第2話「バンパイア」
長い坂道を降りていくと、谷の底に到着した。
硬い土の地面の上に、石造りの村が建っていた。
自然の石を削って造ったような建物が立ち並び、装飾の一切されていない、簡素なものだった。やがて、一軒の家に着いた。やはり石で出来た家で、石をくりぬいた所にはめられている木の窓のすき間から、明かりがもれていた。
ジンジャーは、その家の扉を軽く叩いた。
すると、中から白髪の老人が顔を出した。見た所、人間の老人にしか見えなかった。
「おお、ジンジャー。…どうした?」
老人は、フィンとアリスを見て言った。
「客だ。怪しい者ではない。」
「そうか…。まあ、入りなさい。」
フィンとアリスは家の中に入った。
「今夜はここで休むといい。俺は外を見てくる。」
そう言って、ジンジャーは再び外へ出て行った。
「…君は猟師だね。」
老人は皺の中に埋もれた細い目で、フィンを見つめた。
「はい…すみません、いきなり来て、休ませてくれなんて。ちょっとこの村に、用があったもので。」
「わしらを滅ぼしに来た、なんてな。」
かかか、と老人は悪戯っぽく笑った。
「まさか。ジンジャーの好意でここまで案内してもらったんです。実は前にも一度ここに来たことがあったんですが…記憶が曖昧で、すっかり迷ってしまって。」
「ここへお前さんが…?わしの記憶にはないが…。」
老人は、まじまじとフィンの顔を見つめた。
「…もう三十年も前になる。わしは死に場所を探してここに辿り着いた…。」
そう言うと老人は、長い着物の袖をめくりあげた。それを見て、アリスはびっくりしたように目を大きく見開いた。老人の腕は、まるで獣のように黒く硬い毛でびっしりと覆われていたのだ。そればかりでなく、よく見ると、老人の手の指は、四本しかなかった。
フィンは、老人の話にじっと耳を傾けていた。
「…わしらのような、異端の者は、人間の社会では生きられない。この村は、人間どもに追われて逃げてきた奴らが、自然と集まって出来た村なんだ。そういう者たちが、肩を寄せ合って静かに暮らしているのさ。」
「ジンジャーは、ずっとここを守っているんですか?」
「あいつは十年ほど前、ここにふらっと現れてな。それからずっとこの村を一人で守ってくれとる。何しろ、あいつはただ一人のバンパイアだからな。めっぽう強い。この村に近付く人間を片っ端から始末してくれる。この村の秘密も守られているというわけだよ。」
アリスは、フィンにしがみついて、じっと老人を見つめていた。
「じゃが、あいつをいつまでもここに引き留めておくことは出来んだろう。あいつには、何か目的があるようじゃった…。」
老人は、しばらくの間じっと、フィンを見つめた。
「お前さんは、わしらとは違うし、ただの人間とも違うようだの。そこの娘はわしらと同じ匂いがするが。不思議な男だな…。」
「あの、実はお願いがあるんです。こいつの…アリスの親になってくれる人を探してまして。」
「そうか、それでここへ来たのか。なんとなく察しはつく。わしの娘に預けよう。わしが面倒を見るよりもいいじゃろ。」
その夜は、老人の家で休んだ。
夜が更けても、ジンジャーが帰ってくる様子はなかった。
アリスは目を覚ました。
何かが呼んでいるような感覚。
胸騒ぎがした。
今は真夜中。隣でフィンはすっかり眠りこけていた。
老人も眠っているだろう。
寝間着のまま、暗闇の家の中を、アリスは何かに導かれるようにして進んで行った。
家の扉を音を立てないように静かに開けて、外へ出た。
ふらふらと、夢遊病者のように歩いていく。
辿り着いた場所は、月明かりが明るく照らしている広い荒地だった。
その奥の方に、大きな岩があって、その上に人影が一つ。
ジンジャーだった。
「お前は…!」
驚いたように、ジンジャーはアリスを見つめていた。
アリスは夢から覚めたように、はっと目を見開いて、ジンジャーの方を見上げた。
ジンジャーは、軽い身のこなしで、ひらりと岩の上から飛び降りて、アリスに近付いてきた。
「そうか。お前も…。」
ジンジャーはにっこりと微笑んだ。その手には、銀のオカリナが握られていた。
「やっと見つかった。仲間が。」
アリスはきょとんとして、ジンジャーを見つめていた。
「お前も俺と同じ、バンパイアなんだな。」
ジンジャーはしゃがみこんで、アリスの頭を撫でた。アリスはびくりと怯えて、後じさりした。
「怯えることはないよ。嬉しいんだ。ずっと探していたから。」
ジンジャーは、オカリナをアリスの目の前に差し出した。
「これは、俺たちを操る音を出す物なんだ。昔、手に入れた。旧世界でな。使い方は知らないが、バンパイアだけに聞こえる音が出るんだ。それからずっと、仲間を探し続けてきた。バンパイアにされた者は少ないらしいんだ。魔物の中でも特異な能力を持っているからな。」
月光の下で、ジンジャーの黒い髪が冷たく青く光っていた。
「しかし、お前のような子供まで実験体にされたとはな…。」
優しさを湛えた目で、ジンジャーはアリスを見ていた。
アリスは、困ったようにして、小さく震えていた。
「…フィン…。」
アリスはその場から離れようとしたが、ジンジャーに腕をそっと掴まれた。
「どこへ行くんだ。もう、お前も親などを探す必要はない。俺たちは、仲間だ。親はお前を置いていつかは死んでしまう。だが俺たちは、死なない。死ねないんだ。」
「フィン!」
「あいつも、いつかは死ぬだろう。」
アリスはジンジャーの手を振り解くと、走り出した。
それを、ジンジャーは無言で見ていたが、おもむろに、銀のオカリナを吹き始めた。
「アアアア…!!」
突然、アリスは叫び声を上げて、倒れ込んだ。
がくがくと全身が痙攣していた。
「…何だ?どうしたんだ…。」
アリスの異変に驚いて、ジンジャーはオカリナを吹くのを止めた。
しかし遅かった。
目の前の子供はみるみるうちに、異形の姿に変わっていった。
化け物に。
黒い大きな狼のような魔物に。
「これは一体…!?」
ジンジャーは驚いてその化け物を見上げていた。
怪物と化したアリスは、ジンジャーを押し潰そうと、大きな足を振り上げてきた。
硬い土の地面の上に、石造りの村が建っていた。
自然の石を削って造ったような建物が立ち並び、装飾の一切されていない、簡素なものだった。やがて、一軒の家に着いた。やはり石で出来た家で、石をくりぬいた所にはめられている木の窓のすき間から、明かりがもれていた。
ジンジャーは、その家の扉を軽く叩いた。
すると、中から白髪の老人が顔を出した。見た所、人間の老人にしか見えなかった。
「おお、ジンジャー。…どうした?」
老人は、フィンとアリスを見て言った。
「客だ。怪しい者ではない。」
「そうか…。まあ、入りなさい。」
フィンとアリスは家の中に入った。
「今夜はここで休むといい。俺は外を見てくる。」
そう言って、ジンジャーは再び外へ出て行った。
「…君は猟師だね。」
老人は皺の中に埋もれた細い目で、フィンを見つめた。
「はい…すみません、いきなり来て、休ませてくれなんて。ちょっとこの村に、用があったもので。」
「わしらを滅ぼしに来た、なんてな。」
かかか、と老人は悪戯っぽく笑った。
「まさか。ジンジャーの好意でここまで案内してもらったんです。実は前にも一度ここに来たことがあったんですが…記憶が曖昧で、すっかり迷ってしまって。」
「ここへお前さんが…?わしの記憶にはないが…。」
老人は、まじまじとフィンの顔を見つめた。
「…もう三十年も前になる。わしは死に場所を探してここに辿り着いた…。」
そう言うと老人は、長い着物の袖をめくりあげた。それを見て、アリスはびっくりしたように目を大きく見開いた。老人の腕は、まるで獣のように黒く硬い毛でびっしりと覆われていたのだ。そればかりでなく、よく見ると、老人の手の指は、四本しかなかった。
フィンは、老人の話にじっと耳を傾けていた。
「…わしらのような、異端の者は、人間の社会では生きられない。この村は、人間どもに追われて逃げてきた奴らが、自然と集まって出来た村なんだ。そういう者たちが、肩を寄せ合って静かに暮らしているのさ。」
「ジンジャーは、ずっとここを守っているんですか?」
「あいつは十年ほど前、ここにふらっと現れてな。それからずっとこの村を一人で守ってくれとる。何しろ、あいつはただ一人のバンパイアだからな。めっぽう強い。この村に近付く人間を片っ端から始末してくれる。この村の秘密も守られているというわけだよ。」
アリスは、フィンにしがみついて、じっと老人を見つめていた。
「じゃが、あいつをいつまでもここに引き留めておくことは出来んだろう。あいつには、何か目的があるようじゃった…。」
老人は、しばらくの間じっと、フィンを見つめた。
「お前さんは、わしらとは違うし、ただの人間とも違うようだの。そこの娘はわしらと同じ匂いがするが。不思議な男だな…。」
「あの、実はお願いがあるんです。こいつの…アリスの親になってくれる人を探してまして。」
「そうか、それでここへ来たのか。なんとなく察しはつく。わしの娘に預けよう。わしが面倒を見るよりもいいじゃろ。」
その夜は、老人の家で休んだ。
夜が更けても、ジンジャーが帰ってくる様子はなかった。
アリスは目を覚ました。
何かが呼んでいるような感覚。
胸騒ぎがした。
今は真夜中。隣でフィンはすっかり眠りこけていた。
老人も眠っているだろう。
寝間着のまま、暗闇の家の中を、アリスは何かに導かれるようにして進んで行った。
家の扉を音を立てないように静かに開けて、外へ出た。
ふらふらと、夢遊病者のように歩いていく。
辿り着いた場所は、月明かりが明るく照らしている広い荒地だった。
その奥の方に、大きな岩があって、その上に人影が一つ。
ジンジャーだった。
「お前は…!」
驚いたように、ジンジャーはアリスを見つめていた。
アリスは夢から覚めたように、はっと目を見開いて、ジンジャーの方を見上げた。
ジンジャーは、軽い身のこなしで、ひらりと岩の上から飛び降りて、アリスに近付いてきた。
「そうか。お前も…。」
ジンジャーはにっこりと微笑んだ。その手には、銀のオカリナが握られていた。
「やっと見つかった。仲間が。」
アリスはきょとんとして、ジンジャーを見つめていた。
「お前も俺と同じ、バンパイアなんだな。」
ジンジャーはしゃがみこんで、アリスの頭を撫でた。アリスはびくりと怯えて、後じさりした。
「怯えることはないよ。嬉しいんだ。ずっと探していたから。」
ジンジャーは、オカリナをアリスの目の前に差し出した。
「これは、俺たちを操る音を出す物なんだ。昔、手に入れた。旧世界でな。使い方は知らないが、バンパイアだけに聞こえる音が出るんだ。それからずっと、仲間を探し続けてきた。バンパイアにされた者は少ないらしいんだ。魔物の中でも特異な能力を持っているからな。」
月光の下で、ジンジャーの黒い髪が冷たく青く光っていた。
「しかし、お前のような子供まで実験体にされたとはな…。」
優しさを湛えた目で、ジンジャーはアリスを見ていた。
アリスは、困ったようにして、小さく震えていた。
「…フィン…。」
アリスはその場から離れようとしたが、ジンジャーに腕をそっと掴まれた。
「どこへ行くんだ。もう、お前も親などを探す必要はない。俺たちは、仲間だ。親はお前を置いていつかは死んでしまう。だが俺たちは、死なない。死ねないんだ。」
「フィン!」
「あいつも、いつかは死ぬだろう。」
アリスはジンジャーの手を振り解くと、走り出した。
それを、ジンジャーは無言で見ていたが、おもむろに、銀のオカリナを吹き始めた。
「アアアア…!!」
突然、アリスは叫び声を上げて、倒れ込んだ。
がくがくと全身が痙攣していた。
「…何だ?どうしたんだ…。」
アリスの異変に驚いて、ジンジャーはオカリナを吹くのを止めた。
しかし遅かった。
目の前の子供はみるみるうちに、異形の姿に変わっていった。
化け物に。
黒い大きな狼のような魔物に。
「これは一体…!?」
ジンジャーは驚いてその化け物を見上げていた。
怪物と化したアリスは、ジンジャーを押し潰そうと、大きな足を振り上げてきた。
