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掌篇集

 草の青い匂いが鼻をつく。
 川べりの土手では、花の香よりは青々とした草のほうが主張をしていた。
 背中に草と斜面の凹凸を感じながら寝転がると、動きの早い雲が正面にある。
「っはーーーー帰りたくねぇーーーー」
 小さくぼやく男の傍らには、男の所属する会社のロゴが書かれた紙袋が横たわっており、その中には営業用の資料が詰まっている。本来、飛び込み営業して相手方に渡す資料だ。つまり、男の今日の成果は芳しくないということである。
 朝から客先を回りながら何の手応えもなく門前払いにつぐ門前払いで心は折れたものの
、この状態で会社に戻りたくないあまりに土手でサボっている。
「もう会社辞めようかなぁ……」
 もともと営業志望ではなかったのに、なぜか入社したら「最初は全員営業やるから」などと言われて外回りをさせられ、心を折られまくっている。研究職採用なのに。
 いや、ちゃんと理由は説明されているのだ。研究職とはいえ、己の作っている商品をよく知り、アピールする点と顧客が望む点を、実際に顧客とやり取りする営業を通して知るべし、と。
 だが、中途とはいえ営業未経験の新人を一人で回らせるのはあまりに酷だし、それで上手いこと出来るほど器用ならば、研究費用が貰えずに前の職を追われるようなこともなかったのだ。
 脳内でつらつらと愚痴と言い訳と面接で会った社長に対する暴言を並べ立てていた男だったが、目の前の晴れた空と吹き抜ける風に次第に思考が静かになっていく。
「……帰るかぁ」
 営業経験は三ヶ月だけと確約されている。就業規則と就職時の契約書には営業職務について書いていないので労基にチクればいける気もするが、あと一ヶ月耐えれば望んだ研究職に戻れるのだ。
 男はことなかれ主義でもあった。
 以降、ストレスが溜まると土手で大の字になっている男の姿が見られるようになった。
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