矮小猫のおまじない
魔女は非常に困り果てていた
彼女が今いる場所はジャックの家
ジャックに進められるまま椅子に腰掛けたはいいが目の前の光景にすっかり恐怖している
魔女の前には二人の人物が座っていた
1人はレライエ
そしてもう一人はダンタリアン
レライエは時折魔女を気遣い声をかけてくるものの、ダンタリアンは座り込んだまま言葉を口にしない
魔女は恐る恐る彼の顔に視線を向けた
その顔は闇に覆われ表情はおろか感情すら読み取る事は出来ない
目も鼻も口も何も見えない
彼は今どこを見つめているのだろうか
ダンタリ「…何を見ている」
ダンタリアンのその呟きに魔女は盛大に体をびくつかせ、この日何度目かわからないごめんなさいの言葉を口にした
レライエ「ダンタリアン、あまりいじめてはいけませんよ」
ダンタリ「別にいじめてなどいない」
レライエ「すみません、彼いつもこんな調子ですから」
魔女「は、はい…」
レライエが笑みを見せる
その表情はとても親しみやすいもので魔女の緊張が僅かに和らいだ
ダンタリアンはそんな二人を特に気にすることなく机に置いている本に手を伸ばした
その分厚い本に巻かれた鎖をまるで弄ぶかのように指先で撫でる
ジャック「お待たせ!」
するとキッチンからジャックが姿を現した
彼の手にはトレイが一つ
その上には4人分の飲み物がのせられている
そんな彼を見てレライエは席を立つとその傍へと駆け寄る
レライエ「ジャック、お茶くらいなら言ってもらえれば私が」
ジャック「君達は僕の客人なんだからそれは駄目だよ」
ジャックは小さな手でトレイを机へと運ぶ
時々カップから茶が零れそうになりそれを見ていたレライエは大丈夫なのだろうかと少し不安げな様子
背伸びをしてトレイを机の上に置くと一仕事終えたと一息
お茶を皆に配ろう
そう思って腕を伸ばしかけた瞬間ジャックの身体はふわりと浮いた
レライエ「あとは私がやりますからジャックは席についてくださいね」
ジャックを抱えたのはレライエだった
背伸びをしてようやく机に手が届くといった様子のジャックの代わりを買って出たのだ
でもと何か言いかけたジャックだったがレライエの笑顔を目の当たりにして仕方ないと代わりを任せる事とした
レライエがお茶を配る姿を見ていたダンタリアンが静かに口を開く
ダンタリ「さて…そろそろ話を進めたいのだが?」
ジャック「そうだね、えっと…僕が呪いにかかった事は話したよね」
ダンタリ「ああ…そしてそのためにこの魔女が必要だという事まではわかっている」
2人の会話を聞いていた魔女は言葉を発する事はなかったがまさかと考えた
ジャックが呪いを受けている
その呪いを解くために必要とされているのが自分
そこで魔女は恐る恐るジャックへと問いかける
魔女「呪いとは…もしかして」
ジャック「…たぶん君の猫に噛まれた事が原因なんじゃないかな、それ以外に説明がつかないんだよ」
魔女「そんな…」
魔女は俯き唇を震わせる
とんでもない事になってしまった
自分の相棒である猫が彼に呪いをかけた
その事に酷く動揺している様子の魔女を見て、ジャックは慌てて声をかける
ジャック「何も君や君の猫がわざとやったとは考えていないよ」
魔女「でも…っ」
魔女は声をあげ勢いよく立ち上がる
その動きで机が僅かに揺れ置かれていたカップの中身が波打つ
魔女「あの時私がもっと慎重に傷を調べてさえいればこんな事には…あの子の、カイヤの代わりに謝ります!本当にごめんなさい!!」
そう言って深々と頭を下げる魔女を見ていたダンタリアンは口を開く
ダンタリ「謝って済む問題ではない…呪いとは非常に厄介なもの…下手をすれば命を奪う事もある………そうなった場合、貴様は即刻処刑だ」
彼の冷たい言葉に魔女は頭を下げたまま目に涙を滲ませた
確かに彼の言う事は間違っていない
呪いと一言で言ってもその効力は様々だ
悪戯程度の可愛らしいものもあれば相手の命をいとも簡単に奪うものもある
もしもジャックにかけられた呪いが彼の命を脅かすものだったなら
そう考えただけで魔女の身体は小刻みに震える
ジャックは王
つまり彼を殺せば王殺しの罪となる
ジャック「ダンタリアン、もう少し優しく…」
ダンタリ「優しく?お前はいつもそうだ…甘すぎる」
ダンタリアンは突然机を強く殴りつけた
そしてジャックに顔を向ける
その表情を見る事は出来なかったが明らかに今の彼は怒りを纏っているとその場にいたジャック、レライエは感じ取った
ダンタリ「己に呪いをかけた者に何故優しくする必要がある」
ジャック「これは彼女にも想定外の出来事だろう?それにこうして謝っているじゃないか」
ダンタリ「これは謝罪すれば済む事ではない、王の立場であるお前を危険に晒したのだぞ」
ジャック「でも…」
その途端ジャックは言葉を詰まらせた
ダンタリアンがジャックの胸倉をつかみ上げたのだ
その突然の行動に魔女は驚き悲鳴をあげかける
レライエは壁に寄り掛かり真剣な眼差しで二人を見つめた
ダンタリ「でも?お前は事の深刻さを何もわかってはいない…もしお前にかけられた呪いが違う種、その命を脅かすものだとしよう…それでもお前はこの魔女を許すのか」
ジャックは無言のままダンタリアンを見つめる
そして彼の言葉を聞き自分自身に問いただす
もしも彼のいうようにもっと深刻な呪いであったなら、自分は彼女を同じように許しただろうか
それとも故意ではないとしても彼女を責めただろうか
ダンタリ「もう一つ問う、もしお前の呪いが深刻なものであったならこの街はどうなる…守る者がいないこの街が攻められたならば民達はどうなると思う…」
ダンタリアンの手に力がこもる
首元が締まりジャックは苦し気に顔を歪めた
するとそこでダンタリアンの腕を掴む手が見えた
それはレライエのものだった
先程までの優しい表情から一変、相手を射抜くかの如く鋭さを持つ眼差しがそこに見えた
レライエ「ダンタリアン、そこまでですよ」
ダンタリ「貴様…邪魔をするな」
レライエ「貴方の命令でもそれは聞けません、今は一度冷静になってください…いいですね?」
レライエの言葉にダンタリアンは黙りジャックの胸倉を掴んでいた手を離す
ジャックは微かに咳き込むと一度呼吸し掴まれていた胸元を擦った
レライエ「ジャック、私からも少し意見を…貴方の優しさは素晴らしいと思いますが、時には相手に厳しく接する事も必要です」
ダンタリアンが椅子に座るとレライエが静かに語り始めた
ジャックの大きな眼窩を真っ直ぐ見つめる
レライエ「確かに彼女は故意に呪いをかけたわけではないでしょう、そして心からの謝罪をしている事もよくわかります…ですが王に呪いをかけてしまった事は事実、そうなればただ謝って済む事ではないのです」
ジャック「じゃあどうしろと?…ダンタリアンの言うように彼女を罰しろとでも言うのかい?」
レライエ「ええ、そうです…罰が必要です……但し処刑などという物騒なものではなく」
レライエの言葉を黙って聞いていたダンタリアンは反論しようと立ち上がった
しかしレライエが彼の口が存在するであろう箇所に指を添え笑顔を浮かべる
もう少しだけお静かに
ダンタリアンは添えられた指を少々乱暴に払いのけると渋々黙り込んだ
レライエ「そうですね…例えばこういうものはどうでしょう、呪いを解呪したのち暫くこの街に在住し街の為に働いてもらってはどうです?」
その意見を聞いたジャックはどうしようかと魔女に視線を向けた
目が合った魔女は慌てて声をあげる
魔女「は、はい!私頑張って働きます!どんな事でも頑張ります!!」
ジャック「……彼女がそれでもいいなら…あとダンタリアンがそれで納得するなら」
そう言うとジャックとレライエはダンタリアンに視線を向けた
2人の視線を浴びて彼は納得いかないと首を振る
レライエ「ダンタリアンも納得しているようですし大丈夫でしょう」
ダンタリ「おい…私は納得しているわけでは」
レライエ「納得してますよね?」
レライエが彼の黒い顔を見つめる
表情は見えず目があっているかはわからないが彼の目を見てダンタリアンは言葉を詰まらせる
そして暫しの間をあけコクリと一度だけ頷いた