第1章「地獄里の炎魔」
夕暮れの薄暗い空の下。
いつもの川原で、エンマは一人、草吉が来るのを待っていた。
もう二時間以上は待っていた。
「じじい、おせえな…。まさか、また忘れたんじゃねーだろうな。」
夜になりそうなので、仕方なく、エンマは家へと帰った。
家へ戻っても、灯りもついておらず、真っ暗で、しんと静まり返っていた。
「なんだ…?灯りもつけねえで。真っ暗じゃねえか。おい、じじい!すっぽかしやがって!ずっと待ってたんだぞ!」
急に、エンマは何かにつまずいた。ふと足元を見ると、そこに何かが倒れていた。
エンマは急いで灯りをつけて、つまずいた場所を振り返って見た。
「じじい!!」
そこには、草吉が倒れていた。
「…エンマ…。に、逃げろ…!」
草吉の体は血まみれだった。
「な、何でこんな…!」
「待っていたぞ、エンマ。」
草吉の倒れている場所のすぐ背後の壁から、ぬうっと、黒い人影が現れたかと思うと、それは、影からはっきりと目に見える姿に変わった。
体は人間とほとんど変わりはなかったが、頭には二本の獣の角が生え、尾骶骨のあたりから牛の尾のようなものが生えていた。
「鬼…!?」
エンマは、人々に「赤鬼」と自分が呼ばれたことを思い出した。
その鬼の目も、エンマと同じ、緑色をしていた。だが、鬼の髪の毛は黒く、体も黒い体毛で覆われていて全身黒かった。
「エンマ…!こいつは、魔物じゃ。わしでも倒せんかった…。こいつは、お前を狙っておる!逃げろ!」
草吉は声を振り絞るように叫び、魔物の太い足首を必死に掴んだ。
しかし、草吉の手に掴まれたかと見えた魔物の足首は黒煙のようになって霧散し、次の瞬間には、そこに魔物の足首はおろか、魔物の姿もなくなっていた。
「まだ生きていたか。」
魔物の声が上から聞こえた。エンマが天井を見上げると、魔物が天井から顔だけを出して、こちらを見て笑っていた。
「逃げるんじゃ!エンマ!」
「じじいをほっとけねえよ!」
「わしはもうだめだ!早く逃げろ!!」
草吉は、駆け寄ろうとしたエンマを足で蹴り飛ばした。
「な、何しやがる!じじい!」
「逃げろ!エンマ、お前は生きるんじゃ!絶対に死ぬな!」
「くそ!」
エンマは木刀を抜き、魔物めがけて力一杯振り切った。が、またも魔物は霧散し、木刀はかすりもせず、当たった手ごたえも何もなかった。
「まとめて死なせてやる。」
魔物は口から火を吐き出し、たちまち火が燃え広がって、家は炎に包まれた。
「じじい!」
エンマは、倒れている草吉を抱き起して、逃げようとした。だが、魔物が立ち塞がり、エンマを蹴り飛ばした。
そして、わざと見せつけるように、エンマの目の前で、草吉の胸に鋭い爪の生えた手を深く突き刺して、心臓を抉り取った。
「あ…うあああっ…!!」
エンマは絶叫した。魔物は、草吉の死体を燃え盛る炎の中に投げ込んだ。そして、血の滴る草吉の心臓を、牙の生えた口に入れ、不快な音を立てて喰らった。
「エンマ、お前の心臓も頂くぜ。」
魔物は、紫色の舌を出して、ぺろりと口の周りの血を舐めとると、緑色の鋭い目でエンマを睨み付けた。
「よくも…よくもじじいを…!殺しやがって!!」
エンマは木刀で魔物に殴りかかったが、あっけなくかわされ、逆に魔物に捕まった。魔物は片手でエンマの首を掴み、もう片方の手でエンマの心臓を抉ろうと、肉に深々と爪を立てた。
「ぐあああ…!」
だがそれは、エンマの叫び声ではなかった。
エンマの心臓を抉ろうとしていた魔物の片腕がすっぱりと切れて、切れた腕が土間に落ちていた。
「うぐぐう…。」
魔物は、突然のことにうろたえて、エンマを掴んでいた腕を緩めてしまった。
次の瞬間、エンマは何者かの力によって魔物の腕から逃れ、風のような速さで家の外へと移動していた。
「ここで待ってて。」
エンマが顔を上げると、そこには一人の可憐な少女が立っていた。
少女は、エンマを追って出てきた魔物を片足で蹴り上げると、小刀を一直線に振るって首をはねた。
魔物の首が地面に転がり、それを拾い上げた少女は、顔色一つ変えることなく、魔物の首を頭上に向かってまっすぐに投げ、落下してきた所を自らの拳で砕いた。
魔物の首は粉々になり、砂のようになったかと思うと、やがて消えていった。
首のなくなった魔物の体も、砂のように跡形もなくなって消えていった。
それを、エンマはあっけにとられて眺めていた。
「…ごめんなさい。来るのが遅かったみたいね。まさか、おじいさんがいたなんて…。」
少女は、花霞の里からやって来た蓮花だった。
「…じじい!」
はっとしたように、エンマは燃え盛る家の中へ飛び込もうとしたが、それを、蓮花が止めた。
「駄目よ。あなたまで死んでしまっては。おじいさんは、何とかあなたを助けようとしたのよ。」
「くそおっ!なんでじじいが殺されなきゃなんねえんだよ!なんで魔物が!」
エンマは泣き喚いた。蓮花は黙ってエンマを引き止めているしか、なかった。
長い夜が明けた。
一夜にして、エンマと草吉の暮らしていた平和な家は焼けて灰となった。
草吉の亡骸は、骨だけになって残っていた。
エンマは、草吉の遺骨を、いつも草吉が腰かけていた切り株の下に、木彫りの山の神の像と一緒に埋めた。
「…じじい。勝ち逃げしやがって…。」
蓮花は、エンマの隣に座って、手を合わせて祈りを捧げていた。
「あんたは…何者なんだ。」
エンマは、蓮花の方を見た。
「私は蓮花というの。あなたがエンマね。」
「!?…なんで俺の名を…。」
「私は、花霞の里から来たの。長老様の命令で、あなたを守るようにって。」
「…どういうことだ?」
「詳しくは、里へ行ってから説明するわ。」
「今説明しろよ。俺には、何が何だかさっぱり分かんねえ。魔物に襲われて、こっちが攻撃しても、まるで歯が立たなかったってのに、なんであんたはあんなに簡単に魔物を倒せたんだ。」
「私には、魔物と戦う力と術があるの。あなたにはそれがないだけのことよ。悔しがることはないわ。」
「別に悔しがってなんか!」
「おじいさんのことは知らなかったわ。でも、エンマ。あなたのことは少しだけ分かるわ。おじいさんに今まで育てられてきたのね。それが突然魔物に襲われて…。本当に気の毒としか、言いようがないわ…。」
「……。」
「でも、それはエンマ。あなたが原因なのよ。魔物は、あなたを狙っていたの。」
「なんで俺を…。」
「あなたは知らなかったかもしれないけど、あなたのお父さんは魔物で、お母さんは人間。つまりエンマは、魔物と人間との子供なのよ。」
「…魔物と…人間…?」
「そう。魔物たちから見れば、それは認められない存在なの。だから、エンマを殺そうとしているのよ。」
「そうか。だから俺は、こんな姿で生まれちまったのか…。」
「突然こんなことを言われても、よく分からないと思うけど、事実よ。」
「いや…。なんとなく、分かってたんだ。俺は、皆と違うってことは。今の話で納得したぜ。俺は、人間であって、人間じゃねーんだな。」
「それは違うわ。エンマ、あなたはどう見ても人間よ。」
蓮花は微笑んで言った。
「あんたは、俺が怖くねえのか?」
「怖い?私は魔物を倒せるのよ。怖いものなんてないわ。」
自慢気な表情で、蓮花は言った。
「俺、地獄里の奴らには、赤鬼って呼ばれてんだ。」
「あはは。ぴったりじゃない。ステキなあだ名ね。」
「…花霞の里の奴ってのは、皆お前みたいなのか?」
「そうね。どうかしら。でも、地獄里の人たちよりは、魔物を見慣れてると思うけど。」
「でも俺みたいな人間なんていねえだろ。」
「まあ、赤い髪と緑色の目は不気味だけど、それくらいしか違いなんてないでしょ。気にすることはないわよ。」
「人の気にしていることをずけずけと…。」
エンマは蓮花を睨んだが、蓮花はただ笑っていた。
蓮花の言葉には、何の悪意も嘘も感じられなかった。
「さあ、そろそろ行きましょう。いつまでもここでメソメソしてても始まらないわ。」
いつもの川原で、エンマは一人、草吉が来るのを待っていた。
もう二時間以上は待っていた。
「じじい、おせえな…。まさか、また忘れたんじゃねーだろうな。」
夜になりそうなので、仕方なく、エンマは家へと帰った。
家へ戻っても、灯りもついておらず、真っ暗で、しんと静まり返っていた。
「なんだ…?灯りもつけねえで。真っ暗じゃねえか。おい、じじい!すっぽかしやがって!ずっと待ってたんだぞ!」
急に、エンマは何かにつまずいた。ふと足元を見ると、そこに何かが倒れていた。
エンマは急いで灯りをつけて、つまずいた場所を振り返って見た。
「じじい!!」
そこには、草吉が倒れていた。
「…エンマ…。に、逃げろ…!」
草吉の体は血まみれだった。
「な、何でこんな…!」
「待っていたぞ、エンマ。」
草吉の倒れている場所のすぐ背後の壁から、ぬうっと、黒い人影が現れたかと思うと、それは、影からはっきりと目に見える姿に変わった。
体は人間とほとんど変わりはなかったが、頭には二本の獣の角が生え、尾骶骨のあたりから牛の尾のようなものが生えていた。
「鬼…!?」
エンマは、人々に「赤鬼」と自分が呼ばれたことを思い出した。
その鬼の目も、エンマと同じ、緑色をしていた。だが、鬼の髪の毛は黒く、体も黒い体毛で覆われていて全身黒かった。
「エンマ…!こいつは、魔物じゃ。わしでも倒せんかった…。こいつは、お前を狙っておる!逃げろ!」
草吉は声を振り絞るように叫び、魔物の太い足首を必死に掴んだ。
しかし、草吉の手に掴まれたかと見えた魔物の足首は黒煙のようになって霧散し、次の瞬間には、そこに魔物の足首はおろか、魔物の姿もなくなっていた。
「まだ生きていたか。」
魔物の声が上から聞こえた。エンマが天井を見上げると、魔物が天井から顔だけを出して、こちらを見て笑っていた。
「逃げるんじゃ!エンマ!」
「じじいをほっとけねえよ!」
「わしはもうだめだ!早く逃げろ!!」
草吉は、駆け寄ろうとしたエンマを足で蹴り飛ばした。
「な、何しやがる!じじい!」
「逃げろ!エンマ、お前は生きるんじゃ!絶対に死ぬな!」
「くそ!」
エンマは木刀を抜き、魔物めがけて力一杯振り切った。が、またも魔物は霧散し、木刀はかすりもせず、当たった手ごたえも何もなかった。
「まとめて死なせてやる。」
魔物は口から火を吐き出し、たちまち火が燃え広がって、家は炎に包まれた。
「じじい!」
エンマは、倒れている草吉を抱き起して、逃げようとした。だが、魔物が立ち塞がり、エンマを蹴り飛ばした。
そして、わざと見せつけるように、エンマの目の前で、草吉の胸に鋭い爪の生えた手を深く突き刺して、心臓を抉り取った。
「あ…うあああっ…!!」
エンマは絶叫した。魔物は、草吉の死体を燃え盛る炎の中に投げ込んだ。そして、血の滴る草吉の心臓を、牙の生えた口に入れ、不快な音を立てて喰らった。
「エンマ、お前の心臓も頂くぜ。」
魔物は、紫色の舌を出して、ぺろりと口の周りの血を舐めとると、緑色の鋭い目でエンマを睨み付けた。
「よくも…よくもじじいを…!殺しやがって!!」
エンマは木刀で魔物に殴りかかったが、あっけなくかわされ、逆に魔物に捕まった。魔物は片手でエンマの首を掴み、もう片方の手でエンマの心臓を抉ろうと、肉に深々と爪を立てた。
「ぐあああ…!」
だがそれは、エンマの叫び声ではなかった。
エンマの心臓を抉ろうとしていた魔物の片腕がすっぱりと切れて、切れた腕が土間に落ちていた。
「うぐぐう…。」
魔物は、突然のことにうろたえて、エンマを掴んでいた腕を緩めてしまった。
次の瞬間、エンマは何者かの力によって魔物の腕から逃れ、風のような速さで家の外へと移動していた。
「ここで待ってて。」
エンマが顔を上げると、そこには一人の可憐な少女が立っていた。
少女は、エンマを追って出てきた魔物を片足で蹴り上げると、小刀を一直線に振るって首をはねた。
魔物の首が地面に転がり、それを拾い上げた少女は、顔色一つ変えることなく、魔物の首を頭上に向かってまっすぐに投げ、落下してきた所を自らの拳で砕いた。
魔物の首は粉々になり、砂のようになったかと思うと、やがて消えていった。
首のなくなった魔物の体も、砂のように跡形もなくなって消えていった。
それを、エンマはあっけにとられて眺めていた。
「…ごめんなさい。来るのが遅かったみたいね。まさか、おじいさんがいたなんて…。」
少女は、花霞の里からやって来た蓮花だった。
「…じじい!」
はっとしたように、エンマは燃え盛る家の中へ飛び込もうとしたが、それを、蓮花が止めた。
「駄目よ。あなたまで死んでしまっては。おじいさんは、何とかあなたを助けようとしたのよ。」
「くそおっ!なんでじじいが殺されなきゃなんねえんだよ!なんで魔物が!」
エンマは泣き喚いた。蓮花は黙ってエンマを引き止めているしか、なかった。
長い夜が明けた。
一夜にして、エンマと草吉の暮らしていた平和な家は焼けて灰となった。
草吉の亡骸は、骨だけになって残っていた。
エンマは、草吉の遺骨を、いつも草吉が腰かけていた切り株の下に、木彫りの山の神の像と一緒に埋めた。
「…じじい。勝ち逃げしやがって…。」
蓮花は、エンマの隣に座って、手を合わせて祈りを捧げていた。
「あんたは…何者なんだ。」
エンマは、蓮花の方を見た。
「私は蓮花というの。あなたがエンマね。」
「!?…なんで俺の名を…。」
「私は、花霞の里から来たの。長老様の命令で、あなたを守るようにって。」
「…どういうことだ?」
「詳しくは、里へ行ってから説明するわ。」
「今説明しろよ。俺には、何が何だかさっぱり分かんねえ。魔物に襲われて、こっちが攻撃しても、まるで歯が立たなかったってのに、なんであんたはあんなに簡単に魔物を倒せたんだ。」
「私には、魔物と戦う力と術があるの。あなたにはそれがないだけのことよ。悔しがることはないわ。」
「別に悔しがってなんか!」
「おじいさんのことは知らなかったわ。でも、エンマ。あなたのことは少しだけ分かるわ。おじいさんに今まで育てられてきたのね。それが突然魔物に襲われて…。本当に気の毒としか、言いようがないわ…。」
「……。」
「でも、それはエンマ。あなたが原因なのよ。魔物は、あなたを狙っていたの。」
「なんで俺を…。」
「あなたは知らなかったかもしれないけど、あなたのお父さんは魔物で、お母さんは人間。つまりエンマは、魔物と人間との子供なのよ。」
「…魔物と…人間…?」
「そう。魔物たちから見れば、それは認められない存在なの。だから、エンマを殺そうとしているのよ。」
「そうか。だから俺は、こんな姿で生まれちまったのか…。」
「突然こんなことを言われても、よく分からないと思うけど、事実よ。」
「いや…。なんとなく、分かってたんだ。俺は、皆と違うってことは。今の話で納得したぜ。俺は、人間であって、人間じゃねーんだな。」
「それは違うわ。エンマ、あなたはどう見ても人間よ。」
蓮花は微笑んで言った。
「あんたは、俺が怖くねえのか?」
「怖い?私は魔物を倒せるのよ。怖いものなんてないわ。」
自慢気な表情で、蓮花は言った。
「俺、地獄里の奴らには、赤鬼って呼ばれてんだ。」
「あはは。ぴったりじゃない。ステキなあだ名ね。」
「…花霞の里の奴ってのは、皆お前みたいなのか?」
「そうね。どうかしら。でも、地獄里の人たちよりは、魔物を見慣れてると思うけど。」
「でも俺みたいな人間なんていねえだろ。」
「まあ、赤い髪と緑色の目は不気味だけど、それくらいしか違いなんてないでしょ。気にすることはないわよ。」
「人の気にしていることをずけずけと…。」
エンマは蓮花を睨んだが、蓮花はただ笑っていた。
蓮花の言葉には、何の悪意も嘘も感じられなかった。
「さあ、そろそろ行きましょう。いつまでもここでメソメソしてても始まらないわ。」
