家(うち)へ帰ろう



ある日、森の奥に人間の子供が捨てられていた
木の切り株に寝かされたその子は、まだひとりで立つこともできない幼子だ

「...生きてるか?」

狩りの途中だったが子供に気付いて足を止める
布に包まれた小さい体を抱き上げると、浅く息をして眠っていた
その体は痩せ細り、かなり衰弱しているようだ

「おい、起きろ」

頬をペチペチ叩くと、子供が目を覚ましてオレを見上げた
この時の透き通るブルーの瞳を今でも忘れられない
オレはこの子供に「イライ」と名付け、気まぐれで育てることにした


***


「ナワーブの毛はモフモフで気持ちいいね」
「オレの背中は枕じゃないぞ」
「フフフっ」

イライはすくすく成長し、人間でいう10歳前後にまで成長した
人狼のオレが人間を育てられるか正直不安だっが、案外どうにかなるもんだ
オレの背に凭れて昼寝をしようとするイライを擽ってやると、楽しそうにキャッキャ笑った
そんな姿に微笑みながらイライの髪を舐めて毛繕う

「夜にジョゼフのところへ行くから今のうちに寝ておけ」
「何しに行くの?」
「お前の服が小さくなってきたから新しい物をもらいに行くんだ」

ジョゼフはオレ達人狼族の長で、唯一人間と交友がある人狼だ
一匹狼のオレは今まで話をしたこともなかったが、イライを拾ってからは何かと世話になっている
人間が何を食べてどんな生活をするのか教えてくれたのもジョゼフだ

「僕ももっと大きくなったらナワーブみたいなモフモフの毛が生えるかな」
「馬鹿言え、お前は人間だから生えるわけない」
「ナワーブは人間じゃないの?」
「オレは人狼だ」
「じゃあ僕も人狼になる」

イライは自分が人間だということをよくわかっていない
物心つくまえから森にいて、自分以外の人間を見たことがないから仕方ないが、そろそろちゃんと教えてやった方がいいだろうか
うーんと悩んでみたが、結局いつも通り面倒くさくなって考えるのをやめる
まぁそのうちわかるだろう

「うだうだ言わずにさっさと寝ろ」
「えー」
「ほら早く」
「...はーい」

拗ねて横になったイライが小さく丸くなる
背中をよしよし撫でてやったら機嫌を直したのか、ギュッと抱きついてきた
甘えん坊なのも早いところ卒業させなきゃな

「へへっナワーブ大好き」

...今はまだ甘えさせておいてやるか
スースー寝息を立てて眠ったイライをベッドに移動させると、今日狩ってきた獲物を捌いて干し肉にした
冬が来る前に食料を蓄えておかないと
去年は寒くなるのが思ったより早くてギリギリだったから、今年は余裕を持って準備をしていた
有難いことにこの秋は豊作だ
森には木の実や果物がたくさんあって、丸々肥えた動物も多い
この調子でいけばオレとイライのふたりでも充分な食料が手に入るだろう

「ナワーブ、いるかい?」

肉を片付けていたら家の外でジョゼフの声がした
今夜会う約束だったのにわざわざ訪ねて来たのだろうか
簡素な扉を開くと、やはりジョゼフが荷物を持って立っていた

「やあ」
「夜にイライと行くって言ってなかったか?」
「たまには家の様子を見ようと思ってね、抜き打ちチェックだよ」

そう言ってジョゼフは小さい部屋をグルグル見渡す
この家はイライが来てからオレが見様見真似で建てたものだ
ジョゼフによると人間は気温の変化に弱いから家の中で雨風を凌ぐのだとか
イライを育て始めてすぐの頃、寝床にしていた洞穴でそのまま生活していたら、それはそれはすごい剣幕で怒られた

「やれやれ、掃除が全然行き届いてないじゃないか」
「一昨日掃除したばっかだぞ」
「前にも言ったけど人間はデリケートで弱い生き物なんだ、毎日清潔にしてあげなきゃ病気になるよ?」

他にも栄養や教養のことまでグチグチ説教垂れるジョゼフにため息を吐く
これでもオレなりに精一杯やってるんだ
いちいち細かいことまで言っていたらノイローゼになる

「で、イライの服は?持って来たんだろ?」
「ああそうだ、今回のはななかなか可愛いよ」

話を遮って肝心の服のことを聞くと、ジョゼフは布袋から新しい服を取り出した
ヒラヒラと見せつけたそれは虎柄でやけに目立つローブだ
てっきり今着せている紺のローブと似た服だと思っていたから驚いた

「イライが着るには派手じゃないか?」
「紺のローブは外敵から身を隠すのに丁度良かったけど、もうすっかり大きくなったからね。隠れるより襲われないように虎のフリをさせた方が良いと思って」
「それなら狼でも良かっただろ」
「人間界には虎の威を借る狐という言葉があるくらい、虎は強さの象徴なんだ」

こんな森の奥に虎って...
でも獰猛な動物達から少しでも身を守れるならいいか
虎のローブを受け取り礼を言う

「どうも」
「フフッそれにしてもイライも大きくなったね、前までこんなにチビちゃんだったのに」
「まだまだ子供だよ」
「人間の成長は人狼とは比べものにならないくらい早いから、今のうちにたくさん可愛がっておくんだよ」

ジョゼフが気持ちよさそうに眠るイライの頭を撫でて目を細める
確かにオレ達人狼が何百年も生きるのに対して、人間の一生はせいぜい100年ほどだ
イライがここまで大きくなるまでも一瞬だった
きっと欠伸をしている間に大人になっているんだろうな

「気を付けないとナワーブもそのうちイライに背を抜かされるだろうね、プププッ」
「余計なお世話だ!」

オレがチビなのを気にしていると知っていてこいつ...!
苛立ち混じりにジョゼフの尻尾を踏みつけると取っ組み合いの喧嘩が始まった
すると騒音に目が覚めたのか、イライが眠い目を擦りながら起き上がる

「あれぇ月下のオオカミさん?ナワーブと喧嘩してるの?」
「やぁイライ、君に新しい服を持ってきたよ」

一時喧嘩を止めたジョゼフはイライに虎のローブを手渡した
イライはそれを見るなり目をキラキラ輝かせる

「わぁすごい!トラだ!」
「気に入ってくれたかい?」
「うん!」

早速服を脱いで着替えると、フードについた小さい耳にまた歓喜する

「ねぇ見てナワーブ!僕にも耳があるよ!」
「良かったな」
「フフフっ耳だぁ」

無邪気に喜ぶイライにオレも自然と笑顔になった
そんなオレを見てジョゼフは小さくため息を吐く

「一匹狼の君がこんなに子煩悩になっちゃって」
「うるさい」
「まぁ良いことだよ、相変わらず上手くやってるようで安心した」

ジョゼフはイライを撫でると、空になった布袋を持って立ち上がった

「また人間の物が必要になったら言ってくれ」
「ああ、いつも世話になって悪いな」
「お易い御用さ」
「月下のオオカミさんありがとう」
「うん」

イライもジョゼフにお礼を言うと、暗くなる前に帰って行った
オレとの予定も前倒しになったし、きっと夜は森の見回りに行くのだろう
そろそろ人狼の雌の発情期が始まる頃だ
奔放な性格だが、あれで人狼の長だから問題が起こらないか気にしているに違いない

「ナワーブ」

ちょんちょんと手を引かれ下を見ると、イライがオレの腹にカプっと甘噛みした

「ガオー」
「...は?」
「どう?トラに見える?」

ああなるほど、虎ごっこのつもりか
発情期のことを考えていたせいで少し動揺してしまった
そうだよな、イライはまだそんなこと知らないし

「んー?美味そうな虎がいるなぁ?」
「キャーっ!」

転がしてガブガブ食べるフリをするとイライがケラケラ笑ってはしゃいだ
こんなことで楽しいなんてまだまだ子供だな、イライもオレも

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