家(うち)へ帰ろう



あの日町へ行ったのを境に、好奇心旺盛なイライは人間にとても興味を持った
毎日ジョゼフにねだっては町に連れて行ってもらい、ヘレナという人間の女に色んなものを教えてもらって帰ってくる
はじめは人間なんかのところへ行くなと止めていたが、結局根負けして人狼のことは秘密にする条件付きで許した

「ナワーブこれ見て!ヘレナがくれたんだ!」

夕方帰ってきたイライは、ポケットから包みを取り出すと、中に入っていた小さな玉を手のひらにのせた
綺麗な色をした丸いそれは飴玉というお菓子らしい
聞いたことはあるが見るのは初めてだ
触ってみると骨のように硬い

「これ食えるのか?」
「うん、口の中で溶かすと甘くて美味しいんだ」

イライがパクッと口に入れるのを真似して食べると、歯でガジガジ噛み砕いた

「んー?」
「噛んじゃダメだよ、こうやってゆっくり舐めるの」
「人間の食い物は好かないな」

甘ったるい飴玉より熟れた果物の方がよっぽど美味い
いつまでも飴玉を頬張るイライを連れて川へ行き、飯の前に汚れた体をザブザブ洗った
そろそろ本格的な冬がやってくるから、水がキンと冷たくなっている
イライが体を冷やして風邪をひかないようにしないと
チラッとイライを見ると、ローブを捲って手をバシャバシャ洗っていた
いつものように服を脱ぎ散らかして水浴びをしていない

「手はこうやって洗うと体を濡らさずに綺麗になるんだよ、ヘレナが教えてくれたの」
「...へぇ」
「顔もね、こうして水を手で掬って洗うんだ」
「水に体ごと突っ込んだ方が早いだろ」
「普通はそんなことしないってヘレナが言ってたよ?」

町に行くようになって、イライは人間の真似事をするようになった
もともと人間だから、人間の生き方がしっくりくるのかもしれない
だが当然人間の生活とオレ達森の住人の生活は違う
馴染みのない行動をする度に、言いようのない違和感を感じていた

「人間がオレ達の普通を知らないだけだ」

濡れた毛をブルブル振って乾かし、昼のうちに炙っておいた肉を晩飯に渡した
育ち盛りのイライはお腹が空いていたのか、嬉しそうにガブッと食らいつく
それを見てどこか安心しながらオレも肉に齧り付いた

「美味しいね」
「そうだな」

ペロリと平らげたイライは胡座をかくオレの膝を枕にして寝転び、夜空の星を見上げた
顎下を擽ってやると気持ちよさそうに目を瞑る

「今日ヘレナに教会へ連れて行ってもらったんだ」
「教会?前にジョゼフに聞いたことがあるな、神様がなんとかって」
「神様にお祈りするところだよ」
「そうだったか」

イライの話に相槌を打ちながらボーッと月を眺める
寒くなってきたからか今夜は森も静かだ
ヒューッと吹き抜ける木枯らし冷えないよう、イライを包むように抱いた

「教会で神様にね、ずっとナワーブと一緒にいれますようにってお願いしたんだ」
「お願いなんかしなくてもずっと一緒にいればいいだろ」
「そうなんだけど、それ以外何も思いつかなくて」

自分で言ったくせにイライはへへっと照れ笑う
最近はヘレナヘレナと人間のことばかり話していたのに、可愛いところもあるじゃないか
だがオレも素直に喜んでやれる性格ではなく、照れ隠しに髪をクシャクシャに撫で回した

「オレと一緒にいたいならもう町に行くのはやめたらどうだ?毎度ジョゼフに送迎を頼むのも癪だしな」
「それはヤダ」
「ったく、わがままな奴だ」
「フフフッ」

手で掴み合い、ガブガブ甘噛みをしてじゃれ合う
くしゅんとイライがクシャミをする頃には、雪がパラついていた


***


朝家のドアを開けると、外は一面雪に覆われていた
飲み水を汲んでいた水瓶にも氷が張っている
今年も本格的な冬がきたようだ

「イライ、雪だぞ」
「うーん...」
「お前雪に潜って遊ぶの好きだろ?結構積もってるぞ」
「もうちょっと寝てるからいいや...」

いつまでも毛布にくるまって寝ているイライにハァとため息を吐く
昨日も寒いって言ってずっと丸くなっていたのに、まだ寝る気か

「いつからナマケモノになったんだお前は」
「んー...」

無理矢理毛布を剥いでやろうと近寄れば、コホコホ咳をするのが聞こえてきた
それにいつもより呼吸が早い気がする
異変に気付きイライの顔に触れると、冷たい手がジンとするほど熱くなっていた
どうやら風邪を引いてしまったようだ

「大丈夫か?」
「うん...」
「待ってろよ、今水を持ってくるから」

イライが風邪を引くのは初めてだ
ジョゼフのアドバイスのおかげもあって、拾ってから今まで元気に育ってくれていたのに
ここのところ干し肉が続いて栄養が偏ってしまったんだろうか
近くの川まで行くと、布に冷たい水を含ませて絞った
飲み水は人肌に温めてから飲ませた方がいいだろう
家に戻りイライの熱い額に布をのせると、潤んだ青い目をスーッと細めた

「冷たくて気持ちいい」
「食欲はあるか?」
「うん、お腹空いた」

良かった、思ったより元気そうだ
一度体を起こして温めた水を飲ませ、念の為怪我や傷で炎症を起こしていないかスンスン匂いを嗅いで確かめる

「ナワーブ、イライ、入るよー」
「あれ...?月下のオオカミさん、こんな朝早くにどうしたのかな」

ジョゼフがコンコンと戸を叩くと、返事も待たずに勝手に入ってきた
イライが町に連れて行って欲しいとねだる時はこちらから出向いているのに、今日は迎えに来てくれたのだろうか

「ああやっぱりイライも風邪を引いてたか」
「やっぱりってなんだよ」
「昨日ヘレナのところへ行ったら、教会の子供達の間で風邪が流行っていると聞いてね。もしかしてイライも感染ったんじゃないかって思って」

なるほど、この風邪は人間からもらってきたのか
だから町に行かせるのは嫌なんだ

「ナワーブは大丈夫かい?」
「オレは風邪を引くほど弱くない」
「ハハッそれは良かった、でもイライはしんどそうだね」
「僕も大丈夫だよ...コホッ」
「はいはい」

ジョゼフは持っていた大きな袋からコートを出すと、イライを立たせて着せた
寒さをしのぐものを持ってきてくれたのはありがたいが、毛布の上から被せた方が寝やすいだろうに
だがジョゼフはイライをまた寝かせようとはせず、コートを着せるとひょいっと抱き上げてしまった

「おい、何してるんだ」
「ナワーブ、イライの風邪が治るまでヘレナの家で面倒をみてもらったらどうかな?」
「なんだと...」

グルルッと反射的に唸り、イライを取り返して腕の中に留めた
弱っているのに人間に預けられるわけがない
そもそも風邪を引いたのも人間のせいなのに
何を言っているんだこいつは

「冬の森は病人には過酷すぎる。ヘレナの家なら暖かい暖炉もあるし、いざとなれば医者を頼ることもできるだろう?ヘレナも心配していたから熱心に看病してくれるさ」
「ダメだ!人間に預けるなんて絶対にダメだ!」

毛を逆立てて威嚇すると、ジョゼフは諦めたのか手でいなした

「わかったよ、でもせめて薬をもらいに行こう」
「薬?」
「風邪を治す薬さ、それを飲めば早く快くなるはずだ」
「......」
「僕も飲んだことがあるから安全だよ?心配なら君も一緒に来ればいい」

薬は確かに欲しい
でも今は人間のところへ連れて行きたくない
グルグルと頭の中で悩んでいると、イライがオレの腕をチョンチョンとつついた

「ナワーブ、僕は元気だから大丈夫だよ、無理してヘレナのところに行かなくていいよ」
「イライ.....」

強がるイライにグッと言葉が詰まった
子供のくせに生意気にオレを気を遣いやがって

「...わかった、薬をもらいに行こう」
「うん、ヘレナも待ってるだろうから早く行こう」
「イライはオレが運ぶ」
「そうしてくれ」

寒くないようにイライに手袋とブーツを履かせると、ジョゼフに案内されて森の麓まで下りた
長年生きているが森の外に出るのは初めてだ
緊張気味に辺りを見渡すと小さな家がぽつんと建っていた
恐らくここがヘレナという人間の家だろう

「オレは離れたところで見てるから、イライを頼む」
「君もヘレナに会ったらどうだい?彼女は人狼に偏見のない人間だよ?」
「人間には会いたくないんだ」

ジョゼフにイライを預け、少し離れた木の茂みに隠れる
イライもジョゼフもヘレナという人間を信頼しているのは知っているが、オレは仲良くするつもりはない
ジーッと見ていると、ジョゼフはイライを抱えて人間の家に入っていった
他に人がいないのを確認して大きな窓に近付き、部屋の様子を伺う

「ごめんねイライくん、私が教会に連れて行ったばかりに...」
「僕は大丈夫だよ、ヘレナは元気そうで良かった」

あいにくヘレナという人間は背を向けていて顔は見えないが、穏やかな声をしている
イライもよく懐いているようだ

「そうだ、私ったら暖炉をつけてなかったわね。体を冷やしたらいけないわ、えっと...マッチをこの辺りに置いたはずなんだけど...」

ヘレナがテーブルや床を手で探っていると、気付いたジョゼフがテーブルから何かを取って暖炉に火をつけた
風邪を引いているイライも薪を火にくべるのを手伝っている
どうやらかなり鈍臭い人間らしい
風邪が治るまで預けるなんて話断って正解だ
こんな奴と一緒にいたらイライがゆっくり休めないじゃないか
とんでもない提案をしたジョゼフにフンっと腹を立てていると、不意に振り返ったヘレナの姿に目を見開いた

「ありがとう」
「目が悪いんだから、火を使うのは危ないよ?今度からは僕が暖炉の火をつけてあげる」
「イライくんは優しいのね」
「うん」

ヘレナの目はぼんやり開いているがあまり見えていないようだった
なるほど、目が悪いからオレ達人狼を見ても怖がらないのか
もしかしたらジョゼフのことを人間だと思い込んでいる可能性もある
思いがけない姿に困惑していると、部屋の中のジョゼフと目が合った
見られる心配はないのにコソコソ小さく手招く

「...どうしたんだい?君もヘレナと話す気になった?」

家から出てきたジョゼフはオレにクスッと笑った

「あの人間は目が見えないのか?」
「生まれつきあまり見えないそうだよ、おかげで人狼の僕を見ても驚かない。まぁヘレナはもともと種族で差別するような人間じゃないけど」

やはりそうか
人狼を怖がらない人間なんて可笑しいと思っていたんだ

「君も中に入ったらどう?」
「いや、オレは......」

チラッと部屋の中を見ると、ヘレナがイライに薬を飲ませていた
不味そうな粉の薬をうぇっと吐き出しそうになる度に、イライの目に浮かぶ涙を拭ってやっている
目が見えないはずなのにイライがどんな顔をしているのかわかっているようだ
やっと全て飲むと、ヘレナが頭を撫でて褒めた
火が燃える暖かそうな部屋で微笑み合う姿は、まるで母と子のようだ

「見ていて微笑ましいね」
「...ああ」

この人間がイライに愛情を注いでいるのは見ていればすぐにわかった
それにイライもこの人間をできる限り支えようとしている
一匹で群れずに暮らしていた人狼のオレには無い何かを見せつけられているようだ
言葉にできない感情に胸がチクリと痛む

「...ここにいた方がイライは元気になるのか?」
「まぁ暖炉があるし清潔だし、何より人間の元にいればいざと言う時も安心だよね」

オレが見様見真似で作ったベッドとは比べ物にならないフカフカのベッドで眠るイライはたしかに気持ちよさそうな顔をしていた
.....そうだな、冬の森は弱ったイライには過酷すぎる

「風邪が治るまで人間にイライを預ける」
「えっ、あんなに反対してたのにいいのかい?」
「イライと人間にお前から言っておいてくれ、オレは先に帰る」
「ちょっとナワーブ、」

引き止めるジョゼフの声も聞かずに森の奥へと走り出す
今イライにはあの人間が必要だ
そしてあの人間もきっとイライの助けが必要だろう

「チッ」

どうしてオレが気を遣わなきゃいけないのか
どうしてこんな気分にならなきゃいけないのか
ヴーッと唸りながら森の中を意味も無く駆け巡った
だがその翌日、オレはイライの好きな干し肉と干し葡萄を持って人間の家に行った
育ての親として世話になった礼を人間に言うためだ
ドキドキしながら窓から様子を伺うと、ヘレナが昼飯の準備をしていた
飯なら干し肉を持ってきたからちょうどいい
チラチラと入るタイミングを伺っていると、色とりどりの野菜が入った汁料理に目を輝かせるイライを見てピタリと足が止まった
声は聞こえないが、温かい飯を食べて「美味しい」と言っているのがわかる

「元気そうで良かった」

持ってきた干し肉と干し葡萄を手に、黙って森に帰る
イライはその後も人間の家で世話になり、帰ってきたのは春前だった
久しぶりに会ったイライはオレを見て寂しかったとわんわん泣いたが、それも一瞬でまた人間の元へ通っている
冬のために蓄えた食料はオレひとりじゃ多くて余らせてしまった
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