蠱惑の糸
ここはどこだろう
真っ暗で何も見えない
そうか、目を閉じていては何も見えないな
さぁ、目を開こう
閉じられていた目をゆっくりと開く
視界がどうにもはっきりとしない
目を凝らすとようやく見えたのは真っ黒な天井
ジャックはその場に横たわっていた
凍るかのような外気に身を震わせ、とにかく起きようと体を動かす
しかしその身体はまるで別人のものかのようにジャックの思う通りには動かなかった
体が動かない
何度も試すものの指先さえも思い通りに動かす事が出来ず
ジャックはどうしたものかと辺りに視線を向ける
見える範囲は限られていたが自分がいるのは部屋のような場所だと認識できた
ここは何処なんだろう
すると視界に映っていた黒い天井が僅かに動いた気がした
それに気付き暫し眺める
黒い天井全体が波打ち大量の小さな目が次々と現れた
それは蜘蛛の群れだった
それぞれが小さな鋏角を動かす
その数の多さにジャックは思わず驚きの声をあげようとした
しかしそこで自分が体だけではなく声すら出ない事に気付く
その事に動揺すると同時に焦りだす
動く事が出来ない今
このまま襲われてしまえば一溜まりもない
「あら…目が覚めた?」
突然のその問いかけにジャックは慌てて声のする方に視線を向ける
暗がりから一人の人間の女性の顔が此方を見つめていた
ジャックと視線が合うと女性は妖艶な笑みを浮かべる
「貴方が起きるのを待っていたのよ?」
そう言いながら女性が歩み出てくる
その下半身は人間のものではない
黒い蜘蛛の身体
女性はガサガサとジャックへ歩み寄ると、額に手を添え優しく撫でる
その手から逃れようとするがやはり体は動かない
「体が動かない、声も出せない…そして蜘蛛に囲まれて」
額を撫でていた手を滑らせ丸い輪郭を指先で遊ぶようになぞる
「怖かったかしら?」
ジャックの顔を覗き込み楽しそうに笑みをこぼす
僕に触るな
目の前の女性を鋭い目つきで睨みつける
しかし女性は全く恐れる事はなくその表情を見て更にジャックに顔を近づける
「あら怖い…その表情、今までの男の中で一番素敵…そそられるわ」
女性は輪郭をなぞっていた指をジャックの大きく裂けた口元へ宛がう
「ほら…今度は貴方の声を聞かせて?」
女性が指先で口をなぞるとジャックの声が僅かに漏れた
ジャック「さわるな」
低く相手を威嚇する声
他の者ならばその声を聞いただけで震えあがり気絶してしまうかもしれない
だが女性はその声に恍惚の表情を浮かべた
目の前の女性の正体
それは既に分かりきっていた
コイツ以外ありえない
ジャック「お前がバアルだな」
バアル「あら、私の事を知っているだなんて…嬉しいわ」
目の前の女性
バアルはジャックから距離を置き、胸元に垂れ下がった黒く長い髪を軽く払う
ジャック「一体何が目的でこんな…」
バアル「目的?わかってるくせに」
腕を組みジャックを見つめ
バアル「私の目的は貴方よ」
僕が目的?
そこで博士の言葉を思い出した
あの女郎蜘蛛の話
相手の心の隙間に巧みに入り込み男を狂わせる
バアル「私、昔からいい男はすぐに欲しくなってしまうの」
それが自分だと言うのだろうか
それだけの為にあんな事をしでかしたというのか
その為に皆を危険に晒した
ジャックの怒りはますます募るばかりだった
ジャック「…悪いけどお前の物になるつもりはないよ」
バアル「あ、もしかして私が貴方を自分の恋人にするとでも考えたのかしら?そうじゃないのよ」
ならばどういう意味なのだろう
そう考えているとバアルは楽しそうに笑いながらジャックを見つめ
まるで御馳走を目の前にしたかのように自身の唇を舐めた
そこでジャックは彼女の目的を理解する
バアル「男を好きなだけ弄ぶのが好き。そして………食べちゃうのも大好きなの」
とーっても おいしいのよ?
そう告げるバアルの赤い目が大きく見開かれた