このサイトは1ヶ月 (30日) 以上ログインされていません。 サイト管理者の方はこちらからログインすると、この広告を消すことができます。

視える人

1.
「高山さーん。高山 叶さーん、5番診察室へどうぞー」

病院の待合室で私の名前が呼ばれる。
3年ほど前に精神を患い、一時は施設に入れられたものの、今は通院で済むほどに回復した。
待合室に娘を待たせ、診察室へと入る。

「高山さん。生活の方はどうですか?」
「おかげさまで、だいぶ以前のように暮らせるようになってきました」
「そうですか、それは良かった。強いストレスなどは避けて、焦らず治していきましょう」
「ありがとうございます。人付き合いの少ない職場で、週3日ほどパートにも出ようと思っています」
「それは良いことですね。これならすぐまた日常に戻れると思いますよ」

そう言って担当医がカルテに何かを書き込む。

「念のためもう少しお薬も続けましょう。今日は以上で大丈夫です」
「わかりました。ありがとうございます」

一礼して部屋を出ると娘に声をかけて病院を後にした。

2.
「ママ今日のお昼ごはん何?」

5歳になる娘、沙耶が甘えた声で聞く。

「今日は病院でお利口さんにしてたから、沙耶の大好きなハンバーグにしようか」
「ほんとに〜?ハンバーグ大好き」

子供の笑顔を見ると気持ちが落ち着く。
3年前、仕事と育児に疲れた私の心は壊れてしまった。
過度のストレスから他人を傷つけるようになり、そして、愛する子供と夫を傷つけ、施設へと送られたのだ。

また沙耶と暮らしたい、という想いで自分と闘い、まだ薬を飲んではいるが、少しずつ社会復帰も出来るようになった。

「沙耶、何かお菓子食べようか」
「えー!いいのぉ〜!?」

目を輝かせて私を見る。なんて愛らしいのか。

「今日、ママ、先生に褒められたから、ママへのご褒美」
「ママほめられたのぉ〜?すご〜い!」

クスクスと笑ってお菓子コーナーに行く。

「沙耶ね〜、チョコレートが良いなぁ」
「沙耶の食べたいものなの?ママのご褒美じゃないの?」

もちろん沙耶の大好きなチョコレートを買うつもりだったが、子供の反応が可愛くて少し意地悪をする。

「え〜…沙耶チョコレート食べたい。でもママのご褒美だから、ママの好きなお菓子でいいよ!」

ありがとう、と言って頬が緩んだ。

「高山さん。こんにちは」

不意に私を呼ぶ声がして顔を向けると、2軒隣の山戸さんがニコニコしながら話しかけて来た。

「こんにちは」
「高山さん戻ってたのね!良かったぁ〜!心配してたのよ〜!」
「ありがとうございます。ご心配をおかけしましたが、だいぶ落ち着きました」
「あの時は大変だったわね!ほら…」

「あの時」という言葉に一瞬視界が暗くなり、胸が締め付けられる様に苦しくなった。

「…だったでしょ〜!…で!…じゃない!?もぉ〜!おばちゃんびっくりしちゃったわよ!!」

話しはほとんど入ってこないが、心臓を握られてるような感覚になり、息も出来なくなりそうだった。

「あの時」…そのワードはまだ私の中で消化しきれていないのだろう。
3年間の治療がたった一言でこんなにも脆く崩れるとは…

「すみません…用事がありますから」

とだけ切り出し、足早にその場を立ち去った。

3.
「沙耶あのおばちゃんきら〜い」

スーパーからの帰り道、不機嫌そうに沙耶が言った。

「どうして?山戸さんは良い人よ?ちょっとおしゃべりが長くて、お節介なところはあるけど。ママは良い人だと思うなぁ」
「ママ苦しそうだったもん。ママ苦しめる人嫌い」
「沙耶。それは違うのよ。さっきのはママが悪いの」
「でももう良いよ。あの人もう死んじゃうから」

およそ5歳の子供が発するものとは思えない言葉にぎょっとする。

「沙耶…何言ってるの?」

心臓の鼓動が少しだけ速くなった。

「あのおばちゃん、車に轢かれて死んじゃうんだよ。沙耶見たもん」

また胸が苦しくなる。呼吸が荒くなっていくのが自分でもわかった。

「沙耶…そのお話はやめにしようね。もっと楽しいお話しにしよう?」
「…ごめんなさい。もうしないね」
「沙耶は優しい子ね」

私を気遣う娘の手にそっと手を添える。
この温もりが私の心を鎮めてくれた。

信号が変わり、横断歩道を渡った次の瞬間
キキーーッッというけたたましいブレーキ音と、ドン!!という鈍い音が背中越しに響いた。
静寂の後、周りのざわつく声。悲鳴。

私は振り返らず家路を急いだ。

4.
「沙耶〜!ご飯出来たわよ〜!」

テーブルに料理を並べ、リビングにいる沙耶を呼ぶ。

「沙耶〜!?」

リビングを覗くと沙耶は誰かと話しをしていた。

「ママね、あの話し嫌なんだって。そう。苦しそうだったの。だから沙耶もうしない」
「沙耶?誰とお話ししてるの?」

私の呼びかけに気づきひょいとこちらを向く。

「おばちゃんのこと教えてくれた人」
「沙耶!!!」

つい怒鳴ってしまった。
ハッとして沙耶を見る。
その顔はキョトンとしていた。

「ママごめんなさい。もうしないよ」
「ママも怒鳴ってごめんね」

沙耶を優しく抱きしめると食事が並んだテーブルへと連れだった。

5.
大好物のハンバーグに機嫌を良くしたのか、ニコニコ顔の沙耶とは反して、私はと言えば、さっきの会話が何かひっかかり、ただぼうっと沙耶を見ていた。

「ママ、どうしたの?沙耶の顔、何かついてる?」
「ご飯粒がね」

そう言って口の周りについた米粒をひょいと取ると自分の口に入れた。

「ねぇ、ママ」
「どうしたの?」
「ママがどこに行っても私はずっと側にいるよ」
「何?急に。ママはもうどこにも行ったりしないよ。ずっと沙耶と一緒よ」
「ん〜ん。違うの」

どういう事?と言うか言わないか、誰かの訪問を知らせる音がなる。

「はーい」

沙耶の頭を撫でて玄関へ向かい扉を開くと、見知らぬスーツ姿の男が2人立っていた。

「高山 叶さんですね?」
「はい…そうですけど?」

私の名前を確認すると、男は胸ポケットから何かを取り出した。

「高山 叶さん。夫、子供殺しの件で逮捕状が出ています。署までご同行願います」

突然の宣告に意味が分からず思わず叫ぶ。

「何言ってるんですか!?私がそんな事するわけ…!」

するわけ…と言った瞬間、視界が暗くなっていく。
愛する我が子を殺すわけがない…

3年前…

胸が苦しくなる。

私が…

息が出来ない…

殺した…?

ハッハッと息を切らせながら慌ててダイニングに戻る。

「高山!」

警察の制止も聞かず部屋へ戻り沙耶を探す。

「沙耶!!」

テーブルの上には2皿のハンバーグに1つだけが食べかけのまま残されていた。

呆然とする私を警察が取り押さえる。

「容疑者確保!」

手錠をかけられ警察に引っ張られる瞬間、開けてないはずの部屋にひゅうっと風がふく。

「ママがどこに行っても私はずっと側にいるよ」

その時、確かに沙耶の声が聞こえた。



ー了
1/1ページ
    スキ