へと流れた
自身の手から一瞬で獲物が消えた事に獣は驚いたのか後退り唸りながら周囲を警戒する
そこでブギーの声が聞こえた
姿は無くその声は森に響き何処から聞こえるか、正確な位置はつかめない
ブギー「随分と熱烈な歓迎ありがとよ!けど残念、俺は忙しくててめぇらにいちいち構う気なんざねぇから…それじゃぁ、ばいばぁ~い♪」
人を小馬鹿にするようなその言葉を最後にブギーの声は聞こえなくなった
その場に残されたグリアスは拳を強く握りしめ、その手からは血が伝う
グリアス「…もう手加減はせんぞ…あのズタ袋め」
グリアスは獣を見るやその背中に突然飛び乗った
獣は背から翼を生やすと上空へと飛びあがる
グリアス「あのズタ袋の処分は後で構わん、まずはジャックを探せ!」
グリアスの指示にこたえるよう一鳴きした獣は大きな翼を羽ばたかせ空を飛んだ