パパラッチ



清掃のバイトは数あるバイトの中で1番好きだ
どこも働きやすいけど、ここにはナワーブがいる

「ようイライ」
「ナワーブ!」

階段を掃除をしていると、外回りから帰ってきたナワーブが僕のところへやってきた
社員さんは皆エレベーターを使うけど、ナワーブは僕がいる時はいつもわざわざ階段まで会いに来てくれる

「喉乾いただろ?自販機で何か奢ってやるよ」
「いつもありがとう」

いつものように下のエントランスの自販機に行くと、冷たいスポードリンクを奢ってくれた
ナワーブは面倒見が良くて、ただのアルバイトの僕にもとても親切にしてくれる
聞いた話では仕事もできて優秀なんだとか

「最近来てなかったけど大学が忙しいのか?」
「新しく家政夫のバイトを始めたからシフトを減らしてもらったんだよ」
「そうか...何か困ったことがあれば相談しろよ、お前は頑張りすぎるから心配だ」
「大丈夫、ありがとう」

ナワーブは僕が苦学生だと知っていて、バイトをいくつも掛け持ちするのを心配してくれていた
お金が無くてお昼ご飯に小さい塩むすびひとつを食べていた時はラーメンを奢ってくれたこともある
誰にも頼れずに生きてきた僕にとってナワーブは兄のような存在で恩人だ

「家政夫バイトって1日家にいなきゃいけないのか?」
「そんなことないよ、家仕事さえやれば時間は自由だし空き時間に勉強もしていいんだ」
「働きやすいならいいけど、オレはお前がいないと寂しいなぁ」
「フフっでも僕がいたらジュース代がかかるよ?」
「こんなの安いもんだ」

本当はナワーブに謝必安達のことを相談したいけど、ナワーブにまで迷惑が掛かるのが怖くて言っていない
謝必安達がいつどこで聞き耳を立てているかもわからないし、モデルのノートンに家で働いていることも口外するのは良くないだろう

「...なぁ、そろそろ連絡先聞いてもいいか?」
「え?もちろんいいけど、もしかして遠慮してたの?」
「オレみたいなオッサンが大学生に連絡先聞くのはマズいと思って」
「フフっ全然オッサンって歳じゃないよ、僕もずっと聞くタイミング見失ってたから嬉しい」

スマホを取り出し、お互いの番号を交換する
大学を卒業したらバイトを辞めてナワーブとは会えなくなると思っていたから嬉しいな

「いつでも気軽に連絡してくれ、待ってるから」
「うん」
「じゃあそろそろ仕事戻るわ」

高校の頃からバイトで忙しくて友達がいなかったから、生活が落ち着いたらナワーブと飲みに行ったり旅行もしたいな
心を弾ませながら僕も掃除を再開し、ナワーブの働くビルを綺麗に掃除した

清掃バイトを終え一旦家に戻ると休む間もなくノートンのマンションへ向かう
僕の住むアパートからノートンのマンションは少し遠い
電車代を浮かせるために2駅は歩こうと決めているが、これがバイト終わりの体には少々堪えた
今日は寝不足の上に清掃バイトのあとだから特にしんどい

「昨日スニーカーもらってて良かった...」

革靴だったら靴擦れしていたであろう足を休めるため、繁華街から1本入った通りの壁に凭れる
無咎がくれたスニーカーに感謝して体力が回復するのを待っていると、急にスマホが鳴った
ノートンからだ

『もしもし、イライさん』
「仕事中に電話なんて珍しいね、何かあった?」
『向かいの建物の2階を見て』
「2階?」

言われた通り顔を上げて前の建物を見ると、ガラス張りで外からもよく見えるオシャレなカフェからノートンが手を振っていた

「あっノートンだ」
『撮影待機でヒマだからコーヒーを飲んでたんだよ』
「そっか、今日は帰り遅くなりそう?」
『いや、早く帰るよ』
「お仕事頑張ってね」

人に見られないように小さく手を振って電話を切ろうとすると、ノートンがちょいちょいと手招きをした

『待って、イライさんも一緒にコーヒー飲まない?』
「えっ僕はいいよ...僕みたいなのが一緒にいたら笑われちゃうだろうし」
『イライさんみたいなくたびれたのと仲良くしてると僕の株が上がるんだよ』

自分で言ったことだけど、躊躇なく貶してきたな
でも正直疲れてるから座りたい気もする
お言葉に甘えようかな、と考えていたら少し離れたところから僕を呼ぶ声がした
振り返るとナワーブが手を振っていた

「偶然だなイライ!」
『イライさん、その人誰?』
「ああナワーブ、ちょっと待って!...ごめんノートン、もう切るね」
『ちょっ、』

電話を切り、駆け寄ってきたナワーブに笑顔で手を振る
まだ定時じゃないから営業周り中だろうか

「家って方向反対じゃなかったか?」
「これから今日言った家政夫のバイトなんだ、ナワーブはお仕事中?」
「オレは仕事終わってこのまま直帰だからバイトまで時間あるならコーヒーでも飲まないか?疲れた顔してるし休んだ方がいいぞ」
「ありがとう、実は疲れてて休みたかったんだ」

まだこちらを見ていたノートンに軽く頭を下げ、ナワーブと一緒に近くの喫茶店に入った
ナワーブが言うにはここのクリームソーダは昔ながらの味で美味しいらしい
悪いとは思いつつご馳走になると、美味しくて一気に元気になった

「僕クリームソーダ飲んだの初めてだけど、きっとこれが一番美味しいよ」
「お前が美味そうに飲み食いするの見ると泣けてくるな」
「なんで泣くのさ、死ぬまでにクリームソーダが飲めて僕は幸せだよ」
「泣けるわ...」

途中もう一度ノートンから電話が入ったが、人目のあるところでノートンの名前を呼ぶのは悪いと思いスルーした
夜にマンションで会うし、いいよね


***


ノートンは帰ってくるなり部屋着に着替えもしないで詰め寄ってきた

「イライさん、あの人誰?」
「あの人って...ああ、ナワーブのこと?ナワーブはバイト先でお世話になってる人だよ、仕事もできて優しくしてくれるんだ」
「...ふうん」

ノートンの誘いを断ったのが癇に障ったのだろうか
眉間に皺を寄せてどこかイライラしている
もしかしたら仕事でも嫌なことが重なったのかもしれない

「あのさ、昨日僕があげた靴は?」
「あれは大事に使わせてもらうよ、ありがとう」
「そうじゃなくてなんで今日履いてこなかったの?っていうかこの靴何?もともと持ってたの?」
「それが偶然昨日他の人からも靴をもらって、」
「そんな偶然あるわけないよね、嘘つくならもっと上手い嘘にしなよ」

チッと舌打ちが聞こえてビクッと縮こまる
かなりピリピリしてるな...嫌味はよく言うけど怒ってるのは初めて見た
スニーカーをもらったのは事実だけど、この場を収めるために適当な嘘をついた方が良かっただろうか
そうだよね、せっかくプレゼントしたのに履いてもらえなかったら悲しいよね
プレゼントとは無縁に生きてきたから僕も気が回らなかった

「ほら、僕の家からここまで結構距離あるでしょ?革靴で歩いたらせっかくの革が傷んじゃうと思ってスニーカーを履いてきたんだ」
「...へえ」
「本当だよ?夕方電話した時も足が疲れて休んでたんだから」

ノートンが納得してくれるかはわからないが本当のことをできるだけそれらしく伝える
変に嘘をついてもノートンにはバレてしまいそうだし

「イライさん、カメラだけど修理にまだ何ヶ月もかかるんだって」
「えっそうなの?」
「その間往復するのが大変ならうちに住むのはどう?」
「...え」

唐突な提案に困惑する
流石にノートンと一緒に住むのは気を遣うし、今働いているバイト先が逆に遠くなってしまう
大学は乗り換えがなくなって楽だけど...

「住み込みなら月50万払ってもいい」
「そ、そんなにもらえないよ!」
「他のバイト全部辞めてここだけにしなよ、そうすればイライさんも楽でしょ」
「でも...家政夫のバイトが終わったらまた一からバイト探さなきゃいけなくなるし...」
「ずっと雇ってあげるから、ね?」

さっきまで怒っていたのに急に優しく微笑んでくる
モデルがどれだけ稼げる仕事かは知らないけど、僕にそんなに払って大丈夫なのかな
大して仕事もして無ければカメラの修理もしてもらってるのに、そんな大金までもらったらヒモになっちゃう
50万と時間が確保できるのは魅力的だけど断ろう

「でもやっぱり...」
「食事付き、生活費もかからないし時間の束縛も無し」
「え...?」
「別途お小遣いあり、もしもの病院代も」
「やります!」

断ろうとしていたのについ反射的に引き受けてしまった
でも仕方ない、生活費が浮く上に食事まで付くなんてあまりにも魅力的すぎる
ノートンは食い気味にオッケーした僕にニヤリと笑うと、勝ち誇ったようにソファに寛いだ

「改めてこれからよろしくね」
「うん」

夕飯に作っていたパン耳マヨネーズを焼きながらニコリと笑う
僕が住み着いたら更にスキャンダルが遠のくことも忘れて...
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