家(うち)へ帰ろう



今朝目を覚ました時から自分の命の終わりを察していた
ここのところ体調は優れなかったが、とうとう体が限界を迎えたらしい
人間にしては随分と長く生きたものだ
思うがままに生きて最後はこうしてナワーブの隣で眠りつけるなんて、僕はなんて恵まれているのだろう
人生を思い返してもひとつも悔いはない
心にあるのは感謝と喜びだけだ
隣で心地良さそうに昼寝をするナワーブの顔をこの目に焼き付ける
もうナワーブと一緒にいられないのは寂しいが仕方ない
僕は人間で、彼は人狼だ
生きられる時間がそもそも全く違う
...どうか僕がいなくなっても健康で幸せに生きて欲しい

「大好きだよナワーブ、さようなら」

君との日々はとても愛しく尊いものだった
少しずつ弱くなる心臓の音を聞きながら、僕もゆっくり目を閉じる
サラサラと通り抜ける風、ナワーブの腕の温もり、森の匂い
全てがだんだん遠くなっていく

「人の子よ、お前の望みを叶えに来た」

意識を完全に手放す寸前、禍々しいオーラに包まれて目を覚ます
目の前にはタコのような姿をした異形が立っていた
いくつもある目をギョロギョロと動かして僕を凝視している

「人の子よ、まだ逝ってはならぬ」
「.....あなたは?」
「我が名はハスター、人の子の願いを叶える神だ」
「神...ですか」

まさか神が姿を現し、死に際の願いを聞いてくださるとは
神はとても慈悲深い
ハスターと名乗った神に両手を合わせて祈りを捧げる

「どうかナワーブが幸せに暮らせるようにしてください、それが私の願いです」
「違うであろう、私が聞いたのは『 ナワーブとずっと一緒にいられますように』という願いだ」
「それは...たしか子供の頃に初めて教会に行った時の...」
「お前の願いを叶える時がきたのだ」

そう言うと神は僕の体に手を当て、スーッと力を送り込んだ
するとみるみる体が若返り、あっという間に10代の頃の姿に戻ってしまった
驚きのあまり何度も目を擦る

「こ、これは...っ!?」
「人狼と一緒にいたいのなら人間の命では到底足りぬ、お前を人狼にしてやった」
「人狼に?そんなことができるのですか?」
「我は神だ、不可能は無い」

興奮気味に川に近付くと、水面にはやはり若返った自分の姿が映っていた
そして頭にはピョコンと虎の耳まで生えている

「あの...ハスター様、これは虎の耳では...?」
「お前の記憶を覗いたら虎の耳を大層気に入っていたようだった、特別に気を利かせたのだ、ありがたく思え」
「あ、ありがとうございます...」
「ではこれからも信心深く生きるのだぞ」
「お待ちくださいっ」

混乱する僕を置いて立ち去ろうとする神に手を伸ばすと、ヌルッとしたタコのような足に絡み取られた
リアルな感触からして夢ではなさそうだ

「我は急いでいるのだ、こうしている間に人々は多くの願いを我に届ける」
「ハスター様は私達の願いをひとつひとつお聞きになっているのですか?」
「願いを選別し、叶えるのが我の役目だ。だが人の子というのは短命で、願いを叶える番が回って来る頃には死んでいることがほとんどだ。生きて願いを聞けたのはおおよそ100年ぶりだった、お前は幸運だな」

教会にいたから毎日のように神に祈りを捧げてはいたが、まさか本当に神に届いていたとは
長生きしてみるものだ

「望み通りその人狼と共に末永く暮らせ、さらばだ」

ハスター様は今度こそ姿を消すと、辺りはいつも通り長閑な空気に戻った
隣ではナワーブがスースー寝息を立てて寝ている

「消えた...」

恐る恐る頭を触ると、左右にフワッと慣れない感触がした
獣の耳がついている
やっぱり今のは夢じゃななかったんだ
手をついて立ち上がり意味もなく飛び跳ねれば、体はどこも痛まなかった
それどころか今までにない脚力で高く飛び上がれる

「わぁ!すごい!」

意味もなくピョンピョン跳ねたり回ったりしていると、騒がしい音にナワーブが目を覚ました
すぐさま駆け寄り目の前で両手を広げて立つ

「見てナワーブ!僕も人狼になれたよ!」
「ん...やけに元気だな」
「もう、寝惚けてないで見てってば!」
「そんなに怒るなよ、寿命が縮む...ぞ.....」

ナワーブは眠い目を擦って顔を上げると、僕を見て言葉を失った
当然だ、急にこんな姿を見れば誰だって目を疑う

「夢でも見てるのか...?」
「違うよ、神様に叶えてもらったんだ」
「神様?」
「うん、ナワーブとずっと一緒にいられるように人狼にしてくれたんだよ」
「人狼というより虎じゃ...いや、やっぱりまだ夢を見てるんだ」

僕が何と言おうとナワーブは相変わらず険しい顔をしたままだ
川まで這いずり、バシャバシャ顔に水をかけては振り返って僕を見る
だが何度も繰り返しても見るものは変わるはずもなく、仕舞いには体ごと川に突っ込もうとするのを引っ張って止めた

「ほら、ちゃんと触って確かめて」
「うわっ」

ナワーブの手を掴んで耳まで持っていくと、恐る恐る耳を触られた
慣れない感覚にビクッと体を揺らせば、ナワーブもビクッと手を引く
だが気を落ち着けてから髪に鼻を近付け、クンクン匂いを嗅いできた

「お前、本当にイライなのか...?」
「うん」
「信じられない...でも確かにイライの匂いがする」

嗅ぐだけでは足りず、舌でぺろぺろ舐めて確かめたり身体中にスリスリ頬を擦り付けられる
擽ったくてケタケタ笑うとナワーブの耳がピンと立った

「その笑い方...子供の頃と一緒だ」
「信じてくれた?」
「正直まだ理解は出来てないが、どんなに姿が変わってもオレがお前を間違えるわけがないんだ」

ナワーブが僕の目をジッと見つめる
そして両腕でギューッとかつく抱き締められた
人間じゃなくなったからだろうか、ナワーブよりも高かった背が縮んで小さくなっている
体全部を包まれる感覚が心地良い

「うん、やっぱりイライだな」

首を傾げて困り顔で笑ったナワーブは、僕のモフモフの耳を摘んでムニッと引っ張った

「ヘンテコな耳付けやがって」
「ヘンテコじゃないよ、虎だよ!神様が僕のために特別に付けてくれたんだ」
「ハハッ虎にしては弱そうだ」
「ガオー」

からかうナワーブの肩にカプっと噛み付いてやる
せっかく神様がくれたのにヘンテコとはなんだ
虎の真似をしてガブガブ歯を押し当てると、ナワーブはポカンと口を開けた

「...は?」
「どう?虎に見える?」

フフっと笑えばナワーブはボーッと何かを考えたあとにニヤリと笑って僕を地面に転がす

「んー?美味しそうな虎がいるなぁ?」
「わーっ!」

仕返しに全身を甘噛みされ、擽ったさにケラケラ笑った
まるで子供の頃に遊んでもらった時みたいだ
草むらでごろごろ転がってじゃれ合い、フウフウ息を切らして寝転ぶと、ナワーブは僕の姿をまじまじと見て目を輝かせた

「...本当に夢みたいだ」
「夢じゃないよ」
「夢なら覚めたくないな」
「だから夢じゃないってば」

神様は僕に新たな命を与えてくれた
これからはこの姿でナワーブと一緒にいつまでもこの森で暮らすんだ

「体が縮んで服がゴソゴソになっちゃったな」
「家に子供の頃に着てたのがまだあったはずだ」
「サイズ合うかな?」
「まぁ着るものはジョゼフに言えばなんとかしてくれるだろ」

ナワーブが僕の手を引いて立ち上がる
体についた草と土を払うと、引き摺るローブの裾を結んでくれた

「帰ろうか」
「うん」

手を繋ぎ、ポカポカ温かい光の中をふたり並んで歩く
家の周りに咲いた色とりどりの花々が、僕達の幸せを喜んでいるようだった


fin

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