第1章「地獄里の炎魔」
夕焼けに染まった赤い空の下。
緩やかな風が吹き、短く茂った草を撫で付けている。
川原の涼やかな水音だけが、辺りに響いていた。
そこに、木刀を持って対峙する二人がいた。少年と老人だった。
少年は、鮮やかな赤い髪をしており、瞳は緑色だった。
緑の目で、目の前の老人を射るように睨み付けながら、先の尖った木刀を構えていた。
体中がぴりぴりと張り詰めたような、硬い姿勢だった。
一方、老人の方は一見、隙だらけのように見えるほど、ゆったりとした構えだった。
長い白髪を後ろで束ね、優し気な表情をした柔和な老人であったが、どこかつかみどころがなく、そして老人とは思えないくらいに逞しい体つきで、全身に覇気が漲っていた。
老人は、ただ笑みを浮かべて立っているだけに見えた。まるで杖でもつくような手つきで、木刀を片手に持って。
少年が、一歩踏み出した。
「らあっ!」
大きな掛け声とともに、老人に向かって木刀を振り下ろした。
だが、一瞬早く老人が軽やかに身をかわした。
少年の動きは俊敏だったが、乱暴で無駄の多い動きだった。懸命に木刀を振り回していたが、極力体力を使わず、軽い身のこなしで攻撃を避ける老人には、一太刀も当てることが出来なかった。
今まで回避に徹していたと見えた老人は、息を切らし、疲れを見せ始めた少年の手から、するりと木刀を奪い取り、その柄で少年の腹を突いた。
「ぐはっ!」
少年は尻餅をつき、そのまま仰向けに倒れこんだ。
「どうした。もう降参か?だらしがないのう…。」
老人は余裕の笑顔を見せ、少年から奪った木刀を投げ返した。
「ち…!ま…まだだ…!」
少年は立とうとしたが、体が思うように動かず、よろけて転んだ。
「無駄じゃ。今のお前ではわしには勝てんよ。」
「くっ…。」
悔しそうに少年は唇を噛み、老人を上目遣いで睨み付けていたが、急に、その場にばたりと倒れこみ、そのまま寝息を立て始めた。
「ふふ…。余程疲れたと見える。じゃが、本当に、逞しくなったものよ。」
老人は呟いて、少年がまだ赤子だった頃を懐かしく思い浮かべた。
この川原に捨てられていた赤子を拾い育てて十五年の歳月が経った。
老人の名は、木霊草吉 といった。
昔は武士としてどこかの屋敷に仕えていたが、今は山奥に住んで木こりをしていた。
武士だった頃は、剣豪としてその名を知られるほどの使い手であった。
老人とは思えないくらいの精気に満ちているのは、そのためだろう。
「さて、そろそろ帰るか。」
星が瞬き始めた空を見て、老人は、広い背中に少年を背負って歩き出した。
地獄里 。
草吉の暮らしている山のふもとにある里の名前だ。
地獄里の山で拾ったから、少年に「エンマ」という名をつけたのだった。
草吉は、エンマと二人で山奥の小さな家で暮らしていた。
「ほれ。メシじゃぞ。」
夕餉の支度を終えた老人は、まだ眠っていたエンマを叩き起こした。
エンマは、飯の匂いを嗅ぎつけると、がばと飛び起き、がつがつと飯を食らった。
「じじい!明日また勝負しろ!」
飯を平らげると、エンマは草吉に言った。
「無理を言うな。お前の体が持たんだろう。」
「へっ!このぐれえ、どうってことねえぜ。俺は負けてねえ!まだ勝負はついてねえぞ。」
「威勢だけはいいがな。それだけではこのわしには勝てん。」
「せいぜいほざいてろ、くそじじい。」
エンマは憎まれ口を叩くと、ごろりと横になり、すぐに眠り始めた。
「修行もいいが、少しはわしを手伝え。全く、毎日毎日遊び歩きおってからに。年寄りを労わる気持ちってもんが…。」
「じじいぐれえ元気な年寄りなんて見たことねーよ。」
と、エンマは片目だけ開けて言った。
「かっかっか!言えてるな。」
草吉は大声で笑った。
翌朝。
乾いた木の割れる心地よい音が、辺りに響き渡っていた。
草吉が庭先で薪を割っていたのだ。
道具も何も使わず、素手で割っていた。
「ほいっ!」
掛け声とともに右手をさっと振り下ろすと、不思議なほど綺麗に薪が二つに割れていく。
どのような技を使っているのか、見当もつかない達人の技であった。
「エンマ!どこへ行くんじゃ。」
家を出てどこかへ向かおうとするエンマを見て、草吉が呼び止めた。
「ふん。どこへ行こうと俺の勝手だろ。」
「悪さをしとるんじゃなかろうな。わしがお前に剣を教えとるのは、そのためじゃないぞ。分かってるだろうな。」
「…分かってるって。」
エンマは、山奥から人里へと降りて行った。
地獄里の中心部には、人々が大勢暮らしていた。
たいして栄えている所ではないが、近くに山も海もあり、人々が飢える心配のない里であった。
「赤鬼だ!」
エンマを見て、誰かが叫んだ。
人々の視線が、エンマに集中した。敵意や、恐れの目だった。
「ふん。」
エンマは、人々を鋭く睨んだ。
「赤鬼め。もうここへは来るなと言ったのに、またのこのこと現れやがって!」
屈強そうな大男が、エンマの通り道を塞ぐようにして立ちはだかった。
「うるせえ!人を鬼だの妖怪だのと。俺は人間だって言ってんだ!」
「目は緑色で、耳は獣みてえにとがってやがるじゃねえか。おまけに赤い髪ときてる。てめえみたいな人間なんざ見たことがねえ。魔物が人間に化けてるに違いねえ!」
「なにい!」
エンマは怒り、大男に向かって拳を突き出した。
大男は、エンマの腕を捕らえ、投げ飛ばそうとした。が、いつの間にか背後にエンマが回っていて、大男の頭を肘で殴った。そのまま、大男はあっさりとその場に倒れた。
「こ、殺しやがった…!」
人々が恐れたようにエンマを見ていた。
「殺してねえよ。気絶させただけだ。」
「恐ろしい…。やっぱり鬼だ。」
遠巻きに見ている人々の言葉を聞いて、エンマは悔しそうな顔をして俯いた。
「ちっ…。何べん言ったら分かるんだ。俺は鬼なんかじゃねえ!」
水溜りに映った自分の姿を見て、エンマは叫んだ。
「姿が人と違うだけで…。」
ぽつぽつと、雨が降り出してきた。
雨はだんだんと激しくなり、人々は急いで家へ入り、エンマ一人が取り残された。
誰もいなくなった景色の中で、エンマは雨に打ちひしがれていた。
雷が鳴り、雨はますます強くなってきた。
緩やかな風が吹き、短く茂った草を撫で付けている。
川原の涼やかな水音だけが、辺りに響いていた。
そこに、木刀を持って対峙する二人がいた。少年と老人だった。
少年は、鮮やかな赤い髪をしており、瞳は緑色だった。
緑の目で、目の前の老人を射るように睨み付けながら、先の尖った木刀を構えていた。
体中がぴりぴりと張り詰めたような、硬い姿勢だった。
一方、老人の方は一見、隙だらけのように見えるほど、ゆったりとした構えだった。
長い白髪を後ろで束ね、優し気な表情をした柔和な老人であったが、どこかつかみどころがなく、そして老人とは思えないくらいに逞しい体つきで、全身に覇気が漲っていた。
老人は、ただ笑みを浮かべて立っているだけに見えた。まるで杖でもつくような手つきで、木刀を片手に持って。
少年が、一歩踏み出した。
「らあっ!」
大きな掛け声とともに、老人に向かって木刀を振り下ろした。
だが、一瞬早く老人が軽やかに身をかわした。
少年の動きは俊敏だったが、乱暴で無駄の多い動きだった。懸命に木刀を振り回していたが、極力体力を使わず、軽い身のこなしで攻撃を避ける老人には、一太刀も当てることが出来なかった。
今まで回避に徹していたと見えた老人は、息を切らし、疲れを見せ始めた少年の手から、するりと木刀を奪い取り、その柄で少年の腹を突いた。
「ぐはっ!」
少年は尻餅をつき、そのまま仰向けに倒れこんだ。
「どうした。もう降参か?だらしがないのう…。」
老人は余裕の笑顔を見せ、少年から奪った木刀を投げ返した。
「ち…!ま…まだだ…!」
少年は立とうとしたが、体が思うように動かず、よろけて転んだ。
「無駄じゃ。今のお前ではわしには勝てんよ。」
「くっ…。」
悔しそうに少年は唇を噛み、老人を上目遣いで睨み付けていたが、急に、その場にばたりと倒れこみ、そのまま寝息を立て始めた。
「ふふ…。余程疲れたと見える。じゃが、本当に、逞しくなったものよ。」
老人は呟いて、少年がまだ赤子だった頃を懐かしく思い浮かべた。
この川原に捨てられていた赤子を拾い育てて十五年の歳月が経った。
老人の名は、
昔は武士としてどこかの屋敷に仕えていたが、今は山奥に住んで木こりをしていた。
武士だった頃は、剣豪としてその名を知られるほどの使い手であった。
老人とは思えないくらいの精気に満ちているのは、そのためだろう。
「さて、そろそろ帰るか。」
星が瞬き始めた空を見て、老人は、広い背中に少年を背負って歩き出した。
草吉の暮らしている山のふもとにある里の名前だ。
地獄里の山で拾ったから、少年に「エンマ」という名をつけたのだった。
草吉は、エンマと二人で山奥の小さな家で暮らしていた。
「ほれ。メシじゃぞ。」
夕餉の支度を終えた老人は、まだ眠っていたエンマを叩き起こした。
エンマは、飯の匂いを嗅ぎつけると、がばと飛び起き、がつがつと飯を食らった。
「じじい!明日また勝負しろ!」
飯を平らげると、エンマは草吉に言った。
「無理を言うな。お前の体が持たんだろう。」
「へっ!このぐれえ、どうってことねえぜ。俺は負けてねえ!まだ勝負はついてねえぞ。」
「威勢だけはいいがな。それだけではこのわしには勝てん。」
「せいぜいほざいてろ、くそじじい。」
エンマは憎まれ口を叩くと、ごろりと横になり、すぐに眠り始めた。
「修行もいいが、少しはわしを手伝え。全く、毎日毎日遊び歩きおってからに。年寄りを労わる気持ちってもんが…。」
「じじいぐれえ元気な年寄りなんて見たことねーよ。」
と、エンマは片目だけ開けて言った。
「かっかっか!言えてるな。」
草吉は大声で笑った。
翌朝。
乾いた木の割れる心地よい音が、辺りに響き渡っていた。
草吉が庭先で薪を割っていたのだ。
道具も何も使わず、素手で割っていた。
「ほいっ!」
掛け声とともに右手をさっと振り下ろすと、不思議なほど綺麗に薪が二つに割れていく。
どのような技を使っているのか、見当もつかない達人の技であった。
「エンマ!どこへ行くんじゃ。」
家を出てどこかへ向かおうとするエンマを見て、草吉が呼び止めた。
「ふん。どこへ行こうと俺の勝手だろ。」
「悪さをしとるんじゃなかろうな。わしがお前に剣を教えとるのは、そのためじゃないぞ。分かってるだろうな。」
「…分かってるって。」
エンマは、山奥から人里へと降りて行った。
地獄里の中心部には、人々が大勢暮らしていた。
たいして栄えている所ではないが、近くに山も海もあり、人々が飢える心配のない里であった。
「赤鬼だ!」
エンマを見て、誰かが叫んだ。
人々の視線が、エンマに集中した。敵意や、恐れの目だった。
「ふん。」
エンマは、人々を鋭く睨んだ。
「赤鬼め。もうここへは来るなと言ったのに、またのこのこと現れやがって!」
屈強そうな大男が、エンマの通り道を塞ぐようにして立ちはだかった。
「うるせえ!人を鬼だの妖怪だのと。俺は人間だって言ってんだ!」
「目は緑色で、耳は獣みてえにとがってやがるじゃねえか。おまけに赤い髪ときてる。てめえみたいな人間なんざ見たことがねえ。魔物が人間に化けてるに違いねえ!」
「なにい!」
エンマは怒り、大男に向かって拳を突き出した。
大男は、エンマの腕を捕らえ、投げ飛ばそうとした。が、いつの間にか背後にエンマが回っていて、大男の頭を肘で殴った。そのまま、大男はあっさりとその場に倒れた。
「こ、殺しやがった…!」
人々が恐れたようにエンマを見ていた。
「殺してねえよ。気絶させただけだ。」
「恐ろしい…。やっぱり鬼だ。」
遠巻きに見ている人々の言葉を聞いて、エンマは悔しそうな顔をして俯いた。
「ちっ…。何べん言ったら分かるんだ。俺は鬼なんかじゃねえ!」
水溜りに映った自分の姿を見て、エンマは叫んだ。
「姿が人と違うだけで…。」
ぽつぽつと、雨が降り出してきた。
雨はだんだんと激しくなり、人々は急いで家へ入り、エンマ一人が取り残された。
誰もいなくなった景色の中で、エンマは雨に打ちひしがれていた。
雷が鳴り、雨はますます強くなってきた。
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