家(うち)へ帰ろう



「イライは元気にしてるか?」
「ああ、子供達に囲まれて楽しそうにしてるってさ」
「それなら良かった」

イライが森を去ってからというもの、イライの様子を聞くため毎日足繁くジョゼフの元へ通っていた
病気になっていないか、いじめられていないか、離れていると色々心配が募るものだ

「やっぱり月に一度くらい会うようにしたら?ヘレナに頼んで伝言してもらうよ?」
「それじゃいつまでたってもイライが親離れできないだろ」
「毎日聞きに来てる君も子離れできてないんじゃない?」
「それは.....」
「冗談だよ、ナワーブの気持ちはわかってるさ」

ちゃかすジョゼフの尻尾を踏みつけてやると家の外へ蹴り出された
紳士ぶってあいつも獰猛な人狼だ
蹴られたケツを擦りながら小屋へと帰ると、道中昔使っていた住処を見つけた
住処といってもただの洞穴だが
懐かしくなって立ち寄れば、他の動物が住み着いている様子はない
きっと人狼の臭いが染み付いているせいで寄りつかないのだろう

「これは...」

中を覗くと、そこには懐かしい布切れが残っていた
この布は捨てられたイライを包んでいたものだ
スンと匂いを嗅げば微かにイライの小便の臭いがした
そういえば住処を離れる日におねしょをして濡らしてしまい、ここに置いていったんだったか
よく雨風に飛ばされず残っていたもんだ
嬉しくて持って帰ろうとすると、突然突風が吹いて布が空高く舞い上がった
素早く木に登り掴もうとするがあともう少し届かない
細い枝に乗って必死に手を伸ばし、やっと布を掴んだ

「よし.....!」

だがその瞬間、木の枝がパキッと音を立てて折れてしまった
運悪く木の間に入り込んでしまった体は受身を取れずに地面に叩きつけられてしまう

「う.....っ」

グラりと揺れる視界の中、手に掴んだイライの布切れに安堵の表情を浮かべる
良かった...ちゃんとある.....
痛む肩を押さえ、大事なそれを両手で握り締めた

「痛ぇ...」

そういえばずっと前にイライが木から落ちたことがあった
チビで人間のイライはオレよりもっと痛かっただろうに、弱音ひとつ吐かずに気張っていたな
ワガママで泣き虫なくせに、いざという時に我慢していまう奴だ
オレは今もそういうとこが一番心配だぞ


***


「お前もひとりぼっちなのか?」

森の切り株に捨てられていた幼子に話しかけると、オレを見て力なく声を出した

「ぁぅー」
「話はできそうにないな」

仕方なく胸に抱いたまま住処に持ち帰り、地面にそっと寝かせる

「腹減ってないか?果物なら食えるだろ」
「ぅ...」
「おいこら、吐き出すな」

近くの木から果物を採ってきて食わせると、飲み込まずにべーッと吐き出してしまう
細かく噛み砕いて口移しで食わそうとしてもダメだ
痩せ細ってガリガリなのに、何か食わないと衰弱して死んでしまう
なんとか果物の汁を無理矢理飲ませると、かろうじて飲み込んでくれた
だが安心したのも束の間、今度は果物の汁ごと嘔吐してしまった

「おいっ、なんだ、どうしたんだお前」

慌てて口を拭いてあやすが、人間の子供はさっきよりぐったり弱ってしまった
まずい...このままじゃ本当に死んでしまう

「もしかしてまだ乳飲み子なのか?」

人間の年齢や食事はわからないが、この子供はまだ母親の乳を飲んでいたのかもしれない
そう思ってすぐに子供を置いて急いで森中の雌ヤギを探しに行く
ポカポカ蹴られながらもなんとか乳を搾って戻ると、葉で作った器に溜めたヤギのミルクを子供に飲ませた

「ほら、新鮮なうちに飲め」

ちょんちょんと口をつつき、少しずつミルクを流し込む
するとちゅぱちゅぱ音を立てて器に吸い付き、ミルクを美味そうに飲み始めた

「おーおー相当腹減ってたんだな、好きなだけ飲めよ」

いい飲みっぷりを見て今度こそホッとする
だがミルクを飲み終えた子供の顔が急に険しくなった
次はどうしたっていうんだ

「なんだ、苦しいのか?また吐くんじゃないだろうな」

抱き上げて背中を叩いたり摩ったりしていると、少ししてから子供がケポッと小さくゲップをした
どうやら空気がたまって苦しかっただけのようだ

「ハハッ腹が減って急いで飲みすぎたか?」

笑って子供の鼻を摘んでやれば、一瞬真顔になったあと二カッと笑顔を見せた
青く澄んだ目を細くしてケタケタ笑っている
その声は暗い洞穴を照らすように明るく、オレの胸を揺さぶった

「...お前可愛いな」
「いぁーぃ」
「ん?なんだ?」
「いっ、あいっ」
「いらい...?なんだそれ、お前の名前か?」
「ぅーあ、ぁぁんぶっ、えっ」
「あーもう何言ってるか全然わかんねぇ」

オレはかろうじて聞き取った「イライ」をこの子供の名前にした
意味があるのかもわからないが、名前が無いよりマシだろう
それからオレは毎日ヤギのミルクを飲ませ、冬の間はずっと腕に抱いて体を温めてやった
雪が溶ける頃になると人狼の長のジョゼフに会いに行った
人狼の長なら人間の育て方を知っていると思ったからだ
初めてイライを見せた時、ジョゼフは目を丸くして驚いていた
だが次の瞬間には怒りだし、オレの育て方じゃ人間が死んでしまうとキツーく叱られた
この時ジョゼフとは初対面なのに取っ組み合いの喧嘩をしたのはいい思い出だ
その後ジョゼフに言われるがまま人間の食事を真似し、雨風や外敵を凌げる小屋を建てた
羊達から毛を拝借してベッドを作ると、フカフカのそれにイライはとても喜んでくれた

「いいかイライ、今日からここがオレ達の家だ」
「あいっ!」

何日もかけてやっと完成した家の前で、オレとイライは新しい生活に胸を躍らせた
こられからここでふたりで生きていくんだ
ひとりぼっちだったオレと...イライが.....


***


ハッと目を覚ますと、辺りは真っ暗だった
手にはボロい布切れを握り締め、肩や頭からは血が出ている
たしか布切れを取ろうとしたら木から落ちてしまったんだ
体を打ち付けた衝撃で気を失っていたのか

「...夢か」

随分と懐かしい夢を見ていた気がする
それも小便臭いこれのせいだろうか
手に握った布切れを、今度は離さないよう脚に縛って立ち上がる
気絶はしたが傷はそれほど深くなさそうだ
軽く体を動かして異常が無いのを確認すると素早くその場から立ち去る
夜中に血の匂いをさせるのは危険だ
早く川で血を洗い流さないと
小屋に帰るまで、幼いイライとの日々を思い出して勝手に流れる涙を拭った

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