第1章「地獄里の炎魔」

 天霊山てんれいざんという山が、この国の中心部にあった。
 その山々はまるで、何者かの侵入を拒むかのように、ある地域を囲むようにして連なっており、それを天霊山脈といった。
 地獄里は国の南方の端にあるので、天霊山からは、かなり離れた所である。
 天霊山脈の向こうには、人外の者――魔物が住む「根の国」があった。
 そして、天霊山の麓、丁度根の国とこの国との境界に、花霞はながすみの里という隠れた人里があった。
 不思議なことに、花霞の里は、年中、冬でも夏でも、桜が咲いていた。そのため、「花霞」という名がついた。年中、薄桃色の花霞を纏った世にも美しい里であった。
 また、そこに住む者たちには、「霊力」――本来人が持っているが隠された力――が備わっていた。彼らはそれを「霊術」として修行し、根の国の魔物を追い払い滅することが出来た。
 人の住む国に魔物が簡単に侵入出来ないのは、天霊山の構造ばかりでなく、彼らの働きのおかげでもあった。
 花霞の里は、簡素な藁葺き屋根の家々が点在し、田畑があり、年中桜が咲いているということ以外には、他の人里とたいして変わりはない。里の奥には、簡素な石造りの神殿が建っており、その脇に、里の長老の家があった。
「長老様。お呼びでしょうか。蓮花れんかです。」
 長老の家にやって来たのは、一人の可憐で美しい少女だった。
 さらさらと流れるような黒髪を、頭の高い所で真ん中から二つに分けてまとめていた。黒い大きな瞳は、白い肌の上で、夜空に浮かぶ星々のごとく煌めいていた。
「おお、蓮花。よく来てくれた。早速だが、地獄里へ行ってもらいたい。」
 頭のつるりとした、白い髭を長く生やした長老が、皺に埋もれた細い目で蓮花を見て言った。
「地獄里、ですか。ここから南の方ですね。」
「うむ。そこに、エンマという少年がいるはずだ。」
「エンマ。その者が、何か?」
「わしがずっと探していたのだ。そして蓮花、お前の夫となるべき者なのだよ。」
「は?」
 蓮花は、戸惑ったように目を瞬かせた。
「いや、その話は後にしよう。とにかく今は、エンマに危険が迫っているのだ。お主に、エンマの身を守ってほしい。」
「お言葉ですが、長老様。自分の身を、自分で守れないような者を、私の夫に…とは、どういうわけなのですか?」
「いや、今はまだ弱い少年だが、いずれ、誰よりも強くなる存在なのだ。蓮花、お主よりもな。そしてゆくゆくは、お主と共に、根の国を治めてほしいのだ。」
「わ、私と、その者が…ですか…!?」
 今まで落ち着いていた蓮花は、これには驚いたようだった。
「うむ。だが今は、その話は後だ。エンマを助け、ここへ連れて来なさい。そうすれば、全てを話してやろう。」
「ちょっと待って下さい。はっきりとした理由がなければ、私は納得出来ません。どうして、エンマという者が、根の国の王となれる器だというのです?」
「それはな、エンマが、あの雷鬼ライキ菖蒲アヤメの息子だからだ。」
「!!…アヤメ様の…。」
「うむ。これで分かっただろう。急ぎなさい。エンマの身が危ない。」
「分かりました。」
 蓮花は一礼して長老の家を出ると、風のような速さで走り始め、あっという間に里の外へと出て行った。
 地獄里へ向かい、疾風のごとき速さで駆ける蓮花の姿は、霊力を持たない人間には見えず、一瞬つむじ風が通り抜けたとしか感じないだろう。
「一体、長老様は、何を考えていらっしゃるのかしら…。」
 蓮花は、長老の言葉を思い出していた。
「エンマ…。そんな会ったこともない、知らない奴と結婚なんて、絶対に嫌。だけど、アヤメ様の息子ってことだけが気になるわね。一体、どんな奴なのか…。」
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