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スピカを置き去り

 4日目。銀星が閉館後の見回りをしていると黒い女がまた現れた。昨日と同様にあの「豊穣と乙女」の絵を見ていた。
「昨日の女の人だ……」
 黒い女はまた薄暗い中一人、不気味な緑色の光に照らされて立っていた。まるで誰かを待っているかのように。銀星は帰ってもらおうと、黒い女に近づいた。
「あの。閉館時間は過ぎて…」
「あら、またごめんなさい。昨日の子。私ったらこの絵に夢中になってしまって」
 女は昨日と同じように微笑んだ。
「いえ。気にしないでください。俺もこの絵なんか不思議と思ってて……」
「あなたもそう思う?」
「はい。ここよく見て下さい」
 銀星は画面の奥。人魚の絵を指した。
「人魚が描かれていて……。なんだろうって。あなたも同じ理由ですか?」
「そうね。それもあるわね」
 黒い女は、銀星を見つめ直し、一呼吸おいて言った。
「……あとあなたじゃないわ。私の名前は旭(あさひ)よ。旭って呼んで」
「えっ……」
 いきなり名前を教えられたことに銀星は驚いたが、名前を教えられた以上自分も答えないわけにはいかなかった。
「おっ、俺は銀星といいます」
「銀星……。いい名前ね」
 旭は少し恍惚した表情で銀星、と呟いた。
「いえ。そんなことは…。旭さんもこの絵が気になるんですよね?なんで人魚が描かれているんですか。わかりますか?」
 銀星は尋ねた。
「ふふっ。それはね、かつてこの地域では人魚を信仰していたのよ」
 旭は少女のように笑った。
「人魚を信仰?一神教の宗教ではなくて?」
 確かこの時代の宗教は一神教の宗教が主だったはずだ。
「そう。人魚の血肉を食べると不老不死になるって伝説聞いたことない?このあたりの地域ではそれを信じていて、不老不死を生み出す人魚を信仰の対象をしていたのよ」
「人魚の不老不死伝説ですか。聞いたことがあります。確か、日本でもありましたよね?」
 それは、幼いころ誰かから聞いた話である。
「八百比丘尼伝説ね。人魚の血肉を食べた女が何百年と生きた話ね」
「ずいぶん詳しいですね」
「人魚の研究をしているのよ」
「そうなんですか。そういえばさっき人魚のほかに気になることがあるって…」
 銀星が聞こうとしたとき、旭はパッと顔をあげた。
「あら、もうこんな時間」
 旭は館内の時計を見て言った。
「バイト中だったわね。ごめんなさい、もう帰ったほうがいいわね。また昨日みたいエスコートしてくれるかしら」
 不意に旭から言われて銀星も腕時計を見た。気が付けば30分ほど話していただろうか。
「ああ。そうですね。分かりました。案内します」
 話が途中になってしまい少しモヤモヤした気持ちもあったが、今はバイト中である。彼女の言う通りに昨日と同じように職員用の出入り口まで案内した。外に出ると雨が降っていた。旭は手のひらを空に向けて、雨粒を受け止めるような仕草をした。
「嫌になるわね、この雨」
「はい。もう梅雨ですからしょうがないですが…」
 旭はせっかく集めた雨粒を払い捨てた。黒い傘を広げて出口まで歩いた。歩いている足を止めて振り返った。
「……さっきの質問には明日答えるわ。でも自分でも答えを探してみて。」
「また明日会いましょう。…銀星」
「えっ。あっはい」
 銀星は先ほどの話を振られたことに少し驚いた。そのまま彼女を見送った。
 彼女を見送った後、館内に戻りもう一度絵を見る。
「おかしなところって、どこだ」
 目を凝らしてみると、画面の下おそらく収穫された野菜や果物が描かれているところに目が留まった。
「……なんだこれは。上から描き直されている?」
 上から絵の具が塗り重ねてあるが、一部分が剥がれて下の絵が見えている。上から描き直すなんて、どうしてこんなことを、と思い描き直されているところをよく見るため絵に近づいたとき。
「いっ、痛っ…」
 ズキッと再び頭に電流が走ったように痛みが襲ってきた。
「また頭痛が…。なんで…」
 昨日と同じ不気味な痛みに彼は不信感を持った。それは直感的な感情だった。
 しかし気のせいだろうと自分を誤魔化した。そう思う反面、一つ心に思うことが浮かび上がった。
「何か呪われているんじゃないか。あの絵は」
 そんなわけないか。と彼は薄ら笑いをした。

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