家(うち)へ帰ろう



季節はいくつも巡り、今年も暖かい春がやってきた

「やあナワーブ」
「ジョゼフか、久しぶりだな」

家の近くの川で魚を焼いていると、久しぶりにジョゼフが訪ねてきた
最後に会ったのは何年前だっただろう

「美味しそうな匂いだね」
「お前も食ってくか?」
「いや、さっき肉を食べたばかりだから遠慮しておくよ。今日はこれを届けに来たんだ」

ジョゼフは手に持っていた紙をオレに渡して隣に腰を下ろす
渡された紙を見ると、そこにはたくさんの子供達に囲まれて笑うイライが写っていた

「なんだこれ」
「写真だよ、人間の道具の中にはそんなふうに見たものを写しとれる物があるんだ」
「へぇ...」
「昔ヘレナから預かったんだけど、君に渡すのをすっかり忘れていてね」

写真の中のモノクロのイライはこちらに向かってとても幸せそうに笑っている
イライときちんとお別れをして以来、あいつは一度もここへ帰ってきてない
元気でやっているのか気に掛けてはいたが、どうやら上手くやっているようで安心した

「ヘレナは元気にしてるのか?」
「フフっ何言ってるんだい、ヘレナならとっくに亡くなったよ」
「はっ!?どうしてだ、病気か?」
「いやいや、君と最後に会ったのはもう80年以上も前だよ?人間の寿命はとっくに尽きてるさ」
「そんな.....」

ということは、もうイライも.....
もう一度写真を見ると、ジョゼフはオレの肩を軽く叩いた

「最後にイライのことを聞いたのはもうずっと前だけど、ヘレナは幸せそうだと言っていたよ」
「...そうか」
「なんだか懐かしいね、虎のローブを着て喜んでいたのがついこの前のように感じるのに」

そうか、イライは幸せだったのか
あいつがあれからどんな人生を送ったのかは知らないが、幸せだったならそれでいい
写真を胸に当てて目を閉じると、ジョゼフは気を利かせてそっと立ち上がった

「思い出を語り合うのは今度にしようかな」
「そうだな、気が向いた時に美味い肉でも持っていく」
「楽しみにしてるよ」
「ありがとな」

静かに立ち去るジョゼフに礼を言う
ヘレナにもたくさん世話になったのに、結局一度も礼を言えなかったな
パチパチ魚の焼ける音を聞きながらヘレナの顔を思い出していた
そしてと心の中だけで礼を言うと、どこからかフワッとイライの匂いが漂ってくる
驚いて目を開けるが、当然イライはどこにもいない

「ハハッ...気のせいか...」

辺りをキョロキョロ見渡してからもう一度切り株に座り直す
きっとイライを拾ったこの切り株がオレに嫌がらせをしてるんだ
何十年も尻の下に敷いてきたから
フッと笑ってもう一度目を閉じる
すると今度はイライの声が聞こえてきた
遠くでオレの名前を繰り返し呼んでいる
幻聴まで聞こえるなんて、イライが死んだのがそんなにショックだったのか
人間は人狼よりうんと早く死ぬのはわかっていただろう
あいつが幸せだったならそれでいいじゃないか
何をそんなに悲しむ必要があるっていうんだ

「.....ーブ、ナワーブ」

だが思いに反してイライの声はどんどん近くなる
耐えられず目を開けて顔を上げると、川を挟んだ向こうに人影を見つけた
いや人影じゃない、イライだ
紺のローブに身を包み、木の太枝を杖がわりにして1歩ずつこちらへ歩いている

「ナワーブ!」
「イライ...なのか.....?」
「フフっ帰ってきたよ」

イライがいるはずがない
だって人間の寿命ではもうとっくに死んでいるんだ
でもオレの目の前にいるイライは絶対に幻なんかじゃない
だがうじうじ考えるよりも先に足が勢いよく地面を蹴っていた
バシャッと川の水面を跳ねあげ、よろよろと立つイライの元まで一直線に走る

「イライ.....っ!」

両手を広げ、力いっぱい抱き締める
イライもオレの背中に腕をまわしギュッと縋り付いた
懐かしいお日様の匂いがする、やっぱりイライだ
フラフラと崩れそうな体をしっかり抱えてやれば、イライは目尻にシワを寄せて笑った

「ただいま」

イライが帰ってきた
つい今しがた永遠のお別れを突きつけられたというのに
あまりの嬉しさにクゥンと情けない声が喉から漏れ出る

「イライ...」
「フフっナワーブは変わらないね、何もかも記憶のままだ」

ひとしきり抱き合った後にまじまじと目を合わせると、イライはシワだらけの顔でおっとりオレを見上げた
その体は骨と皮まで痩せ細り、髪は白くなり、目は薄く濁っている
だがどんなに歳をとろうと変わらない面影にブワッと胸が熱くなった

「どうしよう、僕だけこんなおじいちゃんになってしまって、」
「おかえり、よく帰ってきたな」
「...ありがとう」

もう一度ギュッと抱き合うと、遠くからジョゼフの走ってくる音が聞こえた
あいつもイライの匂いを嗅ぎつけたのだろう
3人で再会を喜び、落ち着く頃には焼いていた魚は真っ黒に焦げていた

***

イライが帰ってきた晩、久しぶりにブラッシングをしてもらった
星空の下でイライの膝に頭を預け、ブラシの心地良さにゴロゴロ喉を鳴らす

「気持ちいいかい?」
「ああ」
「良かった」

キラキラ輝く星を見上げると、イライも手を動かしながら夜空を見上げた

「やっぱりここで見る星が一番綺麗だよ」
「そうか?」
「うん、子供達にも見せてあげたかったな」
「子供ってお前の子か?」
「いや教会や孤児施設で面倒をみてた子達のことだよ、僕は子供もいないし結婚もしなかったから。もちろんみんな我が子のようなものだけど」

そうか、イライは人間の家族をつくらなかったのか
楽しく暮らしてたんならいいが、イライは本当にそれで良かったのだろうか
別に今更聞いたところでどうしようもないが

「ナワーブは?番はできたのかい?」
「オレは根っからの一匹狼だからな、家族はお前ひとりで充分だ」
「えっ本当?」
「言っとくがオレに雄としての魅力がないわけじゃないからな、オレがあえて雌の人狼の求愛を断ってるんだ」
「フフっそうだね、ナワーブはかっこいいから。でもそっか...良かった」

イライはブラシで梳く手を止め、フワフワになったオレの毛を撫でた
固くひんやりとした手が気持ちいい

「実はここへ帰ってくる途中、ナワーブに番の人狼がいたらどうしようって少し不安になったんだ」
「ハハッ嫉妬か?」
「うん、僕はナワーブのことが好きだったから」

たとえオレに番がいて子供もいたとしても、イライを忘れたりしないのに
いくつになってもそういうところは子供のままだな
笑ってイライを見てやると、薄く開いた目がユラユラ揺れていた

「死にかけの老体が何を言ってるんだと笑われそうだけど、実はずっとナワーブが好きだったんだ」
「ナワーブ大好きがお前の口癖だったな」
「フフっそうだね、でも年頃になってからの好きはもっと特別なものだったよ」

イライは懐かしそうに森を見渡し、幼い頃を思い出しているのか静かに微笑んだ

「昔ね、どうすれば雌の人狼になれるかと月下の狼さんに聞いたことがあったんだ。おかしな質問だろう?でもね、僕はかっこいいナワーブが本当に大好きだったんだ。番になってずっと一緒にいたいって思ってた」

イライは膝に寝ていたオレをゆっくり下ろすと、地面に手をついてよろよろ立ち上がった
白くなった髪は月に照らされて銀色に光っている
その光景がどこか儚くてギュッと胸が締め付けられた

「じゃあ今からでもオレの番になるか?」
「フフっ何言ってるのさ、僕は人間で男だよ?それに100歳を超えてる老人だ」
「たかが100で生意気言うな、オレはその倍は生きてるぞ」
「そりゃ人狼の君はそうだろうけど...」

オレも起き上がると、ふたりの間をサーっと冷たい風が通り抜けていった
ブルっと身を震わせるイライの手を握る

「どうする?番になるか?」

イライがいつからオレにそんな気持ちを向けていたかは知らない
恋だの愛だのがわかる歳になってすぐ離れてしまったし、そんな素振り感じたこともなかった
でもイライがオレと番になりたいと思うほどオレのことを好きでいてくれたと聞いて嬉しかった
正直オレも怖かったんだ
イライがオレのことを忘れて誰かと一緒になっているのが
もちろん心から幸せを願っていたのは本当だ
人間の中で悔いのないように生きて欲しかった
でもワガママを言えばオレだってイライとずっと一緒にいたかったんだ

「たしかにお前は人間だ、でもこうして森に帰ってきた。森に人間の常識なんてものはない。ここではオレ達がルールなんだからオレ達の好きに生きればいい」

そう言ってイライを見ると、顔をくしゃりと歪ませた
ああ泣く時の顔だ
その不細工な顔は直ってないんだな
フッと笑ってやれば、涙を隠すようにローブのフードを深く被って声を震わせた

「...もう少しだけ長生きするね」
「ああ」

人間の時間は短い、イライに残された時間はもっと短い
だからオレももう変な意地を張ったりせず、自分の幸せのためにイライとの時間を大切に過ごそう
白い花を手折りってイライに渡すと、昔と変わらない屈託のない笑顔を見せた
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