家(うち)へ帰ろう



「昔みたいに背負って走ってやろうか?あれ好きだっただろ?」
「楽しそうだけど、今やったら心臓が止まってしまうよ」
「それもそうか」

長閑な昼下がり、イライと一緒に川辺に寝転んで日向ぼっこをしていた
今日は朝からふたりでよく行った懐かしい場所を巡り、さっきは美味しい果物をたらふく食べたところだ
フンフンと楽しそうなイライにオレも心が踊る
他にもっとやりたいことや行きたいところはないだろうか
限られた時間でできるだけイライの喜ぶことをしてやりたくて、あれこれ考えてはイライに聞いている

「そうだ、狩りに連れてってやろうか?子供の時は危なくて連れて行ってやれなかっただろう?」
「それも心臓が持つかどうか...あっ、そうだ!僕の狩りを見てくれる?」
「狩り?いやいや、そんなよろよろじゃ虫1匹仕留められないだろ」
「いいからいいから」

イライは興奮気味に立ち上がると、オレの手を引いて森の奥へ連れて行こうとする
転ぶと危ないから仕方なく奥まで抱きかかえて行くが、一体何を考えているのか
森の真ん中で下ろしてやると、イライはキョロキョロ辺りを見渡して1匹のウサギを見つける
たしか昔一度だけ狩りを教えた時はウサギに逃げられっぱなしだったっけか
すばしっこいウサギを今のイライが捕まえるなんてできそうにないが...

「いた!」
「ウサギを狩るつもりか?怪我しないうちにやめとけ」
「しーっ!ナワーブは黙って見てて」

イライはゆっくりウサギに近付くと、その場に屈んで手を差し出した

「おいで〜」
「は?」
「何も怖くないよ〜おいで〜」

チョンチョンと膝の上を叩き、優しい声で話しかける
何をバカなことをしてるんだと吹き出しそうになったが、一瞬戸惑ったウサギがイライの方へ跳ねるのを見て目を見開いた
嘘だろ、ウサギは警戒心が強いからわざわざ人狼の臭いがする方へ寄ってくるなんて有り得ないのに

「フフっ捕まえた」

イライはウサギを抱いて立ち上がると、茶色いチクチクの毛を優しく撫でた
そして驚きを隠せないオレにしたり顔で近付く

「どう?」
「驚いた、すごいな」
「どうしたら僕にも狩りができるのかずっと考えててね。ナワーブに会ったら見てもらおうと思ってたのに忘れてたよ」

オレの目の前にウサギを持ち上げると、流石のウサギも腕の中から逃げ出して走っていってしまった
イライはあららと残念そうにウサギを見送る

「それにしてもいい陽気だね、教会にいる時は..ゴホッゴホゴホッ」
「大丈夫か?」
「平気だよ、少し疲れただけ」

イライは胸に手を当てて呼吸を落ち着かせるが、深呼吸をするとまた深く咳き込んだ
森に帰ってきて以来、イライは度々こうして噎せている
はじめは老体に鞭打って森の奥まで歩いて帰ってきた疲れのせいだろうと思っていた
でもジョゼフが言うには歳のせいらしい
体の至る所が弱り、呼吸がつらくなっているそうだ
ヘレナも亡くなる前にそうだったのだとか

「今日はもう帰るか」
「そうだね」

イライの体を抱えると、揺らさないようにそっと地面を蹴った


***


数日前から眠る時間がやたらと増えた
飯もあまり食べなくなった
目も耳も悪くなった
ボーッとすることが増えた
日を増すごとに急激に老いていくイライに、オレはどうしようもない焦りと恐怖を感じていた

「イライ、少し陽に当たるか」
「...うん」

起き上がることもしんどくなったイライを抱えて家を出ると、ふたりで川辺に座った
イライはオレの腕の中で真っ直ぐ川の流れを見ている

「ナワーブ...」
「ん?」
「僕が死んだら...また家族を見つけてね」
「何言ってるんだ、番はお前ひとりだけだ」
「...でも」
「心配する暇があったら少しでも長く生きてくれ」
「...そうだね」

白い髪を舐めて毛繕ってやると、イライは嬉しそうに目を細めた
子供の頃は擽ったいって笑って、年頃の時は恥ずかしいって嫌がっていたな
思い出すと懐かしい
イライはローブのポケットからブラシを取り出すと、震える手でオレの手をチョンチョンと触った

「ブラッシングしてあげるよ、ほら寝転んで」
「無理するな、手も震えてるだろ」
「お願い、僕がしたいんだ」
「...わかった」

イライが楽なように切り株を背もたれに座らせ、オレはそっと骨っぽい膝の上に寝た
覚束無い手でザラッと毛を梳く感覚に、込み上げる涙を抑えて静かに目を閉じる

「ナワーブはよく泣くようになったね、昔はちっとも泣かなかったのに歳のせいかい?」
「いつでも泣けるように涙腺を鍛えてるんだ」
「そうか...君らしいね」

おっとり掠れた声に、堪らずぎゅっと抱きついた
イライは何も言わずに慣れた手つきでオレの頭を撫でる
きっと今までたくさんの子供たちにこうしてきたのだろう
手の平から伝わるイライの優しさに胸が温かくなる

「...ゴホッ」
「大丈夫か?もう帰って寝るか?」
「ううん、もう少し外にいたい。誰かが僕に会いに来る気がするんだ」
「ジョゼフなら昨日来たばかりだぞ」
「違うよ、もっと他の何かさ」

イライはブラシを地面に置くと、胸の前で両手を合わせて目を閉じた
何かを祈っているようだ
来るのがただの客人ならいいが、天のお迎えならやめてくれ
まだイライと一緒にいたい

「いい陽気だし、このまま昼寝でもするか」
「...そうだね」

イライの背を支えて隣に寝かせる
いつものように腕枕をしてやるとまた小さく咳をした
オレを映す虚ろな目が更に不安を煽る

「昼寝をしたらまたおとぎ話ってやつを聞かせてくれ」
「いいよ、昨日聞かせた話の続きを話してあげる」
「人魚が泡になって死んでしまって、まだ続きがあるのか?」
「うん、僕が考えた続きだよ」
「ハハッそれは楽しみだな」

そうか、昼寝の後はその話を聞かせてもらおう
人魚が死んで終わるおとぎ話なんて悲しいよな
柔らかく微笑むイライの顔を撫で、暖かい日差しの中目を閉じる

「おやすみナワーブ」
「ああ」
「大好きだよナワーブ」

ウトウトすると、どこかでフクロウの鳴く声が聞こえた
この昼間に珍しい
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