家(うち)へ帰ろう
「あれ?イライだと思ったらナワーブか」
「朝から悪いな」
「ひとりで来るなんて珍しいね、どうぞ上がって」
翌朝、日の登りきらないうちにジョゼフの家を訪ねた
イライのことでお願いをしにきたのだ
「お前、イライが教会で暮らす話は知ってるか?」
「...昨日はイライが来ないと思ったら、そういうことか」
「やっぱり知ってたんだな」
「まぁね、でも君はそんなの許さないだろう?」
やはりジョゼフはしっていたのか
ジョゼフは紅茶という人間の飲み物を淹れ、器用にコップの取っ手を持って啜った
イライもこんな変わった匂いのするものを飲んでいるんだろうか
「教会っていうのは寝泊まりして安全なのか?自分で食料を調達できなくても飯が食えるのか?怪我をしたり病気になった時に見捨てられないか?意地悪な奴に虐められたり、」
「待って待って、なんでそんなことを聞くんだい?まさかイライを行かせるつもりじゃないよね」
「...そのつもりで聞いてるんだ」
オレの言葉にジョゼフが目を見開く
1日でも人間のところへ行くのを嫌がっていたのだからその反応は当然だろう
「いいのかい?イライから聞いてるだろうけど、住込みとなると月に一度くらいしか帰れなくなるんだよ?」
「あいつは人間だ、もう森へは帰らせない」
「なんだいそれ、どういうこと?」
「あいつは、これからは人間と一緒に生きていくんだ」
淡々と話すオレにジョゼフはまた困惑の表情を浮かべる
「そこまでしなくてもいいじゃないか、君だって寂しいだろう?」
「イライのためにオレがしてやれることはもうない」
「でも...」
「あいつももう大人だ。やりたい事もあるようだし、いつか番を持つことを考えても人間の中で暮らす方がいいだろう」
恐らくジョゼフはもっと前から同じことを考えていたのかもしれない
オレの言葉を飲み込み、頭を抱えて黙ってしまった
人間のことを知っているジョゼフが反対しないのなら大丈夫だ
「君の言う通りそうするのがイライのためだ、ヘレナが働いてる教会なら心配しているような危険もないだろうしね」
「そうか」
「でも君は本当にそれでいいのかい?イライがいなくなって寂しいだろう?」
「オレはもともと一匹狼だ、別にあいつがいなくなったところで構わない、元の生活に戻るだけだ。ただひとつ、頼みがある」
「頼み?」
「これからもヘレナにイライの様子を聞いてくれないか...?」
イライを手放してしまえば、あいつが痛くて苦しい思いをしている時、オレはもう手を差し伸べてやれない
でももしも本当に死にそうでどうしようもない時は助けてやりたい
オレのせめてもの親心だ
ジョゼフはフーっと息を吐き、目を閉じて小さく頷いた
「わかった」
「恩に着る」
話がついたところで早々に立ち去ろうとすると、ジョゼフがオレの肩を叩いた
「時の流れというのは早いね、赤ん坊のイライを連れてうちへ来たのがつい昨日のように感じるよ」
「.....」
「イライは君に似てとても優しい子に育った、君たちを見守る僕もとても幸せだったよ、ありがとう」
「.....世話になったな」
地面を蹴り、離れた家まで一直線に帰る
イライは起きて顔を洗っている頃だろう
朝飯に昨日採った果物を食ったら、今日はオレが人間のところへ連れて行ってやるんだ
それまでオレはあいつの家族だから
「あ、ナワーブおかえり」
何も知らないイライは笑顔でオレを出迎える
昨日のことは気にしていないフリをしているようだ
食料庫のフルーツを川で洗い、食べやすいようにオレの分も切りわけていた
「春の果物は実がしまってて美味しそうだね、早く食べよう」
「そうだな」
隣に座り、用意をしてくれたイライの頭を撫でる
イライは照れくさそうに頬を赤らめて果物をパクパク食べたが、オレはどうも味がしない
「美味しいね」
「ああ、ここ最近で1番美味いな」
「そんなに?一昨日のも同じくらい美味しかったよ」
「一昨日のはもう忘れた」
「そうだ、明日川の上の方の果実を採りに行こうよ、たしかあそこのも美味しかったでしょ?」
フフっと楽しそうに笑うイライに言葉が詰まる
明日はもう、イライはここにいない
「イライ、今日は人間のとこへ行くんだろ?ジョゼフは用事があるらしいからオレが連れてってやる」
「え...いいの?」
「ああ、オレは足が早いから一瞬で送り届けてやれるぞ」
「.....ありがとう、ナワーブは優しいね」
ギュッと抱き締めてくるイライに一瞬顔が歪みそうになった
まだお別れの時でもないのに、泣くのは早すぎる
腕の中の温もりに目を閉じ、肺いっぱいにスーッと息を吸った
相変わらずイライはお日様のいい香りがする
「ほら、早く準備してこい」
「うん」
身支度を整えるイライに気付かれないよう、当面の食料や衣服を古びた布袋に詰めた
ジョゼフがくれた紺や白のローブ、小さくはなってしまったがイライが気に入っていた虎のローブ、オレが作ってやった枕、日持ちする果物や干し肉
袋に詰められるだけいっぱいに詰め込んだ
「フフっ何その大荷物」
「ジョゼフへの届けものだ、気にするな」
「ふうん?」
出掛ける準備ができてイライを背負おうとしたら、当然のように荷物を不審がった
だが有無を言わさず背中に乗せ、荷物を持って駆け出す
「しっかり掴まっとけよ」
「っわ......!!!」
ビュンっと風を切って森を走り抜けると、イライは昔のようにキャーっと絶叫した
振り落とされないように長くなった手足で必死にしがみついてくる
それがなんだか嬉しくて自然と笑顔になった
「ハァハァ...あー怖かった、フフっ」
「楽しかったか?」
「うん!これ大好きだったから」
ヘレナの家の近くで下ろし、屈託なくにっこり笑うイライを一度だけ強く抱き締める
さあ、お別れだ
持ってきた布袋をイライの手に持たせた
「あれ?これは月下の狼さんへの届け物でしょ?」
「...それはお前の荷物だ」
「えっどういうこと?」
意味がわからないイライはオレの手を掴んでジッと目を見てくる
恐らくオレの目や態度から何かを感じ取ったのだろう
「もう森へ帰ってくるな、これからは人間と暮らせ」
「どういうこと...っ、えっ、僕が昨日変なこと言ったからそんなこと言うのっ?」
「お前は人間で、もともと森で暮らすべきじゃなかったんだ」
手を振り払って背を向けると、今度は腕にしがみついてきた
地面には落とした荷物が転がり、覗いた着替えのローブにイライがますます血相を変える
「待って、僕も帰る!連れて帰って!」
「ダメだ」
「ごめんなさいっ、もう教会で暮らすなんて言わないからっ!ナワーブお願いっ、僕を捨てないでっ!」
「捨てるんじゃない...っ!」
振り返りヴーッと牙を剥いて威嚇する
すると驚いて怯んだのかパッと手を離した
可哀想なほど震えボロボロ涙を流すイライに、オレの目頭もジンと熱くなる
「お前はもう子供じゃない、親離れする時がきたんだ」
「そんな...っ、酷いよっ、僕まだナワーブと一緒にいたい...っひぅ...お願い、お願いっ」
「さよならだイライ」
「嫌だ、絶対さよならなんてしない...っ!」
「これが人狼の生き方だ、受け入れろ」
その場に泣き崩れるイライを見たままジリジリ後ろにさがり、他の人間の気配を感じて急いで立ち去る
きっとイライの声に気付いたヘレナが外の様子を見に来たのだろう
人間だからという理由だけで毛嫌いしていたが、これからイライのことをどうかよろしく頼む
「ォォーーーーン」
降り出した雨に打たれながら空に向かって咆哮する
イライ、どうか短い一生を精一杯生きてくれ
オレのところへきて育ってくれてありがとう
小さな小屋に帰る頃には、頬を伝うのが雨なのか涙なのかわからなかった