パパラッチ



「うわ...」
「写真はまだですか?」

朝の講義を終えてマンションに帰宅すると、下で待ち伏せていた謝必安に出会した
思わず眉間にしわが寄る

「忘れているとでも思っていましたか?こちらは首を長くして待っているんですよ」
「すいません...もう少し待ってください」
「もう待てませんね、クリスマスまでに写真をいただけなかったら...」
「え、どうなるんですか」
「フフっ」
「えっ!?」

謝必安の不気味な笑みに背筋が凍った
もしかしてとうとう臓器を売られた挙句コンクリート詰めにされて沈められるのだろうか
怖い想像にブルっと身震いする
そうだ、カメラが壊れたことを説明したらもう少し猶予がもらえるんじゃ...

「あの実はっ、」
「そういえばカメラはどうしたんです?」
「それがですね」
「あれは特注品なんですよ?もし傷のひとつでも付けようものならどうなるかわかっていますか?」
「だ、大丈夫です...」

言えない、とてもじゃないがカメラを壊してしまっただなんて言えない

「それでは、期限を忘れないように...あと戯れもほどほどに」
「?」
「首のキスマークは隠した方がいいですね」
「!?」

そういえば昨日ノートンにつけられたんだった!
慌ててマフラーをきつく巻くが、謝必安は笑って無咎の運転する車に乗り颯爽と走り去ってしまう
仕事もせずに遊んで無責任な人間だと思われただろうか
なかったことにできないか逃避してたのは事実だけど、遊び呆けているわけではないんだけどな
憂鬱な気分でマンションの部屋に帰り、荷物を置いてどっと肩を下ろす

「どうしよう」

再来週のクリスマスまでなんてもう猶予がない
カメラはまだ修理が終わってないからスマホで撮ればいいとして、僕がいるせいでノートンにはスキャンダルの影もない
スキャンダルがなければ撮ろうにも撮れないのだ
...でも僕にとって重要なのは多分そこじゃない
鏡の前で首につけられた鬱血痕を指でなぞる
昨日のキスは酔った勢いでしたもので、特別な意味は無いのはわかってる
ただ僕はそのことに傷付いてしまった、ノートンにとってのその他大勢に分けられることが嫌だった
これは恋愛感情なのか?
ひとつ確実に言えることは、見えない努力を積み頑張っているノートンの人生を壊したくないということだ
ノートンを売るなんて僕にはもうできない

「おかえりイライさん、どうしたの?」

深酒のせいで昼まで寝ていたノートンが部屋から顔を出した
今日はオフだからかその目も力が抜けて優しい色をしている
鏡の前で立ち尽くす僕の肩に手を置き、ノートンも鏡を見つめた

「ああ、痕つけたのダメだった?」
「......」
「イライさん?」
「ノートン、話があるんだ」

キスの練習をした時みたいに鏡越しに目を合わせる
何も知らないノートンは緊張する僕の肩を摩った
普段嫌味なクセにこんな時には優しくするからズルい

「どうしたの?」
「初めて会った時に勘づいてたと思うけど、僕は君のスキャンダル写真を撮るためにカメラを持って張り込んでたんだ」
「わかってたよ」
「訳があって詳しくは話せないけど、君の写真を欲しがってる人に急かされてて...もう今の関係は続けられなくなった」

振り返って直接ノートンの目を見る
何を考えているかわからないが、至って冷静で動揺もなく僕の話を聞いてくれていた

「家政夫は今日で終わりにするよ」

謝必安と無咎に言われた仕事をもうするつもりはない
そもそも借りは自分の責任なのに、ノートンを巻き込んではいけなかったんだ
苦しくても自分のことは自分でなんとかしなくちゃ
仕事を放棄してどんな目に遭うか怖いけど大丈夫、今までだって自力でやってきたんだからなんとかなるさ
ノートンを傷付けるよりよっぽどマシだ

「僕が納得できるように詳しく話して」
「話したらノートンに迷惑が掛かるかもしれない」
「いいから話して」
「...ごめん」

視線を逸らして俯くと、ノートンが僕の手を引いて自室に連れ込んだ
顔は見えないが相当怒っている

「ちょっ、ノートンっ」

つまずきながら床に転がされ、ノートンは空いた手でクローゼットの奥から何かを取り出すとベッドに放り投げた
乱暴な扱いに驚いて見ると、それはあの日壊してしまったカメラだ
割れたレンズや欠けたボディがきれいに直っている

「僕も謝らなきゃいけないね、カメラの修理はとっくに済んでたのに隠してたから」
「え...あ、ありがとう」
「それでいくらでも撮りなよ、イライさんが誰に言われてそんなことしてるのか知らないけどどうせ事務所が揉み消すから問題ない」
「勘違いしないで、僕はもう撮らずに離れるって決めたんだ、このカメラもその人に返して、」
「離れるなんて許さない!」

ドンッと音を立ててテーブルを殴り、置いてあったガラスの器が割れて手から血が滴る
モデルなのに、傷をつくって痕になったら大変だ
早く傷を手当しなきゃいけないのに驚きと恐怖で固まっていると、ノートンが血で濡れた手で顔を覆った

「こんな仕事をしてるから週刊誌にもストーカーにも盗撮にも慣れてる、だから見ないふりをするから今まで通りここにいなよ」

ノートンの縋るような声に僕も苦しくなる
純粋にノートンが僕を必要としてくれてるのが嬉しかった
淡白な彼が僕のために心を乱すのが苦しくて嬉しい

「...明日ドラマの打ち上げで、知り合いのレストランを貸し切ってディナーをするんだ」
「......」
「共演者で僕に気のある子がいるから、その子といい雰囲気になったところを撮りなよ」
「嫌だ、できない」

ブンブン首を横に振る
するとノートンは怖い顔を緩めて床に腰を下ろし、僕の手を握った

「お願い」

この寂しそうな顔が演技であって欲しい
いつも余裕綽々なノートンらしくない
...心の奥に芽生えた感情にも気付くこともなく消えてしまいたかったのに

「...わかった」

明日こっそり出ていこう
ノートンには悪いけど、この約束は守りたくない
心の中でそっと謝り、血で濡れたノートンの手を握りかえした


***


「コンビニまでついてこなくても...」
「イライさんのことだから逃げようとか考えてるでしょ?夜まで絶対目を離さないからね」
「困ったな.....」

翌日隙を見てこっそり行方を晦まそうとしたが、ノートンも逃げることを警戒して監視の目を光らせていた
他人の目も気にせず変装もなしにコンビニにまでついてくる始末だ

「良かったら今まで揉み消してきたスキャンダルの記事を見せてあげようか?イライさんの罪悪感も薄れるんじゃない?」
「いいよ...それに見せびらかすものでもないでしょ」
「スキャンダルはアクセサリーだよ」
「事務所の人達の苦労を思うと可哀想になってきた...」

ノートンのおかげで出て行く元気もないくらい疲弊し、仕方なく夜まで家でおとなしくすることにした
どうせ打ち上げが始まればノートンは行ってしまうんだから、その時に全力で離れよう

「ちなみにイライさんにはわからないようにGPSつけといたから、逃げたらすぐわかるよ」
「そこまでする!?」

...作戦変更だ
謝必安達には渡さないけど写真だけ撮って、ノートンの警戒が緩んだところで出て行くことにしよう
そんな計画を立てて夜を迎えると、ノートンと途中まで一緒に打ち上げをするレストランに向かった

「いい?途中ふたりで抜けて裏の駐車場に行くから、そこで撮るんだよ?」
「うん...」
「失敗してもいいようにキスは2回するから安心して」
「ノートンは好きでもない子とキスしていいの?その子も傷付くんじゃないかな」
「お人好し言ってる場合じゃないでしょ」

近場の公園で降ろしてもらい、ノートンを乗せた車はレストランの駐車場に入っていった
繁華街から離れたお店は閑静で有名人もおしのびで来やすそうだ
寒い中物陰に密むとノートンに出会った時を思い出す
あの日もこうして夜遅くに張り込んでいたっけ

「頑張って大学まで通ったけど...卒業はできないかな」

昨日からノートンとのことばかり考えていたけど、これが終われば厳しい現実が待ち受けている
またバイトを探して働かなきゃいけないとか、謝必安達にどう言い訳をしようとか
謝必安や無咎は詐欺まがいな言いがかりはつけてきたけど、多分そこまで悪い人ではないと思うし命だけは助けてもらえないだろうか
せめて大学さえ出ればコツコツ働いて返せるのに
こんな甘いことを考えてるから謝必安達に引っかかってノートンにまで迷惑をかけているんだろうな
自己嫌悪でどっと気持ちが重くなる
ヴーッヴーッ
ぼーっとしていると突然スマホに通知が入った
こんな時に誰だろう

“帰りは一緒に帰ろうね”

ノートンからひとことそう送られてきて、クスッと笑ってしまった
今からほとんどでっち上げのスキャンダル写真を撮ろうっていうのに呑気だな
でもわかる、これは願望半分気遣い半分の不安な思いから出た言葉だ
ノートンは気分屋で意地悪な性格だけど、根は寂しがり屋で優しいから

“うん”

二次会もあるだろうから一緒に帰るのは難しいだろうけど否定しない
本当に随分と仲良くなったな、張り込みがバレて声をかけられた時はどうなるかと思ったのに
ノートンが僕のご飯を貧乏飯だとケチをつけるのも、斜め上の行動で驚かされるのも思い返せばどれも楽しかった
でもそれももう終わりだ
僕は離れたところでノートンのこれからの活躍を見守っていこう

「あっノートンだ」

男女の話し声が聞こえて身を隠すと、予定通り駐車場にノートンと共演した女優さんが来た
夜なのにふたりの周りだけ輝いてい見える
やっぱり僕みたいな庶民とは住む世界が違うな...
チラッとこっちを確認したノートンは女優さんの体を抱き寄せる
僕もさっとカメラを構えた
せっかくなら綺麗に撮ろう
きっとノートンがあとで確認するだろうから、ノートンが納得するように彼のこだわりを最大限に引き出すんだ

「愛してるよ」

シンと静かな駐車場にノートンの声が響く
そして白くて小さい顔を両手で包むと顔を近付けた
これ...僕と鏡を見ながらしたキスだ.....
わかるよ、指先からさらりと広がる前髪まで美しく演出してるんだよね
そして彼女の目には今ノートンしか見えていないんだ
それもわかる、僕がそうだったから
ファインダー越しに見るふたりにカタカタ手が震える
おかしいな、緊張してるのかな

「ふぅ....っ」

小さく深呼吸すると息まで震えた
ノートンの熱っぽい目線を思い出して視界までぼやけてくる
しっかりしろ、シャッターを押すだけじゃないか

「...やだ」

誰にも聞こえない声で呟くと唇が重なる寸前でノートンがピタリと動きを止めた
そしてファインダー越しに僕を見てニヤリと笑う

「.....っ!」

びっくりしてカメラを構えたまま息を飲む
ノートンは体を離すと僕の方へと歩いてきた
一歩一歩近付き、やがてカメラの焦点が合わなくなる距離まで来るとカメラを奪われる

「泣いてるイライさんもいいね」

昨日の生傷が残る指先で涙を拭い、ノートンは目を細めて笑った

「あの、何かありました...?」
「週刊誌の記者が隠れてたよ、危なかったね」
「えっ!?やだ、どうしましょう」
「僕がなんとかするから君は戻ってて」

放り出されたその人はノートンに言われた通りレストランに戻っていく
それを確認したノートンは奪い取ったカメラを道に投げ捨ててしまう
ガシャンと派手な音を立てて壊れたカメラに反射的に手を伸ばすが、その前に体を抱き寄せられた

「あ...っ」
「あの悪趣味なカメラもイライさんを苦しめてる誰かも僕が全部壊してあげる、だから僕が好きだって言って」
「好きなんかじゃ...」
「他の誰ともキスして欲しくないって言って、イライさんのお願いならなんでも聞いてあげる」

こんなの聞いてない
僕は言われた通り写真を撮って、ノートンに気付かれないようにそっと姿を消す予定だったのに
好きだなんて言ってどうするのさ
誰とでもキスするくせに、僕のことをバカにして笑うくせに
でも思いに反して涙はぽろぽろ溢れて止まらず、顔をくしゃりと歪めて嗚咽を漏らした

「好き...かもしれない」
「フフっ締まらないなぁ」
「だって僕は君を裏切って、」
「はいはい」

静かに唇が重なる
昨日の激しいキスでも魅せるためのキスでもない、お互いの温もりを知るような優しいキスだ
柔らかな唇からはノートンの色々な感情が流れ込んでくる
寂しさや労りや愛しさ、それに独占欲
ゆっくり唇を離すとまるでまるでドラマのワンシーンみたいに雪がキラキラ舞った

「...愛してるよイライさん」
「うそ...」
「嘘に感じる?」
「...ごめん、僕も好き」
「可愛いねイライさん」

もう一度ギュッと抱き合い、ノートンの胸に顔を埋める

「じゃあ写真撮っとこっか」
「え?」

ノートンはスマホを構えると、パシャッとインカメで写真を撮った
カメラに写った僕はノートンにべったり引っ付き、べそかき顔で不細工な顔をしている
ノートンと比べると余計に酷い

「ちょっ、勝手に撮らないでよっ!」
「それ君が言う?」

ノートンはもう一度キスをすると今度はパシャパシャ連写する
慌てて体を離せば、こちらのことは気にもとめず撮った写真を見てうーんと首を捻った

「スマホだから画質は微妙だけど、これでスキャンダル写真の件は解決するんじゃない?」
「何も解決しないよ!僕との写真...なんて.....」

あれ、でも僕達は想い合ってるなら恋人になるのかな?
僕達が恋人なら確かにとんでもないスキャンダルだけど...

「僕達って今どういう関係?」
「世間から叩かれても守ってあげるから安心して、僕はこうみえて恋人一筋だから」

やっぱり恋人でいいんだ
でも本当に僕なんかがノートンの恋人でいいんだろうか
身寄りのない貧乏学生で顔もかっこよくなければ頭もそこまで良くない
そんな僕が今をときめくノートン・キャンベルに愛されるなんて
急に頭がまわらなくて黙っていると、ヒューッと風が吹き寒さに身震いした

「へっくし」
「フフっ寒いね、もう帰ろうか」
「打ち上げは?」
「僕が抜けても誰も気付かないから大丈夫」

そう言って手を繋ぐと広い通りに出てタクシーを止めた
謝必安と無咎に僕とノートンの写真を渡したらなんて言われるだろう
合成だと疑われそうだけど、もし世間に出回ったら.....

「帰ったらもっと深く愛し合おうね」
「......うん」

タクシーの運転手から見えないように何度目かのキスをした
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